【完結】Doctor Master

邦幸恵紀

文字の大きさ
3 / 69
第一話 正木博士の遺産!

03 若林宅

しおりを挟む
「まいったな……」

 白衣姿の若林は、先ほどから何度も繰り返しているその言葉を、再び溜め息と共に吐き出した。
 若林の場合、ロボット一体を完璧に作り上げるのに最低半年はかかる。できたら微調整を含めて一年は欲しい。しかし、あの勝負を受けて立ってしまったからには、そんな贅沢は言っていられない。幸い、設計だけはしてあったので、そのへんは何とかなった。問題は実際の製作である。
 若林くらいになると、自宅にロボット専用の作業室を持っている。無論、大学にもあるが、まさか大学で今回のような私的なロボットを作るわけにもいくまい。
 若林は理論より技術の学者である。ハードな部分なら短期間で、しかも優れたものを作り上げることができるのだが……

「問題は、〝中身〟だよな」

 自分の目の前の作業台を見やって、若林はぼやいた。まだ人形状態のその体には、白い布が被せられている。
 ロボットを作るのにいちばん手間がかかるのは〝体〟ではない。〝心〟である。極言すれば、〝心〟の出来不出来によって、ロボットの優劣は決まるのだ。
 あの夕夜が〝人間型ロボットの最高傑作〟と言われるのも、その外見の美しさや動きの滑らかさ以上に、彼が人間らしい〝心〟を持っているからである。実際に夕夜の体を作った若林でさえ、時々彼がロボットであるということを忘れてしまう。それほどに、夕夜はロボットとして並はずれていた。
 おそらく、若林にはもう夕夜以上のロボットは作れないだろう。夕夜以後は人間型ロボットを作る気になれなかったのかもそのせいかもしれない。

(まあ、やんなきゃ終わんないからな……)

 憂鬱な気分を抱えながらも、長く緻密なプログラムの打ちこみ作業に入るべく、若林はデスクのモニタに向き直った。そのときだった。

「よろしいですか?」

 ドアの向こうから、ノックと共に、夕夜の涼やかな声が聞こえてきた。

「ああ、いいぞ」

 そう答えると、トレーにサンドイッチとコーヒーカップを載せた夕夜が入ってきた。

「お夜食です」

 そう言って、トレーをデスクの上に置く。若林は思わずまじまじと夕夜を見た。
 ――何でこいつは、いつもいいタイミングで来るんだろう……

「どうかしましたか? おにぎりのほうがよかったですか?」

 若林の視線に気づいて、夕夜がにっこり笑った。

「いや……いつものことながら、どうしておまえはこうも気が利くんだろうと思ってな。別に俺の召使でも何でもないんだから、ここまですることないんだぞ?」

 そう。若林はそう思っているのである。

「いいんですよ。みんな私が好きでやってることなんですから」

 さらににっこり微笑んでそう答えると、夕夜は背後の作業台に目を留めた。

「これが今度デビューする新人さんですか?」
「ん? ああ、そう」

 ちょうどコーヒーを飲んでいた若林は、カップに口をつけたままうなずいた。

「ちょっと、覗いてみてもいいですか?」

 悪戯っぽい顔になって、夕夜は若林を見た。その手はすでに布にかかっている。

「ああ、かまわないよ」

 今度はサンドイッチを頬張りながら、若林はもごもごと答えた。

「さて、どんな子かな?」

 そう言いながら、夕夜は布の頭のほうをめくってみたが――

「博士」
「んー?」

 若林は食べるのに忙しくて、夕夜のほうは見ていなかった。

「今回のコンセプトは、〝白雪姫〟ですか?」

 驚いて、若林は夕夜を振り返った。

「どうして?」
「〝黒檀のように黒い髪、雪のように白い肌、血のように赤い唇〟」

 歌うようにそう言われて、若林は照れくさくなって頬を掻いた。
 その様子を見ながら、この人の不幸はこの超面食いから始まっているのかもしれないと、改めて夕夜は思うのだった。

「まだこのお姫様はお目覚めにはならないんですか?」

 限りなく嫌味に近い丁寧さで夕夜は訊ねた。こういう芸当ができるのも、夕夜ならではである。

「王子様がキスしたら起きるだろうよ」

 これにはさすがに顔をしかめて、若林はコーヒーを飲んだ。

「なら、あなたがキスしたら起きるかも」
「それで動くんなら、百回でも千回でもキスしてやる」

 半ば本気で若林は答えた。
 基本的なシステムやメモリは以前作ったロボットから流用できるが、あとは細かいプログラムを根気よく積み重ねていかねばならない。そして、この工程は若林が最も苦手とするところだった。

