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あなたは死なない/浮気した攻めと浮気相手が無事報復される話
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麻耶部祥吾(まやべしょうご)と白竜直樹(はくりゅうなおき)の出会いは最悪だった。俗にいう不良ばかりの底辺高校に通ってた祥吾は、隣のクラスに誰にも媚びない生意気な奴がいると下っ端に耳打ちをされ、彼らに命令を出し直樹を呼び出した。
底辺高校とはいえ成績優秀で腕っぷしが強かった祥吾は学年のトップとなり、取り巻き達に囲まれて日々つまらない学生生活を送っていた。
祥吾は自分の顔立ちがかなり整っていることを自覚していたが、それは男として魅力的な風貌で、長身でほどよく筋肉が付いた均整の取れた身体付きには、よく女たちが寄って来た。
「きれいだ」
これが直樹を初めて見た祥吾の感想だった。ほかの人間から見れば、直樹の顔立ちは整っている方ではあるが、それも決して目立つものではなく極々平凡に見えるだろう。身長も高くもなく低くもなく、取り立てて華奢な身体つきでもない。庇護したくなるような可愛さもなく、短髪黒髪で涼し気な目をしている。
目の前の地味で平凡な男は、祥吾にとっては美しい人そのものだった。
「白竜君、俺と仲良くしてくれない? 楽しい学校生活を送らせてあげるから」
その意味は、断れば今日からお前の人生は最悪なことになるという脅しであった。祥吾の立場を利用すれば、いつでも彼はイジメの標的になるだろう。
少しだけ戸惑った様子でこくんと頷く直樹が、祥吾にとってはこの上なく好ましく愛おしいものとして映った。
出会いは最悪であったが、その後祥吾は周囲から呆れられるぐらいに直樹を溺愛していた。下にも置かない扱いとでも言うのだろうか、まるで騎士が姫に忠誠を誓うかの様に大切に慈しんでいたと言えるだろう。
直樹は、そんな祥吾に必要以上に卑下することも甘えることもなく、親しい同性の友人のように、けれども一歩引いたところで自然体に接していた。自分を特別視しないそんなところが、彼にとってさらに好ましかったのかもしれない。
祥吾は恋に溺れていたが、周囲に対して盲目でもあった。祥吾の庇護を一身に受けている直樹に良くない感情を抱くものも多く、アオイという人物がその筆頭であった。
アオイは艶やかな淡いベージュの髪色に少しばかり緑がかった綺麗な目を持っている。白い肌やすっと通った鼻梁、形の良い唇は絶世の美少年と言っても過言ではない。彼は祥吾と直樹が出会う前から祥吾に心酔しており、身体だけでもいいから祥吾のものになりたいと強いアプローチをしていたのだ。
「えーいくらお前が美形でもなぁ、かわいい子は沢山いるし、わざわざ男を選ばないだろ」
心無い言葉と、その後に頭をぽんぽん撫でられる残酷な優しさを与えられて。「彼は男性に興味がないのだろう」とアオイは自身を無理やり納得させた。
それなのに、だ。祥吾は直樹を溺愛し、友情や親愛といった感情を呼び超えて、はた目から見ても丸わかりな、執着と性的などろどろした目線を直樹に贈り続けている。
「なんでお前なんだろうね」
アオイは取り巻きを連れて直樹に暴行を加えながら、忌々しいといった様子を隠そうともせずに吐き捨てた。
顔や手足など露出する部分にはやらず、服で隠れるところなどを執拗に責めた。そのほかにも直樹は持ち物を壊されたり頭から水をかけられたり、時には虫やゴミを食わされることもあった。
「お前、祥吾から離れなよ」
離れたらこの学校にお前の居場所はなくなるだろうけど。そうしたら不登校でも転校でも何でもすればいい。それぐらいの自由は許すよ。お前が僕と祥吾の前から消えてくれたらそれでいいんだ、とアオイは美しい顔にふさわしくない、歪んだ笑みを浮かべる。
けれども目の前の男はどこか飄々としており「今日はこれで終わりか、気が済んだか」といった風でしっかりした足取りでその場を立ち去ってゆく。
汚されても痛めつけられても動じない様子の男に、アオイは更に苛立ちを覚えていた。
「麻耶部さん、あの……白竜君が」
「あ? お前が気安く直樹の名前を口に出すな」
「……すみません」
祥吾の周囲にいる心優しい取り巻きの何人かは、直樹が誰かに苛められているということを知っていて助言を与えてくれようとしていた。
けれども祥吾は直樹を溺愛し、彼の名を誰かが口にするだけでも苛立ちを覚えその本質を見ようとはしなかった。
祥吾は、直樹の異変や置かれている状況がわからなかったし、見ようともしなかったのだ。
「……」
「白竜君ごめんな、ごめん」
アオイや祥吾の取り巻きは学校でも有数の勢力であり、下手な行動をすると今度は自分がターゲットになってしまう。自己保身のために申し訳ない、助けてあげられなくてごめん、いくらでも恨んでくれてかまわないと頭を下げる取り巻きの一人はヤマザキと言った。
直樹は、ヤマザキを含めた人の心がある何人かの人物に、慈愛の眼差しを向けている。それからアオイとその取り巻き、祥吾には別の眼差しを。
思えばこれは選別の瞬間だったのかもしれない。
「お前が好きだ、付き合ってほしい」
卒業式前日、直樹は祥吾に告白をされた。高校生活が終われば皆それぞれ離れ離れだ。祥吾も直樹も同じ県内の大学へ進むが、通い先は別だった。
「……」
直樹の目の端には、アオイが居た。遠巻きにこちらを見つめる様子は憎しみに満ち溢れている。「いいよ」と返した言葉は、彼の耳にも届いているだろうか。
「白竜、本当にアイツと一緒で大丈夫か?」
昼食時、ヤマザキは直樹にそう訊ねる。ヤマザキも直樹も高校時代は目立たぬよう及第点ともいえる無難な成績でやり過ごし、その後は名門と呼ばれる大学に入った。
祥吾も難関大学に入学できたが、そこでも遊びまくっているようだ。それは女遊びも同様で、直樹と同棲後も彼は遊びをやめなかった。
「あ、もしかして本妻の余裕ってやつ?」
女遊びはしているが、大学に入ってからも祥吾の直樹に対する異常な執着と溺愛っぷりは変わらない。こんな男に好かれたのだから無論「清い交際」などするわけもなく、直樹はほぼ毎日のように祥吾に抱かれている。それに加えて女遊びもするのだから、彼は性欲が異様に強く、一人の人間では発散しきれないのかもしれないと直樹は思った。
「なーに落ち込んでんの?」
久しぶりに酔いすぎて羽目を外した祥吾に対して、優しい声をかけているのはアオイだ。彼は祥吾と同じ大学にいる。とはいえもともと勉強ができたわけではなく、それこそ涙ぐましい努力で試験に臨んだようだった。
「……直樹が、俺のこと好きかどうかわからなくなってきた」
不貞腐れたそれは可愛い恋人の嫉妬だが、アオイの心に黒い炎が灯る。直樹、直樹、直樹……いつも彼の心は直樹でいっぱいだ。それなのに彼は直樹を本当のところで見ていない。盲目的で自分勝手な感情だとしても、それを向けられているあの男がアオイにとって憎らしくて羨ましくてたまらなかった。
「いくら女と遊んでも嫉妬のひとつもしてくれないんだよなぁ、飄々としたところも可愛いんだけどさ」
にへらと笑う目の前の男が愛おしくて憎い。アオイは悪魔のささやきをする。
「ねえ、遊んでるのは女だけ?」
「当たり前だ。男は興味がない」
直樹以外は。彼にとって直樹は男という性別の枠組みを超えてでも執着する対象なのだろう。
「じゃあさ……男とも、ヤってみたら?」
今まで女だけだから、あの人も安心しているんじゃないの? 流石に男にも手を出されたら焦って不安がるんじゃないかなぁ。名前すら呼びたくない男を「あの人」として、アオイは祥吾の手を取る。
「僕の事、いくらでも使ってくれていいよ?」
契約は成立してしまった。アオイの滑らかな白い肌や鎖骨に、直樹を思った。けれども直樹はこんな細い身体ではない、女のような媚を見せない、こんなはしたない嬌声を上げないと祥吾は頭のどこかでは冷めていた。
「っあ、ああぁあ、あん、やぁ、あんっ♡」
けれども身体だけは正直で、わかりやすいぐらいの喘ぎ声をあげてやると、祥吾はアオイの腰を掴み複数回自身の腰を打ち付けてやり、どろどろした欲望をその身に吐き出した。
