【完結】Doctor Master

邦幸恵紀

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第三話 若林博士、最後の挑戦!

第九章 Wの挑戦・その後(3) ロボコン会場

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「いよいよ〝ダンナ〟の登場ね」

 千代子はにやにやしながらそう言って、赤いカクテルを傾けた。

「なーんか、結局バカ見たのヘンリーよねー。別れさそうと思ってプロポーズされてたんじゃ世話ないわ。でも、あんたはよかったわね。これが終わったら、やっと念願の〝奥さん〟よ。どう? 嬉しい?」
「……あいつ、今度は言い間違えたって言うんじゃねえかなぁ」

 独り言のように正木が呟く。髪はすでにいつものように一つに結ばれていて、左腕には美奈があの伝説のダ○コちゃん人形よろしくくっついていた。
 ちなみに、休憩に入るまでは壁際でくつろいでいたのだが、そこだと舞台がよく見えないからということで、わざわざ今いるやや舞台よりの中央部まで移動してきた。この三人がいったい何を見にきたか、この行動だけでよくわかる。

「まさかぁ。いくら何でも、今度はちゃんと結婚するでしょー?」
「そうかなぁ。でも、若林だもんなぁ。これが終わったら、みんななかったことにされちまいそうだ」

 正木は肩を落として深い溜め息をついた。
 若林が聞いたらさぞかし気を悪くするだろう。もっとも、そう思われても仕方がないようなことを若林はしてきているのだが。

「まあ、そんなことはないと思うけどさ、もし万が一そんなことになったら、私が怒鳴りつけてやるから。それに、美奈ちゃんや夕夜っていう証人だっているじゃない。あんた、少しは自信持ちなさいよ」

 見かねて千代子は正木の背中をバンバン叩いた。
 自信の塊みたいなこの男も、若林相手には別人のように弱気になってしまう。
 学生時代、千代子は幾度となくこうやって正木を慰めたものだ。二人の性別は男と女だが、その関係は女同士に近い。

「うーん、でもなぁ……」

 ややほっとした顔になったものの、まだいじいじとそう言いかけたときだった。
 場内のライトが休憩前と同じように落とされ、それに気づいた人々が次々と口を閉じていき、再び壇上に注目した。
 それを見はからったように、スポットライトが暗い壇上の下手を照らし出した。

「えー、皆様。お待たせいたしました。それでは〝飛び入り〟に入らせていただきます」

 スポットライトの光の中には、さすがに今日はタキシード姿の、あの司会者が再び立っていた。眼鏡がトレードマークの彼は、実はスリー・アール技術開発部所属の社員である。
 とたんにわあっと沸き起こる歓声と拍手。彼はそれににっこり微笑んで応えると、再び口を開いた。

「先ほどお知らせいたしましたとおり、本日の飛び入りはお二方です。皆様にはこのお二方のロボットの優劣を判定していただくことになります。まあ、つまらない前置きはこれくらいにして、さっそくご登場していただきましょう。まずは、ヘンリー・ウォーンライトさんの〝アリス〟さん! どうぞ!」

 司会者はそう叫んで、上手のほうに手を差しのべた。と、司会者を照らし出していたスポットライトは消え、今度は上手のほうを新たに照らし出した。人々の期待と関心の目が一点に集中する。
 まず目についたのは白だった。華やかで清らかな怖いくらいの白。
 その白は傍らに立つ黒に手をとられ、ゆっくりと舞台中央に進み出た。
 そして、黒から手を離すと、観客に向かって優雅に挨拶してみせた。
 地響きに似た低い感嘆の声が場内に広がった。しかし、その対象は性別によってはっきりと異なっていた。
 白の正体は、フリルやレースが過剰なほどあしらわれている純白のワンピースを着た、見たところ十二、三歳くらいの異国の少女だった。
 腰まである長いストレートの髪はほとんど銀に近い金色で、頭にはやはり純白の大きなリボンが結ばれている。
 だが、もっとも注目すべきは、両手で包めそうなくらい小さな顔だった。登場してからすぐに舞台の巨大スクリーンに映し出されたそれには、まるで硝子玉のように澄んだ青い大きな瞳と、あまり高すぎも低すぎもしない鼻と、さくらんぼのように艶やかな赤い唇が、絶妙のバランスで配置されていた。
 まさに〝お人形〟のような愛らしさ。しかも、表情は生き生きとしていて、ロボットくささは少しもない。本当に人間の少女のようだ。
 男性客のほとんどは、このロボットの少女に対して感嘆の声を上げていた。
 あのくらいの年の少女が持つ眩しいくらいの清純さ――というのは間違いなく幻想なのだが――を、このロボットの少女は永遠に失わないのだ。
 まさに〝永遠の少女〟。夢の実現である。
 しかし、人のたくさん集まるところには、必ず例外が存在する。

