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※芳樹
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駅を降り立ち階段と改札を駆け抜けて、感傷に浸る間もなく芳樹は家路を急ぐ。商店街が立ち並ぶ家の近所はそれなりに賑やかで、近隣住人たちとの距離感も近い。
近所の人たちとの挨拶もそこそこに、芳樹はドアのカギを開けて玄関で靴を脱ぐ手間も惜しいほどに、鞄を持ったままリビングへ転がり込むように辿り着いた。
「芳樹!」
彼の予想とは異なり、そこには両親の姿があった。TVにはR学園が映し出されているところを見ると、芳樹たちがどのような目に遭ってきたのかも知っているのだろう。
息子が無事に戻ってきたことにより、安堵で涙腺が決壊したのだろうか。しがみ付いてくる母親に戸惑いながらも、芳樹は肩に手を置いてそっと離すように促してやる。
周囲を見渡すと、普段からそれなりに雑然とした部屋はより一層荒れており、食器や雑誌などが無造作にそこらへんに転がっていた。
極稀に母と父が酷い喧嘩をすると、母の手からは物が投げつけられ室内を飛び交った。いつだったかそのとばっちりにより、罪もない窓ガラスが割れたこともあった。今となってはそれらは笑い話になるだろうが、今回は様子が違ったようだ。
「……親父」
びくりと身を震わせたのは、芳樹の父親である重行(しげゆき)だ。明るく豪胆な母と違い、重行はどこか陰気で卑屈な男であった。彼が高校時代にいじめに加担したのも、クラスのマドンナであった南条みなみ、大河の母親である旧姓岸本みなみの気を引きたいがために腰巾着になって、柳城悟の私物を隠したり破壊した経緯があったぐらいだ。
「多分な、柳城悟をいじめていた大河の母ちゃんも小春の父ちゃんも、ここにいる」
芳樹は指を突き付けた先は、TV画面上のR学園だった。
「山之内義人も」
芳樹の言葉に、重行は顔を青ざめさせた。主犯格である彼らはR学園に連れて行かれた可能性が高く、自主的に足を運んだということは恐らくないだろう。芳樹が父に問いただしたいことは一つだけ。
「なんで、親父はここにいる?」
芳樹はこんな状況でもなければ、父のしたことは決して許されないものではあるが、殺されるまでのことはしていないと考えていた。たとえ罪に問われてしかるべき判決が下されたのだとしても、誰が客観視してみても他の者も同様にそう思うだろう。
けれどもあの復讐ゲームの中では、常識も加減も通用しなかった。末端の関係性が薄いいじめ関係者の血縁者というだけで、何人もの生徒たちの首が飛び、贄同士の捻じれた生存競争で一方的な虐殺が行われ、数多の未来ある者たちが息絶えていった。
復讐ゲームはある種の心理学実験だったのだと言われたほうがまだ納得がいくぐらいには、全てが理不尽でコズミックホラーのような恐ろしさがあった。
「ごめんよ芳樹、私達親のせいでアンタを酷い目に遭わせて、お母さん申し訳なくて。情けない……本当に自分が情けないよ」
違う、母は何も悪くない。もともと口数が少ない芳樹は言葉にまごついたが、居心地が悪そうに俯いている父のテーブルに置かれている手紙が目に入った。
「これは」
手紙には『R学園に来てください』と、生沼川重行宛の簡素な文が記されていた。重行だけが臨場を自主性に任されているというのも、実に不思議な話ではあるが。
重行の性格上、きっと手紙など無視して何食わぬ顔で日常生活を送ろうとするのだろうから。もし主催側がそこに付け込もうとするのであれば、やはり芳樹や母がその犠牲になってしまう可能性もあるだろう。
「親父」
息子の言葉に、彼の父親は諦めた様子で初めて向き直った。
きっと息子は、過去の清算と家族を守るためにここを出て行けというのだろうと重行は思った。R学園にゆけばきっと自分も殺される、今更になって罪をいくらでも償いたい気持ちはあるが、命を落とすのはやはり恐ろしかった。
「親父、腹をくくれ。てめえがやったことの尻ぬぐいぐらいしてくれよ……親父のせいだけじゃないかもしれないけど、親父もあの人をいじめた加害者の一人なんだ。俺が親父を学校に連れて行ってやるから、ここに手を乗せろ」
芳樹が指し示すテーブルの先には、まな板と包丁が乗っていた。
泣き叫ぶ母親の声、苦悶の表情を浮かべ脂汗をかいて蹲る父親の姿、すまんという蚊が鳴くような小さな声は「俺じゃねえだろ」と悪態混じりに掻き消して、芳樹は再び家を出た。
―胸に抱えた幾度も布で包まれた小さな塊は、今の彼にとって何よりも大切なものだった。列車に乗り込み「一刻も早く学校へ着いてくれ」と祈る今の芳樹は一人のようで、一人ではなかった。
校門をくぐり校庭を横切って、いつもの見慣れた異空間を駆け抜ける。階段を上り2年A組のドアをスライドさせれば、黒板には白い文字で『生沼川重行』と記されていた。
「連れてきた……どうか、これで勘弁してください」
芳樹は教壇に白い布の塊を置くと、丁寧にそれを解きほぐして中身を見せつけるかのように広げてみせた。布の中には成人男性の指が一本入っていた。すっかり爪が黒ずみ、指が痛々しい紫色になっているのは、切断する前に輪ゴムや紐を巻き付けて鬱血させていたからなのだろう。
「アンタの苦痛は俺には到底分かるものじゃないと思う……それでも、本当に。父がすまなかった」
