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平時のように業務に打ち込んでいる時だった。
「聞いたわよ、香ちゃん。お見合いしたんだって?」
出し抜けに、香は美千代に声をかけられた。
「で、どうだったの?」
野次馬根性を持った仲居は、一見奥手な若女将を揶揄った。
どうと問われても、何と答えて良いものか見当のつかなかった香は、ハンカチを借りた事実を述べた。
「へぇ~~!」
それから、美千代は声を香にしか聞き取れない位まで下げ、ひそひそと訊いた。
「明日葉ちゃんとはどうなったの?」
「!」
瞬く間に、香の顔に動揺の色が現れた。
何故、彼女は二人が交際していることを知っているのだろうか。
「うふふ。明日葉ちゃんが言ってた、『脱がしたい女性』って香ちゃんのことなんでしょ?」
「!!」
香の赤らんだ顔つきが、一段と強張った。
「いいねぇ~、若いって」
ニヤニヤと、古参の仲居は歯を見せて笑い、恥じ入った若女将を冷やかした。
ハンカチはシミが綺麗に抜かれ、元の状態まで甦った。
本当に返しに行くべきなのだろうかと、香は思い悩んだ。
返すと言われたのだから、一年は律義に待っているかもしれない。
だがしかし、彼へ会いに行けば、かえって自分にとって良くないのでは。
恐らくこのまま返さずにおいても、察しの良い一年は気づくだろう。
そうだ。
最初からなかったことにすれば、恋人に対する後ろめたさや、罪の意識を感じる義理もなくなる。
そして踏ん切りのつかないまま、彼女は庭池の錦鯉をぼうっと眺めていたが、いったん心を決めると、踵を返して館内へ戻っていったのだった。
「本当に返しに来たんだ」
一年は無表情のまま、驚いた。
市民が往来する市役所で、香は直接、一年が所属する課の窓口からハンカチを返すことができた。
一年は勤務中でも相変わらずの不愛想で、礼もなく、シミ一つないハンカチを受け取ると、訊いた。
「時間ある?」
何か飲み物でも奢ると言う彼は休憩に入りがてら、香を促した。
表のベンチに座り、香は自動販売機から飲み物を買う一年を待った。
「ん」
アルミ缶に入った飲み物が、一年の手からぶっきらぼうに香へ渡された。
「ありがとうございます」
香が缶を受け取ると、一年は彼女の隣へ腰かけた。
それから、プルタブを開ける、パキッと乾いた音が後に響くと、一年は顔を上げ、コーヒーをゴクゴクと飲み始めた。
香もつられて栓を開けると、ミルクティーをコクコクと飲んだ。
そして、ふうっと人心地つくと、一年は尋ねた。
「そちらさんが見合いした事をカレシは知ってんの?」
「い、いえ」
「不倫してるのならさ、言った方がお互いにとって良いんじゃないの?」
この男は、彼女が既婚者と不倫していると、頭から決めつけているのだと、辟易する香だったが、誤解を解くためにも、彼女は再三否定した。
「~~だから、違いますって・・・」
あくまでも、相手を庇うらしい香の恋人に興味をそそられた一年は、問うた。
「どんな男?」
「わたしとは住む世界が違う人で・・・。反対されるのは目に見えてますから、付き合っていることは誰にも言っていません(どういう訳だか、美千代にはばれていたが)」
「ふーん」
興味があるような無いような曖昧な返事をしながら、残滓をズズッと吸ってコーヒーを飲み干すと、一年は厚かましくも、平然と言い退けた。
「俺には関係のない話だけど、そういう付き合いって不毛じゃない?」
「そ、そんなことないです!だってわたしの付き合ってる人は、海瀬さんみたいに冷たくないし、不愛想でもありませんから!」
一年の否定的な意見にショックを受けた香は、咄嗟に言い返してしまった。
「だからといって、良い交際相手とは限らないだろ」
冷静を保とうとするかのように、一年は、眼鏡の真ん中を中指で神経質に押し上げると、反論した。
「なっ・・・!」
「香さん」
突如、香は話しかけられ、声がした方へ顔を動かした。
「ゆ、夕貴さん!」
香はびっくりして、思わずベンチから立ち上がった。
「奇遇ですね。お仕事ですか?」
恋人を偶然発見した夕貴は、ベンチまで歩いてくると、朗らかに訊いた。
「え?ええ・・・。はい、まあ・・・。夕貴さんもお仕事ですか?」
「はい。市長へご挨拶をしに伺いました」
今日の彼も格好良いと、香はスーツを男前に着こなし、自分へ柔らかく微笑みかける恋人を、惚れ惚れと見た。