ゴムも着けずヤリ棄てのように白濁をそのままにされて、それでもアオイは身体だけでも祥吾が手に入ったことに悦びを覚えていた。
「……?」
次の日の朝、首筋や鎖骨の紅い痕を気にすることもなく起き出してきた不誠実な男を目の前に、直樹は首を傾げた。
風呂にも入らなかったのだろう祥吾からは、いつもの女らしい香水とは違う匂いが残っている。
「……」
その匂いには心当たりがあった。高校時代に直樹の髪を掴み便器の水に思い切り押し込まれた時や、虫やゴミを食わされた時や、取り巻きを使って暴行を働く際に耳元で「死ね、消えろ」と囁かれた時に香った香水と同じものだった。
「直樹、どうした?」
んー顔真っ白にして? 具合悪いか? 体調悪いなら今日は俺とずっと一緒に寝てようか。 自身の浮気にショックを受けたのだろうと勘違いした祥吾は、上機嫌で直樹を優しくかき抱くと介抱のためベッドに運ぼうとする。
「……」
今の直樹には、ただただ祥吾の臭いが不快だった。
「ああ、ごめんな。俺昨日風呂にも入ってなかった! 臭いよな、今すぐシャワー浴びて来るね!」
わざとらしいうっかりした表情を見せると、おどけた様子で祥吾はバスルームへと消えていった。
「ふふ、あはは」
シャワーの音で掻き消しながら、祥吾は喜びの感情を必死で抑えていた。普段とは違う香水や俺の様子に、直樹の目は震えていた。これまで女と遊んでいた時は歯牙にもかけない風だったのに、今日の動揺した様子に祥吾の心は満たされていた。
これは癖になるかもしれない。甘い毒蜜がキュウと祥吾の心を締め付けるようにしてとろりとろりと垂れてゆく。紫色の毒々しい色合いのようなそれは、あまりにも甘美だ。最愛がこちらに向けてくれる感情が嫉妬でも、彼は嬉しかった。
「や、あ♡ もう、いきなり何? あ、や♡ やぁ♡ あん♡」
最初の頃は、基本的に直樹以外の男に興味がない祥吾は、やってもあまり違和感の生じない「女性のような男」を探していた。
「それなら僕でいいじゃん」
それに、同じ相手とやってるほうが本気かと思ってあの人も焦るかもよ? とアオイは囁く。それとなく本命である直樹との性行為も減らすように、親切ごかしてアドバイスという破滅へ導く。好きな男の気を引きたいがだめに、自分の言いなりになっている祥吾がアオイには可愛くて愛おしくて仕方がなかった。
「……」
「んー? どうした直樹?」
不快な臭いを我慢しながら、珍しく抱き付いてくる直樹に祥吾はこれ以上ないという甘い笑みを浮かべる。普段は外でスキンシップを取ることがない気まぐれな猫のような恋人に、祥吾はこのうえなく愛おしさを覚える。
「手、冷たいね。こうしたら温かいかな」
祥吾は直樹の手を繋ぎ、そのまま自身のコートのポケットにそっと、宝物をしまうかのように収めた。
「顔赤くして、可愛い」
やはり自分には直樹しかいない。他はいらないと祥吾は思う。これだけ甘えた姿を見せてくれたのだ、そろそろ浮気ゴッコも終わりにしようかとぼんやり考える。
彼にとって女やアオイと身を交わすことは浮気未満で、トイレに行くような排泄行為とさほど変わりがなかった。
「祥吾の部屋、行きたい」
アオイの媚びた甘え声に「やだよ面倒くさい」と祥吾は返す。祥吾の部屋でやりたいと珍しくアオイは食い下がる。祥吾のベッドでやれば、あの人はもっと傷ついて嫉妬するでしょうといつもみたいに耳元で囁く。
「……今回だけな」
身を交わすうちに少しばかり情でも移ってしまったのか、祥吾は仕方なくといった様子で、直樹と暮らしているマンションのドアを開けた。
「……」
直樹にとって、或いは二人にとって運の悪いことに。祥吾とアオイが部屋に入るところを直樹は目撃してしまった。彼は無言でスマホを取り出すと、どこかへ電話をする。
「あっあっあぁあ♡ おく、もっとっきもちいっああぁあ♡」
盛りのついた猫のように、アオイは祥吾の上に跨り腰を上下させている。わざと自分の痕をベッドのシーツやマットに染みつけようとでもしているのか、それとも意中の男の部屋でセックスができて嬉しいのか。
浅ましいぐらい乱れたアオイの姿を、祥吾はどこか冷めた目で見ている。
「ぁああっ♡ や、やぁん♡ あぁあ♡ 祥吾、ね♡ キス、キスして♡」
「……」
これまで祥吾とアオイはキスをしたことがない。散々身体だけは繋げていたが、祥吾にとっての一線はそれだったのかもしれない。
「ぅん♡」
「馬鹿、やめろ」
急に身を倒してきたアオイを避けることができず、祥吾の口にアオイのそれが重なる。
首に両腕を絡め、小鳥のような啄むキスを顔中に浴びせるアオイを引きはがそうとした最中、彼は玄関のドアが静かに開く音を感じた。
「……直樹」
黒いコートも脱がずに立ち尽くす直樹の表情は無で、その感情を窺い知ることはできない。彼の様子に祥吾は狼狽するが、アオイは勝ち誇ったような表情を直樹に見せつける。しかし、直樹の後ろにいる者たちの姿を見て瞬時に顔を強張らせた。
「そっちの男前は丁重にお迎えしろ」
「坊ちゃんの彼氏ですもんね」
「……そっちは」
「ははっ」
四方がコンクリートで塗り固められた簡素な地下室に、祥吾とアオイは連れて行かれた。祥吾は地下室には不釣り合いな豪華なソファに座らされているが、アオイは固い地面に正座をさせられている。
「いい大学に通ってても、やっぱり馬鹿校出身は一般常識が足りてないんですかね」
「学の足りなさではお前に言われたかねえだろ、ヨシオカ」
地下室には祥吾とアオイの他、黒スーツ姿の男が二人いる。無遠慮にアオイと祥吾の顔を交互に見る男はヨシオカという名前のようだ。
「若者のTV離れって本当なのかね、兄ちゃんたち。ニュースや新聞ぐらい読んどきなよ。白竜コーポレーション、名前ぐらい聞いたことあんだろ」
祥吾と、特にアオイは目に見えるほどさっと顔を青ざめさせる。白竜コーポレーション、またの名を白竜組という。国内でも最大規模の指定暴力団だ。
白竜直樹は、組長の一人息子だった。
「やめて、やめてください、何でもしますから、誰にも言いませんから……」
アオイは黒スーツの一人に髪の毛を鷲掴みにされると、どこから取り出したのかそのままバリカンで無造作に刈り取られる。囚人のように丸刈りにされた後は、服を脱がされて裸のまま床に座らされた。
「……俺にはしないんですか」
「坊ちゃんの彼氏だからな」
祥吾はどこか他人事のように、髪の毛と共にまるで人の尊厳まで刈り取られたかのようなアオイにちらと目線を送る。子供の頃、近所のお転婆な女の子がミカちゃん人形だかジェミーちゃん人形だかを、いたずらで丸坊主にしていた時のことを思い出していた。
「子供ってのは残酷だな」
独り言が漏れていたのだろうか、黒スーツは祥吾の言葉に肩をすくめて見せた。準備は整ったとばかりに、黒服は部屋に複数の人間を連れて来た。その顔には見覚えがある、彼らは同じ高校の生徒で、アオイの取り巻き達だった。
「今日はちょっと大仕事だな」
連れてこられた者たちは皆、目の焦点が定まっていない。少し身をかがめて立っているその姿は魂を抜かれたアンデットのようだった。口を開けたまま口の端から涎を垂らしているものもいる。子供の頃に好きだったのだろうか、小さく童謡を歌っているものもいる。
「あぁあ、ぎゃぁああ、いだい、いだいいぃい……!」
「いだいっ! 痛いいだぃいい!」
アオイの取り巻き達は、一人一人丁寧に指を一本潰されていった。次に指を潰されるのは自分だとわかっているだろうに、彼らは一列に並び逃げることはしなかった。小指を潰されたもの、中指を潰されたもの、可哀想に親指を選ばれたものは潰すのに力が必要だったのだろう、何度も何度も鈍器で叩かれた。いっそ切り落としてやったほうが楽だっただろう、ちゃちなハンマーでガンガンやられてしまっては、痛覚がある限り永遠に苦しむだけだ。
「……」
人を痛めつけるやり方は、祥吾も身に覚えがあった。ここまで酷くはないが、彼が高校時代に反抗的なものに対してやっていた方法と似通った部分もある。
「肝が据わってんね、彼氏さん」
あんたもこっち側が向いてるのかな。怯えることなく高校時代の同級生たちを見据えている祥吾は、少しばかり退屈そうだった。
