宇宙の戦士

邦幸恵紀

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07 靴はなかった

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 そのコンビニには、小太りの中年男と痩せた若い男の二人だけしかいなかった。
 おそらく、前者が店長で後者はアルバイトだろう。入店前に覚悟はしていたが、泥だらけの靴下で入ってきた長髪の白髪男に、彼らは一様に目を見張っていた。

(俺……今どんな顔してるんだろ?)

 気にはなったが、今は鏡太郎に頼まれた買い物を済ませるほうが先だ。鏡太郎から返されたリュックサックを背負い直し、買い物カゴを持ち上げた。
 鏡太郎は店外にあった公衆電話から電話をかけている。鏡太郎にとって携帯電話は持ち歩くものではなかったようだ。
 ブローカーがどうとか言っていたが、宇宙人を密入国(密入星?)させてくれる人間がこの星のどこかにいるということか。むしろ、どこかの国から密入国してきたのだと言われたほうがずっとましだったが。
 そんなことを考えながら、商品をカゴの中へ投げ入れていると、目の端に客らしき姿が入った。
 コンビニに客がいるのは当たり前だ。そう思って目をそらせようとしたが、その客も紀里と同じ動きをした。

(……まさか)

 紀里はおそるおそるその客のほうに目を向けた。
 見覚えのある紺色のブレザー。片手には品物でいっぱいのカゴ。そして、蛍光灯の光を受けて輝く、白銀の長い髪――

(馬鹿な!)

 紀里はその人物を見つめたまま、立ちつくすしかなかった。
 なぜなら、そこにあったのは壁にとりつけられた一枚の大きな鏡で、その前に立っていたのは紀里一人だけだったからだ。

(これじゃ……ほんとに別人じゃねえか……)

 自分の顔を眺める趣味はないが、今ばかりは鏡に近づいて、変わり果てた自分をまじまじと見つめた。
 明らかに日本人ではない。人種的には鏡太郎よりも今朝のあの女の子に近い気がする。
 肌は病的なまでに白く、瞳は青とも紫ともつかない不思議な色をしている。
 年齢自体は変わっていないようだから、この髪は白髪ではなく、生まれついてのものなのだろう。だが、どう見てもこれは。

(親父とは……全然似てないよな……)

 見た目の年齢から考えて、鏡太郎は自分の実の父親ではないかもしれないとは思っていた。
 しかし、こうしてはっきりと目に見える形で示されると、紀里にはやはりショックだった。
 鏡太郎が父親ではないのなら、本当はいったい何なのだろう?

「自分に見とれてるのか?」

 いきなり肩を叩かれて、紀里ははっと我に返った。
 いつのまにか、鏡太郎が立っていた。ちょうど鏡には映らない位置だ。

「そんな……わけじゃないけど……」
「はいはい。ところで、どこまで買った?」

 そう言いながら、鏡太郎は紀里の手からカゴを取り上げ、中身を検分しはじめた。
 訊きたいことはいくらでもある。だが、その答えを聞くのが怖い。
 この男が父親ではなかったとしたら、これからいったい誰を信じたらいいのだろう。

「よし、だいたい一通りそろってるな」

 鏡太郎は満足そうにうなずくと、紀里の腕をつかんで引っ張った。

「さっき、連絡がついた。特別料金で迎えにきてくれるとさ。親切なんだか、ぼったくりなんだか」

 肩をすくめながら、鏡太郎はさっさとカゴをレジに持っていった。

「おい、紀里。財布」
「え? あ、うん」

 鏡太郎に催促されて、紀里は預かっていた黒い長財布をあわてて返した。今日という日が来ることを予測していたからなのだろうが、紀里の財布の中身とは文字どおり桁が違っていた。これなら自分の小遣いをもう少し上げてくれてもよかったんじゃないかと思わなくもない。
 レジを担当したのは店長――ネームに店長と書かれていたので確定――のほうだった。ニキビ跡が目立つアルバイトは、その隣であっけにとられたように鏡太郎と紀里とを見比べている。
 不愉快だったが、無理もないかとも思う。真夜中に――コンビニにあった時計を見たら、十二時を少し回っていた――靴も履かずに買い物をする外国人二人組など、不審この上ないだろう。おまけに、そのうちの一人は信じがたいほど美しい顔をしている。

「畜生。さすがに靴はなかったな」

 その一人は、店の外へ出るといきなり車止めブロックの上に尻を置き、買ったばかりのコンビニ袋の中に手を突っこんだ。仕方なく、紀里も右隣の車止めブロックに腰を下ろす。
 無駄に広いような気がする駐車場に、車は二台ほどしか停まっていなかった。おそらく、店長とアルバイトの車だろう。紀里たちにとっては幸いだったが、これでよく潰れないものだと紀里は少しだけ思ってしまった。

「親父も探したのか」
「一応な。第二希望のスリッパもなくて残念だった。……紀里、何食う?」

 鏡太郎は袋の中から、紀里が手当たりしだいに入れたおにぎりを嬉しそうに取り出した。

「ここで食うのか?」
「山ん中で食うよりはましだろ」

 確かに、何を食べているかわからないような闇の中で食べるのは、紀里も遠慮したかった。
 今が五月でよかった。少しは肌寒いが、耐えられないほどではない。

「おまえ、昆布好きだったよな。俺、辛子明太子」

 紀里の返事を待たずにおにぎりを押しつけると、鏡太郎はさっそく自分の分を食べはじめた。
 それを呆れて眺めながら、紀里はふとおかしくなって笑った。まったく、この親父にはかなわない。どこにいても、何をしていても、生きることを楽しんでいる。

「何だ? 何がおかしい?」

 紀里が笑っているのに気づいた鏡太郎が、げんそうな視線を投げかけてきた。

「いや……何か遠足にでも来たみたいだと思って」

 とっさにそう答えたが、嘘ではない。そういえば昔、鏡太郎と一緒に動物園に行ったことがあった。しかし、それも鏡太郎のいう、借り物の記憶なのだろう。
 そう考えると、今まで信じて疑わなかった自分の心さえ幻のような気がした。いまや確実にあると言えるのは、紀里の横でおにぎりを貪っている鏡太郎の存在だけだ。
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