上 下
4 / 4
書籍未収録エピソード

オーブンと少年 4

しおりを挟む
「どうしたの、店に来るなら言ってくれれば……って、どこから入ったの? 鍵、かかってたでしょ」
 ドルフィの前にかがみ込むと、彼は手の甲で目元をこすってから言った。
「……窓、開いてた」
 あ。大人は入れない窓だから、通気のために開けてたけど、ドルフィは子どもだし細いから入れたのか……

 ドルフィはもう一度、手の甲で顔をこする。
 ……泣いてた……?
 ドルフィは、今夜は私がこの店にいないと思ってたはず。スケジュールをさらっと話したことがあったから。その間にキッチンに入り込んで、何を……?

 私はさりげなく、オーブンに触ってみた。熱くないので、使われてはいない。前に、彼がオーブンを気にするのは料理をしたいからかと思ったこともあったけど、泣いてたらしいのを見てもやっぱり別の理由があるんだ。

「夕飯、まだだろ?」
 ソルが軽い口調で聞くと、ドルフィは黙っている。図星らしい。
 私はまたもや倉庫に走り、残っていたパンと薫製肉、それにピクルスとチーズを持ってきて、簡単なサンドイッチを作った。ソルも食べるというので、多めに作る。チュロがこちらの様子に気づいて、とことこと店に入ってきた。
「ドルフィ、こっち座って」
 ドルフィの好きなショウガシロップの飲み物と一緒に、店のカウンターに置くと、私は彼を呼んだ。
「前に、日誌に絵を描いてくれたでしょ? すごく上手でわかりやすかったから、食事はそのお礼。ね、おいで」
 ちょっと強引な理屈だったけど、ドルフィはお腹が空いていたのか、おとなしくキッチンから出てきた。そして、スツールによじ登るとカウンターでサンドイッチにかぶりつく。チュロはそのそばの床に座り込んだ。

 キッチンの中に私、カウンターにドルフィ、そしてドルフィから一つ席を置いてソル。男性陣はモリモリと食事をしている。

 私はあえて、いつもの雰囲気になるように、チュロス作りを始めた。
「売り切れちゃったから、夜間営業の分を少し作りに来たんだ」
 ドルフィに説明すると、ソルもいつも通りに
「シナモンの方が、なくなるのが早かったな」
と仕事の話をする。 

 サンドイッチがなくなり、ドルフィが飲み物を一口二口飲んだ頃、私は口を開いた。
「ドルフィ、聞いてもいいかな。いつも、この店のオーブンを気にしているのは、どうして?」
「…………」
 ドルフィは動きを止めた。黙っている。
 ソルが世間話のように、口を開いた。
「ここのオーブンは、中古で買ったんだ」
 元々、ガヤガヤ亭は期間限定のお店のはずだったのだから、新品は買わなかったのだろう。
「そう言ってたね。でもちゃんと手入れされてたから、綺麗だった」
 私も話しながら手を動かして、ドルフィが口を開く気になるのを待つ。

 すると、彼はようやく、ぽつりと言った。
「母さんが、綺麗にしてたから」

「えっ」
 私は思わず、チュロス生地を練っていた手を止めた。ソルと視線を交わす。
「ってことは、つまり……このオーブンの前の持ち主が、ドルフィのお母さんだったの?」
 ドルフィはひとつうなずき、そして――
 瞬きしながら、一粒、涙をこぼした。

 ソルがドルフィの隣の席に移って、穏やかに話しかける。
「廃業したパン屋で使われてたって聞いたけど、ドルフィのお母さんは、パン屋をやってたのか」
 またうなずくドルフィに、私も尋ねる。
「ドルフィが日誌に書いてた、細長くて丸いもの。あれ、やっぱりパンだった……?」
「このくらいの。大きくて……焼きたてはすごく、いい匂いがするんだ。近所の人が、よく買いに来てた」
 ぽつりぽつりと話し始めるドルフィ。私はためらいつつも、続けて尋ねる。
「お母さんはどうして、パン屋さんを辞めたのかな」

