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6 国王夫妻に効く薬
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王妃の部屋の、豪奢な彫刻の入った扉は、来客を迎えるため開け放たれていた。扉の両脇には警備の兵がそれぞれ立っていて、かつての俺の仕事を懐かしく思い出させる。
扉の手前の控えの間、ソファに腰かけていた俺は、廊下から控えの間に入ってきた人物に気づいて軽く手を挙げた。
「アユル」
「こんにちは、メイラーさん。シーゼ様は?」
白のローブ姿のアユルは、波打つ長い髪をふわりと揺らして扉の方を見た。
「今、中で女官長と定例の打ち合わせをしている。すぐ終わるだろう。午後のお茶に呼ばれたのだろう?」
「はい。メイラーさんもでしょ?」
「ああ」
アユルもソファに腰かける。他愛もない雑談をしていると、突然部屋の中からこんな声が耳に届いた。
「ムラムラするのよね、夜なんか特に」
シーゼ様だ。
俺とアユルが顔を見合わせていると、女官長が苦笑交じりに
「王妃様……どうなさったんですか、急に」
と答えた。すると、シーゼ様のため息。
「いやー、排卵期だからさ。身体のリズムがそうなってるんじゃないかなー」
ぶ、と警備の兵の片方が小さく吹き出し、慌てて咳払いをした。アユルはそれを見て面白そうにニヤニヤしている。俺も思わず苦笑した。
シーゼ様は扉も開けっぱなしのまま、女官長を相手に例によって、身も蓋もない話をしているらしい。
しかし女官長にしてみれば、国王夫妻が子宝に恵まれる方向に話が行くのは、悪くない展開のはずだ。案の定、女官長は話に乗った。
「陛下の方は、いかがなのですか?」
「ここ数日、その気にならないみたい。ほら、東の方の領地の件で悩んじゃってるから、今」
「ああ……後継者争いで揉めているとか。陛下が仲裁に入られたのですよね」
「そうそう。夜もついつい、そのことを考えちゃうみたい。フェザー、繊細だもんね……そんな状態のフェザーを無理矢理誘うわけにもいかないじゃない?」
アユルが、そろそろ声をかけようかな、といった風に入口を指さしたので俺がうなずいたその時、シーゼ様は急に声をひそめた。とぎれとぎれに、話が聞こえる。
「ねえ…………とかどうかな。いいクスリ…………ない?」
俺とアユルはぎょっとして目を見開いた。
女官長の声が答える。
「えっ……ですがシーゼ様、それはお身体…………なのでは」
「大丈夫、ちょっと…………だから」
「わ、わかりました。わたくしが手配いたしましょう」
話は終わったらしい。我に返ったアユルが立ち上がり、咳払いをして声をかけた。
「王妃様、失礼します」
「あ、どうぞー」
俺とアユルが中に入るのとすれ違うように、女官長が「ごゆっくり」と微笑みながら出てきた。そして、警備の兵の前で足を止めた。
「お話があります。そろそろ交代の時間ですね、交代したら私の所へ」
王妃の間に入ると、乳白がかった淡い緑のドレスのシーゼ様は、庭に出るテラスの所で手招きしていた。
「メイラー、アユル、こっちこっち。天気もいいし、庭でお茶しましょ。準備してるから、そこで待っててー」
はい、と返事しながらも、俺は上の空だ。
シーゼ様は、庭のテーブルに食器などをあれこれ並べている女官に笑顔で声をおかけになっている。その様子を見ながら、アユルがひそひそと話しかけてきた。
「シーゼ様、陛下に薬なんか使いたくなるほど、たまっちゃってるんですかね」
「……っ、そ、そういう意味か、さっきのはやはり」
「じゃないですか? メイラーさん、持ってないんですか、そういう薬」
「何で俺がっ」
「それなりに経験積んでらっしゃいそうだなーと思って。少なくとも僕よりは。お勧めのがあったらシーゼ様に教えて差し上げたら」
「ア・ユ・ルっ」
横目でにらむと、アユルはちろっと舌を出した。
しかし、女官長はどういうつもりだろう。さっき警備の兵に声をかけていた――あの男は俺も知っているが、数々の女性と浮名を流している奴だ。彼から薬の情報を得ようと言うのか。
悶々と考えているうちに、耳に心地よいシーゼ様の声が俺たちを呼んだ。
「――メイラー? どうしたの」
はっ、と我に返ると、目の前のテーブルには茶のカップ。そして俺の顔の前で、シーゼ様のすらりとした手がひらひらと揺れている。
「疲れてる? お茶はまた今度でもいいのよ、私がメイラーたちとおしゃべりしたくて呼んじゃっただけだから」
「い、いえ、申し訳ありません……あの、シーゼ様」
俺は意を決して言った。
「お許し下さい、実は先ほど、女官長殿とのお話を立ち聞いてしまいまして」
アユルが、うわー言っちゃうんだうわー、という顔で俺を見ているのにも構わず、俺は続けた。
「その、陛下をお誘いする類の薬、ですが」
「フェザーを誘う薬? ……ああ!」
シーゼ様は目を見開いて、くすくすと笑いだした。
「さっき薬って言ったっけ、そういえば。あれはね」
「お話中、失礼します」
女官長がテラスに顔を見せた。
「王妃様、先ほどの件、手配できました。今夜からでも」
「ありがと、じゃあさっそく!」
シーゼ様の返事を聞いて、すぐに去って行く女官長。
は、早い……もう手配できた、と?
