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三枚のレンズの向こう側
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ルンドマルク王国の北、リンドの町には、朝から雨の帳が下りていた。下町の質屋の窓に雨水が筋を作って、元々少しゆがんだガラスから見える外の景色が、ますますぼやけている。
カウンターの内側で本を読んでいたアスティは、物音に気づいて顔を上げた。店のポーチの階段を踏む足音と、傘を畳む音がしたのだ。
シャラン、と店のドアチャイムが鳴る。
「いらっしゃいませ!」
声をかけると、鳥の巣のようなもしゃもしゃの白髪頭をした、背の低い老人が入ってきた。
「どうもどうも、こんにちは! よく降りますな!」
賑やかに挨拶をしながら、畳んだ傘を傘立てに入れると、老人はぶかぶかの靴でゴトゴトとカウンターにやってくる。木の床に、雨水が染みを作った。
「本当によく降りますね、足下がお悪くて大変だったでしょう」
老人の肩が濡れているのに気づき、アスティがカウンターの下から布を出すと、老人はニコニコと手を振った。
「ああ、結構、結構。どうもご親切に」
そしてその手を上着の内側に入れ、ハンカチに包まれたものを取り出してカウンターに置いた。
「これを質入れしたいんですがね」
ハンカチの中に入っていたのは、一枚のレンズだった。直径がアスティの中指より少し長いくらいの、大きなレンズだ。
「拝見しますね」
アスティはハンカチごと手にとって検分する。レンズの端をつまんでのぞいてみると、カウンターに置いてあったトピアリーが大きく見える。傷もなく、色も透明に近く、ものは良かった。
要するに拡大鏡よね、と思いながら、アスティは「これでしたら……」と金額を告げた。
「結構、結構」
老人は了承する。
「おじいさん、南の通りの雑貨屋さんですよね。私、いつも買い物を家の者に頼んでしまうので、なかなかお会いする機会がなくて」
「そうなんです、わしもお嬢さんに会ってみたいと思っとりました。トビアス様にはお世話になってねぇ」
父男爵の話をしながら、アスティは台帳に必要事項を書き込み、老人にサインをしてもらう。そして、コインと質札を小皿に入れてカウンターに出した。
老人はそれを懐にしまい込むと、
「どうもどうも。では、近いうちに請け出しにきますよ」
と、再びゴトゴトと床を鳴らして店を出ていった。
「お嬢様、失礼します」
カウンターの中扉が開いて、執事のバルトサールが顔を出す。質草を倉庫に運ぶためにやってきたのだ。
「ああバルト、大丈夫。大きなものじゃないから私が持って行くわ」
「そうですか、では私は買い物に行って参ります。それは、レンズですか」
「そう。何に使われてたのかしらね」
レンズをハンカチで包み直し、紐で縛り、付け札を結ぶ。
特筆すべきことはない、客と質草だった。
その日の午後、鳥の巣頭の老人はもう一度やってきた。
「あら、いらっしゃいませ、もう請け出しですか?」
「いやいや、もう一つお願いしたくてね」
老人は、せかせかゴトゴトとカウンターにやってくると、再びハンカチの包みを取り出した。
開いてみると――レンズ。
「さっきの分だと、ちょっとだけ金が足りなかったのでね、これもお願いしますよ」
「あ、はい」
アスティはレンズを検分する。今度は、眼鏡のレンズと同じくらいの大きさだ。
アスティが金額を告げると、老人は「結構、結構」とうなずく。午前中と同じ手続きが繰り返され、老人は金と質札を手にして店を出て行った。
「何に使うお金が足りなかったのかしら」
アスティはひとり言を言いながらも、レンズを包み直して札をつけた。
ところが閉店直前になって、あの老人がもう一度やってきたのだ。
「どうなさったんです?」
「くーっ。手に入れたいものがあるんだが、値が上がってしまって」
老人は何やら悔しそうにしつつも、また懐からハンカチ包みを取り出す。
