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本編
52 決別の覚悟
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ローズブレイド邸での親族会議が終わり、一先ずリーヴェの町に戻ることになった私とリヒトは、手を繋ぎながら帰路についた。
こうして手を繋ぎながら歩くのは、いつぶりだろうか。リヒトはお腹が大きくなってきた私を気遣い、歩調を合わせてくれた。
こうしていると、何だか前世のことを思い出す。望は歩くのが早くて、歩くのが遅い私は気を抜くと彼との距離があいてしまうことが多々あったのだが、そういう時、望はすぐにそれに気づいて引き返し歩調を合わせてくれた。
そして、「はぐれないように」と私を子供扱いしつつ、手を繋いでくるのだ。
「……どうして、あんなことを言ったんだ?」
そう尋ねながら目を伏せるリヒトの横顔は、酷く寂しげだった。
何度も顔を殴られたせいで相当痛いのか、具合も悪そうだ。「せっかく俺と別れられるチャンスだったのに」と付け加えた彼は、自嘲混じりの笑みを零す。
確かに、あの場で私が「今すぐリヒトと別れたい」と言えば、父か叔父がすぐにでも新しいマスターを手配してくれたと思う。
マスター探しは決して容易なことではないけれど、そこは何とかしてくれただろう。
そして、私は新しいマスターに預けられ、お腹の子は私生子として孤児院に預けられる──無難……というか、たぶんこれが最善の選択なんだと思う。
でも、私は子供が生まれるまでの数ヶ月と、生まれてからの一ヶ月(父の計らいで一ヶ月の猶予期間ができた)を「リヒトと共に過ごしたい」と思った。
リヒトはそれが信じられないらしく、屋敷を出てからずっと不思議そうな顔をしている。
「リヒトの夢を叶えてあげたいと思ったから。以前、私と一緒に温かい家庭を築くのが夢だって言っていたでしょう? だから、元気な子を産んで夢を実現させてあげようと思って」
……たとえ、一ヶ月という短い間だったとしても。それがリヒトにとって一生の思い出になるなら、できる限りのことはしてあげたい。
「──っ……!」
リヒトの顔がぐしゃりと歪んだかと思うと、不意に彼の手が私のほうに伸びた。そのまま引き寄せられ、私の背中に手が回される。
「俺は……どうしてお前への想いを抑えきれなかったんだろうな。あのまま気持ちを封印していれば──普通の姉弟として接していれば、この先離れ離れになることなんてなかったのに……大好きなお前とずっと一緒に居られたのに……」
「リヒト……」
リヒトは震える声で胸中を明かしながら、私を抱きしめる腕に力を込めた。
リヒトは魔法を使って自分の傷を治したがらなかったから、一応私が簡単に手当てをしたものの……間近で見る彼の顔はガーゼの上からでもわかる程に赤く腫れ上がっており、見ているこっちが痛くなってくる。
やがてリヒトは嗚咽を漏らし、大粒の涙を流し始めた。止めどなく流れる涙は、両頬に貼り付けられた真っ白なガーゼを濡らしている。
その様があまりにも傷ましくて、憐憫の情を抱いた私はリヒトの背中に手を回し強く抱きしめ返した。
「セレス……ありがとう。俺の最後の我侭を聞いてくれて、本当にありがとう」
「ううん、いいよ。私とリヒトの仲でしょう?」
気にしないで、と付け加えると、リヒトは私の肩に顔を埋めながらこくんと頷いた。
もしリヒトに家族と絶縁する覚悟があるなら、二人でこのままどこか遠くへ逃げることも可能だと思う。
でも、今の彼がそれをしないのは、きっとせめてもの罪滅ぼしと私を解放してやりたいという気持ちのほうが勝っているからなのだろう。
──もし、ここで私が「一緒に逃げよう」と言ったら、リヒトはどんな顔をするんだろう?
ふと、そんなことを考える。私達は、数ヶ月後には別々の人生を歩むことになる。
私の居場所はリヒトには教えられず、会うことを禁じられ、私もまた彼と会うことは絶対に許されない。
このまま大切な弟や我が子と今生の別れになるくらいなら、いっその事──
──私を攫って。
思わず、そんな言葉が口をついて出そうになり、咄嗟に飲み込む。
私は、リヒトからあれだけ酷い仕打ちを受けても尚、彼と離れたくないと思っている。それが私の本心だ。
けれど、リヒトは決断をした。お互いが、家族が、自分達に纏わる周囲の人達がこれ以上不幸にならない最良の道を自らの意思で選択したのだ。
散々、リヒトを拒絶してきた私が今さら水を差すようなことを言えるわけがない。
「そう言えば……子供の名前は決めた?」
そう尋ねながら、顔を曇らせているリヒトの気持ちを和らげようと彼の手を取り歩き出す。
「いや、まだだが……」
「そっか……あのね、もし女の子だったらナディっていう名前にしようと思うんだけど……どうかな?」
「ナディか……いい名前だな」
「そうでしょう?」
ナディ──これはロシア語の『ナディエージダ』から取った名前だ。
前世でロシア語の辞典をパラパラと捲っている時に偶然見つけた『希望』という意味の単語なのだが、ふとその記憶が甦ったのが名付けのきっかけだったりする。
「この子が生まれたら、三人で色んなことをしようね。家族にしかできないこと、一杯しよう? ね、リヒト──」
そう呼びかけた途端、不意に繋がれていた手がするりと抜けた。
「え……?」
驚いて隣に視線を移すと、先程まで自分と会話をしていたリヒトがぐったりとうつ伏せの状態で地面に倒れ込んでいた。
「リヒト!? ねえ、どうしたの!? リヒト!」
体を揺すってみるが、反応がない。一体どうしたんだろう。もしかして、殴られたことが原因だったり……?