彼の良心が一般的なそれと同等かは怪しいものだが、祥吾がここに連れてこられたのは直樹がいるにもかかわらず不貞を働いたことであろうと、ぼんやりだが認識があった。
ヤクザというものは面子を重んじるものだ。次期組長に恥をかかされたのだ、恐らく拷問は免れないだろう。
決して待ち遠しいわけでもないのに、祥吾は「いつ自分の番が来るのだろう」と薬を打たれた者たちのように、静かに自分の番を待っていた。
「いい薬のおかげでね、頭がああなってるんだ」
「あいつらは、何をしたんですか」
「後で教えてやるよ。折角だから楽しみな」
アオイはガチガチと恐怖で身を震わせていた。指を潰された彼らは皆アオイの取り巻きで、直樹を苛めるのに使った連中だったからだ。これは白竜組の次期組長を痛めつけた報復だろう。
「父さん、母さん……!?」
次に部屋に入って来た者たちは、アオイの両親だった。手を後ろで拘束され猿轡を噛まされた二人は、変わり果てた実の息子に目を向けると、ウーウー言葉にならない呻き声を上げた。
「どうして! 父と母は関係ない!!」
「こいつは別件だよ。でもアンタのこともあるしね」
アオイの父は白竜コーポレーションで働いており、そこそこの地位があったが陰では会社の金を横領していた。母はアオイに似た美しい女性であったが、白竜組の幹部の一人と不倫関係にあり、そのイロに目に余るほどの嫌がらせをしていた。
父と、特に母の裏の顔を知り、アオイは顔から感情を抜け落ちたような表情を見せる。歪な丸坊主にされてしまっても、その顔はカスタマイズする前のドールのように美しかった。
「親子だな」
黒スーツはアオイの父と母の太腿にそれぞれ二発、弾丸を打ち込んだ。ビクリと全身を跳ね上げさせると、激痛にその身を悶えさせる。黒スーツの気まぐれだろうか、母親のほうの猿轡を取り外してやると、彼女は息子の方を向き
「バカ息子、お前のせいで! お前なんか産まなきゃよかった!」
ペッと唾を吐き捨てた。
「……親子だな」
黒スーツは少しだけアオイに同情の眼差しを向けて、彼の両親のこめかみに拳銃を向けて発砲した。コンクリートの冷たい床に崩れ落ちた両親の姿がアオイには信じられなかった。これは夢だろうか、それとも大がかりな映画の撮影だろうか? なんで自分がこんなことをされないといけないのだろう。
「あーあ」
悲劇のヒロインスイッチ入っちゃった。同情して損した。白竜に、直樹に憎しみのどす黒い炎を燃やしているアオイに、そういうところだよと黒スーツが冷たい眼差しを送った。
彼らがアオイの両親をあっさり殺したのは、唯一の情けと良心だった。アオイの取り巻き達に薬を使ってやったのも、情けだったかもしれない。
「……にい、ちゃん?」
「シュン?」
目に宿した退屈さを隠すことなくソファに座っていた祥吾は、実の兄弟を目の当たりにして少しだけ人間らしい感情を呼び戻させた。
シュンは両手を後ろ側に拘束されており、地下室の惨状に小動物のようにガタガタ身を震わせている。小さい頃から兄ちゃん兄ちゃんと祥吾にくっついて甘えていた弟の姿が思い出された。
「どうしてですか。シュンは関係ないです、直樹の事は俺が悪……」
黒スーツは無言で携帯端末を取り出す。再生された動画には、シュンが直樹に馬乗りになり、顔面を殴っているところが映し出されていた。男にしては小柄なシュンでは大した傷にもならないだろうが、直樹は抵抗することもなく黙って暴力を受けていた。
別の動画では、シュンは直樹に水をぶっかけていた。注意深く動画を見てみれば、シュンが誰かにいじめをやらされていることがわかるが、祥吾の目はどす黒く濁ってゆく。
下着ごと直樹のズボンが脱がされて、シュンに下腹部を踏みつけられる映像を目の当たりにした祥吾の目には、弟に対する憐憫がすべて消え去ってしまった。
「身内がすみません。それはお好きなようにしてください」
「可愛い大切な弟さんだろ」
「いえ、もう家族でもなんでもないです」
絶望の眼差しで兄ちゃんと縋りつこうとするシュンを、祥吾は汚らわしい者を見るような目で一瞥をくれる。
「坊ちゃんの彼氏の弟だしね、流石に酷いことはしない。就職先を決めてやるだけだよ」
彼は今後優しい薬を定期的に打たされ、知能程度を極限まで下げられた状態で客の相手をさせられるのだという。祥吾に似て顔立ちの整ったシュンは、男女問わずそういった場所でも需要があるのだそうだ。
つらい現実を忘れさせてくれる優しい薬には、人体に悪影響を及ぼす強い副作用があり、数年も打ち続けていれば恐らく廃人となってしまうだろう。
「彼氏さんの弟だけあってイケメンだねぇ。顔がいいだけで稼げる」
放せ、触るなと暴れるシュンの腹部や脚を数回殴りつけ、ようやく大人しくなったところを別の黒スーツたちがどこかへ連れて行った。もう、祥吾と会うこともないだろう。
黒スーツたちは、これまで飄々としていた祥吾に墨のような黒い感情が滲むのを確認すると、ソファに先ほど使用したハンマーや木刀、それからサックなどをわざと彼の手に届くように置いた。
「彼氏さん、その隣の兄ちゃんが何したかわかるか」
「こいつは、単なる浮気相手でしょう」
俺のとばっちりを喰らって気の毒だとは思いますけどね。口先だけでは申し訳なさそうにしながらも、アオイに対する罪悪感はなさそうだった。けれども、アオイの誘いに乗らなければこんな目に遭わなかったんだという怒りも感じられない。そこにあるのは無だった。
「そいつが坊ちゃんを苛めた張本人だ」
アオイは取り巻きを使い直樹を苛め、時に自ら手を出すこともあった。アオイは祥吾を慕っていた弟のシュンも気に入らず、兄に見つからぬように弟のシュンをいじめて脅し、イジメの主犯格の一人に仕立て上げていた。
また、シュンは実の兄に対して異常に執着していた。そこをアオイに付け込まれ、マインドコントロールのように直樹を憎むように仕向けていた。
黒スーツは明確にアオイが直樹に危害を加えている動画を大音量で再生させると、祥吾に見えやすいように携帯の画面を突き付けてやる。
「……っ祥吾、ちがうの、やめて、や、痛い、やだ、いたいよっ」
祥吾が拳で数発殴りつけてやると、アオイの鼻がへし折れる音がする。手元に残る感覚とクリスピーな間抜けな音に苛立ちを覚え、手元に触れたサックを握り込むとより丹念に顔面を殴った。ハンマーの頭の部分を口に置き足で踏みつぶすように垂直に蹴りを与えると、形の良い歯が数本へし折られる音が響いた。
神経が通っている歯をやられてしまうと、たいていの人間はあられもなく悶絶し苦痛に身を悶えるだろう。
「痴話げんかか」
「情事を見せつけられているみたいだな」
「手間が省けてこっちは楽だけど」
一見怒りに我を忘れているかのような暴行に見えるが、金的だけは手加減がされている。相手が死なないように力加減がされているところを見つけ、黒スーツは肩をすくめて見せる。歯と急所に暴行を加えた時のショックで、アオイは失禁をしていた。
「……汚え」
血や生理的に流れる体液に顔をしかめる。本当であれば触るのも嫌だといった風で祥吾はサックから木刀に持ち替えると、より効率的にアオイを痛めつけることにしたようだ。
顔を集中的に殴られてしまいアオイの顔は5倍ぐらいに腫れあがっている。前の美しかった面影はもうなく目も腫れあがり糸目のようになり、もはや視界が遮られてしまっているだろう。
けれども左目だけは意図したように殴るのを避けられており、辛うじて視力が生きているようだった。
「すみません、鏡持ってますか」
祥吾のお願いに一瞬沈黙すると、黒スーツは察した様子で頷く。どこかに電話をすると、数分もせずに別の黒スーツがやってきてこの場には不釣り合いすぎる立派な姿見を用意してくれた。
祥吾は「ありがとうございます」とお礼を述べると、アオイを蹴りあげて鏡の前まで転がした。鏡の前には変わり果てた自身の姿が映し出されており、まるで化け物のような姿にアオイは声にならない悲鳴を上げた。
自身を痛めつけている時ですら、祥吾からは何の感情も感じられずそれが酷くアオイをイラつかせていた。
「しょうごが、わるいんだよ」
少し周囲に気を配っていれば、高校時代に直樹がイジメられることもなかった。お前は直樹を見ているようで何も見ていなかった。お前が悪い。
