愛しくて悲しい僕ら

寺音

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第三章

20 ごめんね

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「すみませんでした。もう、大丈夫です」
 顔を上げて涙を拭い、三月は優太に微笑んで見せる。
 少々ぎこちなかったかもしれないが、それでも優太は安心したようにほっと息をついた。

 本当に、彼の手はまるで魔法のようだ。
 そう思った瞬間、三月は彼の手が重ねられているかを改めて認識して、一気に頬を赤く染めた。

「せ、先輩。その」
 優太は優しげに首を傾げるばかりで、手を離してくれない。まるでそうしているのが当たり前のようだ。

 恥ずかしいが手を引っ込めるのも惜しい気がして、三月は心臓の音を誤魔化そうと饒舌じょうぜつに語り出す。

「本当にいきなり泣き出したりして、すみませんでした。その、泣き出しちゃったのは、別に誰のせいってわけでもないんです。実は神崎先輩が眠っているのを見ている内に私まで寝ちゃったみたいで、その時に私、夢を見たんです」
「え……」
 優太が漏らした戸惑うような呟きは、三月には届かなかった。

「小さな女の子がチビっていう大切な友達を亡くして泣いてて。夢の中で私は私でない誰か……というと変な話なんですけど、とにかく私ではない別の人になってたみたいで、はその子の手を握って慰めてあげるんです。あ、そう言えば、夢の中は先輩が勧めてくださった、マツノミクさんの音楽も聞こえてきたんですよ」

 夢って想像と現実がごちゃごちゃになったりして、面白いですよね。
 三月はそう言って話を続ける。

「私が泣いちゃったのは、この夢が原因だと思うんです。実は私も似たような経験があって、大切にしていた子猫を事故で亡くしちゃったことがあるんです。それで、もらい泣きみたいなものだと思うんですけど、自然にあの時の悲しさみたいなものが押し寄せてきて」
 優太は何も言わなかった。ある意味舞い上がっている三月は、彼の様子に気づくことなく話を続ける。
「そう言えば……さっき見た夢、以前私が見た夢とそっくりでした」
 優太が小さく肩を震わせた。

「その時も、夢の中に誰かが出てきて、その人に手を握ってもらって、大切なあの子を亡くした悲しみを癒してもらったんです。不思議ですよね」
 まだ手の甲に感じる優太の手のひら。三月はそれを一瞥いちべつし、頬を染めて言った。
「すごく優しくて、あったかくて。神崎先輩の手は、夢で私を慰めてくれたあの手とおんなじみたいですね」
 三月が笑顔で顔を上げたその時、重ねられたままだった優太の手が、すっと離れていった。

 不思議に思って目で追うと、彼は俯いて、引っ込めたその手を震えるほど強く握りしめている。
 様子がおかしい。
 三月は不安になって声をかけた。

「せ、先輩?」
「ごめん」
 消え入りそうな声で呟かれたのは、謝罪の言葉だった。何故、謝るのだろうか。

「ごめん。本当に、ごめんね」
「あの、先輩なんで謝ったりなんか」
 優太が顔を上げる。彼は笑っていた。
 しかし、おかしくて笑っているわけでも、優しく微笑んでいるわけでもない。
 どこか嘘っぽい人を拒絶したような笑み。
 優太がこんな風に笑っているところなんて、今まで見たことがない。

 彼は無言で立ち上がる。作り物のような表情を変えずに、三月に声をかけた。

「今日、もう良いよ。別の用事が、できちゃったから」
「え……? だって、先輩クリスマスケーキの予約に行くんじゃ」
「そういうわけだからさ。中山さんも早く帰った方が良い。寒いし、風邪引いちゃうよ」
「そんな、いきなり」
「それじゃあ!」
 優太は三月に背を向けた。

 彼がどんな顔をしているのか分からなくなる。背を向けたまま、彼は言う。
「――元気でね」
 それだけを告げ、優太は駆けだした。

「せ、先輩!? 神崎先輩!?」
 何故、そんな突然。
 せめて訳を聞こうと彼の名前を叫んだが、優太は決して振り返ってはくれなかった。

 やがてその背中は人々の合間に紛れ、見えなくなる。訳も分からず、三月は立ちつくした。
 呼び止めようと、咄嗟に上げた右手を力なく下ろす。
 木枯らしが、手に残った温もりを奪っていった。






 暗い部屋でベッドに寝転がり、手の中の携帯電話を見つめる。いくら眺めていたところで、携帯電話が応えてくれるわけでもない。

 三月は首だけを持ち上げ、壁のカレンダーに視線を送る。
 そこには年が明けたにも関わらず、取り変えられていない去年のカレンダーがかかっていた。
 冬休みが終わって大学も始まり、こんな風に寝転んでいる暇はないのだが、どうしても動く気分になれなかった。

 クリスマス前の出来事からずっと、優太と連絡がとれない。
 メールを送っても返信はなかったし、電話をかけてみても、留守番電話サービスにつながるだけだった。
 三月も初めは「年末年始は忙しいのだろう」と、無理矢理自分を納得させていた。しかし、昨日のことで、その僅かな希望も打ち砕かれた。

 久しぶりに大学で優太の姿を見かけた時、確かに彼と目が合ったのだ。それなのに優太は冷たく目を逸らすと、足早にその場を立ち去ってしまった。
 逃げるような彼の姿を見てようやく、三月は悟った。自分は避けられていたのだと。

 何か優太の気に障るようなことを言ったのだろうか。何度あの時のことを思い返しても、思い当たることはない。
 彼にその訳を聞き、謝ろうと思っても、こんな風に避けられていてはそれも適わない。
 もう、どうしようもない。目元がしびれる様に痛んで、三月は枕に顔を埋めた。

 その時、携帯電話が短い電子音を立てた。
 まさか、優太からだろうか。期待を込めて枕から顔を上げ、震える手つきで携帯電話を開く。
 ディスプレイに表示されていたのは明美の名前だった。メールである。

『三月、今日の講義出ないの? 体調でも悪い?』
 メールを開くと、自分を気遣う言葉が書かれていた。そう言えば、今日は朝から講義がある日だ。いつまで経っても姿を見せない自分を心配して、連絡してくれたのだろう。
 正直こんな気持ちのまま外に出たくなかったが、これ以上友人に心配をかけるのも心苦しい。

『ごめん、寝坊しちゃった! これから急いで支度するね!』
 そう返信メールを打ち込むと、三月は重い体を起こして身支度を始めた。

 洗面所の鏡の前に立つと、いかにも覇気のない鬱々うつうつとした表情の自分がうつっている。惨めな気持ちになってきて、鏡の中の自分と目を合わせないようにしながら、ぼさぼさの髪の毛をとかし始めた。
 友人の前では、ちゃんと笑うのだと心に決めて。
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