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第一話 正木博士の遺産!
03 若林宅
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「まいったな……」
白衣姿の若林は、先ほどから何度も繰り返しているその言葉を、再び溜め息と共に吐き出した。
若林の場合、ロボット一体を完璧に作り上げるのに最低半年はかかる。できたら微調整を含めて一年は欲しい。しかし、あの勝負を受けて立ってしまったからには、そんな贅沢は言っていられない。幸い、設計だけはしてあったので、そのへんは何とかなった。問題は実際の製作である。
若林くらいになると、自宅にロボット専用の作業室を持っている。無論、大学にもあるが、まさか大学で今回のような私的なロボットを作るわけにもいくまい。
若林は理論より技術の学者である。ハードな部分なら短期間で、しかも優れたものを作り上げることができるのだが……
「問題は、〝中身〟だよな」
自分の目の前の作業台を見やって、若林はぼやいた。まだ人形状態のその体には、白い布が被せられている。
ロボットを作るのにいちばん手間がかかるのは〝体〟ではない。〝心〟である。極言すれば、〝心〟の出来不出来によって、ロボットの優劣は決まるのだ。
あの夕夜が〝人間型ロボットの最高傑作〟と言われるのも、その外見の美しさや動きの滑らかさ以上に、彼が人間らしい〝心〟を持っているからである。実際に夕夜の体を作った若林でさえ、時々彼がロボットであるということを忘れてしまう。それほどに、夕夜はロボットとして並はずれていた。
おそらく、若林にはもう夕夜以上のロボットは作れないだろう。夕夜以後は人間型ロボットを作る気になれなかったのかもそのせいかもしれない。
(まあ、やんなきゃ終わんないからな……)
憂鬱な気分を抱えながらも、長く緻密なプログラムの打ちこみ作業に入るべく、若林はデスクのモニタに向き直った。そのときだった。
「よろしいですか?」
ドアの向こうから、ノックと共に、夕夜の涼やかな声が聞こえてきた。
「ああ、いいぞ」
そう答えると、トレーにサンドイッチとコーヒーカップを載せた夕夜が入ってきた。
「お夜食です」
そう言って、トレーをデスクの上に置く。若林は思わずまじまじと夕夜を見た。
――何でこいつは、いつもいいタイミングで来るんだろう……
「どうかしましたか? おにぎりのほうがよかったですか?」
若林の視線に気づいて、夕夜がにっこり笑った。
「いや……いつものことながら、どうしておまえはこうも気が利くんだろうと思ってな。別に俺の召使でも何でもないんだから、ここまですることないんだぞ?」
そう。若林はそう思っているのである。
「いいんですよ。みんな私が好きでやってることなんですから」
さらににっこり微笑んでそう答えると、夕夜は背後の作業台に目を留めた。
「これが今度デビューする新人さんですか?」
「ん? ああ、そう」
ちょうどコーヒーを飲んでいた若林は、カップに口をつけたままうなずいた。
「ちょっと、覗いてみてもいいですか?」
悪戯っぽい顔になって、夕夜は若林を見た。その手はすでに布にかかっている。
「ああ、かまわないよ」
今度はサンドイッチを頬張りながら、若林はもごもごと答えた。
「さて、どんな子かな?」
そう言いながら、夕夜は布の頭のほうをめくってみたが――
「博士」
「んー?」
若林は食べるのに忙しくて、夕夜のほうは見ていなかった。
「今回のコンセプトは、〝白雪姫〟ですか?」
驚いて、若林は夕夜を振り返った。
「どうして?」
「〝黒檀のように黒い髪、雪のように白い肌、血のように赤い唇〟」
歌うようにそう言われて、若林は照れくさくなって頬を掻いた。
その様子を見ながら、この人の不幸はこの超面食いから始まっているのかもしれないと、改めて夕夜は思うのだった。
「まだこのお姫様はお目覚めにはならないんですか?」
限りなく嫌味に近い丁寧さで夕夜は訊ねた。こういう芸当ができるのも、夕夜ならではである。
