上 下
13 / 17

桜100% ④

しおりを挟む

 生徒会長として体育祭実行委員会にも同席していた光先輩は、嬉しそうにさりげなさを装って迎えに来てくれたけど、今日は春香と二人で帰ろうと思って断るとがっかりした子犬みたいにしょげた。
「え、そうなの……? 俺がいない方がいい話?」 
 そういうことには鋭いくせに、それが自分に関わる話だとはまったく思わないんだろうな、と思うとおかしかった。
 でもそこで、あ、と思った。
「あ、やっぱり駅までは一緒に帰っていいですよ。春香、今日うちに泊まるんで」
「え!?」
「え!?」
 二人の声がかぶって、あたしは自分の思いつきにわくわくし始めた。
「え、桜……どういうこと?」
「明日休みだし、泊まってくれない? あたし一人暮らし、いい加減さみしくなった」
 無理矢理な理屈をつけて、有無を言わさず決行にする。
「あー、いいなぁ女の子は」
「男子でもお泊まりしませんか?」
「……俺、あんまり友達いないんだよね……」
 意外に真面目な返事に、男子生徒からも距離を置かれてしまうのかもしれない、と思った。
 人気者も、つらいんだね。
 春香は初め面食らってたけど、考える顔になってそれから笑った。 
「うん……楽しそう。あ、じゃあ桜、あたし一回うちに帰ってきていい? 着替えとか持ってきたいし、うちのチョコちゃんのケーキ、持ってくる!」
「本当!? やった!」
 チョコちゃんというのは春香のお母さんなんだけど、春香はそう呼ぶらしい。可愛くていいな、とちょっと憧れてる。うちの母とは対照的な感じ。まぁ、母は母でカッコイイ人だから、嫌いではないんだけど。
 お弁当の時間にクッキーとかマドレーヌなんかは頂いたことがあるけど、さすがに学校にケーキは持ってきづらいから、ケーキ食べてみたかったんだ。
「桜ちゃんちでどうせ夜更かしするなら、チョコちゃんに晩ご飯食べさせてもらえばいいんじゃないの?」
 やさしいお兄さんみたいに、光先輩が提案してくる。
「あんたはそう言ってうちまでついてくる気でしょう。そして一緒にご飯まで食べるつもりでしょう」
「当たり」
 ええ? 春香の家族や光先輩と一緒にご飯なんて、嬉し過ぎるんですけど。
「それなら先に桜の家に寄って、桜がうちに泊まった方がよくない? 自慢じゃないけどあたし料理はできないし」
「え、でも、いいの?」
 意外な展開にあたしの方が戸惑う番だった。あたしが一人暮らしだからこそ、遠慮しなくていいかとお泊まりを提案したのに。
「うん、うるさい弟がいるけど、桜がよければ」
 家族団欒なんて、ずっとしてない。すごくわくわくした気持ちが顔に出ていたんだろう、春香はあたしの返事を待たずに携帯電話を取り出した。
「じゃあチョコちゃんに電話しよう」
「じゃあ、妃名子も呼んでやろう」
 何故か光先輩も携帯を取り出してそれぞれの家に電話をかけた。
「あー、紘人が喜ぶわ」
 そんな他愛もない会話一つでも、春香と光先輩が長年積み上げてきた絆が感じられた。
 それがすべて恋愛に直結しなくてもいいと思うけど、それでもやっぱり、簡単に他人が入れるものじゃない。
 羨ましいけど、間近で見ているだけで、何だか幸せな気分になる。
 この感覚は何だろう。
 ずっとこのままで、いられたらいいのに。



「まぁまぁ、いらっしゃい! 春香が友達連れてくるなんて小学校以来じゃないかしらねぇ」 
 春香の家に着くと、思ってた通りの可愛いお母さんがいそいそと出迎えてくれて、美味しい手料理に美味しいケーキもご馳走になって、とっても楽しい時間が過ぎていった。
「じゃあ、帰ります」
「気をつけてね、光くん、妃名子ちゃん。ミューちゃん他によろしくね」
「他って何だよ、チョコちゃん」
 光先輩が妹の妃名子ちゃん(超美少女!)を連れて適当な時間に帰っていくと、お風呂を借りて春香の部屋でくつろいだ。
 あたしは何を、話したかったんだろう。
「お母さん、何でチョコちゃんなの?」
 理由を聞いてなかった気がする。
「千代子だから」
「え、それだけ?」
「そう。ちなみに光のお母さんミューちゃんは美優さん」
「あ、そう、そんなもんか……」
 拍子抜けしたあたしに春香が笑う。
「なあに、桜、もっとすごい由来とか期待してた?」
「うん、ちょっと」
 正直に白状してまた二人で笑い合った。
「……あたしの名前は桜だけど、もちろん桜が満開の時に生まれたらしいから桜なんだけど、何かいろいろ両親が考えたみたいで」
「そうなの?」
「うん。桜って、みんなが開花を今か今かって待ってるけど、満開になってなくても綺麗だし、花が散る姿にも日本人って情緒を感じるし、葉桜になったらそれはそれで緑が濃くて綺麗だし……そういう意味を込めたんだって」
「……わかるような、わからないような」
「いつでも、その時その時が最高なんだよって、明日じゃなくて、昨日でもなくて、今その一瞬があたしの百%なんだよって、教えてもらった」
「……いいご両親だね」
 春香はそう言って目を細めた。
 それからたくさんいろんな話をしたけど、光先輩のことだけは上手く聞けなかったし、聞かれなかった。
 あたしが光先輩を好きって言ったことは、深い意味には取らなかったのかな。
 友達として、と思ったのかな。
 それよりも、春香自身が聞きたくなかったのかもしれない。
 自分の心と、向き合わざるを得なくなるから。
 少しだけさみしかったけど、焦らないことにしようと決めた。
 何よりもわかったのは、春香がとんでもなく頑固で素直じゃないってことだ。
 長い目で、見守らなくちゃ、なんて思った。



