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死神様と純白少女

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 ーーもう、殺したくない。

 薄暗い空間にぽつんと佇んでいた彼は、ふとそう思った。それは彼にとって『生』以外に初めて望んだ感情であった。

 だが、彼の中にある理不尽な本能により彼がどれだけ願おうと彼は人を殺し続けた。

 殺したくないなら死ねばいい。
 そう願っても、本能が死を拒絶する。そしてまた自分の命を狩り取ろうとする者の命を狩りとった。

 この残酷な運命に従うしかない。
 彼はそう悟り、長い年月を得てやっと産まれた自我を捨て去ろうとした時、彼の目の前に『純白』と表すべき少女が両手を祈るように握りながら現れた。

 彼はこれを自我を捨てる為の最後の『生贄』とし、手に持った人間一人よりも大きい鎌をその首目掛けて振るう。

 しかし、彼はその少女を殺さなかった。否、殺せなかった。
 彼が手に持つ鎌だけでなく、彼自身の体さえも動かせなくなったからだ。

 そんな現象に理解できず動けない彼とは裏腹に、少女は一切の怯えも無く彼の顔を見上げ口を開く。

「死神様。私と契約をしましょう。私を殺すまで誰一人として人を殺せない、という契約を」

 彼には意味がわからなかった。

 体が動かない現象もそうだが、彼に契約などと言うものを持ちかけてきた少女の存在が。
 そして、何の意味も持たないであろうその契約が。

 そんな契約は今ここで少女を殺せばすぐに契約は解かれる。更に言えば、彼がそれを拒否することも簡単だった。

 だが、彼はその契約を結んだ。
 言葉を発することは出来ないが、彼に芽生えていた自我が本能を無視してほぼ衝動的にそれを結んだのだ。

 そして彼の硬直が解かれる。
 契約をしたからと言って本能が抑えられる事は無く、彼はそのまま少女の首を切り飛ばした。

 なんの抵抗もなくその命を散らした少女に、彼は小さく抱いた希望を無意味だったと消し去ろうとしたその時。

「貴方には殺せませんよ」

 彼は生まれて初めて『驚愕』という感情を抱く。

 今まで何百、何千と殺してきた生物の殆どは首を取れば簡単にその命が途絶えていた。
 だが、少女は死なない所か何事も無かったようにその場に立っていた。

 確かに殺した筈。なのにも関わらず生きている少女に、彼はまるで誰かに急かされるようにもう一度彼女を殺す。

 次はただ首を飛ばすだけでなく、少女の全身を切り刻み原型を留めないまでに切り裂いた。

 だが、気がつけば彼女の体はまるで時が戻ったように元に戻り、彼の体にも付いた筈の返り血すら消え去っていた。

「言ったでしょう?『私を殺すまで、誰一人として殺せない』と。貴方は私が死ぬまで、私を殺せない」

 彼は理解する。自分はこの少女に嵌められたのだ、と。

 それと同時に彼は悟る。これは、彼自身が辿るべき運命なのだ、と。

 偶然彼が自我を持ち、偶然彼が契約を結ぶことを選び、偶然少女が理不尽な契約ができる程の術者であり、偶然少女がこの日に契約をもちかけ、偶然彼の自我が消え去る直前であった。

 それらの偶然が重なり合ったことで、偶然が必然へと変わり、そして運命へと変わったのだった。

 今現在、彼が行うことが出来る方法全てを使い少女を殺そうとしても、恐らく全て無かったことになる。

 彼は正確に少女の言ったことを理解し、自分が誰の命も狩り取ることの出来ない存在に……殺さなくてもいい存在になったのだと言うことも理解した。

「死神様。もう一つ契約をしましょう」

 少女の声を聞きながら、彼は今自分の中にある物を感じ取る。

 それが『安堵』というものなのか、それとも『絶望』という感情なのか。彼にはそれがわからなかった。
 ただ、彼は今この現状を覆そうと動くことは無かった。

 今までの彼には、彼が『死』その物である事を強要するように本能が身体を動かしていた。だが、何故か今の彼にはそれが無くなっていた。

「私を殺せるまで、一緒に旅をしませんか?」

 少女は呆然とする彼に近づき、祈るように握っていた手を解いて彼に差し伸べる。

 その手を取ることがどういう意味で、どういう結果を得ることができるのか。それは彼にはわからなかった。

 だが、その手を取る事でもう殺さなくても済むかもしれない。
 そう彼が考え付いた時には、彼の命を奪い続けた手は少女の手を優しく握っていた。

「契約、成立ですね」

 少女は人ならざる彼ですら見惚れる程の美しい笑みを浮かべる。



 これは、『少女を殺せない死神』と『死神に殺される少女』の物語。



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