「千代子、てめー、ピ○クハウス着せたなー!」

 この〝永遠の少女〟を一目見たとたん、正木は眉を険しくして千代子に詰め寄った。

「だぁってぇー、根性は悪いけど、すっごい似合うんだもぉーん」

 千代子はとへらへら笑って受け流す。

「それは俺も認めるけどさー」

 いかにも悔しそうに正木は右の拳を固めた。

「似合いすぎててすっげー悔しいぞー。俺も美奈に着せたかったけど、浮くからあきらめたのにー」

 そんな正木たちを、美奈は思いきり醒めた目で見ていた。もしかしてこの二人、ピ○クハウスマニアか?
 一方、観客の三割ほどを占める女性客の関心は、この〝永遠の少女〟よりも、もっぱらその傍らの黒い影のほうに向けられていた。
 黒い影は異国の男だった。少女よりも頭二個分近く背が高く、日本人だと往々にして似合わないタキシードを自然に着こなしていた。
 彼の顔はスクリーンには映し出されなかったのだが、遠目からでも(壁面のディスプレイには映っていたのでそこからでも)彼が非常に整った容姿の持ち主であることはわかった。
 彼がおそらくあの少女を作った〝ヘンリー・ウォーンライト〟なのだろうが、ロボット工学者というよりは、モデルか俳優といった雰囲気だ。
 何にせよ、見るからにオタッキーな男より、こんなモデルまがいのいい男が美少女ロボットを作ったというほうが、絵的にも精神的にもはるかにましである。女性たちは安心して彼に陶酔することができた。

「アメリカからはるばるようこそいらっしゃいました。あなたが〝アリス〟さんですね?」

 下手にいた司会者が舞台中央に進み出て、〝永遠の少女〟――〝アリス〟にマイクを差し向ける。

「はい、そうです。私が〝アリス〟です」

 アリスはにっこり微笑みながら、完璧な日本語でそう答えた。同時に場内にどよめきが起こる。
 だが、例外というのはいつでも存在する。

「あんにゃろー。うちではひとっことも日本語しゃべんなかったくせに、しっかり猫かぶりやがってー」

 スクリーンに大映しにされているアリスの笑顔を見ながら、いまいましそうに千代子が毒づく。

「でも、ピ○クハウスは着せたわけだな」
「顔に罪はないわ」

 正木の冷ややかな非難を、千代子は一言で一蹴した。

「たいへん日本語がお上手ですね。では、今度はウォーンライトさんに伺ってみましょう。ええと、ウォーンライトさんも日本語はお出来になるんでしたよね?」

 壇上の司会者は、今度はウォーンライトにマイクを向けた。
 正木たちは二週間ぶりに目にするウォーンライトは、柔和な笑みと共に短く答えた。

「ええ、まあ」

 女性客が悲鳴のような歓声を上げる。
 しかし、正木たち三人はそろってケッという顔をした。ウォーンライトは知り合いには不人気である。

「ああ、そうですか。それはたいへん助かります。僕なんか日本語以外さっぱりですから」

 実は英語と米語を遣いわけることもできる司会者は、恥ずかしそうに頭に手をやった。

「ええと、ではまず、アリスさんのことをお訊きしたいんですが、彼女はいつ頃製作されたんですか?」
「十年前です。それから改良を重ねていますが、プログラムにはまったく手をつけていません」

 そう答えた後、ウォーンライトが正木たちのほうを見て思わせぶりに笑った――ような気がした。
 とにかく正木は渋い顔になり、千代子はそんな正木を見てにやついた。

「十年前ですか。それではもうアリスさんは、何度かコンテストに出られているのでは?」
「いいえ。彼女は今回が初めてです。僕はアメリカで何度か出ていますが」

 場内に軽く笑いが起こる。

「ほう、では、彼女はまさに〝箱入り娘〟というわけですね。あ、意味わかりますか?」
「ええ、わかりますよ。そのとおり、彼女は僕の可愛い〝娘〟です」

 ウォーンライトは愛しそうにアリスの肩に手を置いた。
 そのとき、それまでにこやかに微笑んでいたアリスが一瞬表情を曇らせたのだが、そのことに気がついたのは、ウォーンライト以外の一部の人間だけだった。