 夏休みが終わると、事件が起こった。
 嘘です。
 でもあたしにとっては大事件だった。
 春香が、体育祭が終わると実行委員で一緒だった二年生の先輩と付き合い始めたのだ。
「……どういうこと?」
 できるだけ抑えて話したつもりだけど、あたしの声はかなり怒気を孕んでいたに違いない。
「どういうって……告白されたから」
「告白されたら誰とでも付き合うのか」
「そんなわけないじゃない。……何で桜が怒ってるの?」
 ごもっとも。ごもっともではありますが、だがしかし。
「……佐倉先輩には、言ったの?」
 真面目な顔で聞いたのに、春香はきょとんとした。
「……光に、わざわざ言わなきゃいけない理由ないでしょ」
 何言ってんの、という呆れ顔で笑ってみせる。
 突然、むっときた。
「……じゃあ、あたしが佐倉先輩と付き合っても、いいんだ?」
「……!?」
 春香ははっと顔を上げて、それからすぐに目線を下ろして俯いた。目が泳いでる。
「光がよければ、いいんじゃない?」
 そう言って顔を上げると、今度は笑ってる。張り付いたような笑顔に、ますますイラッとした。
「桜のこと、可愛いって言ってたし、大丈夫じゃない?」
 春香はそれでいいの?
 喉まで出かかった言葉を飲み込んで、あたしはきゅっと唇を噛み締めた。
 それきり何も言えなかった。
 そのうち、春香が彼氏と一緒にいる姿を大勢に目撃されて、光先輩の取り巻きたちは興味を失っていったようで、呼び出しや中傷めいた手紙なんかもなくなったけど。
 あたしの気持ちはどこにも行き場がなくなったように、彷徨っていた。