「これも頼みますよ!」
包みを開くと――また、レンズ。
二度目に持ってきたのとそっくり同じ、眼鏡のレンズと同じくらいの大きさのものだ。
どうやら老人は、何かを買うための資金が必要で大きなレンズを質入れしたようだが、その何かは当初の価格よりも値段がじわじわと上がっていっているらしい。それで、レンズをもう一枚、さらにもう一枚、と質入れして、金を作っているのだ。老人がアスティの質屋に質入れしたレンズは、これで大小三枚になった。
「おじいさん、そろそろうちは閉店時間だけれど、大丈夫?」
「ああ、今度こそ大丈夫なはずだから!」
「無理しないで下さいね。レンズ、おじいさんが請け出しに来るのを待ってるから」
「ええ、レンズがないと意味がないから絶対請け出しますとも! どうもご心配おかけして!」
老人は相変わらず賑やかにそう言い、金と質札を受け取ると、店を急ぎ足で出て行った。
「……何でしょう?」
厨房メイドのベアトリスが、小声で言って首を傾げる。客が切れたら店を片づけようと、アスティの側にいたのだ。
「さあねぇ。これで三枚目よ、レンズ」
アスティも首を傾げ、改めてレンズを眺めた。
「『レンズがないと意味がない』って……。そもそも、このレンズは何のレンズだったのかしら」
「眼鏡、でしょうか」
おずおずと意見を述べるベアトリス。アスティはうなる。
「うーん……。眼鏡からレンズを外してしまったら、もう眼鏡としては使えないわよね。本当なら、眼鏡ごと質入れした方が金額も高い」
リンドのような小さな町には、眼鏡店がない。大きな町に行かないと買えない程度には、眼鏡は高級品だった。
「そう、ですよね。眼鏡じゃないもののレンズなのか、それとも最初からレンズだけだったのか……」
「大きいレンズもあるし、気になるわねー。また来るかしら?」
ところがそれから数日、老人は来なかった。
「きっと、目的のものを手に入れたのでしょう」
厨房のテーブルで給仕をしながら、バルトサールが言う。
「しかしそれで金がなくなり、レンズを請け出すことができない。今はきっと、請け出すための金を作っているところでは?」
「あの雑貨屋さん、いつも賑わっていますし、きっと近いうちに……」
ベアトリスが控えめに言い、アスティもうなずいた。
「そうね、きっとすぐに来るわね。そしたら、何を手に入れたのかズバッと聞いてみる!」
バルトサールが、ちらりとアスティを見る。
「お嬢様。差し出がましいようですが、人には人の事情がございますから、ほどほどに……」
「わ、わかってるわよ、もちろん!」
少々焦るアスティだった。
質屋の面々の「すぐ来る」という予想通り、老人はもうその翌日にやってきた。
「やあお嬢さん、私のレンズを請け出しにきましたよ!」
満面の笑顔の老人は、今日は小脇に木の箱を抱えている。厚めの本と同じくらいの大きさだ。
アスティは倉庫から三枚のレンズを出してくると、「はい、お確かめください」とカウンターに並べる。
そして、結局好奇心に勝てずに聞いた。
「欲しかったもの、手に入ったんですか?」
「そうなんです、よくぞ聞いてくださった!」
どうやら、見せびらかす気満々だったらしい。老人はいそいそと、脇に抱えていた木の箱をカウンターに置くと、蝶番のついた蓋を開けた。中にはカードのようなものが何枚も入っている。
「ばーん!」
口で効果音をつけ、老人は一枚の写真を取り出した。
「女優キャロリーナ・オリーンの、立体写真です!」
「ステレオ、グラム……?」
その写真を、アスティはまじまじと眺めた。
アスティが生まれた頃には、特別な時に写真を撮る習慣が広まりつつあったし、キャロリーナ・オリーンのことも知っている。王都で有名な美人女優だ。老人の持つ写真には、その女優の姿が写っている。ドレスを着て、ポーズを取って。
しかし変わったことにその写真は、同じ写真を二枚横並びにつなげてあり、一枚のカードになっていた。
「素晴らしいでしょう、マーケットホールに来た商人が目玉商品として売ってたんですよ!」