「ちがうっ」
 急に、ドルフィは大きな声を出した。
「いなくなったから、パン、焼けなくなったんだっ」

 私は息をのんだ。
 ただ、お母さんが急にいなくなったとしか聞いてなかったし、どんな人かも知らなかったから、失礼だけど男の人と手に手をとって……とか、そういう可能性もあるのかなと思ってた。
 でも、こんなにオーブンを綺麗に使っていた人が急に失踪したのなら。嫌な想像だけど、事件や事故に巻き込まれたんだと考えた方が、しっくりくる。

「大家のおじちゃんが、家を、他の人に貸したいって」
 ドルフィはぼそっと言う。お店の建物は賃貸だったのか。
 パン屋の店主であるドルフィのお母さんが失踪し、店を続けられなくなって、ドルフィだけじゃ家賃が払えない。お店の大家さんも、そのままにしておくことはできなかったんだ。

「警備隊には、探してもらったのか? お母さん」
 ソルが口調を変えずに聞くと、ドルフィはグスッと鼻を鳴らす。
「うん。でも、見つからない。だから……コノミみたいに、遠くに行っちゃったんだ、きっと」
「あ」
 そうか。お母さんも『巡合』でどこかに飛ばされて、戻ってこれてない可能性も、ないわけじゃない。
 少なくともドルフィにとっては、恐ろしいことに巻き込まれたと考えるよりも、お母さんが無事だっていう希望が持てる。どこかの誰かと一緒に命が助かり、後はドルフィのところに帰ってくるだけだと。遠くにとばされたから、時間がかかってるだけ。きっとそういうことだ、と……
 私は、オーブンの前にかがみ込んだ。
 火を入れていると、悲しみが胸に広がる。
 ドルフィが気にするはずだ……お母さん愛用のオーブンだもん。パン屋さんから売られてしまって、ガヤガヤ亭に買われて。大事に使われてるか、またどこかへ売られたりしないか、窓から見張ってたんだ。
 去年の夏はお母さんがいたなら、一緒に夏至祭りにも行っただろう。でも、今年はいない。たぶん一人じゃお祭りに行く気になれなくて、オーブンのそばで泣いてたドルフィ。
 何か、してあげられたら……

 黙っていたことを打ち明けたドルフィは、少し吹っ切れたらしい。
 私が、
「ここに一人にはしておけないし、ガヤガヤ亭の屋台に来ない? 朝食も屋台で食べればいいよ」
と誘ってみると、素直にうなずいた。

 チュロスを焼いている間に、余ったレモンを倉庫の棚に戻す。
  振り向くと、戸口のところにソルが立っていた。
 さっきのことを思い出してしまい、ドキドキしつつも、私は彼に聞いてみる。
「ドルフィのお母さんのこと、どうにかしてわからないかな」
「少し、調べてみようと思う」
「捜してあげるんだ」
 嬉しくなって言うと、彼は肩をすくめた。
「まあな。ルメダの密輸事件にも、関係があるかもしれないし」
「え?」
 驚く私に、ソルはこう言った。
「母親がいなくなったのが、この町でルメダの取引をやってるって判明したのと同じ頃じゃないかと思ったんだ。たまたまかもしれないけど、手がかりになりそうなことには当たってみないとな」
「そっか。行方がわかればいいな」
「ああ」
 ソルはうなずき、そしてニヤリとした。
「せっかくコノミと二人きりの夜だったけど、ま、ドルフィの事情がわかったからいいか」
 えっ、えっ。
 口をぱくぱくさせる私を残して、ソルは厨房に戻っていく。
  まったくもう、思わせぶりなこと言ってー! ていうか私も、ルガのことはあしらえるのにソルだと何でこんなんなっちゃうの!
 深呼吸して気持ちを落ち着けてから、私は厨房に戻ったのだった。

