書かない小説家

曇戸晴維

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二月二十四日 罠と団子

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 本日は、所用で出掛けていた。
 
 朝から、降ったり止んだりとはっきりしない天気で、また洗濯物が溜まってしまうなあ、とぼんやり考えながら一服しているときに、担当者からのメールが届いたのである。
 なんでも、他の作家との顔合わせのためにこちらの近くまで来るので、お茶でもということだった。
 
 私としては、今日でならない理由は特にないので、素直に天気がよろしくないのでまた次の機会に、と伝えたもののずいぶんとへりくだって、どうしても、と言うので、こんな曇天の最中、二駅離れた繁華街の喫茶店まで赴いたのだ。
 出掛けに、空を見上げながら傘を持っていくかずいぶんと悩んだ。
 
 手荷物というものが嫌いな私は、鞄の類など持ち歩かず全てポケットの中。
 この季節はとくに、である。
 というのも、基本的にキャッシュレス決済を利用する私はスマートフォンさえあれば薄手の財布に一応のカードと数枚のお札を入れて持ち歩くだけ。
 コートを羽織れば、それらは全てポケットに。
 読み掛けの文庫本などを持ち歩くこともあるのだが、夏場はズボンの後ろポケットにみちみちと入れてしまう。
 その点、この季節は良い。
 コートの内ポケットに、スッポリだ。
 
 というわけで、傘も持つのが嫌いな私にとって、この降ったり止んだりというのは悩みの種である。
 かえって土砂降りにでもなれば諦めがつく、というものだが。
 まあ、駅まではアーケード街になっている商店街がある。
 繁華街に着いてしまえば、あとは地下通りなどを通ればいい。
 そう思って、結局、傘も持たずに出掛けたのだった。

 結果から言えば、行きがけの商店街を出たところから駅に入るまでにずいぶんと降られた上に、繁華街の地下に入るまでにも降られて、濡れ鼠とまでは言わないまでも、あの人、なんで傘持ってこなかったんだろう、という白い目で見られるくらいには濡れた。
 しかも、ハンカチで濡れたところを丁寧に拭いてから喫茶店に着くと、そこにいたのはもはや見飽きた顔の担当者と知らない顔。
 
 聞けば、どうにも新人作家ということで顔合わせと、作家と編集の顔を突き合わせた打ち合わせを見てみようという勉強らしい。
 こんな時代に、古い慣習を持ち出すものだ。
 そう言うと、奴は、昔のやり方があって今のやり方があるというのを知ってもらうためです、とそれらしいことを返された。
 まあ、本人も大きく頷いているし、勉強になるというのならそうなのだろう。
 それにしても、それならそうと初めから言えばいいものだ。
 奴は付き合いだけは長いはずなのに私のこういうところをわかっていない。
 原稿も何もない中で打ち合わせも何もないではないか、とそう言うと、待ってましたとばかりの満面の笑顔で封筒を取り出す。

「最新の入稿データ、印刷してきました」

 そこで、私は気付いた。
 まずい。
 これは、まずい。
 こいつ、新人作家の前で、私をボコボコのコテンパンにする気だ。
 ダメ出しや誤字脱字指摘、変更提案、おまけに原稿の催促。
 ちょっとお茶でも、からの、打ち合わせ、と見せかけての魔女裁判である。
 恐ろしい奴だ。

「先生は、ただ書いてください。
 それをどんな手を使ってもさらに良いものにするのが僕の仕事ですから」

 初めて会ったときに言われた台詞が頭をよぎる。
 そういう奴なのだ。


 と、いうわけで、恥も外聞もなく新人作家の前でボコボコのメッタメタのコテンパンにやられた。
 あれが何かの勉強になるとはとても思えないので、やはり撒き餌に吊られた私を釣り上げるための擬似餌だったのだろう。
 都合、四時間。
 コーヒーを五杯。
 しっかりと支払ってくれるとわかっていたのだから、何か甘いものでも注文してやればよかった。