「シーゼ様、そんな薬を陛下に使って大丈夫ですか?」
「そうです。非合法なものも多いですし、中毒性も心配です。俺は感心しません」
アユルと俺が口々にたしなめると、シーゼ様は笑いながら両手を振った。
「違うって! 私が言ったのは、私にとっていいクスリになるってことで」
「シーゼ様がお使いになるんですか!?」
「絶対ダメです!」
腰を浮かせるアユル、身を乗り出す俺。シーゼ様は声を上げてお笑いになった。
「あはは! あのね、さっき女官長と話してたのは、夜にジョギングしていいかって話!」
イルフレートが意味を伝えてくる。アユルが大きな瞳を瞬かせた。
「ジョ……? 走るんですか、夜に?」
シーゼ様は軽く肩をすくめた。
「フェザーが大変な時にムラムラしてる自分に、何だか呆れちゃってさ。ジョギングでもして疲れきって寝ちゃえばいいわ、私にはいいクスリじゃない? って言ったのよ、女官長に。それで、どこを走っていいかとかを警備の兵士と決めてもらってたの」
「な、なんだぁ」
アユルがホッとした声を出し、俺も大きくため息をついた。シーゼ様は微笑まれる。
「ふふ、心配かけてごめん。でもやぁねぇ、媚薬とかそういうの? 私、使ったりしないわよ。フェザー、精神的に疲れてるのに、薬で無理矢理その気にさせてアレコレなんて。私の性欲が減退するような薬があるなら、使ってもいいけど」
あけすけなシーゼ様の言葉を、落ち着いた声が遮った。
「そのような薬はやめなさい」
「フェザー!」
フェザリオン陛下が、テラスに下りて来られた所だった。俺たちが立ち上がると、軽く手を挙げて座るように示される。侍女が急いで椅子を運んでくるのにも、「すぐ執務に戻る」と声をおかけになった。
「一体何の話をしているのかと思えば」
と苦笑された陛下は、確かに少し疲れたご様子だ。
「まあその……シーゼ、済まないな。相手をしてやれなくて」
「ちょ、何謝ってるの! 私が肉食過ぎるんです。こんなんじゃ、私と一緒に寝るのも嫌になるんじゃないかって反省したの。ごめんねフェザー」
シーゼ様は両手を合わせて頭を下げた。故郷での謝罪の仕草らしい。
すると陛下は、目を細めて微笑まれた。
「そなたが隣にいなかったら、かえって眠れず胃に穴があいていたことだろう」
――結局、いいご夫婦なのだな。
俺はアユルと顔を見合わせ、苦笑した。
気分転換がてら顔を見に来ただけだ、と陛下はおっしゃって、シーゼ様とキスをひとつ交わされた。それだけで、陛下の頬の線が少し柔らかくなる。
すぐに執務に戻って行かれる陛下を、扉まで見送ったシーゼ様は、戻って来てテーブルにつくなり俺の方に身を乗り出した。
「で? 何、メイラーそういうの詳しいの?」
なぜ、真昼間からこんな話。
俺はちょっと泣きたくなったのだった。
【国王夫妻に効く薬 おしまい】
扉の手前の控えの間、ソファに腰かけていた俺は、廊下から控えの間に入ってきた人物に気づいて軽く手を挙げた。
「アユル」
「こんにちは、メイラーさん。シーゼ様は?」
白のローブ姿のアユルは、波打つ長い髪をふわりと揺らして扉の方を見た。
「今、中で女官長と定例の打ち合わせをしている。すぐ終わるだろう。午後のお茶に呼ばれたのだろう?」
「はい。メイラーさんもでしょ?」
「ああ」
アユルもソファに腰かける。他愛もない雑談をしていると、突然部屋の中からこんな声が耳に届いた。
「ムラムラするのよね、夜なんか特に」
シーゼ様だ。
俺とアユルが顔を見合わせていると、女官長が苦笑交じりに
「王妃様……どうなさったんですか、急に」
と答えた。すると、シーゼ様のため息。
「いやー、排卵期だからさ。身体のリズムがそうなってるんじゃないかなー」
ぶ、と警備の兵の片方が小さく吹き出し、慌てて咳払いをした。アユルはそれを見て面白そうにニヤニヤしている。俺も思わず苦笑した。