やはり彼は一年とは大違いだと、彼女は改めて思った。
「そちらの方は」
紹介を求められ、香はしどろもどろと見合い相手を明かした。
「あっ・・・。こ、こちらは・・・海瀬一年さん」
「ども」
一年は小さく頷いた。
「どうもこんにちは。明日葉と申します」
次いで香へ向き直ると、夕貴は質問した。
「そういえば先日、香さんは明日葉ホテルへいらしていたのではありませんか?」
瞬間、香は心臓がギクッと一時硬直したように感じられた。
彼はやはり気付いていたのだと、香は冷や汗をかき、どう返答すべきか大いに困窮した。
しかし挙動不審が過ぎ、何かやましいことがあったのではないかと、勘繰られるのも甚だ困るため、彼女はひとまず「はい」と答えるに落ち着いた。
「やはりそうでしたか。なら、会いに来てくだされば良かったのに」
夕貴はニコニコと納得すると、一年の前で惚気た。
他人が間にいようと、彼の恋人に対するラブオーラは全開で、さすがは帰国子女、気恥ずかしさはさほど感じないらしいと、照れた香は一人で合点がいった。
傍らで、一年はそのような二人を黙って傍観していたが、ふとチラリと腕時計を確認し、休憩時間が終わりへ近づいていることを知ると、ベンチから何気なく立ち上がり、「これ(ハンカチ)、ありがと」と淡々に言い置いてから、館内へ戻っていった。
「彼とはどういった関係にあるんですか?」
一年の姿が完全に見えなくなると、やや気懸かりになった(実はずっと気になっていた)夕貴が深掘りした。
「!?」
途端に、引いていた汗がぶり返し、香はまたしても動揺を露わにした。
まさかお見合い相手です、なんて死んでも言えない。
「きょ、共通の知人がいる、知り合いです」
香は苦し紛れに答えた。
多少良心の呵責を覚えたが、嘘は言っていないので、これ以上の追究はしないでくれと、彼女は切に願った。
対して夕貴は、何だ、そこまで親しい間柄ではなかったのか、とでも言いたげな面持ちで、安堵のため息を短くつくと、チュッと恋人のほっぺたへ軽く口づけ、約束の時間があるため失礼すると言ってから、同じく市役所の中へ颯爽と入っていった。
「~~・・・」
香の心は、素敵な恋人に愛されているドキドキと、そのような素晴らしい彼を欺いているズキズキが同席しており、落ち着くまで、しばらく時間がかかったのだった。
「聞いたわよ、香ちゃん。お見合いしたんだって?」
出し抜けに、香は美千代に声をかけられた。
「で、どうだったの?」
野次馬根性を持った仲居は、一見奥手な若女将を揶揄った。
どうと問われても、何と答えて良いものか見当のつかなかった香は、ハンカチを借りた事実を述べた。
「へぇ~~!」
それから、美千代は声を香にしか聞き取れない位まで下げ、ひそひそと訊いた。
「明日葉ちゃんとはどうなったの?」
「!」
瞬く間に、香の顔に動揺の色が現れた。
何故、彼女は二人が交際していることを知っているのだろうか。
「うふふ。明日葉ちゃんが言ってた、『脱がしたい女性』って香ちゃんのことなんでしょ?」
「!!」
香の赤らんだ顔つきが、一段と強張った。
「いいねぇ~、若いって」
ニヤニヤと、古参の仲居は歯を見せて笑い、恥じ入った若女将を冷やかした。
ハンカチはシミが綺麗に抜かれ、元の状態まで甦った。
本当に返しに行くべきなのだろうかと、香は思い悩んだ。
返すと言われたのだから、一年は律義に待っているかもしれない。
だがしかし、彼へ会いに行けば、かえって自分にとって良くないのでは。
恐らくこのまま返さずにおいても、察しの良い一年は気づくだろう。
そうだ。
最初からなかったことにすれば、恋人に対する後ろめたさや、罪の意識を感じる義理もなくなる。
そして踏ん切りのつかないまま、彼女は庭池の錦鯉をぼうっと眺めていたが、いったん心を決めると、踵を返して館内へ戻っていったのだった。
「本当に返しに来たんだ」
一年は無表情のまま、驚いた。
市民が往来する市役所で、香は直接、一年が所属する課の窓口からハンカチを返すことができた。
一年は勤務中でも相変わらずの不愛想で、礼もなく、シミ一つないハンカチを受け取ると、訊いた。
「時間ある?」
何か飲み物でも奢ると言う彼は休憩に入りがてら、香を促した。
表のベンチに座り、香は自動販売機から飲み物を買う一年を待った。
「ん」
アルミ缶に入った飲み物が、一年の手からぶっきらぼうに香へ渡された。
「ありがとうございます」