「本当に、私が出てもいいんですよ?」

 それまで面白そうに若林を見ていた夕夜が、ふいに真剣な顔になった。

「今からあなた一人で打ちこみするとしたら、とてもコンテストには間に合いませんよ。仮に私がお手伝いしても、おそらく不整合を起こして使い物にならないでしょう。それとも、〝私〟をコピーするか――」
「何度も言った。おまえだけは出さない」

 一転して、若林は顔つきを厳しくさせた。

「たとえプログラムだけでも、いや、そのプログラムこそ、おまえそのものだ。――大丈夫。何とかするよ。身から出た錆だからな。おまえは俺の飯の支度のことだけ考えててくれ」
「博士……」

 若林は力なく笑うと、再びモニタに向き直り、キーを叩きはじめた。
 そんな若林の広い背中を、夕夜は何とも言えない複雑な表情をしてしばらく見つめていたが、デスクの上からトレーを取り上げると、失礼しますと言って静かに作業室を出た。

(こうなったら、もう一刻の猶予もならないぞ)

 作業室からリビングに直行した夕夜は、固定電話の子機を握りしめた。

(博士が過労でぶっ倒れる前に、さっさとあの人に何とかしてもらおう!)

 夕夜はすばやく正木の携帯番号を押した。
 今は真夜中を過ぎているが、正木にとっては絶好調の時間帯である。その証拠に、今度はすぐに正木の肉声が出た。

「あ、夕夜です。あのですね、昼間の件なんですが……」

 意気ごんで夕夜は言ったが、正木の返事を聞いて一瞬呆然となり、次に思いきり間の抜けた声で叫んだ。

「はあ――――っ?」




『勝負させてやれよ』

 というのが、稀代の天才にして気まぐれ屋の正木博士のご意見だった。

「昼間と全然違うじゃないですか!」

 いくら気まぐれ屋でもこれじゃあんまりだと夕夜は思った。この人は若林を苦しめるのが趣味なのか!

『いや、あれから俺も考えてさ』

 夕夜によく似た涼しい声で正木は言う。

『あいつの新作、俺も見たくなったから。でも、あいつじゃ〝体〟はすぐできても、〝頭〟がそれにおっついていかないはずだ。そう……最低半年はいるな。――ほんとんとこ、あいつ、どこまで完成させてるんだ? まさか、これからだっていうんじゃないだろうな?』

 ――さすが、よくわかっていらっしゃる。
 内心そう思いながらも、夕夜は答えた。

「これから〝中身〟だそうです」
『間に合わんな』

 一片の情も挟まず、正木はきっぱり言い切った。

『どうせ川路の野郎はもうずいぶん前に完成させてるんだろ? いくら何でも、それじゃ不公平ってもんだよな。そこで俺に提案があるんだが』

 おそらくは、この受話器の向こうで小悪魔的笑みを浮かべているだろう正木は言った。

「いったい何です?」

 まさか、若林が不利になるようなことを正木が言い出しはしないだろうとは思ったが、夕夜は多少不安になった。

『二人に、俺が作ったプログラムをくれてやる』

 横柄に正木はそう答えた。

『これとうまく連動する〝体〟を作ったほうが勝ちだ。たとえもう完成してても、プログラムの書き換えはできるだろ。――明日、昼の十二時、ロボ研の計算室まで来い。俺が直接そのプログラムを持ってってやる。おまえらはそれをそれぞれコピーしろ。川路の野郎に違うプログラムを渡したと勘ぐられるのは嫌だからな。それから、プログラムの受け取りは若林の代わりにおまえがしろ。川路のほうには俺から連絡しとく。じゃあな』
「あ……ちょっと! 博士!」

 あわてて夕夜は叫んだが、すでにもう電話は切れていた。

「まったくもう……!」

 そう言いはしたが、口元には明るい笑みが浮かんでいた。

(これで間に合う)

 同時に。

(川路博士との勝負にも勝てる)

 それはもう、確信以上だった。
 今頃は地下で悪戦苦闘しているだろう若林に、今夜はもう寝ても大丈夫だと言うために、夕夜は階段を駆け下りていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?

krm
BL
「俺達の婚約は今日で終わりにする」 突然の婚約終了宣言。心がぐしゃぐしゃになった僕は、荷物を抱えて城を出る決意をした。 なのに、何故か殿下が追いかけてきて――いやいやいや、どういうこと!? 全力すれ違いラブコメファンタジーBL! 支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

異世界転移した元コンビニ店長は、獣人騎士様に嫁入りする夢は……見ない!