シーゼ様は扉も開けっぱなしのまま、女官長を相手に例によって、身も蓋もない話をしているらしい。
しかし女官長にしてみれば、国王夫妻が子宝に恵まれる方向に話が行くのは、悪くない展開のはずだ。案の定、女官長は話に乗った。
「陛下の方は、いかがなのですか?」
「ここ数日、その気にならないみたい。ほら、東の方の領地の件で悩んじゃってるから、今」
「ああ……後継者争いで揉めているとか。陛下が仲裁に入られたのですよね」
「そうそう。夜もついつい、そのことを考えちゃうみたい。フェザー、繊細だもんね……そんな状態のフェザーを無理矢理誘うわけにもいかないじゃない?」
アユルが、そろそろ声をかけようかな、といった風に入口を指さしたので俺がうなずいたその時、シーゼ様は急に声をひそめた。とぎれとぎれに、話が聞こえる。
「ねえ…………とかどうかな。いいクスリ…………ない?」
俺とアユルはぎょっとして目を見開いた。
女官長の声が答える。
「えっ……ですがシーゼ様、それはお身体…………なのでは」
「大丈夫、ちょっと…………だから」
「わ、わかりました。わたくしが手配いたしましょう」
話は終わったらしい。我に返ったアユルが立ち上がり、咳払いをして声をかけた。
「王妃様、失礼します」
「あ、どうぞー」
俺とアユルが中に入るのとすれ違うように、女官長が「ごゆっくり」と微笑みながら出てきた。そして、警備の兵の前で足を止めた。
「お話があります。そろそろ交代の時間ですね、交代したら私の所へ」
王妃の間に入ると、乳白がかった淡い緑のドレスのシーゼ様は、庭に出るテラスの所で手招きしていた。
「メイラー、アユル、こっちこっち。天気もいいし、庭でお茶しましょ。準備してるから、そこで待っててー」
はい、と返事しながらも、俺は上の空だ。
シーゼ様は、庭のテーブルに食器などをあれこれ並べている女官に笑顔で声をおかけになっている。その様子を見ながら、アユルがひそひそと話しかけてきた。
「シーゼ様、陛下に薬なんか使いたくなるほど、たまっちゃってるんですかね」
「……っ、そ、そういう意味か、さっきのはやはり」
「じゃないですか? メイラーさん、持ってないんですか、そういう薬」
「何で俺がっ」
「それなりに経験積んでらっしゃいそうだなーと思って。少なくとも僕よりは。お勧めのがあったらシーゼ様に教えて差し上げたら」
「ア・ユ・ルっ」
横目でにらむと、アユルはちろっと舌を出した。
しかし、女官長はどういうつもりだろう。さっき警備の兵に声をかけていた――あの男は俺も知っているが、数々の女性と浮名を流している奴だ。彼から薬の情報を得ようと言うのか。
悶々と考えているうちに、耳に心地よいシーゼ様の声が俺たちを呼んだ。
「――メイラー? どうしたの」
はっ、と我に返ると、目の前のテーブルには茶のカップ。そして俺の顔の前で、シーゼ様のすらりとした手がひらひらと揺れている。
「疲れてる? お茶はまた今度でもいいのよ、私がメイラーたちとおしゃべりしたくて呼んじゃっただけだから」
「い、いえ、申し訳ありません……あの、シーゼ様」
俺は意を決して言った。
「お許し下さい、実は先ほど、女官長殿とのお話を立ち聞いてしまいまして」
アユルが、うわー言っちゃうんだうわー、という顔で俺を見ているのにも構わず、俺は続けた。
「その、陛下をお誘いする類の薬、ですが」
「フェザーを誘う薬? ……ああ!」
シーゼ様は目を見開いて、くすくすと笑いだした。
「さっき薬って言ったっけ、そういえば。あれはね」
「お話中、失礼します」
女官長がテラスに顔を見せた。
「王妃様、先ほどの件、手配できました。今夜からでも」
「ありがと、じゃあさっそく!」
シーゼ様の返事を聞いて、すぐに去って行く女官長。
は、早い……もう手配できた、と?