ゴキリと鈍い音がアオイの体内に響く。辛うじて無事だったもう片方の目も殴られて腫れあがってしまい完全に視力を奪われた。ごぼごぼと口元から零れる液体がどす黒い血であることも判断ができず、先ほどから呼吸が苦しいのも、ヒューヒューした音が出るのは肺かどこかに折れたアバラが刺さっているのであろうことも、彼には判別ができなくなっていた。
人は簡単には死なないとも言えるし、ちょっとしたことですぐ死ぬ生き物ともいえる。アオイはどうやら前者のようで、数時間暴行を加えられたにもかかわらずまだ呼吸があった。
「ころしてください」
憑き物が落ちたかのように素直に死を願うアオイに対して、祥吾の目に慈悲はない。アオイが何か言葉を発する度に、腹部や背中に蹴りを食らわせた。
「彼氏さん、そろそろやめろ。殺しちまったら価値がなくなる」
そろそろ良い頃合いだとでも思ったのだろうか、黒スーツの一人は祥吾を引きはがし、アオイを部屋の外へ連れて行った。
「もう十分懲らしめただろう、あれにも社会復帰させてあげなくちゃ」
アオイは治療をされて体力が戻った頃に、四肢の切断手術が施されるのだという。黒スーツに「綺麗に歯をへし折ってくれてありがとう」と感謝をされたところから察するに、特殊な趣味を持つ金持ち達に買われるのだろうと祥吾は思った。
第二の心臓と呼ばれる血液のポンプの役割を果たす足を失う彼は、恐らく長くは生きてゆけないかもしれない。
「でもなぁ、あの兄ちゃん幸せだったんじゃないのかな」
最後に彼氏さんに見て貰えて。それが怒りや憎しみという形でも、祥吾がアオイに目を向けてくれたのが嬉しかったんじゃないかなと黒スーツの一人が言う。
演歌じゃないんだから、と別の黒スーツは気持ちが悪そうに顔を歪めて見せた。
「麻耶部祥吾、立て」
先ほどまで砕けた調子で接していた黒スーツ達は、祥吾を拘束し目隠しをさせた状態でどかに連れて行く。
ひんやりした風と空気が変わったことにより、外に出たことを感じる。車に乗せられて到着した先は、一流ホテルのスイートルームのような豪華な部屋だった。
入口には黒スーツが立ち、祥吾は部屋の中に放り込まれる。部屋の窓には外の景色を見つめている一人の男がいた。
「……綺麗だ」
とても質の良い、けれどもカタギのものではないスーツを着こなした男は白竜直樹、白竜組の次期組長だ。
祥吾にとって目の前の人物が直樹であれば、それが学ラン姿でもスーツ姿でも室内着であっても、いつも美しい人であった。
「何べそかいてんだ、祥吾」
直樹はいつものように祥吾を呼ぶと、大型犬を撫でるように頭に手を乗せる。祥吾は涙腺が決壊したかのように、とめどなくあふれる涙を止めることができなかった。
「ごめんなさい」
「んー? 何が?」
高校時代にお前がいじめられてたの、俺知らなかった。気づけなくてごめんなさい。浮気もごめんなさい。直樹がヤキモチやくところ見たくて、悪いことした、酷いことした、もうしない。でもアオイがお前に酷い事してたの知らなかった、助けてあげられなくてごめん。今まで本当にごめんなさい。
「……」
子供のように泣きじゃくりながら拙い謝罪をする祥吾を目にし、直樹は「及第点かな」と口先だけで呟く。
「祥吾」
「うん」
「俺のこと好き?」
「うん! 好き、大好き! 大好きです!」
「俺とずっと一緒に居てくれる?」
「もちろん! 一緒に居させてください」
そっかと静かに呟くと、直樹はじゃあ今日から祥吾は俺のペットね、と優しく耳元で囁く。ペットでもいいと情けなくも縋りついてくる男を、直樹は引きはがすこともなく優しく頭を撫でてやっている。
「よかったよ。俺、結婚するんだ」
だからペットにでもなってくれないと、祥吾と一緒にいられないからね。
よかったと安堵の笑みを浮かべる直樹と、一気に表情を無くし光の籠らない目でぼたぼたと大粒の涙をこぼす祥吾の姿がそこにあった。
「……やだ」
直樹に襲い掛かるように縋りつく祥吾の行動を予測していた黒スーツ達は、祥吾に鎮静剤を打ち込み部屋から連れ出す。
因果応報だが祥吾の浮気とは異なり、直樹の本妻は別におり、祥吾は情夫以下のペット扱いだった。
浮気という形で直樹の面子を潰した、一応は彼の恋人だった祥吾は足の親指を潰された。その後は白竜コーポレーションの事務などの仕事に就いている。基本的に座ってできる事務仕事であれば足はいらないだろうという事情と、外見だけはカタギにしてやろうという直樹からの配慮の結果だった。
種を明かすと、直樹は世継ぎのため政略結婚をしなければいけない身であった。相手の女との間に愛はなく、子を作るためだけにおこなわれるものであった。
直樹には大切な可愛いペットが、相手の女にも心から愛する「女」がいた。
愛がなくとも利害関係が一致した人間たちの結束は強く、夫婦にとって最も必要なものは話し合いだろう。ヤクザには面子というものがあるため離婚はできないが、互いにイロや情夫を持つことに問題がないと事前に擦り合わせ済みだった。
「どうした、傷でも痛む?」
自身は隣で寝ている男に散々喘がせられて、鎖骨や胸、太ももなど服から見えないところではあるが、執着の痕を全身くまなくつけられているというのに。
直樹は潰された左側の親指を見つめている祥吾の背にそっと手を置き、優しく撫でてやる。
「えへへ、違うよ。直樹に付けてもらった傷を見てたんだ」
まるで指輪を貰ったみたいと、祥吾は無邪気に喜んでいる。指を潰された時の痛みを覚えていられるから、いつまでも消えない直樹の証だと彼は笑う。
普段は無表情もしくは厳しい顔しか見せない直樹は、ぐしゃりと珍しくその表情を歪ませた。
月日が流れ、その後直樹は妻との間に3人の子を儲けることになった。政略結婚からいつしか愛が芽生えた、ということではなく。
こればかりは授かりものなので仕方がないのかもしれないが、第一子が女の子、第二子も女の子、第三子でようやく後継ぎとなる男の子が生まれたのだ。
直樹の子ができる度に嫉妬して泣き縋る祥吾の姿に、直樹は胸がすっとする思いと、少しばかりギュウと絞られるような感覚を覚えた。
ようやくお役御免だと実際に口にも出した妻は直樹の元を離れ、子を連れて最愛の恋人の元へ入り浸るようになった。
「直樹」
「なに」
「きれいだ」
可愛いと覆いかぶさる祥吾の背に手を回す。すっかり裏社会の男が板についた中年となった直樹も、祥吾の前では学生時代から変わらない綺麗で愛しい人のままのようだった。
「これは墓まで持って行ってもらわねえとなぁ」
祥吾が死んだ。過去の怨恨でも事故でも抗争に巻き込まれたわけでもなく、流行病に罹りあっさりとこの世を去ってしまった。
肺を侵されて散々苦しめられた割には、死に顔は穏やかできれいなものだったという。感染防止のため対面することもできず、直樹が会えたのはすでに火葬された後だった。
小さくなった祥吾の骨壺に直樹は銀色のリングを入れる。同じ形のリングを左手の薬指に付けた直樹は、せめて身体の形があるうちに、祥吾の左手薬指にはめてやれなかったのだけが心残りだった。
その日、直樹は夢を見た。
夢の中の祥吾は若く、大学を卒業した頃の姿をしている。彼は満面の笑みを浮かべ見せびらかすように直樹の前に左手を突き出し、薬指の指輪をきらりと光らせた。
直樹もつられてぎこちなく自身の指にはめている指輪を見せてやると、祥吾は泣き出しそうな顔で同じように指輪を見せて、無理やり笑顔を作ろうとしている。
直樹には祥吾の目尻に浮かぶ涙を、もう拭ってやることもできない。
それから、時折夢に祥吾がでてきた。彼は指輪を眺めては嬉しそうな様子でその場に佇んでいる。祥吾の周りには一面花が咲き誇っており、すぐ後ろには美しい川が流れている。
黒い布のようなマントを見に纏った男たちが、代わる代わる祥吾に話しかけているが、祥吾は静かに首を横に振りその場に留まっている。
直樹がさらに歳を重ねて老年期に差し掛かった頃、夢に出て来る黒い男と祥吾の会話を聞き取れるようになった。
「……あちら側に、ゆかないのですか」
いつものように祥吾は首を横に振る。
「待っている人がいるので」
これは単なる都合の良い夢だ。そう思い込むには、あまりにも祥吾の匂いが生々しかった。