 追加のチュロスも朝までに売り切って、夏至祭りは大盛況のうちに終わった。
 ちょっと気になったのは、お祭り二日目、ソルがルガの露店に出かけていって、お店を手伝いながら何か話し込んでいたことだ。
 町の人は知らないけれど、この二人の話し合いは、フォレオーグ公爵ソルキオンとトーパ軍所属の調査官ルガイルの会談ということになる。ルメダの密輸事件は一段落したものの、全容が解明されたわけではなくて、裏取り調査が続いていた。昨夜の話だと、ドルフィのお母さんも関わる羽目になってしまっているかもしれないから、二人はその件を話し合っているのかもしれない。
 やがて、ソルはガヤガヤ亭の屋台に戻ってくると、片づけをしながらささやいた。
「コノミ、悪いけど、俺たちは打ち上げには出ないで屋敷に戻る。ちょっと調べたいことができた」
「わかった。あの……気をつけてね」
「ああ」
 ソルはひょいっと手を伸ばし、私の前髪を横に流して、ニッと笑った。
 
 そして、それから何日もの時間が過ぎーー

 ーー夏の終わりの、ある朝。

 水平線に顔を出した朝日が、穏やかな波を金色に光らせている中、トーパの船が港の桟橋に寄せられた。

 板が渡されると、真っ先に船を飛び出してきた人がいる。桟橋の手前で固まっていたドルフィは、その姿を見て金縛りが解けたかのように走り出した。
「がぁざぁん!」
「ドルフィ!」
 その人の腰にしがみついたドルフィは、これまで我慢していたぶんを爆発させるように、号泣した。
 私はもらい泣きしながら、その光景を眺める。
 初めて見るドルフィのお母さん、デシレーさんは、ほっそりしていて賢そうな女性だ。ドルフィは、お母さんによく似ている。
 トーパの船から、ソル、オスカー、エイラとルガが降りてきた。そして、桟橋の手前にいた私のところまでやってくる。
「コノミ」
「連絡もらって、びっくりした。ドルフィのお母さん、沖合の島に閉じこめられてたって、どういうこと?」
 私が聞くと、ルガが説明してくれる。
「ソルから彼女の話を聞いて、こっちでも調べたんだけど、トーパでも密輸が始まった時期に行方不明者が出ていた。それで、二国で協力して捜索したら、怪しい島が見つかってね」
 ソルが後を続ける。
「そこは密輸関係者が根城にしていた島だった。ルメダ以外にも怪しいものを取り扱ってたみたいだけど、行方不明者たちはそこに連れて行かれて働かされていたんだ。別の仕事の工場に偽装されていて、発見が遅れた」
 ああ、それで、ルメダ事件の捕り物があった時には帰ってこられなかったんだ……でも、見つかってよかった!
 やがてデシレーさんは、ようやく少し落ち着いてきたらしいドルフィの肩を抱くようにして、こちらにやってきた。
「デシレーと申します。息子がお世話になったそうで……ありがとうございます」
「いいえ、そんなこと気にしないでください! 本当に大変でしたね」
 私は心から、デシレーさんを労った。こんな過酷な目に遭った人に、なんて声をかけたらいいのかわからなくて、少しあわててしまう。
「一度病院で診てもらった方が……あ、でもその前に少し休憩したいですよね? 船旅も疲れたでしょう」
「ありがとうございます、船でお医者さんに診てもらいました。それに、こちらの方から色々と教えていただいて。うちのお店がなくなっているのは、もう、仕方ないなと……町長さんに住む場所と仕事を紹介してもらわないと」
 デシレーさんがドルフィを見下ろすと、ドルフィは目をきらきらさせて彼女に言う。
「母さん、僕、ガヤガヤ亭でコノミと働いてたんだ。母さんも一緒にどう?」
「何言ってるの、あなたのお店みたいに」
 呆れ声のデシレーさんは、あまり顔色がよくない。生活環境がよくなかったんだろうけど、少し前のドルフィみたいだ。
「デシレーさん、よかったら元気になるまでの間、うちに来ませんか?」
 思わず、私は誘った。この人にも、私の料理で元気になってもらいたい。
「いいえ、息子がお世話になった上に、そこまでしていただくわけにはいきません」
 さすがはドルフィのお母さん、きっちりと断ってくる。私は心を込めて口説いた。
「じゃあ、代わりと言っては何なんですが、私にパンの作り方を教えてほしいんです。ドルフィが、とっても美味しいって言ってました」
 自分でパンを焼けるようになりたい。そうすれば、ガヤガヤ亭はさらにランクアップできると思うんだ。
「それは、ええ、そんなことでお礼になるなら本当に助かりますけど……」
 デシレーさんはしばらく迷っていたけれど、私とドルフィの顔を見比べてから、私に向き直った。
「それでは、基本的な焼き方をお教えする間だけ。お世話になってもいいでしょうか」
「やった! ぜひ!」
 私は嬉しくなって、デシレーさんと握手し、次にドルフィに手を差し出した。
 ドルフィはちょっと照れくさそうにしたあと、私の手を握ってくれた。
「じゃあさっそく、ガヤガヤ亭に!」
 促すと、ドルフィがデシレーさんの手を引いて歩き出す。
 私も歩きだそうとすると、ソルが軽く私の肩を叩いた。
「コノミ、デシレーは事情聴取を受けないとならない。警備隊に呼び出すのは彼女がまだしんどいだろうから、調査官の方を店に呼んだ方がいいと思う。警備隊には伝えておくから」
「わかった。そうだね」
「俺たちはここで帰るよ」
「えっ、もう?」
 びっくりして見回すと、エイラもオスカーもうなずく。
「しばらくこっちの仕事ばかりしてたから、また本来の仕事に戻らないとね」
「またね、コノミ! 次は美味しいパンが食べられるかなっ」
「う、が、がんばるよ!」
 私は三人を見送る。ルガの口利きで、彼らはトーパの船で公爵邸まで送ってもらうらしい。
 ソルはいつものように、私に挨拶のハグをしようと片腕を伸ばしーー思い直したように、両腕を出した。ぎゅっ、と抱きしめられる。
 広い胸の中であの夜のことを思い出して、私の頭は一気に沸騰した。
「ちょ、ちょっと、ソル……」
 固まっていると、耳元でソルのささやき声。
「ドルフィには手を握らせるんだから、俺はこれくらいかな」
 なんなのその競争心!
 ソルは笑って、船の前で待っているエイラとオスカーの方へと走っていった。