「ええ、本当、素敵だわ。でもこれ、どうして二枚つなげてあるんです?」
「おやお嬢さん、ご存じない! ではお見せしましょう!」
老人は、木箱の蓋をいったん閉めた。実は先ほどからアスティも気になってはいたのだが、箱の蓋には穴が三つ空いている。箱を縦に置いたときに、真ん中よりやや上に大きな穴が一つ、その下に小さな穴が横並びに二つ……という配置だ。
老人は、三枚のレンズをそこにグッとはめ込んだ。
「いやあ、どうしてもこれごと質入れする気にはなれなくて。収集したステレオグラムを、この中にしまってあったからねぇ」
彼は言うと、もう一度蓋を開けた。蓋の、小さなレンズ二枚のはまっている側の短い辺に蝶番がついていて、蓋は突っ立って止まる。
「下の二つのレンズを、のぞいてみて下さい」
老人が、突っ立った蓋の側をアスティの方に向ける。
アスティはワクワクしながら、軽く屈み込んでレンズをのぞいた。老人は木箱の、アスティと反対側の縁に、アスティから見えるように女優の写真を立てた。
「あっ」
アスティは声を上げた。
横に二枚つながっているはずの写真が、一枚だけに見える。しかも、女優の姿が立体的に浮かび上がって見えるのだ。
「二枚の写真は同じに見えますが、すこしだけ視点が違うんですよ。それを左右のレンズを通して見ると、一つの像になって浮かび上がるんです。動き出しそうでしょう!」
老人は箱の蓋をつついた。
「この箱、ステレオビューワというんですよ。私はこれ用のステレオグラムを集めるのが趣味でしてね。大きいレンズは拡大鏡だから、あった方がいいけれどもなくてもいい。だから、これを質入れするだけで買えれば良かったんだけど、商人が値を釣り上げてくる上に、マーケットホールにいるのもあの日だけだと言うもんだから。まあしょうがない、愛しのキャロリーナのためだ」
それで小さい方のレンズも質入れしたのか、と、アスティは納得した。確かに、女優のステレオグラムを手に入れたところで、『レンズがないと意味がない』。
「こんなものがあるなんて、知らなかったわ。写真も懐かしかったし、見せて下さってありがとう」
アスティが礼を言うと、老人は眼鏡の向こうの目を軽く見張った。
「懐かしい? あ、王都が」
「あ、ええ、そう。王都が懐かしいなって。あちらで有名な女優さんだったから」
アスティは何度もうなずく。
実は彼女は、キャロリーナ・オリーンの舞台を父男爵と観に行ったことすらある。その思い出が懐かしいというのが本当のところだったが、老人がうらやましさに卒倒するといけないので、そこは黙っていた。
老人は何やら慌てたように、
「そう、王都の景色のステレオグラムも何枚もあってね」
と言いかけた。
その時、シャラン、と音がして、客が店内に入ってきた。アスティは「いらっしゃい」と声をかけてから、老人に笑いかける。
「レンズも戻ったし、ゆっくり楽しんで下さいね」
「あっ、お嬢さん」
急に、老人が言った。
「これ、質入れします! ステレオビューワとステレオグラム。全部」
「ええっ!? だって、せっかくやっと」
アスティはびっくりして言い掛けたが、老人はさっさと女優の写真を箱の中にしまって蓋を閉め、アスティの方へ押しやった。
「金が必要なのを急に思い出しました。さあさあ」
「そ、そうなの……?」
戸惑いつつも、金額を告げ、台帳に書き込む。
「結構結構。どうもどうも」
老人は相変わらず威勢良く言って、金と質札を受け取ると、
「質屋さんってのは目利きなんでしょ。来週請け出しにくるから、お嬢さん、その前に一枚一枚よーく調べておいて下さい。傷などないか。それでは失礼!」
と早口で言って、さっさと出て行った。シャランシャラン、と扉が閉まる。
アスティは少し呆然としてしまったが、すぐに嬉しくなって微笑んだ。
老人はおそらく、ステレオグラムを全て見せてくれようとしているのだ。アスティが仕事の後でゆっくりと、王都を懐かしむことができるように。
