亞癒追 央矢

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 私は歩いていた。

 狂気と幻想に溢れた印象を抱きかねない、殺風景な所を。歩いていた。

 爽やかに蒼く、宝玉のように深みのある美しい空。儚く静かに溶けながら揺れる雲は、浮いていた。

 その空のしたで、私は時々立ち止まると、空を見るのに飽きて、今度は地面を眺めようとする。

 足の下の地面は、私を含むすべての景色を逆さにうつし、水面か、鏡面か、氷のように、吸い込まれそうなつるつるの表面をしている。

 どこを見ても空。

 私はそこを歩いていた。

 私の気が狂っているか否かを確める方法は無いが、空の中を移動するには飛ばなければならず、飛ぶには翼が必要であると知っているのは、私だけでは無かったはずだ。

 誰もが知っている事は、常識と呼ばれる。

 常識と言う言葉の意味を定義するわけではないが、しかし常識と呼ばれる物事は、誰もが知っているのも、嘘ではないだろう。

 それより、私がもっと考えるべき事は他にあるだろう。

 そう、私が今歩いているこの世界についてだ。

 ここは私の暮らしていた東京、日本ですら無いと推測するのが、最も正解に近いのだろうと、私なりの常識を基本に考えた。

 わかりやすくするために、私の視界に入っているものを言う。

 地平線(水平線の可能性もあるが、私が水の上を歩ける確率が低いと考えられるので、それよりも歩けそうな地上に私がいるものと仮定して地平線と呼ぶ)を境に、そこから上半分は全て青空。そして地平線から下全ては正体不明の物質である。

 景色を反射している事から、鏡面、または水面の類いだろうかとも思ったが、私の視界を全て埋め尽くす程巨大な鏡面など作られるはずが無いし、水面を歩けるのは怪奇小説の登場人物くらいだ。

 ここは夢か、と、私はここへ来てからずっと思っていた。

 異なった世界。

 異世界と呼ぶに相応しいくらい、現実的でなく、文学的な思想を基礎に構築されたとでも言うのかと思う程に、気味が悪い世界。

 そこへ呼ばれた理由は何か、それとも呼ばれたのではなく、迷い込んだのか。何故ここなのか。何故私なのか。何故今なのか。何故、何故と疑問を抱けるほどの思考力と体力はあるのに、景色はいつまでも変わらないのか。

 夜が来ないのでこの異世界に何日滞在しているのかわからない。

 電話も郵便も使えないから、誰とも連絡がつかない。

 孤独感だけが、私に寄り添ってくれていた。

 私は帰れるのだろうか。

 せめて誰か人でもいれば、このたった独りで無音の世界を気が遠くなるほど味わっている私の、正気と理性を保つ手助けになってくれるのに。

 いや、こうなったら犬でも猫でも虫でも雑草でも構わない。

 私の意識を刺激できる存在であれば、それを私は求める。
 
 ここはなんなのだ。

 私はここで誰に何をどう求めたら良いのだ。

 悪魔よ、神よ、天使とその魂の守護霊よ、死神よ、私の意識の傍らでうごめく気色の悪い妄想さえ、私にとってはかけがえの無い存在であり、虚無感の否定を可能にする唯一の抵抗であり、革命への剣なのだ。

 そう、私は暇なのだ。

 人のもつあらゆる醜さ、愚かさ、それらの源は想像力から生じる創造力だと思った。

 物事を考え、時には理性を捨て、性欲と自己満足のままに己を走らせる。

どうすれば食事ができるか、どうすれば快適な睡眠が得られるか、どうすれば快適に性欲を晴らせるかを想像し、計算し、無理矢理にでも文明を築き上げた結果、人類は猿を卒業できたのだ。

 人間は想像力と創造力によって、人間と言う枠組みを徐々に形成していったのだ。

 私はその想像力に、今、苦しめられているのだ。
 
 全く何も無い所で、何かできないか想像してしまう自分がいた。

 思い切り頭を地面にぶつけて頭蓋骨を破壊すれば、死ねるかもしれない。のような想像をしたその時、一つ新たに恐ろしい想像が生まれた。

 私はもう、あの世へ来ているのではないだろうか。

 しかしその想像も、すぐに消え去ってしまった。


 何故なら、私は。

 何故なら。

 な。

 。
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