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エルフの音楽へようこそ

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 ドイツのマルク紙幣にも描かれる歴史的な女性ピアニスト、クララ・シェーマンはこういった。

『書いてある通りに弾きなさい。優れた洞察力を持つ人にとって必要なもの全てが、その楽譜には書かれています』

 当時、作曲をかじり始めたばかりの俺は……
 この言葉の意味を『正しく演奏することが、音楽にとって正しいことである』という風に解釈した。

 だけど、この頃の俺は一端に作曲家のプライド持ってしまっていて。
 この言葉はアーティストからオリジナリティを殺す言葉のように感じてしまっていた。

 しかし、今の俺にはクララ・シェーマンのこの言葉がこう聞こえる。

『勝手にアレンジするのは、もったいないですよ』

 一つの曲が完成するまで、作曲家は本当に多くの案をテーブルに乗せ熟考する。
 そして選ばれたフレーズやコード進行は、前後との関係やリズム、楽器やボイシングの選択、休符や全体の長さやバランスの中で、その作曲家が最も良いと思う形で譜面に書き出される。

 それは長い冒険の果てに手に入れた宝石を、さらに研磨したようなアンサンブル。
 楽譜通りに演奏しなければ、その作曲家が磨き上げた宝石の輝きを見ることは永遠にない。

 大門に描かれた紋様を見て俺は思う。
 この曲の作曲家は、いったいどんな気持ちでこの曲を作ったのだろうかと。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 大樹ユグドラシルの大門。

 ファブリス王とララノア殿下、『異世界音楽研究班』の面々……
 そしてたくさんのエルフ達が見守る中、ハウザー2世が独唱をはじめた。

「……」
「……これは」

 その音楽は、あまりにも素朴な音から始まった。

 使われてる音階はメジャースケールの第2音から始まる、『ドリア旋法』と言われるモード。
 頑なにD(レ)ドリアのコードワークで動き続ける旋律は……ファンタジックで北欧の哀愁漂う、不屈なる調べ。

 正しく演奏できているという自信をくれる、圧倒的なメロディ。

 そこにいる全ての人が呼吸すら忘れるほど静かで……
 絶望や悲しみすら肯定するほどの優しさに溢れ……

 俺の指がハウザー2世と歌う音楽は、その瞬間、きっとこの世界の何よりも美しかった。

 ララノア殿下はその旋律を聴くと……

「この音……なるほど……そうだったのですね……」
「……」
「我らエルフはかつて………この曲の中に生きていた」

 ハウザー2世の奏でる曲を聞きながら、エルフ達の多くは膝を落とし……
 ただ茫然と涙を流し続けていた。

 きっとこの曲は、彼らにとって本当に大切なものだったのだろう。

 だからこそ丁寧に、自信を持って何より謙虚に。
 俺はその旋律に向き合った。

 涙を流すエルフの中には、声が漏れぬように自分の手で口を押える人もいた。
 その震える手が守っているのは、この曲が作り出す森の響きそのものなのだろう。


 大門の奥にいる精霊さん。もう……十分じゃなかろうか。


 元引きこもりの俺が言うのもなんだけど……
 その扉を開いた先は、本当に美しい物で溢れているよ。

 だから早く。
 その門を開けてください。



 演奏は、楽譜の半分に差し掛かる。
 テンポはそこまで遅くない曲。

 1周だけなら、この曲は本当に短い。

 そして1周目の演奏を終えて、二週目に突入しようとした……
 その時。

「……あれは……」
「大門が……」

 エルフ達の視線が、大樹の大門に注がれる。

 大門に描かれる紋様が、旋律に合わせて光りはじめる。

(……開く)

 俺はテンポがズレないよう……
 ひた向きにその音色に向き合い続ける。

 そして演奏を続けていると……

 ――ゴゴ……――ゴゴゴゴゴゴ……――

 ゆっくりと、大門が動き始めて……
 人一人入れるくらいの隙間が空いた。

「……ッ!?」

 いざ、精霊にご対面。
 かと思ったが……

(……光……?)

 その先から沢山の光の粒が、まるで踊る様に扉の奥から現れる。
 その光をよく見ると……光を放つ小さな小さな少女たちだった。

「妖精……だ」
「妖精様……」

 妖精たちは、俺の周囲を楽しげに飛び回る。

 何匹かは演奏するハウザー2世のヘッドや俺の肩に座り込んで……
 俺が奏でる演奏に、楽しく体を揺らしてた。

 その姿がなんとも愛らしく、俺も次第に笑顔になる。

 俺はそのまま演奏を続けていると……



「……ー…ー…ー…」



 門の先から、何か低くて響きが聞こえてきた。

「……ッ!」
「なにこの音」
「もしかして……精霊様の……?」


♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 その響きに、俺は演奏をやめる。
 すると、ハウザー2世の弦がビリビリと振動した。

 特定の音階で響く音は、それと同じ音階を鳴らす弦を空気で振動させる。
 いわゆる共鳴。

「……ー…ー…ー…」

 それは大門の先から聴こえる音が、まるでハウザー2世を介して話かけてるようだった。

(精霊が……何か伝えようとしてるのか?でも……一体……)