「シーゼ様、そんな薬を陛下に使って大丈夫ですか?」
「そうです。非合法なものも多いですし、中毒性も心配です。俺は感心しません」
アユルと俺が口々にたしなめると、シーゼ様は笑いながら両手を振った。
「違うって! 私が言ったのは、私にとっていいクスリになるってことで」
「シーゼ様がお使いになるんですか!?」
「絶対ダメです!」
腰を浮かせるアユル、身を乗り出す俺。シーゼ様は声を上げてお笑いになった。
「あはは! あのね、さっき女官長と話してたのは、夜にジョギングしていいかって話!」
イルフレートが意味を伝えてくる。アユルが大きな瞳を瞬かせた。
「ジョ……? 走るんですか、夜に?」
シーゼ様は軽く肩をすくめた。
「フェザーが大変な時にムラムラしてる自分に、何だか呆れちゃってさ。ジョギングでもして疲れきって寝ちゃえばいいわ、私にはいいクスリじゃない? って言ったのよ、女官長に。それで、どこを走っていいかとかを警備の兵士と決めてもらってたの」
「な、なんだぁ」
アユルがホッとした声を出し、俺も大きくため息をついた。シーゼ様は微笑まれる。
「ふふ、心配かけてごめん。でもやぁねぇ、媚薬とかそういうの? 私、使ったりしないわよ。フェザー、精神的に疲れてるのに、薬で無理矢理その気にさせてアレコレなんて。私の性欲が減退するような薬があるなら、使ってもいいけど」
あけすけなシーゼ様の言葉を、落ち着いた声が遮った。
「そのような薬はやめなさい」
「フェザー!」
フェザリオン陛下が、テラスに下りて来られた所だった。俺たちが立ち上がると、軽く手を挙げて座るように示される。侍女が急いで椅子を運んでくるのにも、「すぐ執務に戻る」と声をおかけになった。
「一体何の話をしているのかと思えば」
と苦笑された陛下は、確かに少し疲れたご様子だ。
「まあその……シーゼ、済まないな。相手をしてやれなくて」
「ちょ、何謝ってるの! 私が肉食過ぎるんです。こんなんじゃ、私と一緒に寝るのも嫌になるんじゃないかって反省したの。ごめんねフェザー」
シーゼ様は両手を合わせて頭を下げた。故郷での謝罪の仕草らしい。
すると陛下は、目を細めて微笑まれた。
「そなたが隣にいなかったら、かえって眠れず胃に穴があいていたことだろう」
――結局、いいご夫婦なのだな。
俺はアユルと顔を見合わせ、苦笑した。
気分転換がてら顔を見に来ただけだ、と陛下はおっしゃって、シーゼ様とキスをひとつ交わされた。それだけで、陛下の頬の線が少し柔らかくなる。
すぐに執務に戻って行かれる陛下を、扉まで見送ったシーゼ様は、戻って来てテーブルにつくなり俺の方に身を乗り出した。
「で? 何、メイラーそういうの詳しいの?」
なぜ、真昼間からこんな話。
俺はちょっと泣きたくなったのだった。
【国王夫妻に効く薬 おしまい】
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