灼眼勇者の反逆劇

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第1章

憤怒の力

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「転移バイスへ、瞬間移動」

 掛け声と共に伊織とエミリーはに白い発光に覆い包まれる。下を見るや幾何学模様。

 この事変に伊織はホッと胸を撫で下ろす。

 傍目には驚きを隠せない天使の姿。燃え盛る炎、趣味の悪い家具の数々、その場の物を一つ、また一つと見納めていく。

(成功した。危なかったが、これで……)

 時間が停止したように思われた。

 天使も強者感を取り戻し、再度薄ら笑いを浮かべる。

 戦況は一秒で変化する。その言葉が事実であり、それが現実として起きた時、それがどのような意味を持つのか、それを光の速さで伊織は理解した。

 原因は分からない。けれど、ほんの数秒前までは足元に描かれていた幾何学模様もそこから発光される白光さえもその場からはきれいさっぱり消え去っていた。

 伊織の新技は失敗した。

 凍りついた空気は、天使の糸のように細く、針のように鋭い腕の一振りによって簡単に破られた。

「フフフッ、アハハハッ!今のには、流石の私も驚いたぞ。さぁ、次の技はないのか!?もっと楽しませろ!」

 その言葉と共に放たれる風の刃からエミリーを庇い、伊織は部屋の端へと吹き飛ばされる。

(……苦い…………)

 口の中にはドロドロとした鉄分の苦い味が広がっていく。

 そのままの姿勢で、苦痛の呻き声と、再び押し寄せる『恐怖』と『焦り』に急き立てられながら、伊織は頭の神経へと働きかけた。

(……くそったれ……あいつ、どこが天使なんだ?めちゃくちゃ、痛てぇー。どうなっているんだ!?確かに、魔法は発動しただろうに。何故だ?どうしてだ?どうして、魔法は発動途中に効力を失った?)

 硬く冷たい石造りの地面にまた、足を立たせようとする。

 天使の背後に設置される縦3メートル、横5メートルほどの巨大窓から、敗北を宣告されたような気分に伊織はさせられた。

 外界にて降りゆくは、雪。

 無傷の白さを持つ水晶のような雪結晶が間断なく降り続いている。

 それはイコール、死を意味していた。俺の持つ服は今着る制服一着、エミリーの着る服はワンピース。どちらも雪に対応した服装とは言えないだろう。

 もし、この場で天使を倒せたとしよう。だが、俺たちに向かう場所はない……

 そんな絶望感に、何度目かの支配を受ける。

(俺は、結局影のままで終わるのか?意だけ唱え、行動を起こした事も知られずにただ、一人の男子高校生の死、いや自分の存在すらなかった事にされるのだろうか)
(俺が死んだ後、エミリーはどうなるのだろう……)
(クラスの連中は悠々と暮らしているんだろうな……)
(あの教皇、国王達も……だめだ……あいつらだけには、制裁を下す……そのためには、こんな奴に殺される場合ではない!)

 伊織は絶望を気力と怒りで振り払う。

(怒りこそ、力だ……)

 フラフラと立ち上がる伊織に、天使は連続的に風の刃を繰り出した。しかし、天使は伊織の恐ろしさに攻撃をやめる。

 恐ろしいのなら、攻撃で退けろ?