「あれ? 桜ちゃん?」
 春香が彼氏と下校してしまうので、暇つぶしに寄った放課後の図書室で光先輩に声をかけられた。思わず周囲を見渡して、目立った取り巻き連中がいないことを確認する。
 図書室は本棚で隠れるから、ちょっと気が楽だ。
「佐倉先輩、何か久し振りですね」
「……そうだね。最近一緒に登下校しないしね」
 あたしと、じゃなくて春香と、って意味の方が大きいんだろうな。
「あの……」
 春香のこと、何か言いたいのに、言葉が出てこない。そもそも光先輩が春香を好きなことはあたしが勝手に理解しただけで、光先輩本人に聞いたわけじゃない。下手なことを言うのも失礼だ。
 悶々としてたら、光先輩の方から話しかけてきた。
「春香のことなら、桜ちゃんが気にしなくていいよ」
 どうやら思考がバレバレだったらしい。
「春香のあれは、今に始まったことじゃないから」
 あれって、彼氏のこと? 今に始まったことじゃないって、どういうこと?
「そう……なんですか?」
「そう。中学の頃から何人かな? きっと今度も続かないよ」
 苦笑いと、呆れた顔と、でもどこか不安そうな、さみしい顔。
 どんなに短い時間であろうと、かなしくないわけはない。
「春香ももっと素直になればいいのに」
 何故だかわからないけど、苛立ちを隠せない。すると佐倉先輩が話題を変えた。
「桜ちゃんの名前って、今が百%っていう意味なんでしょ?」
「……その話、春香がしたんですか?」
 意外な気がしてあたしは目を瞠った。
「うんそう、春香はさ、桜ちゃんが羨ましいみたいだよ」
「どこがですか?」
 春香に羨ましがられる要素なんて、どこにもないと思う。
「桜ちゃんは、いつもまっすぐ一生懸命で、すごく周りに気を遣う気配り屋さんだし。春香はとっつきにくいし、素直じゃないから女友達なんて初めてに近いんじゃないかな?」
 あたしも、まともに友達と呼べるのは春香ぐらいなんですけど。
 光先輩がそう思うなら、それはきっと、いつも先輩がそばにいたからだろう。
 春香の性格がどうこうじゃない。
 それは光先輩だって同じだ。
 たくさん友達がいることが悪いわけではないけど、それだって人それぞれで、違ってていいことなんだ。
 光先輩と春香は。
 二人いつも一緒だったから、他の人なんて必要ない。
 なかったんだ。
 多分本当は、これからだって。
「そんなこと、ないです」
 あたしは何だか泣きそうになってしまった。声が震えただろうか、光先輩が表情を変えた。
「素直じゃないのはあたしの方です。うち両親が忙しくて、あたしは殆ど一人で、本当はずっとさみしかった。でも、みんな一生懸命生きてることを知ってるから……わがままなんて言えないって……閉ざしてたのはあたしの方なんです」
 ぽろぽろと涙が零れる。光先輩は困ってしまったかもしれないけど、黙って聞いてくれた。他の生徒に見えないように、そっと影になってくれた。
「春香の方がずっと素直だと思う……」
 春香を守らなきゃ、なんて自分勝手に正義の味方みたいなつもりになって。
 春香の方がずっとずっと、自分に正直に生きているんじゃないか。
「……桜ちゃんは、何だかんだ、甘え上手だよね……」
「先輩、人の話聞いてました?」
 全然真逆のことを言ってるのに、何を言ってるんだろうこの人は。
「いや、案外甘え上手だと思うよ。そういうことを素直に言っちゃうあたり。何だろう、やっぱり末っ子気質っていうのかな? 俺も春香も長男長女気質が抜けないからなぁ、桜ちゃんは守ってあげたくなっちゃうんだよね」
「……」
 そんな殺し文句、今言うんですか。
 頭を撫でられて、そんなことを言われると期待してしまうけど。でも。
 その言葉が思いのほか真剣だったので、あたしは顔が赤くなってくのがわかった。光先輩だけじゃなくて春香もってことは、あたしは本当に一人で空回りしていたみたいだ。 
 光先輩はポケットからハンカチを取り出して、そっとあたしの頬に当てると涙を吸い込ませた。一応メイクはしてるから、ごしごし擦られては困ります。そういうところもさすがだな、と思った。
 やっぱり、好きだな。



 その日は初めて光先輩と二人だけで下校した。
 帰り道、悪戯っぽく聞いてみる。
「佐倉先輩、私が先輩のこと好きって言ったらどうします?」
 光先輩は驚かなかったけど、考える顔になって問い返してきた。
「そうなの?」
 背の低いあたしを覗き込んで見つめるその姿勢は反則だ。
「……好きですよ」
 何か負けた気がするけど、どうしても嘘はつけなかった。
 光先輩は、今まで見たことのない感じの、優しい笑顔になって言った。
「……じゃあ、付き合おうか」
「……本気にしますよ?」
「本気だよ」
 どうしてみんな、素直じゃないんだろう。ううん、回りまわって素直過ぎて、空回りしているのかもしれない。きっと今この瞬間だけでも、光先輩は本気であたしと向き合ってくれているんだろう。
 茨の道かもしれないけれど。
 後悔はしない、と決めた。



「長谷川さん、光源氏先輩と付き合ってるって、本当?」
 人の噂は光の速さよりも早く駆け巡るようだ。
 いつもは殆ど噂話なんてしないような、おとなしめのクラスメイトまでが聞いてきて、あたしは面食らった。
 しかも、光源氏先輩って何?
「光先輩のこと? うん……一応」
 さすがに嫌がらせの類は言わないだろう、と思って牽制の意味も込めて肯定すると、女子生徒たちは盛大に騒ぎ始めた。
「きゃー! ついに、あの光源氏先輩を射止めたのは一年生だった! って校内新聞とかに出そうだよね!」
 出ないよそんなの。スポーツ新聞かゴシップ雑誌か。うちの校内新聞はもっと真面目な内容だ。
「長谷川さん可愛いし、もともと先輩と仲いいもんね」
「いいね、いいねぇ。二年や三年の感じ悪い女共が悔しがってるのが目に見えるねぇ」
「ほんと、ちょっとはおとなしくなるんじゃない?」
 あれ? 何だこの反応。
 意外に好意的に受け止められたのは、もちろんあたしに対する高評価よりも、ニ、三年生の光先輩の取り巻きたちの評判が悪いってことなんだろうけど、楽しそうな会話に驚きを隠せなかった。
 要するに彼女たちは、芸能人みたいな感覚で光先輩を見ているんだろう。
 アイドルや漫画の主人公に憧れるのは、それはそれで楽しいかもしれない。
「よかったね、桜」
 春香も何でもない顔で声をかけてきたものだから、あたしは少し揺らぐ。
(……本当に、そう思ってるの?)
 人の気持ちって、どうしてこうも複雑なんだろう。



 
しおりを挟む

処理中です...