とある夫婦の平凡な日常

曇戸晴維

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The『Tamias』saw!!:一月

The『Tamias』saw!!:一月 前編

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 一人っ子のわたしは、兄弟姉妹というものに憧れを抱いていた。
 だって、周りの仲の良い友人たちにはみんな、兄弟姉妹がいて、甘えたり甘えられたり、ケンカしたり。
 私の両親は共働きで忙しい人たちだったから、物心ついた時には、ひとりでお風呂、ひとりでごはん、ひとりでテレビ。
 まあ、慣れっこだったけど。
 そんなだから、私は友人たちの話に、いいなあ、と思っていたものだ。

 わたしの夫にはお姉さんがいる。
 お付き合いを始めたころ、その話を聞いて、ちょっと期待したのをよく覚えてる。
 あ、この人と結婚したら、お義姉さんが出来るんだ、なんて。
 初めて彼と結婚を意識したのがそんなことだから、やっぱり、兄弟姉妹っていうものに結構憧れていたのだろう。
 話を詳しく聞くと、歳の離れたお姉さんで、ただでさえ年上の夫のさらに十二も上ときたもんだ。
 露骨に顔に出ていたのか、心配された彼に気付かれ、聞かれ、バカみたいに笑われた。
 しょうがないじゃない。憧れてたんだから。

 そんなこんなでできた、お義姉さんは、わたしから見ても可愛らしい人だった。
 身長が小さくて、小柄で、くりっとした目が特徴的で、ほんわかしていて、でもどこか憂いのあるような。
 二十以上も離れているのに、失礼かもしれないけど、守ってあげたくなるような可愛らしい人。
 わたしが結婚するときには、もう中学生になる息子さん――ケイタくんがいて、立派に母親をやっていた。
 計算すると、わたしが夫と付き合い始めた年齢にはもうケイタくんを産んでいたわけだ。
 夫は、ご両親が苦手みたいで、お義姉さんのところともあまり付き合いがないから、あまり顔を合わせる機会はない。

 それでも半年前、夫のもとにケイタくんから電話があって、夫とケイタくんの間にあった時間の溝みたいなものは埋まってみたいで、それに引っ張られるようにお義姉さんからも連絡がくるようになった。
 たまに四人でビデオ通話してみたり、夫とケイタくんみたいに電話こそしないものの、わたしとお義姉さんで密かにメッセージにやりとりをして親睦を深めている。

 そして、ケイタくんの鶴の一声で決まった、お義姉さん一家の旅行。
 うちへの滞在、三泊四日。
 仕事で忙しいお義姉さんに休みを取ってもらうために、ケイタくんはお義姉さんの職場まで行って奮闘したらしい。

『あの子ったら、僕に親孝行させてください、なんて言って、私泣きそうになっちゃった。』

 なんて、惚気にも近いメッセージが鳴り止まなかった。
 緊張はするけれど、お義姉さんやケイタくんに会えるのが嬉しくて、何より、お義姉さんがとても嬉しそうなのが嬉しい。
 観光案内も任せてもらって、メッセージでの会話も弾む。
 それが、本当にお姉ちゃんと話しているみたいで、なんだかとても幸せだった。

 この数ヶ月、いろんなことを話してお互いのことを知って、夫の家族を大事に思えるのが、なんだか夫との距離がまた縮まったみたいで。

 とにかく、わたしは今、幸せいっぱいで、お義姉さんとケイタくんを迎えるのだ。

 
 と、言っても迎えに行くのは夫だし、わたしは家でのんびり掃除をしている。
 普段から綺麗にしているし、あまりすることもないのだけれど。
 結婚してから、一度も機能していない客間として確保していた部屋、はやっと今日、日の目を浴びる。
 そう思うと張り切ってしまって、一昨日、別にする必要もないのに障子の張り替えなんかして。
 うちの旦那様とはいうと、彼は彼で緊張しているみたいで、神妙な面持ちで手伝ってくれた。

 不意に、スマートフォンから音がなる。

『もうすぐ着くらしい。駅まで迎えに行ってくる。』

 そんな簡素なメッセージに『了解』と一言返すと、いよいよもって緊張してきた。
 お昼…は何か商店街で買ってくるって言ってたし、掃除はもうすることないし、さてどうしたものか、と考える。
 そして、はっ、と気がついた。
 こうしちゃいられない。
 慌てて洗面所へと駆け出すわたし。
 洗濯物、干すの、忘れてた。
 ドラム式洗濯機から衣類を取り出し、カゴに入れる。
 よいしょ、と持ち上げ――よいしょ、なんて言葉が出てくるようになったか。また、はっ、と気付く。
 