「そうでしょうねえ。僕はまだ独身ですが、こんな娘さんならいくらでも欲しいと思いますよ。でも、こんな綺麗な奥さんも欲しいですね」

 その数少ない一人である司会者は、そう言ってアリスに微笑みかけた。
 アリスは驚いたように彼を見上げたが、すぐにぷいと横を向いてしまった。
 だが、司会者は別段気を悪くしたふうもなく、ウォーンライトに再び上手のほうに戻るよう手ぶりで指示した。

「さて、ウォーンライトさんたちにはいったんそちらにお戻りいただいて、今度は対戦相手のもうお一方をお呼びすることにいたしましょう。この方はすでに前回、前々回とこのコンテストに参加していただいているので、皆様の中にはご存じの方も多いと思います。特に前回は、今回と同じく〝飛び入り〟参加で、大いに会場を盛り上げていただきました。今回はあのような対戦の仕方ではないということで、多少残念ではありますが、またあの彼にお目にかかれるのは嬉しいことです。それではご登場していただきましょう。――若林修人さんの〝夕夜〟君! どうぞ!」

 司会者は今度は下手のほうに手を向けた。同時に中央部を照らしていたスポットライトが消え、司会者は上手のウォーンライトたちのほうへ足早に歩いていった。
 さあ、いよいよだ。正木と美奈はわくわくして身内の出番を待った。いろいろアクシデントはあったが、本来はこのためだけにここへ来たのだ。
 そんな彼らを千代子は呆れたように見ていたが、やがて自分も舞台に目を向けた。
 スポットライトがパッと下手を照らした。
 我知らず、人々の口から吐息が漏れる。
 〝夕夜〟。
 人間型ロボットの〝最高傑作〟。
 かつて〝破滅的に美しい〟と評された彼は、今日はタキシードを身にまとい、まるで幻のようにそこにたたずんでいた。
 そして、その斜め後方に立っている、やはりタキシード姿の、一際長身の男こそ――

「あー、若ちゃんだー、若ちゃんだー」

 などと呼ぶ者もいるが、世間的には〝夕夜〟を作ったK大教授、若林修人だった。
 講義と学会以外あまり人前には出ない彼を初めて見た人間は、まずその若さと端整な容姿とに驚く。
 こうなると、ロボットよりもその製作者を審査したくなる(と思ったのは、やはり主に女性客だった)。しかも甲乙つけがたい。
 夕夜は舞台中央に進み出て、観客に対して胸に手を置き一礼した。そんな仕草一つとっても夕夜は美しい。
 しかし、その製作者である若林は、下手からまったく動こうとしなかった。腕を組み、何やら考えこんでいる様子である。
 怪訝に思って正木たちが顔を見合わせたとき、司会者が上手から夕夜に近づいてきた。

「はい、どうもお久しぶりですね。前回はとても素晴らしい試合を見せていただきました。今回はこのような対戦となりましたが、またあのような試合をなさるご予定は?」
「ないことを祈ります」

 夕夜は苦笑してそう答えたが、そのときになって若林が自分のそばにいないことに気がつき、あわてて下手のほうに目を巡らせた。
 その視線を追って、司会者もようやく若林に気づく。

「あの、すみません、若林教授。こちらに来ていただけますか?」
「……あ、すみません」

 はっと我に返ったように答えて、若林も舞台の中央に出てきた。
 司会者が何事か言いかける。だが、それを若林は手で遮った。

「すみませんが、そのマイク。ちょっと貸していただけませんか?」
「え、あ、はい。どうぞ」

 突然のことに司会者は戸惑ったが、素直に若林にマイクを手渡した。
 実はこの司会者、若林をたいへん尊敬していた。
 常ならぬ展開に場内がざわめきはじめたとき、若林はマイクを使って言った。

「申し訳ありませんが、私はこの勝負を棄権します」

 一瞬にして場内は静まり返った。
 夕夜も、司会者も、ウォーンライトも、アリスも、正木も、千代子も、美奈も、驚いて若林を見た。
 スクリーンには、非常に静かな表情をした若林が映っている。

「というより、私にはこの勝負をする資格がないのです。この〝夕夜〟は、これまで私が一人で作ってきたと称してきた〝夕夜〟は、実は私一人で作ったものではありません」
「博士!」