底辺高校とはいえ成績優秀で腕っぷしが強かった祥吾は学年のトップとなり、取り巻き達に囲まれて日々つまらない学生生活を送っていた。
祥吾は自分の顔立ちがかなり整っていることを自覚していたが、それは男として魅力的な風貌で、長身でほどよく筋肉が付いた均整の取れた身体付きには、よく女たちが寄って来た。
「きれいだ」
これが直樹を初めて見た祥吾の感想だった。ほかの人間から見れば、直樹の顔立ちは整っている方ではあるが、それも決して目立つものではなく極々平凡に見えるだろう。身長も高くもなく低くもなく、取り立てて華奢な身体つきでもない。庇護したくなるような可愛さもなく、短髪黒髪で涼し気な目をしている。
目の前の地味で平凡な男は、祥吾にとっては美しい人そのものだった。
「白竜君、俺と仲良くしてくれない? 楽しい学校生活を送らせてあげるから」
その意味は、断れば今日からお前の人生は最悪なことになるという脅しであった。祥吾の立場を利用すれば、いつでも彼はイジメの標的になるだろう。
少しだけ戸惑った様子でこくんと頷く直樹が、祥吾にとってはこの上なく好ましく愛おしいものとして映った。
出会いは最悪であったが、その後祥吾は周囲から呆れられるぐらいに直樹を溺愛していた。下にも置かない扱いとでも言うのだろうか、まるで騎士が姫に忠誠を誓うかの様に大切に慈しんでいたと言えるだろう。
直樹は、そんな祥吾に必要以上に卑下することも甘えることもなく、親しい同性の友人のように、けれども一歩引いたところで自然体に接していた。自分を特別視しないそんなところが、彼にとってさらに好ましかったのかもしれない。
祥吾は恋に溺れていたが、周囲に対して盲目でもあった。祥吾の庇護を一身に受けている直樹に良くない感情を抱くものも多く、アオイという人物がその筆頭であった。
アオイは艶やかな淡いベージュの髪色に少しばかり緑がかった綺麗な目を持っている。白い肌やすっと通った鼻梁、形の良い唇は絶世の美少年と言っても過言ではない。彼は祥吾と直樹が出会う前から祥吾に心酔しており、身体だけでもいいから祥吾のものになりたいと強いアプローチをしていたのだ。
「えーいくらお前が美形でもなぁ、かわいい子は沢山いるし、わざわざ男を選ばないだろ」
心無い言葉と、その後に頭をぽんぽん撫でられる残酷な優しさを与えられて。「彼は男性に興味がないのだろう」とアオイは自身を無理やり納得させた。
それなのに、だ。祥吾は直樹を溺愛し、友情や親愛といった感情を呼び超えて、はた目から見ても丸わかりな、執着と性的などろどろした目線を直樹に贈り続けている。
「なんでお前なんだろうね」
アオイは取り巻きを連れて直樹に暴行を加えながら、忌々しいといった様子を隠そうともせずに吐き捨てた。
顔や手足など露出する部分にはやらず、服で隠れるところなどを執拗に責めた。そのほかにも直樹は持ち物を壊されたり頭から水をかけられたり、時には虫やゴミを食わされることもあった。
「お前、祥吾から離れなよ」
離れたらこの学校にお前の居場所はなくなるだろうけど。そうしたら不登校でも転校でも何でもすればいい。それぐらいの自由は許すよ。お前が僕と祥吾の前から消えてくれたらそれでいいんだ、とアオイは美しい顔にふさわしくない、歪んだ笑みを浮かべる。
けれども目の前の男はどこか飄々としており「今日はこれで終わりか、気が済んだか」といった風でしっかりした足取りでその場を立ち去ってゆく。
汚されても痛めつけられても動じない様子の男に、アオイは更に苛立ちを覚えていた。
「麻耶部さん、あの……白竜君が」
「あ? お前が気安く直樹の名前を口に出すな」
「……すみません」
祥吾の周囲にいる心優しい取り巻きの何人かは、直樹が誰かに苛められているということを知っていて助言を与えてくれようとしていた。
けれども祥吾は直樹を溺愛し、彼の名を誰かが口にするだけでも苛立ちを覚えその本質を見ようとはしなかった。
祥吾は、直樹の異変や置かれている状況がわからなかったし、見ようともしなかったのだ。
「……」
「白竜君ごめんな、ごめん」
アオイや祥吾の取り巻きは学校でも有数の勢力であり、下手な行動をすると今度は自分がターゲットになってしまう。自己保身のために申し訳ない、助けてあげられなくてごめん、いくらでも恨んでくれてかまわないと頭を下げる取り巻きの一人はヤマザキと言った。
直樹は、ヤマザキを含めた人の心がある何人かの人物に、慈愛の眼差しを向けている。それからアオイとその取り巻き、祥吾には別の眼差しを。
思えばこれは選別の瞬間だったのかもしれない。
「お前が好きだ、付き合ってほしい」
卒業式前日、直樹は祥吾に告白をされた。高校生活が終われば皆それぞれ離れ離れだ。祥吾も直樹も同じ県内の大学へ進むが、通い先は別だった。
「……」
直樹の目の端には、アオイが居た。遠巻きにこちらを見つめる様子は憎しみに満ち溢れている。「いいよ」と返した言葉は、彼の耳にも届いているだろうか。
「白竜、本当にアイツと一緒で大丈夫か?」
昼食時、ヤマザキは直樹にそう訊ねる。ヤマザキも直樹も高校時代は目立たぬよう及第点ともいえる無難な成績でやり過ごし、その後は名門と呼ばれる大学に入った。
祥吾も難関大学に入学できたが、そこでも遊びまくっているようだ。それは女遊びも同様で、直樹と同棲後も彼は遊びをやめなかった。
「あ、もしかして本妻の余裕ってやつ?」
女遊びはしているが、大学に入ってからも祥吾の直樹に対する異常な執着と溺愛っぷりは変わらない。こんな男に好かれたのだから無論「清い交際」などするわけもなく、直樹はほぼ毎日のように祥吾に抱かれている。それに加えて女遊びもするのだから、彼は性欲が異様に強く、一人の人間では発散しきれないのかもしれないと直樹は思った。
「なーに落ち込んでんの?」
久しぶりに酔いすぎて羽目を外した祥吾に対して、優しい声をかけているのはアオイだ。彼は祥吾と同じ大学にいる。とはいえもともと勉強ができたわけではなく、それこそ涙ぐましい努力で試験に臨んだようだった。
「……直樹が、俺のこと好きかどうかわからなくなってきた」
不貞腐れたそれは可愛い恋人の嫉妬だが、アオイの心に黒い炎が灯る。直樹、直樹、直樹……いつも彼の心は直樹でいっぱいだ。それなのに彼は直樹を本当のところで見ていない。盲目的で自分勝手な感情だとしても、それを向けられているあの男がアオイにとって憎らしくて羨ましくてたまらなかった。
「いくら女と遊んでも嫉妬のひとつもしてくれないんだよなぁ、飄々としたところも可愛いんだけどさ」
にへらと笑う目の前の男が愛おしくて憎い。アオイは悪魔のささやきをする。
「ねえ、遊んでるのは女だけ?」
「当たり前だ。男は興味がない」
直樹以外は。彼にとって直樹は男という性別の枠組みを超えてでも執着する対象なのだろう。
「じゃあさ……男とも、ヤってみたら?」
今まで女だけだから、あの人も安心しているんじゃないの? 流石に男にも手を出されたら焦って不安がるんじゃないかなぁ。名前すら呼びたくない男を「あの人」として、アオイは祥吾の手を取る。
「僕の事、いくらでも使ってくれていいよ?」
契約は成立してしまった。アオイの滑らかな白い肌や鎖骨に、直樹を思った。けれども直樹はこんな細い身体ではない、女のような媚を見せない、こんなはしたない嬌声を上げないと祥吾は頭のどこかでは冷めていた。
「っあ、ああぁあ、あん、やぁ、あんっ♡」
けれども身体だけは正直で、わかりやすいぐらいの喘ぎ声をあげてやると、祥吾はアオイの腰を掴み複数回自身の腰を打ち付けてやり、どろどろした欲望をその身に吐き出した。
ゴムも着けずヤリ棄てのように白濁をそのままにされて、それでもアオイは身体だけでも祥吾が手に入ったことに悦びを覚えていた。
「……?」
次の日の朝、首筋や鎖骨の紅い痕を気にすることもなく起き出してきた不誠実な男を目の前に、直樹は首を傾げた。
風呂にも入らなかったのだろう祥吾からは、いつもの女らしい香水とは違う匂いが残っている。
「……」
その匂いには心当たりがあった。高校時代に直樹の髪を掴み便器の水に思い切り押し込まれた時や、虫やゴミを食わされた時や、取り巻きを使って暴行を働く際に耳元で「死ね、消えろ」と囁かれた時に香った香水と同じものだった。