 とぼとぼと地下通りを歩いていると、そういえば、と思い出す。
 そうだ、甘いもの。
 確か、この辺にあったはず。

 そう思うと足取りは軽くなり、きょろきょろと辺りを見渡す。
 そして、見つけた。
 にんまりと笑顔になったのが自分でもわかる。

 団子屋だ。
 人気、というか、もはやここらの人にとっては定番となったそこそこの老舗。
 店舗もそこそこの数があり、この地方では団子といえばここという人も多い。
 何より、この時代、店先でしっかりと炭火で焼き上げる団子の香ばしい匂いと、あのみたらしの甘辛い味。
 なんともたまらないではないか。

 ということで、颯爽と店前まで行き、注文をする。

 みたらし団子を、五本。

 爽やかな短髪の若い男が、ありがとうございます、と団子を炭火の網へと移す。
 すでに焼き色が付いているものをさらに温め直すように焼くことで、焦げの香ばしさが余計に出てそそるのだ。
 それを、たっぷりのみたらしが入った壺に突き入れ、巻き取るように上げる。
 箱に詰められたそれは、濃い琥珀色の輝きがなんとも宝石のようで美しい。
 これが一本百円と少しというのだから、素晴らしい。

 私は、ほくほく顔で商品を受け取るとスキップでもしたい気分で帰路につく。
 手には、少しの宝物。
 こういう手荷物なら大好きなのだ。

 楽しみがあると、帰り道もなんのその、どんよりとしていた不安定な空は雲が割れて夕陽も出ていた。
 まるで私の今の心境のようではないか。
 さらに弾む心は、年甲斐もなく私に鼻唄までさせていた。

 リズムを刻むように歩き、鍵を開け、ドアを開け、中に入り、しっかり鍵を閉める。
 靴を脱ぐ、無駄に回る、コートはそこへ、団子はここへ。
 まるで一人舞台のミュージカルのようにステップを踏みながら。
 団子ひとつでこの有り様。
 まったく陽気な男だな、私は。

 椅子に腰掛け、テーブルにはみたらし団子。
 さて、ご開帳……っと、待て、落ち着くのだ。
 これは団子。
 そして私はいい歳である。決して若くない。
 ともすれば喉に詰まらせ、ということも考えられるわけだ。
 ならば、飲み物のひとつ用意せねばなるまい。
 ここはやはり、熱い緑茶にするか。

 と、いうわけで、透明なガラスのティーポットに緑茶のティーバッグを二つ。
 保温になっているポットから湯を注ぐ。
 湯呑みも用意して、完璧だ。

 いやいや、待てよ。
 目の前に見えるは、出しっぱなしの焼酎の瓶。
 甘味というのは焼酎に合う。

 よし、それならば。

 湯呑みの三分の一ほど焼酎を注ぐ。
 そして、ティーポットから濃い目に出した緑茶をとぽとぽと。
 ホットの緑茶割りだ!

 さて、今度こそ御対面。
 まだほんのりと温い団子は、甘辛い匂いをさせている。
 この艶の美しいこと。
 一本、手に取り、みたらしを溢さぬよう慎重に、口に運ぶ。
 口に入れた途端に広がる、醤油の香りとコゲの香ばしさ、そして砂糖の甘味。
 噛めば噛むほどに団子の、炭水化物特有の素材の自然な優しい甘さが染み渡る。

 なんという美味さだ。

 よし、ここで……
 十分に咀嚼した団子を飲み込み、すかさず緑茶割りを口にする。
 緑茶の芳醇な香りと濃く出した故の渋みが甘さを押し流し、残ったみたらしの風味と焼酎のアルコールの合うこと!!

 うむ、やはり団子で正解だった!
 喫茶店で甘味など頼まないでよかった!

 いやあ、良い日だ!

 あんなにもコテンパンにされたときにはどうしようかと思ったが、どうもこうも全て吹き飛ぶ美味さだ!
 
 こんな日はあれだ、やはり、今日は書かない!

 
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