愛しくて悲しい僕ら

寺音

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第一章

7 警告

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 講義が終わると、三月は足早にいつもの場所へ向かった。
 図書館前の中庭のベンチ。優太は大抵そこにいる。今日もいるだろうか、そうしたら、また話ができるだろうか。
 約束をしている訳ではないのに、彼女はついそんなことを考えてしまう。

 好きな音楽の話をしたあの日から、三月は時々優太と話をするようになっていた。軽く挨拶を交わすだけの時もあれば、数十分ほどベンチに座り話をする時もある。ささやかな交流だ。

 中庭に到着して、三月は優太の姿を探す。いつも彼が座っている場所で、今日は見知らぬ男子学生たちが談笑していた。周囲を見回すも、優太の姿はどこにもない。

「まあ、いつもそこにいるわけじゃないもんね」
 よく考えたら、彼の携帯メールアドレスも電話番号も知らない。なぜ聞いておかなかったのかと、三月は少し後悔した。
 女友達なら気軽にそう言うことができるのだが、どうも男性に対する距離感が分からない。優太も聞いてこなかったし、と考えに至って、ふと思う。
 毎回彼の時間をもらって、ひょっとして迷惑だっただろうかと。
 暗い考えに支配されそうになって、三月は思わず首を横に振る。

 すると、見覚えのある青年が目に入った。黒い半そでのTシャツに細身のジーンズ。ジーンズのポケットに両手を突っ込み、何かを睨むような眼差しで歩く男性。その艶のない金髪はもはや軽いトラウマだ。
 優太の知り合いだという、宮本真志みやもとしんじである。

 三月は慌ててその場から立ち去ろうとつま先を浮かす。しかし、先に彼の切れ長の瞳が彼女へと向いた。
 見つかってしまったらしい。

「あれ? お前、ちょくちょく優太と一緒にいるヤツじゃねえか」
 一瞬意外そうに目を丸くした彼は、すぐ口元に意地の悪そうな笑みを浮かべた。
 そして三月の方へ近寄ってくる。
 あの鼻につくワックスの香りを思い出し、三月は不快感が表情に表れないよう奥歯を噛みしめた。

「何、アイツのこと探してんのか? 優太、いつもこの辺にいるもんなぁ」
 放っておいてくれれば良いのに、真志は愉快そうに話しかけてくる。
 気圧されそうになりながらも、三月は負けじと目に力を込めて、真志の顔を睨むように見上げた。

「探してたってわけではなくて。それに、それがそうだとしても……宮本先輩には関係ないじゃないですか! 神崎先輩って、よくこの辺りにいらっしゃるから、その」
「やっぱり探してたんじゃねぇか。へぇ……アイツが女子とねぇ」
 片眉を上げて、真志は口元の笑みを絶やさない。三月の感情が高ぶって、少しだけ目頭が熱くなる。

「そう、です! 本当は、探してました! 宮本先輩は、神崎先輩の居場所をご存知なんですか?」
「残念ながらご存じねぇよ。そんな、いつも一緒にいるわけじゃねぇしな」
 むしろお前の方が仲良かったんじゃねえのか、そう言って軽く笑うのはからかわれているのだろうか。

「とにかく、知らないならそれはそれで良いんです。ありがとうございました!」
 言葉をぶつけるように発して、三月は大袈裟に頭を下げた。その瞬間、肩まである髪が頬にぶつかって少し痛む。

「ふぅん……」
 顔を上げると、真志はどこか冷ややかな眼差しで彼女を見下ろしていた。
 大きく足を踏み出すと、強引に顔を近づけてくる。狼狽えた三月が後退りをする前に、声を潜めて彼は言った。

「別に邪魔する気はねぇけどさ。アイツにはあんまり、近寄らない方が良いかもな」

 三月の心臓が、飛び出してきそうなほど大きく跳ねる。息を止めて目を大きく見開いた。
 次第に、怒りにも似た感情がふつふつと湧き上がり、彼女は真志を振り払うように背を向ける。
「な、何を言ってるんですか!?」
 乾いた短い笑いが、背中越しに聞こえた。

「だってアイツ大抵一人でいるし、つきあい良くねえし。あんな奴と一緒にいても楽しくないぜ」
 確かに、優太はいつも一人だ。彼の隣に誰かがいる光景を見たことがない。
 温かく人当たりの良い人なのに意外だなと、思っていたのも事実だ。
 だけど、それが何だと言うのだろう。

「楽しいか楽しくないかは、その人が決めることだと思います! 私にそんなことを言ってますけど、だったら先輩はどうして、楽しくない人と一緒にいるんですか? 先輩は神崎先輩となんでしょう」

 言い返してはみたが、きっとまた、あの意地悪そうな笑みで何か言われるのだろう。
 三月はそう思いながらも振り返り、睨むようにして真志の顔を見上げた。

 彼は笑っていなかった。その表情からは全ての感情が抜け落ちて、冷めた視線を三月の方へ注いでいる。彼の瞳はどこか焦点が合っておらず、別の誰かを見ているようにも思えた。
 真志は興味をなくしたように、三月から視線を逸らせて呟く。

「さあ、どうなんだろうな」
「え……」

「おい宮本。そろそろどっか行かないか?」
 ベンチに座っていた二人の男子学生が、真志に手を振っている。どうやら彼の友人だったようだ。
 おう、とその声に嬉しそうに応え、真志は三月に何も言わずに去って行く。先程の冷たい雰囲気など感じさせない明るさだった。


 彼が立ち去った後も、しばらく三月はその場から動けずにいた。心臓は痛いほど鳴って、胸が苦しい。真志が怖かったというよりも、予想外の出来事に見舞われて理解が追いついていなかった。

 近寄らない方が良い。何故、そんなことを。
 三月は首を大きく振って、彼の言葉を頭から追い出す。
 優太の柔らかい笑みが、無性に恋しくなった。
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