「王子様がキスしたら起きるだろうよ」
これにはさすがに顔をしかめて、若林はコーヒーを飲んだ。
「なら、あなたがキスしたら起きるかも」
「それで動くんなら、百回でも千回でもキスしてやる」
半ば本気で若林は答えた。
基本的なシステムやメモリは以前作ったロボットから流用できるが、あとは細かいプログラムを根気よく積み重ねていかねばならない。そして、この工程は若林が最も苦手とするところだった。
「本当に、私が出てもいいんですよ?」
それまで面白そうに若林を見ていた夕夜が、ふいに真剣な顔になった。
「今からあなた一人で打ちこみするとしたら、とてもコンテストには間に合いませんよ。仮に私がお手伝いしても、おそらく不整合を起こして使い物にならないでしょう。それとも、〝私〟をコピーするか――」
「何度も言った。おまえだけは出さない」
一転して、若林は顔つきを厳しくさせた。
「たとえプログラムだけでも、いや、そのプログラムこそ、おまえそのものだ。――大丈夫。何とかするよ。身から出た錆だからな。おまえは俺の飯の支度のことだけ考えててくれ」
「博士……」
若林は力なく笑うと、再びモニタに向き直り、キーを叩きはじめた。
そんな若林の広い背中を、夕夜は何とも言えない複雑な表情をしてしばらく見つめていたが、デスクの上からトレーを取り上げると、失礼しますと言って静かに作業室を出た。
(こうなったら、もう一刻の猶予もならないぞ)
作業室からリビングに直行した夕夜は、固定電話の子機を握りしめた。
(博士が過労でぶっ倒れる前に、さっさとあの人に何とかしてもらおう!)
夕夜はすばやく正木の携帯番号を押した。
今は真夜中を過ぎているが、正木にとっては絶好調の時間帯である。その証拠に、今度はすぐに正木の肉声が出た。
「あ、夕夜です。あのですね、昼間の件なんですが……」
意気ごんで夕夜は言ったが、正木の返事を聞いて一瞬呆然となり、次に思いきり間の抜けた声で叫んだ。
「はあ――――っ?」
『勝負させてやれよ』
というのが、稀代の天才にして気まぐれ屋の正木博士のご意見だった。
「昼間と全然違うじゃないですか!」
いくら気まぐれ屋でもこれじゃあんまりだと夕夜は思った。この人は若林を苦しめるのが趣味なのか!
『いや、あれから俺も考えてさ』
夕夜によく似た涼しい声で正木は言う。
『あいつの新作、俺も見たくなったから。でも、あいつじゃ〝体〟はすぐできても、〝頭〟がそれにおっついていかないはずだ。そう……最低半年はいるな。――ほんとんとこ、あいつ、どこまで完成させてるんだ? まさか、これからだっていうんじゃないだろうな?』
――さすが、よくわかっていらっしゃる。
内心そう思いながらも、夕夜は答えた。
「これから〝中身〟だそうです」
『間に合わんな』
一片の情も挟まず、正木はきっぱり言い切った。
『どうせ川路の野郎はもうずいぶん前に完成させてるんだろ? いくら何でも、それじゃ不公平ってもんだよな。そこで俺に提案があるんだが』
おそらくは、この受話器の向こうで小悪魔的笑みを浮かべているだろう正木は言った。
「いったい何です?」
まさか、若林が不利になるようなことを正木が言い出しはしないだろうとは思ったが、夕夜は多少不安になった。
『二人に、俺が作ったプログラムをくれてやる』
横柄に正木はそう答えた。
『これとうまく連動する〝体〟を作ったほうが勝ちだ。たとえもう完成してても、プログラムの書き換えはできるだろ。――明日、昼の十二時、ロボ研の計算室まで来い。俺が直接そのプログラムを持ってってやる。おまえらはそれをそれぞれコピーしろ。川路の野郎に違うプログラムを渡したと勘ぐられるのは嫌だからな。それから、プログラムの受け取りは若林の代わりにおまえがしろ。川路のほうには俺から連絡しとく。じゃあな』
「あ……ちょっと! 博士!」
あわてて夕夜は叫んだが、すでにもう電話は切れていた。
「まったくもう……!」
そう言いはしたが、口元には明るい笑みが浮かんでいた。
(これで間に合う)