めがねあざらし
BL
過労死→異世界転移→体液ヒーラー⁈ 社畜すぎて魂が擦り減っていたコンビニ店長・蓮は、女神の凡ミスで異世界送りに。 もらった能力は“全言語理解”と“回復力”! ……ただし、回復スキルの発動条件は「体液経由」です⁈ キスで癒す? 舐めて治す? そんなの変態じゃん! 出会ったのは、狼耳の超絶無骨な騎士・ロナルドと、豹耳騎士・ルース。 最初は“保護対象”だったのに、気づけば戦場の最前線⁈ 攻めも受けも騒がしい異世界で、蓮の安眠と尊厳は守れるのか⁉ -------------------- ※現在同時掲載中の「捨てられΩ、癒しの異能で獣人将軍に囲われてます!?」の元ネタです。出しちゃった!

【bl】砕かれた誇り

perari
BL
アルファの幼馴染と淫らに絡んだあと、彼は医者を呼んで、私の印を消させた。 「来月結婚するんだ。君に誤解はさせたくない。」 「あいつは嫉妬深い。泣かせるわけにはいかない。」 「君ももう年頃の残り物のオメガだろ? 俺の印をつけたまま、他のアルファとお見合いするなんてありえない。」 彼は冷たく、けれどどこか薄情な笑みを浮かべながら、一枚の小切手を私に投げ渡す。 「長い間、俺に従ってきたんだから、君を傷つけたりはしない。」 「結婚の日には招待状を送る。必ず来て、席につけよ。」 --- いくつかのコメントを拝見し、大変申し訳なく思っております。 私は現在日本語を勉強しており、この文章はAI作品ではありませんが、 一部に翻訳ソフトを使用しています。 もし読んでくださる中で日本語のおかしな点をご指摘いただけましたら、 本当にありがたく思います。

前世が教師だった少年は辺境で愛される

結衣可
BL
雪深い帝国北端の地で、傷つき行き倒れていた少年ミカを拾ったのは、寡黙な辺境伯ダリウスだった。妻を亡くし、幼い息子リアムと静かに暮らしていた彼は、ミカの知識と優しさに驚きつつも、次第にその穏やかな笑顔に心を癒されていく。 ミカは実は異世界からの転生者。前世の記憶を抱え、この世界でどう生きるべきか迷っていたが、リアムの教育係として過ごすうちに、“誰かに必要とされる”温もりを思い出していく。 雪の館で共に過ごす日々は、やがてお互いにとってかけがえのない時間となり、新しい日々へと続いていく――。

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

異世界にやってきたら氷の宰相様が毎日お手製の弁当を持たせてくれる

七瀬京
BL
異世界に召喚された大学生ルイは、この世界を救う「巫覡」として、力を失った宝珠を癒やす役目を与えられる。 だが、異界の食べ物を受けつけない身体に苦しみ、倒れてしまう。 そんな彼を救ったのは、“氷の宰相”と呼ばれる美貌の男・ルースア。 唯一ルイが食べられるのは、彼の手で作られた料理だけ――。 優しさに触れるたび、ルイの胸に芽生える感情は“感謝”か、それとも“恋”か。 穏やかな日々の中で、ふたりの距離は静かに溶け合っていく。 ――心と身体を癒やす、年の差主従ファンタジーBL。

禁書庫の管理人は次期宰相様のお気に入り

結衣可
BL
オルフェリス王国の王立図書館で、禁書庫を預かる司書カミル・ローレンは、過去の傷を抱え、静かな孤独の中で生きていた。 そこへ次期宰相と目される若き貴族、セドリック・ヴァレンティスが訪れ、知識を求める名目で彼のもとに通い始める。 冷静で無表情なカミルに興味を惹かれたセドリックは、やがて彼の心の奥にある痛みに気づいていく。 愛されることへの恐れに縛られていたカミルは、彼の真っ直ぐな想いに少しずつ心を開き、初めて“痛みではない愛”を知る。 禁書庫という静寂の中で、カミルの孤独を、過去を癒し、共に歩む未来を誓う。

処理中です...