 よく言ったものだと、その時の伊織を見たものなら誰しもが口を揃えて同じことを提唱したことだろう。

『人は本当に恐ろしい物を見た時、体を動かすことなど出来なくなるものだ。動かせというものがいるならば、その者に経験を与えよ』と。

 伊織の姿は、狂人そのものだった。これまで度々現れた灼眼、それはこの力の一部に過ぎなかった、その事実にエミリーは愕然とする。

 瀬良伊織

 その存在自体が蒸気を逸する。伊織の体からは赤黒い禍々しいオーラが川から決壊した濁流ように絶え間なく流れ出す。怒りを超えた力だった。名付けるならば『憤怒の刃』。

「天使、悪いな……貴様にもう俺は殺せない」

 天使にだけ聞こえるようにするためか、囁くように、語りかけるように、伊織は口を開く。

 天使には、当然、数分前までのあの余裕は遥か彼方へと消えていた。それでも、落ち着いた様子を貫き通す。

「フッ、人間族の少年よ。どんな力を使ったのか、我には分からぬがあの程度の実力のものが我に勝てると申すのか?」

 確かに、声は冷静だった。だがしかし、残念ながら表情は引きつっている。その上、引き腰だった。

 この時点で、この戦いの勝敗は見えていた。けれど、これに関してだけは天使に運がなかったと言うしかないだろう。

 もう、伊織に慈悲という言葉はない。

 自分を傷つけた者への、自分の大切な物を次々と掠め取っていく神への怒り。伊織はそれを第一とした。

 『怒り』それは、自分の敵を示すレーダーそのものであり、それは人だけにとどまらず、感情を持つ物なら誰しもが持つ力。

 『怒り』は正義そのものだ。

 『敵を殺す』、『敵を消す』それが、伊織にとって、エミリーにとっての理念であり、思想そのものだった。

 それを天使が、雪が、正確には生死の恐怖感が段階を一つ上げてしまった。

 それが、繰り返す……

 『怒りこそ正義そのものだ』

 である。

 一歩、一歩と指先にまで力を込めて、前方へと足を踏み出していく。天使の言葉などに耳を貸さず、呟く。

「『雷狼-雷伝』」

 目を覆いたくなるほどに、強い輝きを放つ蒼い稲妻が空を斬り裂いた。稲妻は建物へと落ち天井を突き破り、床との接触後、伊織の前に全長約三メートル弱の雷の狼として成り上がる。こんな異常気象が瞬く間に三度起きた。

 伊織の前に立つ狼は、鼻息を荒くして敵意を剥き出しにする。まるで、戦闘を待ち望んでいるかのように。

 これを見れば必然だが、対する天使に冷静さはちりほども残っていず、天使は天使だけに天の力を使う大技を伊織に放とうとする。

 華奢な腕を空へと掲げ、掲げた掌から指先にまで魔力が、いや神力が視認されるほどに貯められる。そして、彼女は自然と一体となりように、自然へと指示を出した。

「雪下終の方~雪槍突一騎~」

 それは、漢字の意味通り舞い散る雪が束となり一つの槍を形作る。その槍が真っ直ぐに伊織の元へと飛ばされる技だった。

 不気味な雰囲気を思わせる青白い光を放ちながら、それは伊織へと定規を当てたみたいに一直線に向かってくる。

 速く、大きい。通常なら、即死だろう。そんな攻撃に伊織は怯まず、避けもしなかった。

 天使にかけられた魔法で体を動かせないエミリーは堪らず目を覆う。天使は勝ち誇った笑みを浮かべていた。

 パキンッ

 決闘場、魔城城内にオルゴールを弾いた音のような静かで澄んだ音が鳴り響いた時、伊織以外の物は呼吸という物を忘れた。

 伊織はオーラだけで、天使の決め技を吹き飛ばし、灼眼の瞳を浮かべ、歯軋りをしながら恐ろしい形相を浮かべながら止まらず前方へと歩き続ける。

 天使は鎌鼬のような攻撃も、再度試みたが決め技をあっさり凌がれた時点でこの勝負は決まっていた。

「そんな……馬鹿な……たかが人間族が、魔人族の攻撃を弾き飛ばすだと!」

 天使は、燃え盛る灼眼に恐れついに逃亡を決意した。天使の背後には脱出の扉がある。

 出直しにはなるが、次の機会に倒せばいい。手の内を知れただけでもこちらは強い。そう考えた天使は薄ら笑いを浮かべた。

 最後にもう一度だけ言おう。天使は相手が悪かった。

 天使がドアノブへと手をかけようとした時、ドアノブの前には、もう伊織の姿があった。

「お前が、そんな顔を浮かべるなよ……」

 下賤な物に怒りをも通り越し、呆れの感情が伊織の中で浮かぶのだった。

 昔、好きの反対は嫌いではなく、無関心だという話を聞いたことがある。それをいうのなら怒りの反対も無関心と言えるだろう。

 関心のない物に興味は示さない。つまり、怒りも嫌いもそんな感情は抱けなくなった。伊織にとって、この天使は敵ではあるが、相手ではなくなったのだ。奴の命は自分自身が握っているとなったその時点で。