 とっさに夕夜は若林を止めようとした。が、若林はなだめるように笑って、そのまま話しつづけた。

「この〝夕夜〟は、私と、当時私の同僚だった、正木凱とで作りました。彼は私のもう一体のロボット〝美奈〟の、プログラム製作者でもあります。
 このことを隠してきたのは、決して私の本意ではありません。しかし、理由の如何いかんを問わず、事実を偽ってきたことに変わりはありません。今そのことを皆様にお詫びすると共に、私はこの勝負を棄権いたします。皆様、本当に申し訳ありませんでした」

 若林は観客に向かって深く頭を下げた。
 観客は何も反応できず、ただただ唖然としているばかりだった。
 若林が話している間、千代子は舞台ではなく、隣の正木の顔を見ていた。
 はじめは驚いていた彼の顔がしだいに赤く上気していき、やがて歓喜の笑みを浮かべるのを彼女はずっと見ていた。

「見ろ」

 ふいに正木は千代子を見て、さも得意げに子供のように笑った。

「あれが俺が十七年惚れつづけた男だ」

 そして、これからの人生を共にする男。

「そうね」

 苦く千代子は笑った。

「あれがあんたを十七年縛りつづけた男だわ」

 だが、そのときにはもう正木は舞台に目を戻していて、千代子のその言葉は聞いていなかった。
 若林は頭を上げた後、あっけにとられている司会者に、どうもすみませんでしたと言ってマイクを返した。

「あ、はい……どうも」

 司会者は言われるままマイクを受け取った。機転がきくことで有名なこの司会者も、この予想外の事態にすっかり観客の一人と化してしまっていた。

「夕夜、帰るぞ」

 自分の隣であっけにとられていた夕夜にそう声をかけると、若林はさっさと舞台の端にある階段に向かって歩いていった。

「え……あ、はい」

 夕夜は迷ったが、結局、若林に従うことにした。
 しかし、何となくウォーンライトのことが気になって、階段を下りる前に、上手にいる彼を見た。
 ウォーンライトは存外驚いた顔をしていなかった。仏頂面をしているアリスの肩に手を置いて、ただ限りなく苦い笑みを浮かべて、自分たちのほうを見ていた。
 夕夜には何とも言いようがなかった。若林があんなことを言い出すなんて、自分だって思わなかったのだ。
 そのとき、若林が夕夜を振り返った。そして、その先のウォーンライトを見た。
 それはほんの一、二秒。でも、長い一、二秒だった。
 つと、若林は前に向き直って階段を下り、ウォーンライトはそれを黙って見送った。もうどんな言葉も傲慢にしかならないことを、若林は知っていたのだ。
 だが、夕夜はウォーンライトたちに軽く頭を下げてから、自分も階段を下りていった。
 いきなり場内へと下りてきた若林に、観客たちは無言のまま道を開けた。
 何が何だかまだよくわからないが、下手へたに声はかけられないような雰囲気が彼にはあった。
 その彼を、壇上を照らしていたスポットライトが追いかける。ここの照明係はどんなことがあっても動じない性格のようだ。若林は大股で、どんどん会場の中央に向かって歩いていく。
 その後を歩きながら、夕夜はまさかと思った。その方向に誰がいるか、彼にはもうわかっていたからだ。
 やがて若林は足を止めた。スポットライトもそこで止まった。そこには黒いドレスを着た娘と、タキシード姿の長髪の男が立っていた。
 娘はぱっと離れて夕夜のほうに行き、一緒にスポットライトの輪からそっと抜け出た。
 周囲が息を潜めてこの先の展開を見守る中、若林はこの長髪の男に少し照れくさそうに笑いかけた。

「これでいいんだろう? ――正木」

 そう言われた瞬間――
 長髪の男――正木は、跳びつくようにして若林に抱きついた。
 若林は少しぐらついたが、すぐに体勢を立て直して、戸惑いながらも正木を抱きしめ返した。
 決して華奢ではない体。でも、これは〝運命〟。〝運命〟そのもの。

「言いにくいんだけど……」

 正木にしか聞こえないよう、若林は彼の耳元に囁いた。

「俺はきっと、こうして抱きしめる以上のことはおまえにできないと思う。それでも――結婚してくれるか? 俺のそばにいてくれるか?」

 今度もすぐに『うん』と言おうと思った。
 しかし、もう声が出なくて、正木は若林の胸の中で、何度も大きくうなずいた。
 この胸と腕があればいい。
 きっと、それだけでもう自分は生きていける。
 だって、この胸と腕は、間違いなくあの〝若林修人〟のものなのだから。
 十六年前のあの日、突然『結婚してください』と言った、あの男のものなのだから。

