大義

俣彦

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天正10年6月2日本能寺

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天正10年6月2日早朝。明智光秀の謀反により包囲された織田信長は、宿泊先である京都の本能寺に火を放ち非業の最期を遂げ。同じく京の妙覚寺滞在中の嫡男信忠も退いた二条城に火を放ち自害。中枢を為す2人を同時に失った織田家が支配する畿内は一転。権力の空白地帯となるのでありました。そんな中、信長信忠親子を自害に追い込んだ光秀は……。



明智光秀(以下光秀)「こうするよりほかになかった……。」

斎藤利三(以下利三)「よくぞ決断されました。」

光秀「利三か……。」

利三「殿の決断が無ければ我が妹と甥の命は……。」



斎藤利三の妹。正しくは義理の妹の嫁ぎ先は四国の長宗我部元親。その甥にあたるのが元親の嫡男である信親。信親の「信」は織田信長の「信」。織田と長宗我部は長年友好関係にあり、それがもとで実現したのが斎藤利三の妹と長宗我部との縁組。これら一連の出来事を仲介したのが明智光秀。



光秀「殿(信長)の方針転換が無ければ……。」



美濃を平定し、畿内を目指す織田信長。その畿内を支配するのが三好家。その三好家の拠点であったのが四国の東部に位置する讃岐と阿波。当時、これら2つの国への進出を目論んでいたのが土佐を平定した長宗我部元親。三好攻略の点で両者の思惑は一致。織田は畿内。長宗我部は讃岐・阿波へと兵を進めるのでありました。



利三「理想的な同盟関係でありましたが……。」



その後、三好は衰退。織田にとって脅威で無くなった三好は降伏の証として名物茶器を信長に献上。これに喜んだ信長は一転。三好を家臣とするのでありました。



光秀「……そうなると長宗我部の四国での行動が。」

利三「……織田家に対する敵対行動となってしまった。と……。」



これに困った信長は調停に乗り出し、長宗我部が攻略した土地の内、土佐一国と阿波の南部を認めるのと引き換えに、その他の土地は放棄するよう要請するのでありましたが……。



光秀「そんな仲介案。元親が呑むわけないわな……。」



交渉は決裂。それを受け信長は、三男信孝を総大将に長宗我部征伐へ向け、四国へ渡海する準備を進めるのでありました。その渡海する日が



利三「今日6月2日でありました。」

光秀「……こうするしかなかったのだ……。」



自分に言い聞かせる明智光秀。

こうして四国征伐を指揮する信長が居なくなったことにより、長宗我部滅亡の危機を回避することに成功したのでありましたが。一転ピンチに陥ることになったのが。



光秀「……こっちなんだよな……。」



明智光秀は畿内全域を管轄する立場。とは言えそれを裏書きしていたのは、今目の前で亡き者にした織田信長があってこそのこと。その信長を。自らの手で討ち取ってしまった。と言うことはつまり……。



利三「我々はこれまで味方であった織田家の家臣全てを敵に回すことになってしまった。」



畿内には光秀直属の部隊のほか。細川や筒井など部下となる武将が存在しているとは言え。



光秀「あくまでそれは信長の命があって初めて成立するもの。このままではいづれ各地に散らばった信長の部下たちに包囲されることになってしまう。その前に今回の件を正当化することの出来る裏書きとなる人物を確保しなければ……。」



当時、中央政権不在の戦国時代。各地で下剋上が繰り広げられていたと言われていたが。実際は、その時々の中央の権力者となった人物と繋がりを得たものが、そうで無いものを討つことが繰り返された時代。それは光秀も同じこと。織田信長の後ろ盾があってこその光秀であった。と……。



利三「……信長にとって代わることの出来るだけのネームバリューのある人物となりますと……。」

光秀「……奴になるのか……。奴にまた頭を下げなければならないのか……。」

利三「でもほかにあてに出来る人物はおりませぬぞ……。」

光秀「わかっておる。わかってはおるのだが……。奴に頭下げるぐらいなら、信長を討つべきでは無かった……。でもそうしなければ長宗我部が亡き者となってしまった……。しかし、それよりも……。あぁあんな奴に頭を下げなければならないのか……。」



その人物とは……?
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