彼女が今支払ったのは、その貸し出し料のようなものかもしれない。
「お待たせしました、次の方どうぞ!」
客に声をかけながら、ありがたく後で見せてもらおう、と楽しみにするアスティだった。
【三枚のレンズの向こう側 おしまい】
カウンターの内側で本を読んでいたアスティは、物音に気づいて顔を上げた。店のポーチの階段を踏む足音と、傘を畳む音がしたのだ。
シャラン、と店のドアチャイムが鳴る。
「いらっしゃいませ!」
声をかけると、鳥の巣のようなもしゃもしゃの白髪頭をした、背の低い老人が入ってきた。
「どうもどうも、こんにちは! よく降りますな!」
賑やかに挨拶をしながら、畳んだ傘を傘立てに入れると、老人はぶかぶかの靴でゴトゴトとカウンターにやってくる。木の床に、雨水が染みを作った。
「本当によく降りますね、足下がお悪くて大変だったでしょう」
老人の肩が濡れているのに気づき、アスティがカウンターの下から布を出すと、老人はニコニコと手を振った。
「ああ、結構、結構。どうもご親切に」
そしてその手を上着の内側に入れ、ハンカチに包まれたものを取り出してカウンターに置いた。
「これを質入れしたいんですがね」
ハンカチの中に入っていたのは、一枚のレンズだった。直径がアスティの中指より少し長いくらいの、大きなレンズだ。
「拝見しますね」
アスティはハンカチごと手にとって検分する。レンズの端をつまんでのぞいてみると、カウンターに置いてあったトピアリーが大きく見える。傷もなく、色も透明に近く、ものは良かった。
要するに拡大鏡よね、と思いながら、アスティは「これでしたら……」と金額を告げた。
「結構、結構」
老人は了承する。
「おじいさん、南の通りの雑貨屋さんですよね。私、いつも買い物を家の者に頼んでしまうので、なかなかお会いする機会がなくて」
「そうなんです、わしもお嬢さんに会ってみたいと思っとりました。トビアス様にはお世話になってねぇ」
父男爵の話をしながら、アスティは台帳に必要事項を書き込み、老人にサインをしてもらう。そして、コインと質札を小皿に入れてカウンターに出した。
老人はそれを懐にしまい込むと、
「どうもどうも。では、近いうちに請け出しにきますよ」
と、再びゴトゴトと床を鳴らして店を出ていった。
「お嬢様、失礼します」
カウンターの中扉が開いて、執事のバルトサールが顔を出す。質草を倉庫に運ぶためにやってきたのだ。
「ああバルト、大丈夫。大きなものじゃないから私が持って行くわ」
「そうですか、では私は買い物に行って参ります。それは、レンズですか」
「そう。何に使われてたのかしらね」
レンズをハンカチで包み直し、紐で縛り、付け札を結ぶ。
特筆すべきことはない、客と質草だった。
その日の午後、鳥の巣頭の老人はもう一度やってきた。
「あら、いらっしゃいませ、もう請け出しですか?」
「いやいや、もう一つお願いしたくてね」
老人は、せかせかゴトゴトとカウンターにやってくると、再びハンカチの包みを取り出した。
開いてみると――レンズ。
「さっきの分だと、ちょっとだけ金が足りなかったのでね、これもお願いしますよ」
「あ、はい」
アスティはレンズを検分する。今度は、眼鏡のレンズと同じくらいの大きさだ。
アスティが金額を告げると、老人は「結構、結構」とうなずく。午前中と同じ手続きが繰り返され、老人は金と質札を手にして店を出て行った。
「何に使うお金が足りなかったのかしら」
アスティはひとり言を言いながらも、レンズを包み直して札をつけた。
ところが閉店直前になって、あの老人がもう一度やってきたのだ。
「どうなさったんです?」
「くーっ。手に入れたいものがあるんだが、値が上がってしまって」
老人は何やら悔しそうにしつつも、また懐からハンカチ包みを取り出す。
「これも頼みますよ!」
包みを開くと――また、レンズ。
二度目に持ってきたのとそっくり同じ、眼鏡のレンズと同じくらいの大きさのものだ。
