君の手は心も癒す 〜マザコン騎士は天使に傅く〜

嘉多山瑞菜

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6 サブリナの打算

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 サブリナはシャルと一緒に夫人の部屋に入ると、寝台に近づき天蓋から垂れる薄い紗幕を静かに開けた。

「おはようございます、奥様」

 声を掛けると、起きていたのだろう夫人が僅かに眼を開けて頷いた。

 にこやかに笑いかけサブリナは続ける。

「今日は気持ちの良いお天気ですわ。カーテンと窓を開けて、少しお部屋の空気を入れ替えますね、その後で朝食に致しましょう」

 その言葉を合図に、シャルがカーテンと窓を次々に開けていく。
この屋敷の中で、一番日当たりの良い南側にある部屋だ。もとは客間だったのを、病気の夫人のための寝室に変えたと聞いている。

 開けた途端、心地よい風と柔らかい朝の陽射しが部屋に入り込んだ。

 そして窓の外には見事に手入れされた中庭が広がっている。宰相夫人が好きなのだろう、見事な色とりどりの薔薇が咲き誇り、風に揺れている。

 まったく・・・サブリナはふっと溜息を零した。病人には願ってもない、こんなに素晴らしい庭園があるのに、そこを使うことすらしないなんて・・・筆頭貴族ですら、否、筆頭貴族だからこそ、病に侵された人間を後ろ向きでしか世話ができないのだろう・・・些細なことでも苛立ちに変わるのはこんな時だ。
 
 もっとたくさんの人が看護を知ってくれれば、楽になれる人は増えるはず・・・サブリナはいつも苛立ちと共にそう思う。

 だが・・・今は違う感情が湧き出てきた。
感情というよりは打算か。

 最初は公爵家で看護なんて、と乗り気ではない気持ちがあったのは事実。

 しかし、これは看護のことを貴族にも理解してもらえる神様がくれたチャンスかもしれない、とはたと思いついたのだ。
 
 この国を統べる1人の宰相公爵様。
彼が妻の看護を通して、理解を深めれば、医術や看護術の広まりに何か手を貸してくれるかもしれない。

 ふだん自分の仕事に交換条件は出さないが、今回ばかりは宰相公爵様に医術や看護術の後ろ盾になってもらえるよう、今まで以上に頑張ろうと思ったのだった。

 そこまで考えた瞬間、ちらりと昨日の息子の怒り顔が脳裏を過ぎる。

「彼はダメだわ・・・」
 
 ふと呟く。
看護に悪い印象を持っていた上に、格下の使用人かつ忌み嫌っていそうな看護人のサブリナに罵倒されたのだ。後ろ盾にはなってくれないだろう。

 まぁ宰相公爵様が認めてくれればいい、サブリナは気を取り直すと、部屋に焚き染めていた、うんざりするほど甘たるい香りを充満させる香を消したのだった。






 朝食と言っても、夫人は固形物を受け付けなくなっている。

 サブリナは持参した薬草をいくつかブレンドして湯で煮出し冷ましたあと、夫人が好んでいるという果物を数種類すり潰したものを、その抽出液に混ぜてどろどろしたスープ状のものを作った。

 今の夫人に必要なのは、よく分からないで飲んでいた身体に蓄積し害をなしているものを、体内から排出することだ。その上で体力をなるべく戻し、治癒力を起こさなければならない。

 料理人へ薬草の抽出液を渡し、1日3回このスープを作ることをお願いした。果物は身体を冷やさないものにするように、と言うと、サブリナにビビり気味だった料理人は、張り切ってお任せください!と言ってくれたから助かる。

 この屋敷の使用人達が看護にとても好意的なのは、みな夫人が少しでも楽になって欲しいと願っているからだろう。

 公爵家の嫡男に怒鳴り散らした女に戦々恐々としながらも丁重に接してくれるから良かった。

「ブリー、スープを持ってきました」

 一晩たってやっと平静に戻れたらしいシャルがスープをワゴンで運んでくる。

 夫人の身体を起こすことはまだ出来ないから、そのままの体勢で、少しづつスプーンでスープを口に流し入れる。

「・・・んん・・・ぅぅっ・・・」 

 果物と蜂蜜を入れているが、この薬草スープはやや苦い。
夫人が僅かに驚いたような顔をしたのを見下ろして声を掛ける。

「このスープは薬草がたくさん入っています。少し苦いですが慣れますので、頑張って飲みましょう」

 そう言うと夫人がコクリと頷く。すこしでも楽になるために頑張ろうという意思が垣間見えてサブリナは嬉しくなった。

 シャルと交代で給餌しながら一時間ほど掛けて、夫人はスープを飲み切った。
サブリナはホッと安堵する。このスープが全部飲めるなら、まだ期待できるからだ。

 次は軽い清拭とマッサージだ。食事の後片付けをしているところで、ノックの音がした。
シャルが扉まで行って開けると、令息が憮然とした顔で入ってくる。

 部屋に入った途端、カーテンと窓が開けられ、室内が明るいことに一瞬驚いたような顔をしたが、表情を厳しいものに戻すと、サブリナを見て言った。

「母上に朝の挨拶だ」

 その言葉にサブリナは頭を下げると、部屋の隅へシャルと共に下がった。

 仕事に行くのだろう、この国の近衛騎士団の漆黒の詰襟に金の刺繍が縁取りされたジャケットと同色のズボンにブーツ。腰には長い剣を佩いている。

 凛々しい精悍な姿にさすが公爵家の嫡男だ、と思いながらサブリナはぼんやりと彼を見つめた。

 オーランドは寝台に近づき、傍らの椅子に腰を下ろすと上掛けの上に出ている母親のか細い手を握った。

「母上、おはようございます。勤めに行って参ります」
 
 そう言って、身を屈めると頬にキスをしたようだ。夫人が弱々しい声で「気をつけて」というようなことを切れ切れに言うのがサブリナの耳にも届いた。

 いい息子だ。本当に母親を慕い心配している。

 上位貴族では、母親を大切にしない嫡男も多い。それは恐らく父親が妻を道具か飾りのような扱いをするのを見て育つからだ。

 サブリナは看護の中で、母親を敬愛をしない息子を多く見てきた。だから、このウィテカー公爵家の嫡男は素晴らしいな、と思う。昨日のアレだって母を思えばこその言葉なのだから。

 挨拶が終わって、オーランドがスタスタと扉の前まで来た。サブリナは使用人同様、頭を下げて見送る。
一瞬、彼が自分の前で足を止めたような気がしたが、彼は何も言わずにそのまま部屋を出て行った。

「これは、完全に嫌われたわね」

 心の中で苦笑しながらひとりごちる。いつか謝ることができれば良いのだけど、と思いながら、サブリナはマッサージのため夫人の元へと向かった。
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