香が缶を受け取ると、一年は彼女の隣へ腰かけた。
それから、プルタブを開ける、パキッと乾いた音が後に響くと、一年は顔を上げ、コーヒーをゴクゴクと飲み始めた。
香もつられて栓を開けると、ミルクティーをコクコクと飲んだ。
そして、ふうっと人心地つくと、一年は尋ねた。
「そちらさんが見合いした事をカレシは知ってんの?」
「い、いえ」
「不倫してるのならさ、言った方がお互いにとって良いんじゃないの?」
この男は、彼女が既婚者と不倫していると、頭から決めつけているのだと、辟易する香だったが、誤解を解くためにも、彼女は再三否定した。
「~~だから、違いますって・・・」
あくまでも、相手を庇うらしい香の恋人に興味をそそられた一年は、問うた。
「どんな男?」
「わたしとは住む世界が違う人で・・・。反対されるのは目に見えてますから、付き合っていることは誰にも言っていません(どういう訳だか、美千代にはばれていたが)」
「ふーん」
興味があるような無いような曖昧な返事をしながら、残滓をズズッと吸ってコーヒーを飲み干すと、一年は厚かましくも、平然と言い退けた。
「俺には関係のない話だけど、そういう付き合いって不毛じゃない?」
「そ、そんなことないです!だってわたしの付き合ってる人は、海瀬さんみたいに冷たくないし、不愛想でもありませんから!」
一年の否定的な意見にショックを受けた香は、咄嗟に言い返してしまった。
「だからといって、良い交際相手とは限らないだろ」
冷静を保とうとするかのように、一年は、眼鏡の真ん中を中指で神経質に押し上げると、反論した。
「なっ・・・!」
「香さん」
突如、香は話しかけられ、声がした方へ顔を動かした。
「ゆ、夕貴さん!」
香はびっくりして、思わずベンチから立ち上がった。
「奇遇ですね。お仕事ですか?」
恋人を偶然発見した夕貴は、ベンチまで歩いてくると、朗らかに訊いた。
「え?ええ・・・。はい、まあ・・・。夕貴さんもお仕事ですか?」
「はい。市長へご挨拶をしに伺いました」
今日の彼も格好良いと、香はスーツを男前に着こなし、自分へ柔らかく微笑みかける恋人を、惚れ惚れと見た。
やはり彼は一年とは大違いだと、彼女は改めて思った。
「そちらの方は」
紹介を求められ、香はしどろもどろと見合い相手を明かした。
「あっ・・・。こ、こちらは・・・海瀬一年さん」
「ども」
一年は小さく頷いた。
「どうもこんにちは。明日葉と申します」
次いで香へ向き直ると、夕貴は質問した。
「そういえば先日、香さんは明日葉ホテルへいらしていたのではありませんか?」
瞬間、香は心臓がギクッと一時硬直したように感じられた。
彼はやはり気付いていたのだと、香は冷や汗をかき、どう返答すべきか大いに困窮した。
しかし挙動不審が過ぎ、何かやましいことがあったのではないかと、勘繰られるのも甚だ困るため、彼女はひとまず「はい」と答えるに落ち着いた。
「やはりそうでしたか。なら、会いに来てくだされば良かったのに」
夕貴はニコニコと納得すると、一年の前で惚気た。
他人が間にいようと、彼の恋人に対するラブオーラは全開で、さすがは帰国子女、気恥ずかしさはさほど感じないらしいと、照れた香は一人で合点がいった。
傍らで、一年はそのような二人を黙って傍観していたが、ふとチラリと腕時計を確認し、休憩時間が終わりへ近づいていることを知ると、ベンチから何気なく立ち上がり、「これ(ハンカチ)、ありがと」と淡々に言い置いてから、館内へ戻っていった。
「彼とはどういった関係にあるんですか?」
一年の姿が完全に見えなくなると、やや気懸かりになった(実はずっと気になっていた)夕貴が深掘りした。
「!?」
途端に、引いていた汗がぶり返し、香はまたしても動揺を露わにした。
まさかお見合い相手です、なんて死んでも言えない。
「きょ、共通の知人がいる、知り合いです」
香は苦し紛れに答えた。
多少良心の呵責を覚えたが、嘘は言っていないので、これ以上の追究はしないでくれと、彼女は切に願った。
対して夕貴は、何だ、そこまで親しい間柄ではなかったのか、とでも言いたげな面持ちで、安堵のため息を短くつくと、チュッと恋人のほっぺたへ軽く口づけ、約束の時間があるため失礼すると言ってから、同じく市役所の中へ颯爽と入っていった。
「~~・・・」
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