不思議な二人

鍵山 カキコ

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互いを見つめる二人

18.親

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「この阿呆が!!」
 広い家の中に、男の怒号が響き渡る。
「……すみません」
 俯き謝る少女。
「すみませんでは済まない! 人が遠出している間に、部活をサボって遊びに出かけるとは何事だ!!」
「それは……と、友達の誕じょ──」
「友達!? 気持ちの悪い事をほざくのもいい加減にしろ!!」
 紅麗亜の父・小鳥遊源蔵は、友情を好まない。
 理由は単純。だ。
「もうお前のことは信用できん! 池田っ!!」
「──お呼びでしょうか」
 突如、父の後ろに家政婦の池田が現れた。
「今日からお前に紅麗亜を監視させる。絶対に、同じ事を二度起こすわけにはいかない!!」
 顔を歪めながら唸り声のようなものを出し話す父を見て、紅麗亜は震え上がった。
「かしこまりました。……では、お部屋に戻りましょうか、お嬢様」
「えぇ……」
 憂鬱な夏休みの始まりだ。

     ♢ ♢ ♢

 毎日のようにある部活への行き帰りは、池田の運転する車。
「温度、これでよろしいでしょうか?」
「ん? あぁ、そうね。丁度いいわ」
 窓の外の移りゆく町並みを眺めるのにも飽き飽きする。
 子供が数人群がっているのを見ると、涙が溢れそうになる。
(この分じゃ、下校の時送ってもらう必要ないわね)
 そう思うと、紅麗亜の胸がギュッと締めつけられた。

 もう、皆と会えないの? 喋れないの?

 そんな不安に苛まれる。
(確かに、部活をサボってまで純華の誕生日パーティーをしたのは良くなかったかもしれないけど、監視だなんて……)
 日を重ねるごとに、不満・憤りが募っていく。
 言い返せない、抵抗できない自分がどれ程憎いか。だが、いかった父を止められる者はいない。
(皆でパーティーをしたのに……どうして、どうしてあたしだけ?)
 父を恐れるだけでなく、紅麗亜にはそんな感情もあった。
 自分のこんな境遇を、『運が悪かったのだ』という一言だけで片付けたくない。自分一人だけ、苦しみたくない。
 だが、紅麗亜は優しい子だった。
(だけど、純華達が嫌な思いするのも辛い)
 紅麗亜自身が、一人で、苦しみを溜め込まなければならない。
「ハァー。………………ハアァー」
 虚ろな目で窓を眺め、時々足を組み直す紅麗亜を見て、池田は悲しそうな顔をしていた。
(お嬢様の人生を制限して、どうするつもりなのでしょう……)

「只今帰りました」
 陰鬱な顔をして帰宅を報告する紅麗亜。
 それを見て、何故だか満足そうな父。
「おかえり。それにしても、やはり車はいいな。十分以上余裕がある」
 ここ最近、彼は毎日同じことを言う。
「さあ、早く練習しなさい。もう来週だろう、コンクール」
「はい」
 重い返事をして、紅麗亜はスタスタと長い廊下を歩いていく。突き当り右にあるドアを開くと、大きな防音室が。
 部屋の中心に椅子と譜面台が置かれているだけで寂しい空間だ。
 紅麗亜は鞄を床に置いて譜面を台に乗せ、池田が持ってきた楽器を準備し、構えた。
 ♪~。
 アルトサックスの音だけが響いている。
(……)
 その間、池田は壁際に直立していた。

     ✧ ✧ ✧

 そしていよいよ、コンクール当日。
(ハァ。……純華達は来てくれるかしら)
 純華,沙愛蘭,十影の三人が会場に訪れ、紅麗亜達吹奏楽部の演奏を聴いてくれるとすれば、相当彼女の心の支えとなるだろう。
 しかし、紅麗亜は本番の日付を伝えていない上、部活をサボったのでスマホは没収されている。もっとも、没収されていなくとも使える場は限られてくる訳だが。
(あぁ、ヤバイ。めっちゃ緊張する……)
 高校生になって初めてのコンクール。それは紅麗亜にとって、去年や一昨年の何倍も落ち着かないものだった。
 周りのメンバーともそこまで親しくなれていないし、心なしか場にはピリピリとした空気が流れているようにすら感じられる。
(でも大丈夫よね。失敗はしない。しちゃいけない。折角、お父様に吹奏楽が強い学校にんだもの)
 胸を押さえながら、フゥと息を吐いた。
(きっと、大丈夫っ)
 紅麗亜は顔を上げて天井を見つめた。今ちょうど、前の学校の演奏が終わった。
「皆っ。頑張ろうね」
 部長が小さな声で言った。
 部員全員、それに頷きを返す。
 そして、彼女達は──
 舞台へ足を踏み入れた。

【金賞。二番、笹岡高等学校】
 時は流れ、結果発表の時間。
 紅麗亜達『南星学園』の名は、まだ呼ばれていない。
 部員達は顔の前で両手を握りしめ、懇願のポーズをとっている。勿論、紅麗亜もだ。
 ドクン、ドクンと心臓の音。
(今まで、ここで緊張したことなんて無かったのに)
【十番、南星学園】
 肩の力が抜け、椅子にもたれかかる。
 安心した。ひとまず、これで県大会だ。
(よ、良かった……)

     ✦ ✦ ✦

 帰宅しくつろげると思ったら、また練習。
 しかし不思議と、紅麗亜に『辛い』という気持ちは無かった。
 というより、消されていた。
 彼女はもはや、父の操り人形だった。意思もなく、命令の通りに練習し、食事を摂り、勉強をする。
 父の顔を見ると、紅麗亜という人格が消去されてしまうかのように、別人になる。
 しかしそれでも、今はまだ夏休みの序盤である。
 紅麗亜に何が待ち構えているのかは、知る由もないが。
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