どうやら老人は、何かを買うための資金が必要で大きなレンズを質入れしたようだが、その何かは当初の価格よりも値段がじわじわと上がっていっているらしい。それで、レンズをもう一枚、さらにもう一枚、と質入れして、金を作っているのだ。老人がアスティの質屋に質入れしたレンズは、これで大小三枚になった。
「おじいさん、そろそろうちは閉店時間だけれど、大丈夫?」
「ああ、今度こそ大丈夫なはずだから!」
「無理しないで下さいね。レンズ、おじいさんが請け出しに来るのを待ってるから」
「ええ、レンズがないと意味がないから絶対請け出しますとも! どうもご心配おかけして!」
老人は相変わらず賑やかにそう言い、金と質札を受け取ると、店を急ぎ足で出て行った。
「……何でしょう?」
厨房メイドのベアトリスが、小声で言って首を傾げる。客が切れたら店を片づけようと、アスティの側にいたのだ。
「さあねぇ。これで三枚目よ、レンズ」
アスティも首を傾げ、改めてレンズを眺めた。
「『レンズがないと意味がない』って……。そもそも、このレンズは何のレンズだったのかしら」
「眼鏡、でしょうか」
おずおずと意見を述べるベアトリス。アスティはうなる。
「うーん……。眼鏡からレンズを外してしまったら、もう眼鏡としては使えないわよね。本当なら、眼鏡ごと質入れした方が金額も高い」
リンドのような小さな町には、眼鏡店がない。大きな町に行かないと買えない程度には、眼鏡は高級品だった。
「そう、ですよね。眼鏡じゃないもののレンズなのか、それとも最初からレンズだけだったのか……」
「大きいレンズもあるし、気になるわねー。また来るかしら?」
ところがそれから数日、老人は来なかった。
「きっと、目的のものを手に入れたのでしょう」
厨房のテーブルで給仕をしながら、バルトサールが言う。
「しかしそれで金がなくなり、レンズを請け出すことができない。今はきっと、請け出すための金を作っているところでは?」
「あの雑貨屋さん、いつも賑わっていますし、きっと近いうちに……」
ベアトリスが控えめに言い、アスティもうなずいた。
「そうね、きっとすぐに来るわね。そしたら、何を手に入れたのかズバッと聞いてみる!」
バルトサールが、ちらりとアスティを見る。
「お嬢様。差し出がましいようですが、人には人の事情がございますから、ほどほどに……」
「わ、わかってるわよ、もちろん!」
少々焦るアスティだった。
質屋の面々の「すぐ来る」という予想通り、老人はもうその翌日にやってきた。
「やあお嬢さん、私のレンズを請け出しにきましたよ!」
満面の笑顔の老人は、今日は小脇に木の箱を抱えている。厚めの本と同じくらいの大きさだ。
アスティは倉庫から三枚のレンズを出してくると、「はい、お確かめください」とカウンターに並べる。
そして、結局好奇心に勝てずに聞いた。
「欲しかったもの、手に入ったんですか?」
「そうなんです、よくぞ聞いてくださった!」
どうやら、見せびらかす気満々だったらしい。老人はいそいそと、脇に抱えていた木の箱をカウンターに置くと、蝶番のついた蓋を開けた。中にはカードのようなものが何枚も入っている。
「ばーん!」
口で効果音をつけ、老人は一枚の写真を取り出した。
「女優キャロリーナ・オリーンの、立体写真です!」
「ステレオ、グラム……?」
その写真を、アスティはまじまじと眺めた。
アスティが生まれた頃には、特別な時に写真を撮る習慣が広まりつつあったし、キャロリーナ・オリーンのことも知っている。王都で有名な美人女優だ。老人の持つ写真には、その女優の姿が写っている。ドレスを着て、ポーズを取って。
しかし変わったことにその写真は、同じ写真を二枚横並びにつなげてあり、一枚のカードになっていた。
「素晴らしいでしょう、マーケットホールに来た商人が目玉商品として売ってたんですよ!」
「ええ、本当、素敵だわ。でもこれ、どうして二枚つなげてあるんです?」
「おやお嬢さん、ご存じない! ではお見せしましょう!」