 天使は、恐怖と絶望を露わにした表情でひっと呻き声を上げ、腰を抜かす。

 その様子には、怒りなどという対等な関係で起こる感情ではなく、もっと卑劣な感情を伊織は持った。穢らわしい、と。

 ここで、初めて伊織はエミリーと初めて出会った時彼女の発した言葉の意味と重さを知る。

 それでも、こいつが敵であることは変わらない。こいつに限ることではない、けれど俺の大切な物を次々と奪っていく。そんなことをしようとする奴は、間違えなどない、そいつは敵である。

(天使……消してやる……死ね)

 伊織は、何も言わず『雷鋭槍』の刃を展開し、振り上げた。

 そこで、伊織はもう一つのことを知らされる。クズは死ぬまでクズ、人の人格は良くも悪くも変わらない。

「少年よ……お前様は強い、世界においての強者だ。しかし、今、我を殺してしまったら弱者である私と同じ土俵に立つこととなろう。それでも、私を殺すのか……?」

 何を言っているのかと伊織は天使を見る。天使と呼ぶのも虫が好かない。こいつは……クズだ。

 そんな伊織に潤ませた瞳で情けをかけるクズの姿は実に滑稽な物だった。

(俺は、訳もなく殺しはしない。己の生に障害のあるものだけを殺す。もし……そんなクズ達に殺される時があっても最期まで恨み続ける死んだ後も呪い続けるだろう。それに比べてこいつのは自欲を満たすためだけの殺人だ……だからこいつの意に価値はない)

 伊織は最期の情けを薙ぎ払った。

「俺とお前の人を殺す概念は異なる。その時点で、お前と俺が同じ土俵に立つことは必然的に敵わない。俺が何を言いたいか分かるよな?」

 天使は目を見開き、口も思い切り開き断末魔という名の悲痛の悲鳴を上げる。

 振り下ろした伊織の手の先には雷鳴を轟かせ天から新たな稲妻が空を斬り裂き舞い降りていた。

 静寂が訪れる。

 天使のいた場所には何も無い。降り積もるは雪結晶。

 エミリーは怒涛の出来事に唖然とし、薄く力無き掌を口へと当てる。

 今の伊織の姿に、助かったという安堵感と仲間でありながら多大な恐怖感を感じていた。

 彼女の中の伊織は共存を求めるため使える物は使い、邪魔する者は殺す必要最低限の悪しか行使しないはずだった。

 伊織の中ではその思想に変化はない。しかし、第三者の目線で状況を判断するとその姿は残忍な、冷酷なただの殺人鬼としか見ることができなかった。

 伊織は目線の先にある扉へと歩き出す。現在の伊織の意志は排除、頑固な頭を持つ連中の殲滅だった。

 赤黒いオーラは伊織だけでなく魔城をも呑み込んでいく。それは万物を吸収し、無とするブラックホールを見ているようだった。

 プツリという音が聞こえる。
 
 その様子に、エミリーの線は切れていた。怒りではない堪忍袋の尾が切れた。

 慈愛の心は、美しく清い。透き通る宝珠の如く輝くオーラが、赤黒いオーラへと混ざり合う。

 気付かずうちに、エミリーの足は動いていた。お決まりのように、気持ちが体を動かした。

 伊織の腰回りに二本の腕が回される。エミリーは強制的に伊織の動きを止めていた。

 伊織のオーラの禍々しさが、除霊のように清められる。そして、伊織の一時、忘れ去られていた記憶が泉の如く湧き出してくる。

(……俺の思想を理解できる、唯一の存在……)

「……エミリー……か……」

 伊織は灼眼の目のまま、斜め下へと視線を移す。

 そこには、華奢な腕を絡み付け、一粒の涙を浮かべながら、必死に一人の人を懸命に救おうとする一人の少女の姿がそこにはあった。
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