 最近は外に出ることもあまりなかったし、洗濯物の量自体は大したことはない。
 我が家の洗濯物は、リビングから出られるベランダで干している。
 そして、リビングからはそれが丸見えなのだ。
 なんとなく、恥ずかしい。
 それでもって、今日は年頃の男の子も来るわけだ。
 …気にしすぎ、なのはわかっているけど、気を遣ったほうがいいよね?
 そうと決まれば善は急げ。
 ベランダに飛び出て、伸縮式の物干し竿をできるだけ縮め、えいやっ、と持ち上げると部屋の中に入れる。
 飛脚の気分で肩に担いで寝室までレッツゴー。
 我が家にはベランダがもう一つあるのだ!そしてそっちにも物干し台はある!
 ありがとう、旦那様。引っ越すとき、客が来た時に洗濯物そのままだと困るだろう、って前の家から物干し台を持ってきてくれて。
 贅沢を言うなら、昨日までに気付いて言って欲しかった。
 気付かなかったわたしが言うのもなんだけど!
 そんなことを考えながら、えいさほいさ、と物干し竿を運ぶ。
 途中、後ろの方から盛大に、ゴンッ、と音がしたけど気にしない。
 …やっぱり気になるから、あとで撫でておこう。壁が撫でて傷が治るわけではないが気持ちの問題だ。

 さくっと洗濯物を干し終わり、今度こそ準備万端。
 ふう、と一息ついたところで玄関が開く音がした。
 
「ただいま。」
「こんにちはー。」
「お邪魔します!」

 そんな声がする中、いそいそとリビングに向かって出迎える。

「いらっしゃい。お義姉さん、ケイタくん、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」
「明けましておめでとうございます。こちらこそよろしくお願いします。ほんと、新年からお世話になります。」
「お義姉さんもたまにはゆっくりしないと!くつろいで行ってください。」
 
 うやうやしく頭を下げるお義姉さんに恐縮してわたしも頭を下げる。
 そのやりとりを、ぽかんとした顔で見ている夫とケイタくん。
 
「どうしたの?ぽかんとして。」
「ああ、いや、なあ?」
「うん、ねえ?」

 二人揃って見合うと、同じく揃って苦笑いを浮かべて。なにかおかしなことしたかしら。

「「そういえば新年だったなって。」」

 声を揃えて言うところを見て、わたしとお義姉さんも、ぽかんとした顔でお互いを見合う。
 合点がいって、あまりにも似ている仕草と、抜けているところがおかしくて、わたしたちはどちらからともなく声をあげて笑ってしまった。

「ふふ、ケイタくんも明けましておめでとう。」
「明けましておめでとうございます!お世話になります!」

 元気よく、ぺこりとお辞儀する様が見ていてかわいい。
 そして四人で挨拶を仕切り直した。

 夫は、彼は、よっぽど二人に会うのが嬉しかったのだろう。
 それこそ、挨拶を忘れるほどに。


 
 彼の家族関係、というか家族仲は複雑だった。
 お義母さんも、お義父さんも決して悪い人ではない、とわたしは思う。
 彼もそう思っていたのだろう。
 しかし、教育や礼儀作法に厳しく、思想のはっきりしたご両親をもった彼は、とんでもなく鬱屈した学生時代を送ったという。
 それはやがて性格に影響し、コンプレックスになる。
 そうした想いも、わたしと付き合うころにはすっかり乗り越えていた。
 だからといって、仲睦まじい親子関係になるということはない。
 彼の選択は、一定の距離を保ち続けることで深刻な仲違いを避けることだった。
 ご両親の方は、というと、そこはさすが親なだけあって彼の気持ちを汲んで静観していくという姿勢だった。
 結婚のご挨拶に伺ったとき、お義母さんに言われた言葉をよく覚えている。
 
「私たちは、自分の期待や願望、時代錯誤の価値観をあの子に背負わせてしまったんです。
 今思えば、あの子の顔をもっと見て、のびのびと好きなことをさせてあげればよかった。
 それを反省したところで、彼の子供時代は返ってこない。
 心を殺しているような目を見るたびに、わたしたちの罪を感じるんです。
 それが、あなたと帰ってきた、あの子のきらきらとした目、幸せそうな声。
 こんなことお願いするのは間違っているとは思いますが、どうかあの子をよろしくお願いします。」