──いや、今は原因なんてどうでもいい。とにかく、早くリヒトを病院に連れていかないと……。
こうして手を繋ぎながら歩くのは、いつぶりだろうか。リヒトはお腹が大きくなってきた私を気遣い、歩調を合わせてくれた。
こうしていると、何だか前世のことを思い出す。望は歩くのが早くて、歩くのが遅い私は気を抜くと彼との距離があいてしまうことが多々あったのだが、そういう時、望はすぐにそれに気づいて引き返し歩調を合わせてくれた。
そして、「はぐれないように」と私を子供扱いしつつ、手を繋いでくるのだ。
「……どうして、あんなことを言ったんだ?」
そう尋ねながら目を伏せるリヒトの横顔は、酷く寂しげだった。
何度も顔を殴られたせいで相当痛いのか、具合も悪そうだ。「せっかく俺と別れられるチャンスだったのに」と付け加えた彼は、自嘲混じりの笑みを零す。
確かに、あの場で私が「今すぐリヒトと別れたい」と言えば、父か叔父がすぐにでも新しいマスターを手配してくれたと思う。
マスター探しは決して容易なことではないけれど、そこは何とかしてくれただろう。
そして、私は新しいマスターに預けられ、お腹の子は私生子として孤児院に預けられる──無難……というか、たぶんこれが最善の選択なんだと思う。
でも、私は子供が生まれるまでの数ヶ月と、生まれてからの一ヶ月(父の計らいで一ヶ月の猶予期間ができた)を「リヒトと共に過ごしたい」と思った。
リヒトはそれが信じられないらしく、屋敷を出てからずっと不思議そうな顔をしている。
「リヒトの夢を叶えてあげたいと思ったから。以前、私と一緒に温かい家庭を築くのが夢だって言っていたでしょう? だから、元気な子を産んで夢を実現させてあげようと思って」
……たとえ、一ヶ月という短い間だったとしても。それがリヒトにとって一生の思い出になるなら、できる限りのことはしてあげたい。
「──っ……!」
リヒトの顔がぐしゃりと歪んだかと思うと、不意に彼の手が私のほうに伸びた。そのまま引き寄せられ、私の背中に手が回される。
「俺は……どうしてお前への想いを抑えきれなかったんだろうな。あのまま気持ちを封印していれば──普通の姉弟として接していれば、この先離れ離れになることなんてなかったのに……大好きなお前とずっと一緒に居られたのに……」
「リヒト……」
リヒトは震える声で胸中を明かしながら、私を抱きしめる腕に力を込めた。
リヒトは魔法を使って自分の傷を治したがらなかったから、一応私が簡単に手当てをしたものの……間近で見る彼の顔はガーゼの上からでもわかる程に赤く腫れ上がっており、見ているこっちが痛くなってくる。
やがてリヒトは嗚咽を漏らし、大粒の涙を流し始めた。止めどなく流れる涙は、両頬に貼り付けられた真っ白なガーゼを濡らしている。
その様があまりにも傷ましくて、憐憫の情を抱いた私はリヒトの背中に手を回し強く抱きしめ返した。
「セレス……ありがとう。俺の最後の我侭を聞いてくれて、本当にありがとう」
「ううん、いいよ。私とリヒトの仲でしょう?」
気にしないで、と付け加えると、リヒトは私の肩に顔を埋めながらこくんと頷いた。
もしリヒトに家族と絶縁する覚悟があるなら、二人でこのままどこか遠くへ逃げることも可能だと思う。
でも、今の彼がそれをしないのは、きっとせめてもの罪滅ぼしと私を解放してやりたいという気持ちのほうが勝っているからなのだろう。
──もし、ここで私が「一緒に逃げよう」と言ったら、リヒトはどんな顔をするんだろう?
ふと、そんなことを考える。私達は、数ヶ月後には別々の人生を歩むことになる。
私の居場所はリヒトには教えられず、会うことを禁じられ、私もまた彼と会うことは絶対に許されない。
このまま大切な弟や我が子と今生の別れになるくらいなら、いっその事──
──私を攫って。
思わず、そんな言葉が口をついて出そうになり、咄嗟に飲み込む。
私は、リヒトからあれだけ酷い仕打ちを受けても尚、彼と離れたくないと思っている。それが私の本心だ。
けれど、リヒトは決断をした。お互いが、家族が、自分達に纏わる周囲の人達がこれ以上不幸にならない最良の道を自らの意思で選択したのだ。
散々、リヒトを拒絶してきた私が今さら水を差すようなことを言えるわけがない。
「そう言えば……子供の名前は決めた?」
そう尋ねながら、顔を曇らせているリヒトの気持ちを和らげようと彼の手を取り歩き出す。
「いや、まだだが……」
「そっか……あのね、もし女の子だったらナディっていう名前にしようと思うんだけど……どうかな?」
「ナディか……いい名前だな」
「そうでしょう?」
ナディ──これはロシア語の『ナディエージダ』から取った名前だ。
前世でロシア語の辞典をパラパラと捲っている時に偶然見つけた『希望』という意味の単語なのだが、ふとその記憶が甦ったのが名付けのきっかけだったりする。
「この子が生まれたら、三人で色んなことをしようね。家族にしかできないこと、一杯しよう? ね、リヒト──」
そう呼びかけた途端、不意に繋がれていた手がするりと抜けた。
「え……?」
驚いて隣に視線を移すと、先程まで自分と会話をしていたリヒトがぐったりとうつ伏せの状態で地面に倒れ込んでいた。
「リヒト!? ねえ、どうしたの!? リヒト!」
体を揺すってみるが、反応がない。一体どうしたんだろう。もしかして、殴られたことが原因だったり……?
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