 共鳴する弦を見て……
 俺の肩やギターに腰かける妖精たちが楽しそうにしている。

「…ー…ー…ー………ー…ー…ー…」

 そしてしばらくすると、その低い響きは聞こえなくなった。

(あぁ、そういうことか)

 ……この時、俺はエルフの真実に気づいた。

 そして俺は、その真実を確認するため、ハウザー2世の弦を適当に一本鳴らしてみる。
 すると……

「あー!うー!」

 妖精たちも、その音階に合わせた音階で楽しそうに声を発した。
 あぁ、なるほど。……やっぱりそうだ。

「ミナトさん……」

 すると、妖精に囲まれる俺にララノア殿下が近づいてくる。
 殿下は俺の手を優しく、そして力強く握って俺にこう言った。

「あなたは……我らの英雄です。長い間閉ざされていた門が……」

 目には、美しい涙で濡れている。
 そんな殿下に、俺は全ての真実を語ることにした。

「殿下……精霊は、エルフを見捨ててなんていないんです。忘れてしまっただけなんです。言葉を伝える方法を……」
「……え?」
「そして……エルフの里の歴史や伝説が、口承や文献で残っていない理由もわかりました」

 妖精や精霊は、声の音階を使って俺に何かを伝えようとした。
 しかし、彼らは『言葉』を発さない。

「あー!あー!」

 音で何かを伝達するためには……
 音階だけではなく、意味を伝達する『言葉』がなければならない。

 妖精も精霊も声を発して他者に何かを伝達する以上……
 そこには意味を持った『言葉』が必ず存在したはずだ。

 しかし、今の彼らの声に『言葉』はない。
 彼らはおそらくは厄災の代償として失ったんだ。

 つまり、おそらく彼らの言葉は……

「歌です」
「……うた?」
「きっと、音楽が奪われる前……精霊や妖精、そしてエルフ達は……大切な思い出や歴史を歌で伝えていたのではないでしょうか」

 かつてエルフに精霊の言葉を伝えていた妖精たちが「あー」とか「うー」しか言えないのは……
 世界から音楽が奪われ、伝達という役割を持った『言葉』を含む歌を忘れてしまったから。

 だからエルフの里の歴史は、まるでポッカリと空いていた。
 残されたのは、歌とは呼べない断片的な音階しか発せられなくなった妖精や精霊と……
 音楽を失い、楽譜としての存在理由を奪われた紋様。

 これを説明すると、ララノア殿下は涙をぬぐいもせずに俺に漏らす。

「歌……」
「歌は何度忘れたって作りなおせます」

 音楽は何千年も人を魅了し続けた最古の芸術。

 戦争や災害で文化ごと消されたとしても、音楽というのはどこでも残り続けた。
 その理由は、音楽という存在が多くの人に求められ、愛されてきたからだ。

 その記憶が失われたとしても。
 きっかけさえあれば、必ず芽吹く。
 
『エルフに、音楽が無いのは残念だ……』

 あの時の俺に言ってやりたい……無いはずないじゃないかと。

 この森には、かつてエルフと妖精の歌で溢れていたんだ。
 ハープだって……いや、もっとたくさんの種類の楽器があったかもしれない。

 だってこんな神秘的な森には、ふさわしい音楽がなきゃおかしいだろう。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 その後、俺はエルフからの沢山の賛辞を浴びた。

 大門が開き、精霊と妖精がこの森に帰ってきたのだ。
 あんなに無表情だったエルフ達が嬉しそうに笑っている姿に、俺もつい笑顔がこぼれる。

 ただ褒めたたえられるだけの時間ってのは、照れくさいし、あまり得意でもなかった。
 俺達がフロリアへ戻ると伝えると王が改まって感謝を伝えてくれた。

「エルフにも、黒像の真実をちゃんと話しておこうと思う。ミナト、本当によくやってくれた」
「いえ……皆のおかげです」

 用事を済ませた俺達が帰り支度をしている間、俺の身体にはずっとたくさんの妖精たちが引っ付いていた。

「あーあー」
「きゃっきゃっ!」

 ずいぶん楽しそうなので、申し訳なかったが……
 ハウザー2世をケースにしまいながら、一匹一匹つまんで片づけを進める。

 しかし、つままれるさえ楽しいのか……
 妖精は手を離すと「もっかい!」と言わんばかりに俺の手にしがみついてきた。

 俺が妖精に悪戦苦闘していると、エルフのシルビアが俺に近づいて話しかけてくる。

「ミナトさん……あの……」
「シルビア……」

 シルビアは何かもじもじと照れくさそうにしていた。
 きっと感謝を伝えたいと思ってくれてるんだろう。

 しかし俺は、もう十分過ぎるほどエルフ達から感謝を貰っていたので……
 馬車に積んであったもう一本のギターを手に取り、彼女に渡した。

 それは交流会の後この森を出る時、シルビアから返されたあのギターだった。

 シルビアはギターを受け取ると俺に言う。

「ミナトさん、これ……」
「やっぱり、君が持っていた方がいいよ」
「……」
「今度こそ貰ってくれる?」

 するとシルビアは、綺麗な涙とポツリとこぼして……
 何よりうれしそうに、こう言った。

「ミナトさん……ありがとうございます」

 はじめて見たシルビアの笑顔は、俺の周りで飛び跳ねる妖精と同じくらい……
 無邪気で、少女らしいものだった。
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