同時に。
(川路博士との勝負にも勝てる)
それはもう、確信以上だった。
今頃は地下で悪戦苦闘しているだろう若林に、今夜はもう寝ても大丈夫だと言うために、夕夜は階段を駆け下りていった。
白衣姿の若林は、先ほどから何度も繰り返しているその言葉を、再び溜め息と共に吐き出した。
若林の場合、ロボット一体を完璧に作り上げるのに最低半年はかかる。できたら微調整を含めて一年は欲しい。しかし、あの勝負を受けて立ってしまったからには、そんな贅沢は言っていられない。幸い、設計だけはしてあったので、そのへんは何とかなった。問題は実際の製作である。
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若林は理論より技術の学者である。ハードな部分なら短期間で、しかも優れたものを作り上げることができるのだが……
「問題は、〝中身〟だよな」
自分の目の前の作業台を見やって、若林はぼやいた。まだ人形状態のその体には、白い布が被せられている。
ロボットを作るのにいちばん手間がかかるのは〝体〟ではない。〝心〟である。極言すれば、〝心〟の出来不出来によって、ロボットの優劣は決まるのだ。
あの夕夜が〝人間型ロボットの最高傑作〟と言われるのも、その外見の美しさや動きの滑らかさ以上に、彼が人間らしい〝心〟を持っているからである。実際に夕夜の体を作った若林でさえ、時々彼がロボットであるということを忘れてしまう。それほどに、夕夜はロボットとして並はずれていた。
おそらく、若林にはもう夕夜以上のロボットは作れないだろう。夕夜以後は人間型ロボットを作る気になれなかったのかもそのせいかもしれない。
(まあ、やんなきゃ終わんないからな……)
憂鬱な気分を抱えながらも、長く緻密なプログラムの打ちこみ作業に入るべく、若林はデスクのモニタに向き直った。そのときだった。
「よろしいですか?」
ドアの向こうから、ノックと共に、夕夜の涼やかな声が聞こえてきた。
「ああ、いいぞ」
そう答えると、トレーにサンドイッチとコーヒーカップを載せた夕夜が入ってきた。
「お夜食です」
そう言って、トレーをデスクの上に置く。若林は思わずまじまじと夕夜を見た。
――何でこいつは、いつもいいタイミングで来るんだろう……
「どうかしましたか? おにぎりのほうがよかったですか?」
若林の視線に気づいて、夕夜がにっこり笑った。
「いや……いつものことながら、どうしておまえはこうも気が利くんだろうと思ってな。別に俺の召使でも何でもないんだから、ここまですることないんだぞ?」
そう。若林はそう思っているのである。
「いいんですよ。みんな私が好きでやってることなんですから」
さらににっこり微笑んでそう答えると、夕夜は背後の作業台に目を留めた。
「これが今度デビューする新人さんですか?」
「ん? ああ、そう」
ちょうどコーヒーを飲んでいた若林は、カップに口をつけたままうなずいた。
「ちょっと、覗いてみてもいいですか?」
悪戯っぽい顔になって、夕夜は若林を見た。その手はすでに布にかかっている。
「ああ、かまわないよ」
今度はサンドイッチを頬張りながら、若林はもごもごと答えた。
「さて、どんな子かな?」
そう言いながら、夕夜は布の頭のほうをめくってみたが――
「博士」
「んー?」
若林は食べるのに忙しくて、夕夜のほうは見ていなかった。
「今回のコンセプトは、〝白雪姫〟ですか?」
驚いて、若林は夕夜を振り返った。
「どうして?」
「〝黒檀のように黒い髪、雪のように白い肌、血のように赤い唇〟」
歌うようにそう言われて、若林は照れくさくなって頬を掻いた。
その様子を見ながら、この人の不幸はこの超面食いから始まっているのかもしれないと、改めて夕夜は思うのだった。
「まだこのお姫様はお目覚めにはならないんですか?」
限りなく嫌味に近い丁寧さで夕夜は訊ねた。こういう芸当ができるのも、夕夜ならではである。
「王子様がキスしたら起きるだろうよ」
これにはさすがに顔をしかめて、若林はコーヒーを飲んだ。