「直樹、どうした?」
んー顔真っ白にして? 具合悪いか? 体調悪いなら今日は俺とずっと一緒に寝てようか。 自身の浮気にショックを受けたのだろうと勘違いした祥吾は、上機嫌で直樹を優しくかき抱くと介抱のためベッドに運ぼうとする。
「……」
今の直樹には、ただただ祥吾の臭いが不快だった。
「ああ、ごめんな。俺昨日風呂にも入ってなかった! 臭いよな、今すぐシャワー浴びて来るね!」
わざとらしいうっかりした表情を見せると、おどけた様子で祥吾はバスルームへと消えていった。
「ふふ、あはは」
シャワーの音で掻き消しながら、祥吾は喜びの感情を必死で抑えていた。普段とは違う香水や俺の様子に、直樹の目は震えていた。これまで女と遊んでいた時は歯牙にもかけない風だったのに、今日の動揺した様子に祥吾の心は満たされていた。
これは癖になるかもしれない。甘い毒蜜がキュウと祥吾の心を締め付けるようにしてとろりとろりと垂れてゆく。紫色の毒々しい色合いのようなそれは、あまりにも甘美だ。最愛がこちらに向けてくれる感情が嫉妬でも、彼は嬉しかった。
「や、あ♡ もう、いきなり何? あ、や♡ やぁ♡ あん♡」
最初の頃は、基本的に直樹以外の男に興味がない祥吾は、やってもあまり違和感の生じない「女性のような男」を探していた。
「それなら僕でいいじゃん」
それに、同じ相手とやってるほうが本気かと思ってあの人も焦るかもよ? とアオイは囁く。それとなく本命である直樹との性行為も減らすように、親切ごかしてアドバイスという破滅へ導く。好きな男の気を引きたいがだめに、自分の言いなりになっている祥吾がアオイには可愛くて愛おしくて仕方がなかった。
「……」
「んー? どうした直樹?」
不快な臭いを我慢しながら、珍しく抱き付いてくる直樹に祥吾はこれ以上ないという甘い笑みを浮かべる。普段は外でスキンシップを取ることがない気まぐれな猫のような恋人に、祥吾はこのうえなく愛おしさを覚える。
「手、冷たいね。こうしたら温かいかな」
祥吾は直樹の手を繋ぎ、そのまま自身のコートのポケットにそっと、宝物をしまうかのように収めた。
「顔赤くして、可愛い」
やはり自分には直樹しかいない。他はいらないと祥吾は思う。これだけ甘えた姿を見せてくれたのだ、そろそろ浮気ゴッコも終わりにしようかとぼんやり考える。
彼にとって女やアオイと身を交わすことは浮気未満で、トイレに行くような排泄行為とさほど変わりがなかった。
「祥吾の部屋、行きたい」
アオイの媚びた甘え声に「やだよ面倒くさい」と祥吾は返す。祥吾の部屋でやりたいと珍しくアオイは食い下がる。祥吾のベッドでやれば、あの人はもっと傷ついて嫉妬するでしょうといつもみたいに耳元で囁く。
「……今回だけな」
身を交わすうちに少しばかり情でも移ってしまったのか、祥吾は仕方なくといった様子で、直樹と暮らしているマンションのドアを開けた。
「……」
直樹にとって、或いは二人にとって運の悪いことに。祥吾とアオイが部屋に入るところを直樹は目撃してしまった。彼は無言でスマホを取り出すと、どこかへ電話をする。
「あっあっあぁあ♡ おく、もっとっきもちいっああぁあ♡」
盛りのついた猫のように、アオイは祥吾の上に跨り腰を上下させている。わざと自分の痕をベッドのシーツやマットに染みつけようとでもしているのか、それとも意中の男の部屋でセックスができて嬉しいのか。
浅ましいぐらい乱れたアオイの姿を、祥吾はどこか冷めた目で見ている。
「ぁああっ♡ や、やぁん♡ あぁあ♡ 祥吾、ね♡ キス、キスして♡」
「……」
これまで祥吾とアオイはキスをしたことがない。散々身体だけは繋げていたが、祥吾にとっての一線はそれだったのかもしれない。
「ぅん♡」
「馬鹿、やめろ」
急に身を倒してきたアオイを避けることができず、祥吾の口にアオイのそれが重なる。
首に両腕を絡め、小鳥のような啄むキスを顔中に浴びせるアオイを引きはがそうとした最中、彼は玄関のドアが静かに開く音を感じた。
「……直樹」
黒いコートも脱がずに立ち尽くす直樹の表情は無で、その感情を窺い知ることはできない。彼の様子に祥吾は狼狽するが、アオイは勝ち誇ったような表情を直樹に見せつける。しかし、直樹の後ろにいる者たちの姿を見て瞬時に顔を強張らせた。
「そっちの男前は丁重にお迎えしろ」
「坊ちゃんの彼氏ですもんね」
「……そっちは」
「ははっ」
四方がコンクリートで塗り固められた簡素な地下室に、祥吾とアオイは連れて行かれた。祥吾は地下室には不釣り合いな豪華なソファに座らされているが、アオイは固い地面に正座をさせられている。
「いい大学に通ってても、やっぱり馬鹿校出身は一般常識が足りてないんですかね」
「学の足りなさではお前に言われたかねえだろ、ヨシオカ」
地下室には祥吾とアオイの他、黒スーツ姿の男が二人いる。無遠慮にアオイと祥吾の顔を交互に見る男はヨシオカという名前のようだ。
「若者のTV離れって本当なのかね、兄ちゃんたち。ニュースや新聞ぐらい読んどきなよ。白竜コーポレーション、名前ぐらい聞いたことあんだろ」
祥吾と、特にアオイは目に見えるほどさっと顔を青ざめさせる。白竜コーポレーション、またの名を白竜組という。国内でも最大規模の指定暴力団だ。
白竜直樹は、組長の一人息子だった。
「やめて、やめてください、何でもしますから、誰にも言いませんから……」
アオイは黒スーツの一人に髪の毛を鷲掴みにされると、どこから取り出したのかそのままバリカンで無造作に刈り取られる。囚人のように丸刈りにされた後は、服を脱がされて裸のまま床に座らされた。
「……俺にはしないんですか」
「坊ちゃんの彼氏だからな」
祥吾はどこか他人事のように、髪の毛と共にまるで人の尊厳まで刈り取られたかのようなアオイにちらと目線を送る。子供の頃、近所のお転婆な女の子がミカちゃん人形だかジェミーちゃん人形だかを、いたずらで丸坊主にしていた時のことを思い出していた。
「子供ってのは残酷だな」
独り言が漏れていたのだろうか、黒スーツは祥吾の言葉に肩をすくめて見せた。準備は整ったとばかりに、黒服は部屋に複数の人間を連れて来た。その顔には見覚えがある、彼らは同じ高校の生徒で、アオイの取り巻き達だった。
「今日はちょっと大仕事だな」
連れてこられた者たちは皆、目の焦点が定まっていない。少し身をかがめて立っているその姿は魂を抜かれたアンデットのようだった。口を開けたまま口の端から涎を垂らしているものもいる。子供の頃に好きだったのだろうか、小さく童謡を歌っているものもいる。
「あぁあ、ぎゃぁああ、いだい、いだいいぃい……!」
「いだいっ! 痛いいだぃいい!」
アオイの取り巻き達は、一人一人丁寧に指を一本潰されていった。次に指を潰されるのは自分だとわかっているだろうに、彼らは一列に並び逃げることはしなかった。小指を潰されたもの、中指を潰されたもの、可哀想に親指を選ばれたものは潰すのに力が必要だったのだろう、何度も何度も鈍器で叩かれた。いっそ切り落としてやったほうが楽だっただろう、ちゃちなハンマーでガンガンやられてしまっては、痛覚がある限り永遠に苦しむだけだ。
「……」
人を痛めつけるやり方は、祥吾も身に覚えがあった。ここまで酷くはないが、彼が高校時代に反抗的なものに対してやっていた方法と似通った部分もある。
「肝が据わってんね、彼氏さん」
あんたもこっち側が向いてるのかな。怯えることなく高校時代の同級生たちを見据えている祥吾は、少しばかり退屈そうだった。
彼の良心が一般的なそれと同等かは怪しいものだが、祥吾がここに連れてこられたのは直樹がいるにもかかわらず不貞を働いたことであろうと、ぼんやりだが認識があった。
ヤクザというものは面子を重んじるものだ。次期組長に恥をかかされたのだ、恐らく拷問は免れないだろう。
決して待ち遠しいわけでもないのに、祥吾は「いつ自分の番が来るのだろう」と薬を打たれた者たちのように、静かに自分の番を待っていた。
「いい薬のおかげでね、頭がああなってるんだ」
「あいつらは、何をしたんですか」
「後で教えてやるよ。折角だから楽しみな」
