烙印を抱えて

文字の大きさ
上 下
23 / 35
5 ノワールアンドルミナンス

5-4 空虚な慰め

しおりを挟む
Edelweiss, Edelweiss
(エーデルワイス、エーデルワイス)

Every morning you greet me
(毎朝私に挨拶してくれる)

Small and white clean and bright
(小さく、白く、清くて明るい)

You look happy to meet me
(私に会えて嬉しそうね)

Blossom of snow may you bloom and grow
(雪の花は花咲き育ってゆけるでしょう)

Bloom and grow forever
(永遠に花咲き誇ってゆくわ)

Edelweiss, Edelweiss
(エーデルワイス、エーデルワイス)

Bless we one's house forever
(私たち家族が永遠に護るわ)






優しい歌声に目を開けるとそこにはソファにもたれかかった両親と地べたに座った兄妹がいた。歌を歌っていたのは母だった。父がクラシックギターの弦を静かに弾いている。母が私に気づきうっすらと微笑む。

「薫もこっちにいらっしゃいな。」

訳がわからずソファに座ったまま動けずにいた私を母は不思議そうに見つめた。私は徐に立ち上がりまたゆっくりとそちらに歩き出す。私が歩いたところに、跡のように白いラベンダーが植わっていった。私は兄と姉の間に座り、同じように体育座りで腰掛け、ソファにいる母の顔を見上げる。その顔は私の知っている母で、何も変わっていない、綺麗な人だった。寧ろおかしいのは私の方で。周りはみんな変わっていない。背も、顔つきも、何もかも。大きくなったのは私だけで。その孤独感は拭えなかった。

母はもう一度、ゆったりとした声音でエーデルワイスを歌った。

母の歌うエーデルワイスは、本家のものと少しだけ違う。歌詞の最後が『Bless my homeland forever』ではなく『Bless we one's house forever』なのだ。『親』が護るのではなく『家族』が護ると歌詞にしているのは恐らく『One for all,All for one.』(一人はみんなのために、みんなは一つの目的のために)を意識している為に『one's house』(我が家)という単語を選んでいるのだと思う。きっと母が私たち家族に向けて歌っているから歌詞の一部を変えているのだ。

目頭が熱くなり、刹那。頬に生温い感触がひとつだけ、静かに伝う。母がそんな私を見て大きな目を更に見開いて大層驚いた顔をした。

「まぁ。」
「す、すまない……。」

謝りはしたものの、涙は止まることを知らず、自分の意思とは無関係に、反比例するように、とめどなく溢れ出てくる。嗚咽で喉を鳴らし、喉仏が忙しなく動く。そんな私を見兼ねた母が自分の身の内に私の顔を手繰り寄せた。そうしてゆっくり、私の後ろ頭を何度も何度も撫でるのだった。その手に温度が感じられないことが、何よりも辛かった。気づけば兄と姉も、私の腰に腕を巻き付けていた。


「薫はよく頑張っているよ。だけどこうして慰めてあげられなくてごめんね。」
「っ……~、う、っ……。」
「辛い思いばかりを薫にさせてしまって……本当に申し訳ない。だけどね薫。薫が気に病むことはないよ。パパもママも、兄ちゃんも姉ちゃんも、みんな薫が直向きに頑張っているのは分かってる。」
「それにね、犯人を見つけられなくても私たちは薫を責めることはないし、そんな権利はないの。ただ貴方が、少しでもこの世界に幸せを見つけられるなら、それで。」
「そうそう、薫を生かしたのは俺と天なんだ。みんなが誰かを生かすのに必死だった。あの状況での適任が薫だっただけで。」
「薫が私たちを責めることがないのと同じだよ。天も瑞稀兄ちゃんも、パパもママも、薫を責めないよ。」
みんなは一斉に、これまで直隠しにしかできなかった言葉を私に紡ぐ。
「でもっ……でも僕がそれを許せないんだっ……!僕は……っ!」
「薫には今、居場所があるでしょう。私たちにとっては全部大事なの。貴方の居場所も、貴方自身も、『貴方の弟』も。」
「僕の『弟』……?」


