【完結】堕天の末裔

邦幸恵紀

文字の大きさ
9 / 33
第2部 草月歌

03 練兵場(前)

しおりを挟む
  その日から、紅蓮は学問所のほとんどの授業に参加するようになった。
 ただし、教室内にいるだけで真面目に受けているとは限らないのだが、勝手に抜け出したり騒いだりしなければそれでいいと教官たちは割り切ったようだ。
 最初のうち、紅蓮は白蘭とばかり会話していた。しかし、白蘭がいれば第三者とも普通に話すため、少しずつだが、白蘭を介して他の子供たちも紅蓮と接するようになった。
 もともと、紅蓮は多少乱暴だが面倒見はいいのだ。頼られれば、無下に断るようなことはしなかった。気がつけば、紅蓮は白蘭がいなくても、他の子供たちと交流できるようになっていた。
 それを知った白蘭の心境は複雑だった。嬉しいような寂しいような。だが、紅蓮が周囲に受け入れられたというのはいいことだと思った。天人族には天都以外に生きられる場所はないのだから。
 それでも、紅蓮が大地に降りるとき誘うのは、常に白蘭一人だけだった。二回目には時間はかかったものの、何とか独力で飛ぶことができた。三回目には速度が上がり、四回目には紅蓮の横に並んで飛べるようになった。

『おまえ、なかなかやるな』

 それは紅蓮流の最高の賛辞だった。華奢な白蘭がここまで自分についてこられるとは思ってもみなかったらしい。
 白蘭はといえば、神殿に比較対象となる子供はいなかったため、自分の力の優劣など考えたこともなかった。
 しかし、学問所に通いはじめて、どうやら紅蓮と自分とは、他の子供たちより頭一つ飛び抜けているらしいことがわかった。紅蓮と自分には当たり前のようにできることが、他の子供にはなかなかできないことがたびたびあった。その中でも翠菻は賢く力もあったが――ことに音楽の才能に関しては誰一人かなわなかった――紅蓮と比べると、やはり物足りなさを感じた。
 紅蓮もそう思っていたのだろう。やがて、どこへ行くにも何をするにも、白蘭を連れていくようになった。紅蓮の体に生傷が絶えないのはこのせいかと、白蘭は身をもって知った。
 そんな紅蓮を神官たちは決して快くは思っていなかったが、会うのを禁じれば、また白蘭が絶食という抵抗手段をとることは目に見えていたため、くれぐれも危険な場所――たとえば地上――へ行ったり、危険な真似をしたりしてはいけないと注意するだけに留めていた。それらに白蘭は素直にうなずいていたが、もちろん背いたとしても報告する気はさらさらなかったし、実際報告しなかった。
 学問所を欠席していた頃に開拓したのか、紅蓮は天都内の様々な場所を知っていた。中でも紅蓮が気に入っていたのは、以前剣を習っていると言った練兵場だった。
 初めて練兵場に案内されたとき、青草に覆われた一画には、若い兵士たちが十人ほどいた。彼らは紅蓮に気づくと剣を振るう手を止めて、笑いながら集まってきた。久しぶりだなと口々に言ったが、すぐに紅蓮の傍らに立つ白蘭に目を留めて、意外そうな顔をした。

『友達か?』
『うん。白蘭っていうんだ』
『は……はじめまして。こんにちは』

 地人族と戦う兵士たちと直接会ったのは、これが初めてだった。彼らは普段白蘭が目にする大人たちとは違い、縦にも横にも大きくて、正直、彼には恐ろしかった。

『白蘭っていうと……ああ、あの』

 どうやら白蘭の知らないところで名前は知られていたらしい。物珍しそうに見つめられて恥ずかしくなった白蘭は、耐えきれずに紅蓮の翼の陰に隠れた。

『そんなに怯えなくても、いきなり取って食ったりはしないよ』

 鬣のような羽を生やした兵士は豪快に笑うと、近くに立てかけてあった剣を浮かび上がらせて、紅蓮の前で静止させた。

『ほら。やるんだろ?』

 紅蓮は剣の柄をつかむと、好戦的に笑った。白蘭が初めて見る表情だった。

『白蘭。ちょっと待ってろ』

 そう言ったが早いか、紅蓮はその兵士と打ち合いを始めた。白蘭が呆然としている間に、他の兵士が彼の肩を抱いて、二人の邪魔にならないところまで連れていってくれた。
 紅蓮が剣を交えている兵士は、紅蓮よりも倍以上は大きかった。おそらく、彼が本気を出せば、紅蓮は弾き飛ばされてしまうだろう。これは稽古であると同時に遊技なのだ。
 周りにいる兵士たちも、驚いたことに声を出し――人前で声帯を使っていいのは、歌を歌うときだけだ――二人を囃し立てている。
 体と同じくらい大きな剣を巧みに操る紅蓮は、学問所内にいるときとは別人のように生き生きとして見えた。きっと、体を動かすことが好きなのだろう。無駄のない鋭い動きは、見惚れるほど美しかった。