老人は、木箱の蓋をいったん閉めた。実は先ほどからアスティも気になってはいたのだが、箱の蓋には穴が三つ空いている。箱を縦に置いたときに、真ん中よりやや上に大きな穴が一つ、その下に小さな穴が横並びに二つ……という配置だ。
老人は、三枚のレンズをそこにグッとはめ込んだ。
「いやあ、どうしてもこれごと質入れする気にはなれなくて。収集したステレオグラムを、この中にしまってあったからねぇ」
彼は言うと、もう一度蓋を開けた。蓋の、小さなレンズ二枚のはまっている側の短い辺に蝶番がついていて、蓋は突っ立って止まる。
「下の二つのレンズを、のぞいてみて下さい」
老人が、突っ立った蓋の側をアスティの方に向ける。
アスティはワクワクしながら、軽く屈み込んでレンズをのぞいた。老人は木箱の、アスティと反対側の縁に、アスティから見えるように女優の写真を立てた。
「あっ」
アスティは声を上げた。
横に二枚つながっているはずの写真が、一枚だけに見える。しかも、女優の姿が立体的に浮かび上がって見えるのだ。
「二枚の写真は同じに見えますが、すこしだけ視点が違うんですよ。それを左右のレンズを通して見ると、一つの像になって浮かび上がるんです。動き出しそうでしょう!」
老人は箱の蓋をつついた。
「この箱、ステレオビューワというんですよ。私はこれ用のステレオグラムを集めるのが趣味でしてね。大きいレンズは拡大鏡だから、あった方がいいけれどもなくてもいい。だから、これを質入れするだけで買えれば良かったんだけど、商人が値を釣り上げてくる上に、マーケットホールにいるのもあの日だけだと言うもんだから。まあしょうがない、愛しのキャロリーナのためだ」
それで小さい方のレンズも質入れしたのか、と、アスティは納得した。確かに、女優のステレオグラムを手に入れたところで、『レンズがないと意味がない』。
「こんなものがあるなんて、知らなかったわ。写真も懐かしかったし、見せて下さってありがとう」
アスティが礼を言うと、老人は眼鏡の向こうの目を軽く見張った。
「懐かしい? あ、王都が」
「あ、ええ、そう。王都が懐かしいなって。あちらで有名な女優さんだったから」
アスティは何度もうなずく。
実は彼女は、キャロリーナ・オリーンの舞台を父男爵と観に行ったことすらある。その思い出が懐かしいというのが本当のところだったが、老人がうらやましさに卒倒するといけないので、そこは黙っていた。
老人は何やら慌てたように、
「そう、王都の景色のステレオグラムも何枚もあってね」
と言いかけた。
その時、シャラン、と音がして、客が店内に入ってきた。アスティは「いらっしゃい」と声をかけてから、老人に笑いかける。
「レンズも戻ったし、ゆっくり楽しんで下さいね」
「あっ、お嬢さん」
急に、老人が言った。
「これ、質入れします! ステレオビューワとステレオグラム。全部」
「ええっ!? だって、せっかくやっと」
アスティはびっくりして言い掛けたが、老人はさっさと女優の写真を箱の中にしまって蓋を閉め、アスティの方へ押しやった。
「金が必要なのを急に思い出しました。さあさあ」
「そ、そうなの……?」
戸惑いつつも、金額を告げ、台帳に書き込む。
「結構結構。どうもどうも」
老人は相変わらず威勢良く言って、金と質札を受け取ると、
「質屋さんってのは目利きなんでしょ。来週請け出しにくるから、お嬢さん、その前に一枚一枚よーく調べておいて下さい。傷などないか。それでは失礼!」
と早口で言って、さっさと出て行った。シャランシャラン、と扉が閉まる。
アスティは少し呆然としてしまったが、すぐに嬉しくなって微笑んだ。
老人はおそらく、ステレオグラムを全て見せてくれようとしているのだ。アスティが仕事の後でゆっくりと、王都を懐かしむことができるように。
彼女が今支払ったのは、その貸し出し料のようなものかもしれない。
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