アオイはガチガチと恐怖で身を震わせていた。指を潰された彼らは皆アオイの取り巻きで、直樹を苛めるのに使った連中だったからだ。これは白竜組の次期組長を痛めつけた報復だろう。
「父さん、母さん……!?」
次に部屋に入って来た者たちは、アオイの両親だった。手を後ろで拘束され猿轡を噛まされた二人は、変わり果てた実の息子に目を向けると、ウーウー言葉にならない呻き声を上げた。
「どうして! 父と母は関係ない!!」
「こいつは別件だよ。でもアンタのこともあるしね」
アオイの父は白竜コーポレーションで働いており、そこそこの地位があったが陰では会社の金を横領していた。母はアオイに似た美しい女性であったが、白竜組の幹部の一人と不倫関係にあり、そのイロに目に余るほどの嫌がらせをしていた。
父と、特に母の裏の顔を知り、アオイは顔から感情を抜け落ちたような表情を見せる。歪な丸坊主にされてしまっても、その顔はカスタマイズする前のドールのように美しかった。
「親子だな」
黒スーツはアオイの父と母の太腿にそれぞれ二発、弾丸を打ち込んだ。ビクリと全身を跳ね上げさせると、激痛にその身を悶えさせる。黒スーツの気まぐれだろうか、母親のほうの猿轡を取り外してやると、彼女は息子の方を向き
「バカ息子、お前のせいで! お前なんか産まなきゃよかった!」
ペッと唾を吐き捨てた。
「……親子だな」
黒スーツは少しだけアオイに同情の眼差しを向けて、彼の両親のこめかみに拳銃を向けて発砲した。コンクリートの冷たい床に崩れ落ちた両親の姿がアオイには信じられなかった。これは夢だろうか、それとも大がかりな映画の撮影だろうか? なんで自分がこんなことをされないといけないのだろう。
「あーあ」
悲劇のヒロインスイッチ入っちゃった。同情して損した。白竜に、直樹に憎しみのどす黒い炎を燃やしているアオイに、そういうところだよと黒スーツが冷たい眼差しを送った。
彼らがアオイの両親をあっさり殺したのは、唯一の情けと良心だった。アオイの取り巻き達に薬を使ってやったのも、情けだったかもしれない。
「……にい、ちゃん?」
「シュン?」
目に宿した退屈さを隠すことなくソファに座っていた祥吾は、実の兄弟を目の当たりにして少しだけ人間らしい感情を呼び戻させた。
シュンは両手を後ろ側に拘束されており、地下室の惨状に小動物のようにガタガタ身を震わせている。小さい頃から兄ちゃん兄ちゃんと祥吾にくっついて甘えていた弟の姿が思い出された。
「どうしてですか。シュンは関係ないです、直樹の事は俺が悪……」
黒スーツは無言で携帯端末を取り出す。再生された動画には、シュンが直樹に馬乗りになり、顔面を殴っているところが映し出されていた。男にしては小柄なシュンでは大した傷にもならないだろうが、直樹は抵抗することもなく黙って暴力を受けていた。
別の動画では、シュンは直樹に水をぶっかけていた。注意深く動画を見てみれば、シュンが誰かにいじめをやらされていることがわかるが、祥吾の目はどす黒く濁ってゆく。
下着ごと直樹のズボンが脱がされて、シュンに下腹部を踏みつけられる映像を目の当たりにした祥吾の目には、弟に対する憐憫がすべて消え去ってしまった。
「身内がすみません。それはお好きなようにしてください」
「可愛い大切な弟さんだろ」
「いえ、もう家族でもなんでもないです」
絶望の眼差しで兄ちゃんと縋りつこうとするシュンを、祥吾は汚らわしい者を見るような目で一瞥をくれる。
「坊ちゃんの彼氏の弟だしね、流石に酷いことはしない。就職先を決めてやるだけだよ」
彼は今後優しい薬を定期的に打たされ、知能程度を極限まで下げられた状態で客の相手をさせられるのだという。祥吾に似て顔立ちの整ったシュンは、男女問わずそういった場所でも需要があるのだそうだ。
つらい現実を忘れさせてくれる優しい薬には、人体に悪影響を及ぼす強い副作用があり、数年も打ち続けていれば恐らく廃人となってしまうだろう。
「彼氏さんの弟だけあってイケメンだねぇ。顔がいいだけで稼げる」
放せ、触るなと暴れるシュンの腹部や脚を数回殴りつけ、ようやく大人しくなったところを別の黒スーツたちがどこかへ連れて行った。もう、祥吾と会うこともないだろう。
黒スーツたちは、これまで飄々としていた祥吾に墨のような黒い感情が滲むのを確認すると、ソファに先ほど使用したハンマーや木刀、それからサックなどをわざと彼の手に届くように置いた。
「彼氏さん、その隣の兄ちゃんが何したかわかるか」
「こいつは、単なる浮気相手でしょう」
俺のとばっちりを喰らって気の毒だとは思いますけどね。口先だけでは申し訳なさそうにしながらも、アオイに対する罪悪感はなさそうだった。けれども、アオイの誘いに乗らなければこんな目に遭わなかったんだという怒りも感じられない。そこにあるのは無だった。
「そいつが坊ちゃんを苛めた張本人だ」
アオイは取り巻きを使い直樹を苛め、時に自ら手を出すこともあった。アオイは祥吾を慕っていた弟のシュンも気に入らず、兄に見つからぬように弟のシュンをいじめて脅し、イジメの主犯格の一人に仕立て上げていた。
また、シュンは実の兄に対して異常に執着していた。そこをアオイに付け込まれ、マインドコントロールのように直樹を憎むように仕向けていた。
黒スーツは明確にアオイが直樹に危害を加えている動画を大音量で再生させると、祥吾に見えやすいように携帯の画面を突き付けてやる。
「……っ祥吾、ちがうの、やめて、や、痛い、やだ、いたいよっ」
祥吾が拳で数発殴りつけてやると、アオイの鼻がへし折れる音がする。手元に残る感覚とクリスピーな間抜けな音に苛立ちを覚え、手元に触れたサックを握り込むとより丹念に顔面を殴った。ハンマーの頭の部分を口に置き足で踏みつぶすように垂直に蹴りを与えると、形の良い歯が数本へし折られる音が響いた。
神経が通っている歯をやられてしまうと、たいていの人間はあられもなく悶絶し苦痛に身を悶えるだろう。
「痴話げんかか」
「情事を見せつけられているみたいだな」
「手間が省けてこっちは楽だけど」
一見怒りに我を忘れているかのような暴行に見えるが、金的だけは手加減がされている。相手が死なないように力加減がされているところを見つけ、黒スーツは肩をすくめて見せる。歯と急所に暴行を加えた時のショックで、アオイは失禁をしていた。
「……汚え」
血や生理的に流れる体液に顔をしかめる。本当であれば触るのも嫌だといった風で祥吾はサックから木刀に持ち替えると、より効率的にアオイを痛めつけることにしたようだ。
顔を集中的に殴られてしまいアオイの顔は5倍ぐらいに腫れあがっている。前の美しかった面影はもうなく目も腫れあがり糸目のようになり、もはや視界が遮られてしまっているだろう。
けれども左目だけは意図したように殴るのを避けられており、辛うじて視力が生きているようだった。
「すみません、鏡持ってますか」
祥吾のお願いに一瞬沈黙すると、黒スーツは察した様子で頷く。どこかに電話をすると、数分もせずに別の黒スーツがやってきてこの場には不釣り合いすぎる立派な姿見を用意してくれた。
祥吾は「ありがとうございます」とお礼を述べると、アオイを蹴りあげて鏡の前まで転がした。鏡の前には変わり果てた自身の姿が映し出されており、まるで化け物のような姿にアオイは声にならない悲鳴を上げた。
自身を痛めつけている時ですら、祥吾からは何の感情も感じられずそれが酷くアオイをイラつかせていた。
「しょうごが、わるいんだよ」
少し周囲に気を配っていれば、高校時代に直樹がイジメられることもなかった。お前は直樹を見ているようで何も見ていなかった。お前が悪い。
ゴキリと鈍い音がアオイの体内に響く。辛うじて無事だったもう片方の目も殴られて腫れあがってしまい完全に視力を奪われた。ごぼごぼと口元から零れる液体がどす黒い血であることも判断ができず、先ほどから呼吸が苦しいのも、ヒューヒューした音が出るのは肺かどこかに折れたアバラが刺さっているのであろうことも、彼には判別ができなくなっていた。
人は簡単には死なないとも言えるし、ちょっとしたことですぐ死ぬ生き物ともいえる。アオイはどうやら前者のようで、数時間暴行を加えられたにもかかわらずまだ呼吸があった。
「ころしてください」