『食うかい?』

 白蘭の隣にいた爬虫類系の兵士が、巾着袋から小さな命玉を取り出して、自分の手のひらに載せた。血のような赤い色をしている。
 命玉は地人族から抜き取った精気を封じこめた石である。直接吸い取ることもできるのだが、通常は玉と呼ばれる黒い石に移し替えて食す。精気を吹きこまれると、玉は命玉と呼ばれ、色も黒から様々な色に変化する。暖色系は甘いから、この兵士は菓子として白蘭に与えようと思ったのだろう。
 天人族は総じて子供には甘い。ましてや、白蘭は男女の別さえつかないほど愛らしい容姿をしている。
 腹は減っていなかったが、兵士の好意を無駄にしないために、白蘭はいただきますと答えてその命玉を受け取った。小さな白い手で握りしめて精気を吸収する。それを見届けてから兵士は紅蓮を一瞥した。

『紅蓮が好きなのかい?』

 白蘭は思わず兵士を見上げた。兵士は悪戯っぽく笑うと、彼の肩をぽんぽんと叩いた。
 たとえ相手が子供であっても、天人族は他人の羽には軽々しく触れない。天人族にとって羽とは感覚器であり、最大の弱点でもある。

『さすが、ちっちゃくっても男を見る目はあるな。あれは将来絶対強くなるぞ。もしかしたら、守護しゅご天将てんしょうの御名も受けるかもしれない』

 その御名は天人族最強を意味した。かつての守護天将が戦死して数百年、その御名を与えられた者はいまだ出ていない。

 ――そうか。紅蓮は強いのか。

 妙な話だが、それまで白蘭はそういう観点で紅蓮を見たことがなかった。とにかく紅蓮と一緒に遊び回るのが楽しくて、紅蓮や自分の将来など、考えたこともなかった。
 たぶん、紅蓮は学問所を出た後、軍事院に入るだろう。紅蓮ならきっと瞬く間に出世して、前線指揮官にもなれるだろう。この兵士の言うとおり、守護天将の御名も受けるかもしれない。
 だが、自分は、学問所を出たらきっとまた神殿でほとんどの時間を過ごすことになるだろう自分には、長老たちの決めた相手と子を成すというお仕着せの未来しかない――
 気づきたくなかった、と白蘭は思った。せめてもう少し、何も考えずに紅蓮と遊んでいたかった。
 兵士と紅蓮の打ち合いはまだ続いていた。技術はあっても体力の差はいかんともしがたく、紅蓮の息は上がりはじめていた。しかし、兵士は容赦しない。まさか命をとるようなことはないだろうが、怪我はさせられるかもしれない。白蘭が不安を覚えはじめたとき、一際大きな念波が響き渡った。

『貴様ら、何をやっておるか!』

 白蘭はもちろん、兵士たちでさえすくみ上がった一喝だった。

『やべ。蒼芭ソウハ様だ』

 命玉をくれた兵士が呟き、白蘭を自分の体の陰にさりげなく隠した。
 兵士たちは直立不動の体勢をとって、兵舎のほうから現れた者の到着を待っていたが、紅蓮だけはつまらなそうに剣を弄んでいた。
 紅蓮は念波の主をすでに知っているようだったが、白蘭もまた知っていた。天卓てんたくの十三人のうちの一人であるその天人は、会議のために神殿を訪れることもしばしばあったからだ。もちろん、まだ子供の白蘭は、会議に出席することなどないので、会ったら挨拶をする程度だったが。
 闘天・蒼芭。
 戦うことに特化されたされたその体は、個体差の激しい天人族の中でもとりわけ異彩を放っている。天人族の最大の特徴である羽――ただし、彼のそれは羽毛状ではなく、薄膜状のものだった――は背中にあるものの、全身は昆虫を思わせる濃紺の甲殻で覆われており、腕は物をつかめる指のあるものと剣のような切っ先を持つものの二対あった。額にはやはり濃紺の触覚が二本生えており、白目のない琥珀色の左目以外は、包帯のような黒い布で覆われていた。
 天人族は、白蘭や紅蓮のような地人族に近い容貌を持つ者――無論、彼らは地人族に似ているなどとは決して考えないのであるが――と、蒼芭のような地人族とはかけ離れた容貌を持つ者との二つに大別できる。割合としては前者のほうがやや多いが、どちらも同じ天人族であり、外見によって差別されることはない。だが、天人族内で〝美しい〟と讃えられるのは、もっぱら地人族に近い者のほうだった。
 まだ幼い白蘭を公然とそう評する者はいなかったが、誰もが成長すれば絶世の美貌を誇る天人になるだろうと信じて疑わなかった。そして、その天人を伴侶にすることができるのは、優秀な遺伝子を持つ選ばれた者のみなのだ。
 蒼芭は迷うことなく紅蓮の前へ行くと、無遠慮に彼を見下ろした。紅蓮はまったく動じず、真正面からその視線を受け止めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 全8話 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c

魔王の息子を育てることになった俺の話

お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。 「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」 現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません? 魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。 BL大賞エントリー中です。

処理中です...