 こうして、その年の秋から。
 路地裏バル『ガヤガヤ亭』からは、スパイス料理のいい香りだけではなくて、パンの焼ける幸せな香りも、ふんわり漂うようになったのだった。


【オーブンと少年 おわり】
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(28件)

波流
2020.05.31 波流

とても久しぶりに読み返しにきたら書籍化していたんですね!おめでとうございます!(遅すぎ)
大好きなドルフィ回だけまだ閲覧可能で嬉しいです!笑
とりあえず書籍をAmazonでポチりました«٩(*´ ꒳ `*)۶»

遊森謡子
2023.08.27 遊森謡子

>波流さま

なぜかお返事が漏れておりました、ごめんなさい!!
感想、そしてご購入ありがとうございます!
書籍化の際にストーリーを一部変更することになったものの、私もドルフィのお話は気に入っていたので、このような形で残すことにしました。
こちら、アルファポリスさんとの契約終了につき11月頭に読めなくなりますが、
楽しんで頂けて嬉しかったです!

解除
motimoti00
2017.02.05 motimoti00

完結おめでとう。
楽しく読ませていただきました。
これからも楽しい話をお願いいたします。

遊森謡子
2017.02.05 遊森謡子

>motimoti00 さま

ありがとうございます、楽しんで
頂けてよかったです!
これからもぜひ遊びにきて下さいませ~

解除
卯堂 成隆
2017.02.04 卯堂 成隆

 おつかれさま!
 ガヤガヤ亭、楽しませていただきました!

 てっきり最後はカレーあたりかと思ってましたが、マサラチャイでしたか!
 そして、コノミが地球に戻るのかどうか気になっていましたが、残ることになったんですねー
 さわやかな終わり方で、とてもよかったです!

 よい物語をありがとう!
 ごちそうさまでした!!

遊森謡子
2017.02.04 遊森謡子

>卯堂 成隆 さま

召し上がって下さりありがとうございましたー!
ほんっとうに一般的な料理しか出てこなかったでしょう、
私が凝ったもの作れないから(汗)
カレーをスパイスから作るのも、実はやったことがなく。
一度やってみないとですね~

コノミは残りつつ、お母さんに連絡を取るための
ホワイトボードという伏線でした(笑)
楽しんで頂けてよかったです(^^)

解除

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。