自分はこの家の中では『一番年下』だ。それ以上の兄弟はいないし、そういった話も聞いたことがない。母の言う『弟』とは誰なのだろうか。

「ええ、弟。貴方のそばにいつもいる、大事な弟、『立花くん』。」

その言葉で、一瞬、脳裏に振り返り微笑みかける葵が浮かんだ。

「あおい……?」
「薫が立花くんを知るように、立花くんも薫を知るべき、ママはそう思うわ。でないと、入れ違っちゃう。」

だいぶ心が落ち着き涙も止まった。母の胸から自分の頭を離し、再度母の顔を見る。その顔は、変わらずおっとりとしていた。
「彼を、立花クンを大切にしなさい。彼は薫が支えるだけじゃない、彼も薫を支えるんだ。ただそのための手札が揃っていないんだよ。」
みんなはゆっくりと立ち上がった。私もそれにつられて立ち上がる。瑞稀と天が母たちの元に行くと、丁度私と他四人が立つ構図になる。うっすらと、白い境界線が地面に引かれる。
「だから……。」
「「「「薫が今居るべきは、ここじゃない。ここに来るには早すぎる。」」」」
四人は力一杯に私の胸をドンと押した。衝撃で尻餅をつく。目を開けるとそこには炎が立ち込めていた。座っていた椅子に、四輪の白菊が添えてある。炎に囲まれ、陽炎のせいで揺らいでいるが、燃えることなくそこに凛として、存在しつづけている。それをただ延々と見つめていた。炎の周りには白いラベンダーとタンジーが所狭しに並んでいた。
「父さん、母さん……。瑞稀兄さん、天姉さん……!」

















私の身体に炎が燃え移る頃に、目が覚めた。不思議と身体は熱くなく、むしろ快適なほどだった。

目に映る景色は、あまりに見慣れたものだった。いつもの常夜灯が、オレンジ色の鈍い光を放っている。カーテンは閉めきってあった。

(どうして、家に……?)

燃えたはずの家にいることが不思議で堪らなく、私は上体を上げる。まだ夢の中にいるのだろうか。辺りを見渡してみてもいつもの部屋で、ベッドサイドテーブルに置いている間接照明も、机の上に置いてあるファイルとパソコンも、自分のスマホも、何もかもがいつも通りだった。視界の端に茶色い毛が見えてゆっくりとそちらに視線を送る。そこにいたのはマットレスに頭だけを預けて寝ている葵だった。葵は私が起き上がった反動で目が覚めたのか瞼をぴくりと動かした。

「ん………ぅん……。ぁれ、薫さん……おはよう。」
「な、んで……。どうして、君が……?」
「なんでって……ここ、俺たちの家だもん。」
「そうじゃない……!だって、家は、燃えて……。葵は中に、いて……だから、その。」
「あー……。薫さん、まだ記憶がこんがらがってるね。一から説明するね。まず薫さん、俺が送ったメッセージ読んでないよね?」

葵は私のスマホを指差してそう放つ。読んで、と言わんばかりの仕草に私はスマホを手に取りながら返事をした。

「そう、いえば。来ていた気が、する……メッセージ。」

車の運転中だから後で見ようと思っていたメッセージが一件あったのを思い出した。結局それを開く時もなくあの火事に遭遇したのだった。ディスプレイを光らせると通知が残っていた。

『友達に呼ばれたからちょっとだけ出まーす』

メッセージにはそれだけ書かれていた。

「だから俺は火事が起きた時家にいなかったってワケ。んで、次。部屋が無傷なことに関してね。薫さん、火がついていた所は覚えてる?」
「すまない。あまり……思い出したくない。」
「…………そっか。」

葵はたっぷりと間を溜めてから返事をした。何かを見極めるような、そんな。

「火元はね、玄関付近だったの。俺たちの部屋、角部屋でしょ?すぐに消防隊の人たちが来て消火してくれたおかげで、こっちまで火が回らずに済んだ、ってこと。エントランスはちょっと焦げてるけど……部屋にはほとんど支障ないし、怪我人は一人もいない。薫さんが思ってる程、大事にはなってないよ。俺もたまたま外にいたしこの通りピンピン!」

ハツラツと語ってくれた葵が本当に生きているのだと分かって私は思わず葵の腰元に抱きついた。指先が震えていたのは、葵にも伝わってしまっていただろうか。

「おわぁっ?!……薫さん?」
「…………………な。」
「ん?」
「生きて、いるんだな……。」

私は涙を堪えるのが精一杯だった。葵は躊躇いがちに私の頭を撫で、ばらばらと髪を弄った。その間、それ以上の言葉を発することはなかった。

「ねぇ、薫さん。」

一度水を飲んで、マットレスに腰掛けたところで葵がまた話しかけてきた。私はゆったりと葵を見る。葵の目は真っ直ぐに私を捉えていた。……恐ろしいほどに。

「教えてくれませんか。『蓬本事件』について。」

私は二度、目を左右に動かした後顔を逸らした。

「君に、教えられることはない。資料が全てだ。」
「……嘘つき。」

葵はそれだけ言い放って私の机の方に向かった。そして私が普段持ち歩いている分厚く黒い革製のファイルを丁寧に取り上げた。


























「じゃあ、これは何?」
しおりを挟む

処理中です...