「じゃ、帰ろうか」

 若林は優しくそう言って、正木を小脇に抱えるようにして歩き出した。
 涙もろいくせに人に泣き顔を見られるのは嫌いなこともよく知っているから、若林は自分の腕で正木の顔を隠してくれた。
 この男は本当は〝鈍感〟なんかじゃない。気づかないふりがうまいだけだ。あんまりそれがうまいから、ここまで来るのに十七年もかかってしまった。
 もしかしたら〝鈍感〟だったのは自分のほうだったのかもしれない。この男はこの男なりに、自分のことを思っていてくれたのかもしれないのに。
 そんな二人の後ろ姿をしばし見送ってから、夕夜と美奈は顔を見合わせてにやっと笑い、互いの手を打ち鳴らした。かくしてここに二人の念願は成就したのだ。

「じゃあ、僕らも帰ろうか」
「二人だけじゃ心配だものね」

 夕夜は美奈の手を引いて、いまだにスポットライトを浴びている二人の後を追って走り出した。
 人々は圧倒されて身じろぎ一つしない。その中で千代子だけが笑って帽子を振っていた。彼女はスポットライトを浴びる前に正木から離れたのだ。
 美奈はそれに空いているほうの手を振って応えてやった。今日だけはサービスだ。
 まもなく二人は若林たちに追いついて、今度はその後をゆっくりと歩いた。扉はもう目の前にある。

「悪いけど、開けてくれないか?」

 若林が笑いながら肩ごしに二人を見た。

「俺は今、手が離せないから」

 夕夜と美奈はにっこり笑って二人の前に回り、左右の扉を同時に開いた。
 ロビーの白い光が現れた。
 その光の中を、二人がしっかりと抱きあったまま進んでいき、その間に生まれた美しい男女のロボットは、観客に対して優雅に頭を下げてから、同時に扉を閉めた。
 幕は下りた。
 スポットライトも照らすべき役者を失って、ようやく消えた。

「おい、光川みつかわ! やったぞ! これでうちに若林君来るぞ!」

 舞台の袖にいたスリー・アール社長――正木敬が、暗いことをいいことに舞台へと飛び出してきて、まだ呆然としている司会者に嬉々として叫んだ。

「やっぱりあれ、凱さんだったんですか?」

 呆然としたまま、司会者――光川は問い返した。

「そうだよ。しかし、何だね。若林君も地味そうに見えて、こっちが恥ずかしくなるくらい派手にやったね。はっはっはっ」

 敬は陽気に笑い飛ばした。彼にとっては、これはその程度のことなのだ。

「はっはっはっじゃなくて、どうすんですか、この後は! これはもう立派なスキャンダルですよ! 夕夜君が若林教授と凱さんの共同製作だったことも、その二人がああして熱い抱擁を交わしたことも! 社長、身内のことなんだから、何とかしてくださいよ!」

 ようやく我に返って、光川は一気にまくしたてた。
 共同製作のことはともかく、若林と正木がそういう仲だった(としか考えられまい。あの様子を見たら)とは。
 確かに、以前からその噂はかなりの信憑性を持って流れてはいたが。

「私は凱に身内と言うなと言われてるんだ。それに、この場をうまくまとめてこそ名司会者だ。おまえなら何とかできる、できるぞー、光川! 今回は特別手当出すから、何とかするんだ!」
「します」

 光川は一瞬にしてしゃんとなった。金の力は偉大である。

『やられたね』

 場内を見渡しながら、むしろさっぱりとした表情でウォーンライトは言った。

『負けて勝つのは、日本の伝統芸かな』
『だから言ったのよ』

 アリスはこのうえもなく不愉快そうに顔をしかめて、今は何も映っていないスクリーンのほうを見ていた。

『こんな勝負するだけムダだって。あんな男のどこがいいのよ』

 ウォーンライトは驚いたようにアリスを見下ろしたが、苦く笑って彼女の髪を撫でた。

『君にそんなことを言わせるプログラムを作った男だからだよ』

 そのとき、舞台がパッと明るくなった。
 舞台中央には、開き直った光川が立っている。

「ええー、そんなわけで、若林教授が棄権されましたので、自動的にこの勝負はウォーンライトさんの勝ちということに……」

 スリー・アールが誇る名司会者は、まるで何事もなかったような顔をして、この日の飛び入りを強制終了させた。
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