 そういって頭を下げるお義母さん。
 そして、言葉はなくとも、今にも泣きそうな面持ちで、土下座をして「どうか…。」と絞るように口にするお義父さん。
 食いしばった口元が、彼にとても似ていた。
 きっと、色々間違って、すれ違ったのかもしれない。
 それでも、彼は愛されているんだなあ、と思うと、わたしは嬉しかった。
 だから、わたしはその時、改めて決意をしたのだ。
 わたしは彼と共にいる、って。
 例え、もし、万が一、どんな関係になったとしてもあなたを愛しているよ、って。
 ずっとずっと、そばにいる、って。
 だから、わたしは彼のご両親に伝えたんだ。

「彼もわたしも立派に大人になったから、誰のためでもなく自分たちの成りたい自分になれるようにがんばれるから、安心して見守ってください。」

 そう言うと、お義父さんもお義母さんも、にっこりと微笑んでくれた。

 そんなことがあった、と彼に伝えたこともあるが、彼としては複雑な思いだったろう。
 喜んでいるような、苦虫を噛み潰したような顔をしながら「そうか。ありがとう。」と一言。
 それでも、そこから徐々にではあるものの変化があった。
 昔話をすることが増えて、そういえばあんなこともあった、こんなこともあった、みんな元気にしているかな、など思い馳せることが増えたようだ。
 そして、このお義姉さん親子の訪問である。
 以前の彼なら、やんわりと蹴っていただろう。
 ケイタくんと電話をしたあとの彼は、とても嬉しそうに報告してくる。
 そして、お義姉さんと話したあとも。
 彼の幸せが増えたこと。
 それは、わたしにとっても幸せなのだ。
  


 ケイタくんのおねだり成功によって今日のお昼はお寿司だ。
 普段、質素な食事を好むくせに、誰かのためならすぐに懐が緩くなるのも、彼の良いところ。
 良いところだと思えるのは、度を越したことをしないからかしら?

 ゆっくり食べながら、わいわいと話す。
 それは普段、二人しかいない我が家とは、また違ったにぎわいで、楽しい。

 やっぱり慣れない家で緊張していたであろう、お義姉さんもケイタくんも、食事が終わる頃にはしっかり解れてくれて、嬉しかった。

「化粧、落としてきてもいい?」
「もちろん!楽にしてください。」

 ケイタくんも、オレも着替えてくる、とそう言って、一旦解散。
 夫と一緒に軽く片付けをする。

 かちゃかちゃと食器を洗うのは彼。
 流した食器を受け取って、清潔な布巾で水気を拭ってから、片付けるのがわたし。
 珍しく、鼻歌なんか歌っちゃって、ほんとに、よっぽど嬉しいらしい。

「楽しいね。」
「うん。楽しいな。」

 目を細めて、薄く笑う彼。
 思わず、ふふふ、と声が漏れる。
 だって、うれしいんだもの。
 居ても立っても居られなくなって、わたしは言った。
 
「好きだよ。」

 一瞬、彼の動きが止まった。
 そして、後ろの方をきょろきょろ見渡している。
 と、思ったら、すっと頭に顔を近づけてきた。
 
「好きだよ。ありがとうな。」

 小声で、囁くように。
 きっと、お義姉さんやケイタくんに聞かれるのが恥ずかしかったのだろう。
 それだけなんだろう。
 そうはわかっていても、これはずるい。
 きゃー!!っと年甲斐もなくわたしの中の乙女が騒ぐ。
 まったく。どこでそんなことを覚えてきたのかしら。
 それでもって、顔を赤くしているのだから、ほんとにずるい。
 そこからはお互い無言で、洗い物をしていた。