「なら、あなたがキスしたら起きるかも」
「それで動くんなら、百回でも千回でもキスしてやる」
半ば本気で若林は答えた。
基本的なシステムやメモリは以前作ったロボットから流用できるが、あとは細かいプログラムを根気よく積み重ねていかねばならない。そして、この工程は若林が最も苦手とするところだった。
「本当に、私が出てもいいんですよ?」
それまで面白そうに若林を見ていた夕夜が、ふいに真剣な顔になった。
「今からあなた一人で打ちこみするとしたら、とてもコンテストには間に合いませんよ。仮に私がお手伝いしても、おそらく不整合を起こして使い物にならないでしょう。それとも、〝私〟をコピーするか――」
「何度も言った。おまえだけは出さない」
一転して、若林は顔つきを厳しくさせた。
「たとえプログラムだけでも、いや、そのプログラムこそ、おまえそのものだ。――大丈夫。何とかするよ。身から出た錆だからな。おまえは俺の飯の支度のことだけ考えててくれ」
「博士……」
若林は力なく笑うと、再びモニタに向き直り、キーを叩きはじめた。
そんな若林の広い背中を、夕夜は何とも言えない複雑な表情をしてしばらく見つめていたが、デスクの上からトレーを取り上げると、失礼しますと言って静かに作業室を出た。
(こうなったら、もう一刻の猶予もならないぞ)
作業室からリビングに直行した夕夜は、固定電話の子機を握りしめた。
(博士が過労でぶっ倒れる前に、さっさとあの人に何とかしてもらおう!)
夕夜はすばやく正木の携帯番号を押した。
今は真夜中を過ぎているが、正木にとっては絶好調の時間帯である。その証拠に、今度はすぐに正木の肉声が出た。
「あ、夕夜です。あのですね、昼間の件なんですが……」
意気ごんで夕夜は言ったが、正木の返事を聞いて一瞬呆然となり、次に思いきり間の抜けた声で叫んだ。
「はあ――――っ?」
『勝負させてやれよ』
というのが、稀代の天才にして気まぐれ屋の正木博士のご意見だった。
「昼間と全然違うじゃないですか!」
いくら気まぐれ屋でもこれじゃあんまりだと夕夜は思った。この人は若林を苦しめるのが趣味なのか!
『いや、あれから俺も考えてさ』
夕夜によく似た涼しい声で正木は言う。
『あいつの新作、俺も見たくなったから。でも、あいつじゃ〝体〟はすぐできても、〝頭〟がそれにおっついていかないはずだ。そう……最低半年はいるな。――ほんとんとこ、あいつ、どこまで完成させてるんだ? まさか、これからだっていうんじゃないだろうな?』
――さすが、よくわかっていらっしゃる。
内心そう思いながらも、夕夜は答えた。
「これから〝中身〟だそうです」
『間に合わんな』
一片の情も挟まず、正木はきっぱり言い切った。
『どうせ川路の野郎はもうずいぶん前に完成させてるんだろ? いくら何でも、それじゃ不公平ってもんだよな。そこで俺に提案があるんだが』
おそらくは、この受話器の向こうで小悪魔的笑みを浮かべているだろう正木は言った。
「いったい何です?」
まさか、若林が不利になるようなことを正木が言い出しはしないだろうとは思ったが、夕夜は多少不安になった。
『二人に、俺が作ったプログラムをくれてやる』
横柄に正木はそう答えた。
『これとうまく連動する〝体〟を作ったほうが勝ちだ。たとえもう完成してても、プログラムの書き換えはできるだろ。――明日、昼の十二時、ロボ研の計算室まで来い。俺が直接そのプログラムを持ってってやる。おまえらはそれをそれぞれコピーしろ。川路の野郎に違うプログラムを渡したと勘ぐられるのは嫌だからな。それから、プログラムの受け取りは若林の代わりにおまえがしろ。川路のほうには俺から連絡しとく。じゃあな』
「あ……ちょっと! 博士!」
あわてて夕夜は叫んだが、すでにもう電話は切れていた。
「まったくもう……!」
そう言いはしたが、口元には明るい笑みが浮かんでいた。
(これで間に合う)
同時に。
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