憑き物が落ちたかのように素直に死を願うアオイに対して、祥吾の目に慈悲はない。アオイが何か言葉を発する度に、腹部や背中に蹴りを食らわせた。
「彼氏さん、そろそろやめろ。殺しちまったら価値がなくなる」
そろそろ良い頃合いだとでも思ったのだろうか、黒スーツの一人は祥吾を引きはがし、アオイを部屋の外へ連れて行った。
「もう十分懲らしめただろう、あれにも社会復帰させてあげなくちゃ」
アオイは治療をされて体力が戻った頃に、四肢の切断手術が施されるのだという。黒スーツに「綺麗に歯をへし折ってくれてありがとう」と感謝をされたところから察するに、特殊な趣味を持つ金持ち達に買われるのだろうと祥吾は思った。
第二の心臓と呼ばれる血液のポンプの役割を果たす足を失う彼は、恐らく長くは生きてゆけないかもしれない。
「でもなぁ、あの兄ちゃん幸せだったんじゃないのかな」
最後に彼氏さんに見て貰えて。それが怒りや憎しみという形でも、祥吾がアオイに目を向けてくれたのが嬉しかったんじゃないかなと黒スーツの一人が言う。
演歌じゃないんだから、と別の黒スーツは気持ちが悪そうに顔を歪めて見せた。
「麻耶部祥吾、立て」
先ほどまで砕けた調子で接していた黒スーツ達は、祥吾を拘束し目隠しをさせた状態でどかに連れて行く。
ひんやりした風と空気が変わったことにより、外に出たことを感じる。車に乗せられて到着した先は、一流ホテルのスイートルームのような豪華な部屋だった。
入口には黒スーツが立ち、祥吾は部屋の中に放り込まれる。部屋の窓には外の景色を見つめている一人の男がいた。
「……綺麗だ」
とても質の良い、けれどもカタギのものではないスーツを着こなした男は白竜直樹、白竜組の次期組長だ。
祥吾にとって目の前の人物が直樹であれば、それが学ラン姿でもスーツ姿でも室内着であっても、いつも美しい人であった。
「何べそかいてんだ、祥吾」
直樹はいつものように祥吾を呼ぶと、大型犬を撫でるように頭に手を乗せる。祥吾は涙腺が決壊したかのように、とめどなくあふれる涙を止めることができなかった。
「ごめんなさい」
「んー? 何が?」
高校時代にお前がいじめられてたの、俺知らなかった。気づけなくてごめんなさい。浮気もごめんなさい。直樹がヤキモチやくところ見たくて、悪いことした、酷いことした、もうしない。でもアオイがお前に酷い事してたの知らなかった、助けてあげられなくてごめん。今まで本当にごめんなさい。
「……」
子供のように泣きじゃくりながら拙い謝罪をする祥吾を目にし、直樹は「及第点かな」と口先だけで呟く。
「祥吾」
「うん」
「俺のこと好き?」
「うん! 好き、大好き! 大好きです!」
「俺とずっと一緒に居てくれる?」
「もちろん! 一緒に居させてください」
そっかと静かに呟くと、直樹はじゃあ今日から祥吾は俺のペットね、と優しく耳元で囁く。ペットでもいいと情けなくも縋りついてくる男を、直樹は引きはがすこともなく優しく頭を撫でてやっている。
「よかったよ。俺、結婚するんだ」
だからペットにでもなってくれないと、祥吾と一緒にいられないからね。
よかったと安堵の笑みを浮かべる直樹と、一気に表情を無くし光の籠らない目でぼたぼたと大粒の涙をこぼす祥吾の姿がそこにあった。
「……やだ」
直樹に襲い掛かるように縋りつく祥吾の行動を予測していた黒スーツ達は、祥吾に鎮静剤を打ち込み部屋から連れ出す。
因果応報だが祥吾の浮気とは異なり、直樹の本妻は別におり、祥吾は情夫以下のペット扱いだった。
浮気という形で直樹の面子を潰した、一応は彼の恋人だった祥吾は足の親指を潰された。その後は白竜コーポレーションの事務などの仕事に就いている。基本的に座ってできる事務仕事であれば足はいらないだろうという事情と、外見だけはカタギにしてやろうという直樹からの配慮の結果だった。
種を明かすと、直樹は世継ぎのため政略結婚をしなければいけない身であった。相手の女との間に愛はなく、子を作るためだけにおこなわれるものであった。
直樹には大切な可愛いペットが、相手の女にも心から愛する「女」がいた。
愛がなくとも利害関係が一致した人間たちの結束は強く、夫婦にとって最も必要なものは話し合いだろう。ヤクザには面子というものがあるため離婚はできないが、互いにイロや情夫を持つことに問題がないと事前に擦り合わせ済みだった。
「どうした、傷でも痛む?」
自身は隣で寝ている男に散々喘がせられて、鎖骨や胸、太ももなど服から見えないところではあるが、執着の痕を全身くまなくつけられているというのに。
直樹は潰された左側の親指を見つめている祥吾の背にそっと手を置き、優しく撫でてやる。
「えへへ、違うよ。直樹に付けてもらった傷を見てたんだ」
まるで指輪を貰ったみたいと、祥吾は無邪気に喜んでいる。指を潰された時の痛みを覚えていられるから、いつまでも消えない直樹の証だと彼は笑う。
普段は無表情もしくは厳しい顔しか見せない直樹は、ぐしゃりと珍しくその表情を歪ませた。
月日が流れ、その後直樹は妻との間に3人の子を儲けることになった。政略結婚からいつしか愛が芽生えた、ということではなく。
こればかりは授かりものなので仕方がないのかもしれないが、第一子が女の子、第二子も女の子、第三子でようやく後継ぎとなる男の子が生まれたのだ。
直樹の子ができる度に嫉妬して泣き縋る祥吾の姿に、直樹は胸がすっとする思いと、少しばかりギュウと絞られるような感覚を覚えた。
ようやくお役御免だと実際に口にも出した妻は直樹の元を離れ、子を連れて最愛の恋人の元へ入り浸るようになった。
「直樹」
「なに」
「きれいだ」
可愛いと覆いかぶさる祥吾の背に手を回す。すっかり裏社会の男が板についた中年となった直樹も、祥吾の前では学生時代から変わらない綺麗で愛しい人のままのようだった。
「これは墓まで持って行ってもらわねえとなぁ」
祥吾が死んだ。過去の怨恨でも事故でも抗争に巻き込まれたわけでもなく、流行病に罹りあっさりとこの世を去ってしまった。
肺を侵されて散々苦しめられた割には、死に顔は穏やかできれいなものだったという。感染防止のため対面することもできず、直樹が会えたのはすでに火葬された後だった。
小さくなった祥吾の骨壺に直樹は銀色のリングを入れる。同じ形のリングを左手の薬指に付けた直樹は、せめて身体の形があるうちに、祥吾の左手薬指にはめてやれなかったのだけが心残りだった。
その日、直樹は夢を見た。
夢の中の祥吾は若く、大学を卒業した頃の姿をしている。彼は満面の笑みを浮かべ見せびらかすように直樹の前に左手を突き出し、薬指の指輪をきらりと光らせた。
直樹もつられてぎこちなく自身の指にはめている指輪を見せてやると、祥吾は泣き出しそうな顔で同じように指輪を見せて、無理やり笑顔を作ろうとしている。
直樹には祥吾の目尻に浮かぶ涙を、もう拭ってやることもできない。
それから、時折夢に祥吾がでてきた。彼は指輪を眺めては嬉しそうな様子でその場に佇んでいる。祥吾の周りには一面花が咲き誇っており、すぐ後ろには美しい川が流れている。
黒い布のようなマントを見に纏った男たちが、代わる代わる祥吾に話しかけているが、祥吾は静かに首を横に振りその場に留まっている。
直樹がさらに歳を重ねて老年期に差し掛かった頃、夢に出て来る黒い男と祥吾の会話を聞き取れるようになった。
「……あちら側に、ゆかないのですか」
いつものように祥吾は首を横に振る。
「待っている人がいるので」
これは単なる都合の良い夢だ。そう思い込むには、あまりにも祥吾の匂いが生々しかった。
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コメント並びに感想ありがとうございます!
単なる浮気相手ならここまでならなかったのにね、という感じでしたね笑
直樹にも祥吾にも、歪に歪んでまともな心もあったのでこんな感じに着地できたのだと思います。
涙😢が止まらないラストでした😭素敵な作品をありがとうございましたm(_ _)m
読んでくださってありがとうございます!嬉しいです。
泣きました😭
読ませて頂きありがとうございました!
こちらこそ感想ありがとうございます!