 さて、洗い物も終わった。
 と、夫がびくっとして声をあげる。

「うわっ。びっくりした。ケイタ、いたのか。」

 そこには、きょとん、とこっちを見ているケイタくん。
 不思議なものを見るような目をして、まじまじとこちらを見つめている。

「どうしたの?」
「いやあ、なんかいいなあって。」

 にんまりと特徴的な笑顔で言うケイタくん。

「叔父さんと叔母さん、仲良くて。オレ、パパとママがそうしているとこ、見たことないからさ。」

 なんと返事をしていいか、少し、困った。


 
 お義姉さんは、いわゆるシングルマザーだ。
 夫曰く、「就職して家を出たと思ったら、ほとんど家に寄り付かなくなって、帰ってきたと思えば子どもができたとかで大騒ぎ。」だったらしい。
 連れてきた旦那さんは、物事をはっきりと言う人だけど頭が硬い人で、第一声で「義理を果たしに来ました。」と言われたお義父さんが「娘を孕ませてから挨拶に来て、義理も人情もあったものか。」と大げんか。
 厳しいがあまり感情の色を出さないし、言葉少ないお義父さん。
 当時、それを間近で見ていた夫は、あまりの怒りっぷりに、自分が怒られているわけではないのに泣きそうになったそう。
 この話をしてくれたときも、「漫画やアニメでパワーアップした主人公みたいなオーラが見えた。」と真剣な表情で語っていた。
 その例えはどうなの、と思ったけど、よっぽどだったのだろう。
 でも、お義姉さんの一言で、その大げんかも終わった。

「私は、産みたい。この子が欲しいの。」

 そんな一言で、黙らざるを得なくなったのは男性陣。

「じゃあ、これからのことを話しましょうね。」

 そう言うお義母さんの鶴の一声で、とんとん拍子で、旦那さんの家へのご挨拶や結納、結婚式、親戚との打ち合わせ、今後のことが決まったらしい。
 それも束の間、ケイタくんが産まれて、お義姉さんと旦那さんはなぜかケンカが増えて。
 その頃の話は、夫はなにも聞かされていないらしい。
 ただ、一言。『お姉ちゃん、失敗しちゃってたみたい。』とだけ、メッセージが来た、と言ってした。
 そうして、お義姉さんは、シングルマザーとなってケイタくんを育てた。
  


 
「父さんも亭主関白だし、母さんもあの調子だから、そんなに仲良く見えないもんなあ。」
「お祖父ちゃんとお祖母ちゃん?」
「そう。お前のお祖父ちゃんと祖母ちゃん。」

 言葉に詰まってしまった私を察してか、夫がなんでもないように言う。
 正直、助かったけど、少し心がちくっとした。

「でも、お祖父ちゃんとお祖母ちゃん、買い物に行くといっつも腕組んでるよ。」
「「「え??」」」

 タイミングよく、リビングに現れたお義姉さんと、三人で息をそろえて驚きの声をあげる。

「ケイタ、それいつ?」

 お義姉さんが眉をひそめて言う。

「んー、オレが中学卒業くらいからかなあ。あ、いけね、内緒にしとけってお祖父ちゃんに言われてたんだった。」
「あんた、知ってた?」
「姉さんが知らないのに俺が知っているわけないだろう…。」
「お義父さんとお義母さん、申し訳ないけどそういうことするようには見えない…。」
「私もそう思う。」
「俺なんかケイタに言われても信じられないぞ。」
 
 頭から電球が、ぴこん、と出ているようなケイタくんをほったらかして、話す私達。

「でも、父さんたち、あんたたちが結婚するって言いに来てから、ちょっと柔らかくなったから、そういうこともあるかもね。」

 夫は、「ふうん。」と興味なさげに、ケイタくんを構いに行く。
 わたしは知っている。
 そういうときの夫は、内心、恥ずかしくて嬉しくて、気恥ずかしいのを隠していることを。
 わたしは知っている。
 なにより、わたしが今うれしいことを。
 もし、本当に、わたしたちが結婚して、彼の家族に良い影響を与えられたなら。
 こんなにうれしいことはない。

「あ、お義姉さん、明日の打ち合わせしません?」
「あ、そうそう!土壇場で友達からおすすめの店教えてもらって、組み込めないかなって思ってたのよ!」

 るんるんと擬音が飛びそうなくらいのテンションで答えてくれるお義姉さんに、さらにわたしもうれしくなる。

「叔母さーん、ソファ、寝っ転がってもいい?」
「どうぞー、くつろいでー!」
「やったー!」
 
 我が家自慢のちょっとお高めソファに、ぼふん、と寝っ転がるケイタくん。
 ちゃんと希望を伝えて、確認取って、いっぱい喜んでくれて、こっちまでうれしくなる。

 ああ、わたしは、きっと、ちゃんと夫の家族になれている。
 そんな満ち足りた気持ちでいっぱいになる。
 
 それは当たり前の日常で、ちょっと特別。
 そんな日々。
 わたしはこの日々をくれる、みんなが大好きなのだ。 
 
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