深々と頭を下げる芳樹の脳裏には、先ほど手づから落としてやった父の指がぽんっと跳ね上がる様子が思い浮かんだ。母親には気が狂ったかと叫ばれたが、芳樹は正気だった。彼の父も抵抗せずに大人しくまな板に指を置き、カタカタと震えながらも振り下ろされた包丁を大人しく受けたのは、芳樹と同じ考えだったからなのだろう。
このまま学園に連れて行けば、父は殺される。加害者とはいえ、肉親である父を見過ごすことができなかった芳樹は、せめて父の身体の一部を学園へ連れて行こうと考えた。
重行が罪を償うために息子に自身の指を切断させたのかは、彼にしかわからない。ひょっとしたらそんな殊勝な考えなど微塵もなく、命が助かりたいがために、トカゲの尻尾切りのために指を飛ばしただけかもしれない。
それでも、いくら情けなくても父だった。芳樹にとってはそれでも家族だった。
シーンと耳障りな音に耐えきれず顔を上げると、教壇からは献進した指が消えていた。すっかり超常現象じみた現象にも慣れてしまったが、先ほどともう一つ違う点としては、黒板には赤い文字で「体育館へ急げ」と記されていたことだ。
「っ!」
瞬時に芳樹は教室を飛び出す。これは広い意味で「自分」に向けてのメッセージではないと判断した。芳樹以外の、彼の大切な何かについて黒板は知らせてくれたのだと何故かそう思えてならなかった。
「大河!」
脳が映像を処理するよりも早く、芳樹は大河を後ろから羽交い絞めするとそのまま数歩下がり、握られていた金属バットを叩き落とした。
十数秒前、体育館のステージ上で手を後ろに拘束されて蹲っていた実の母を、今まさにバットで殴りかかろうとしていた大河の姿がそこにあった。
「大河、大河……しっかりしろよ!」
せっかく助かった命を、どうしてこうも台無しにしようとする?そんな芳樹の眼差しは初めて大河の視界にも入ったようだ。彼は酷く憔悴しており、その目に光を宿してはいなかった。根気強く話しかける芳樹の言葉を耳に入れているうちに、彼も少しばかり正気を取り戻したのだろう。
「ああ、芳樹か」
にこりと笑みを浮かべる幼馴染の様子があまりにも痛々しくて、芳樹は大河の頭部を片手でそっと支える。それに引き込まれるようにして、大河は芳樹の肩あたりに顔を埋め、数分の間静かに泣いていた。
―芳樹よりも学校から家が近かった大河は、TV画面に母がいることを見つけるとすぐさま家を飛び出した。彼だけは教室にゆかず、TVで見た映像に導かれるままそのまま体育館へと向かった。
体育館ではTVの通り両手を後ろ側に拘束された母が、何かを喚き散らしながら首をいやいやとするように横に振り、口汚い言葉で罵っている。
彼女の目線の先には、プロジェクターが投影されておりそこではかつて自分とは「別に」独自に柳城悟を苛めていた主犯の男、山之内義人が映っていた。
歳を重ねても美貌が衰えることはなく、顔にでき始めた微かな皺すらも男の美を際立たせていた。スーツ姿の義人は少しばかり着衣も髪型も乱れているが、返って蠱惑的なほどの色香を放っている。数十年の時を過ぎても大河の母親、みなみの想い人の姿のままだった。
何か薬でも打たれているのだろうか、画面上の義人はしきりに柳城悟を求めていた。悍ましいことに、彼の近くに転がっている生徒たちの死体のうち、義人は華奢な男子生徒の死体を見つけては掻き抱き、ズボンを降ろして決して勃ち上がることのない性器を「悟、悟」と切なげな声を上げながらぺろぺろ舌を這わせている。
義人に凌辱されているその死体は、爆弾が仕掛けられた首輪がはじけ飛んでしまった影響で、もう首がない。それなのに義人はその断面すらも愛おしいという風に、死体の首に舌を這わせて冷たくて重く、白い身体を弄り回しては臀部の中心を弄っている。
『さとる、さとる……愛してるよ』
みなみが柳城悟をいじめた理由は、根深い嫉妬からだった。
彼女の想い人である山野内義人はみなみどころか誰の姿もその目に映しておらず、悟だけを追い回しそして、地獄や責め具のような拷問に近しい感情をぶつけ彼を追い詰めていた。それが愛だというのであれば、あまりにも身勝手で残酷なものだ。
けれども彼女は今も昔も、そんな義人に愛されたかった。そんな愛をぶつけられたかった。身体を蹂躙され全身に傷をつけられ、使い物にならないほどに痛めつけられても、義人であればそれでよかったのだ。
「……糞ウジ虫が!死にぞこない!お前さえこの世に存在しなければ、義人君は私のものだったのに!いつだってお前が邪魔だったんだ。死んじまえ、死んじまえ、お前なんか死んじまえ!」
嫉妬と狂気を孕む目で映像を見ていたみなみは、そこにいるはずのない悟を口汚く罵り、代用品として犯されている男子生徒の死体にまで憎悪の念を焚き上げて、唾を吐き捨てた。
偽りとの情交は首がない分、よけいに学生時代の悟として見えてしまうのかもしれない。
義人は固くなった後孔に指を挿し入れ、まだ慣らされてもいないうちに自身の剛直を打ち付け、腰を振っている。
「やめて、やめて義人!そんなものを見せないで......死ね、死ね、死ね、死んじまえ悟!!お前なんか!」
嫉妬に狂った母の姿を、冷徹な目で眺めていたのは大河だった。「これ」が、大山祥吾や貴志忠臣、そして散っていった生徒たちの代わりに生かされるべき存在だったのだろうか。
元々大河の母は、自己顕示欲の塊のような人間だった。彼の父も義人の代わりとして妥協として付き合った男であり、幸いにも大河は容姿の良さや高い能力など母の期待値を満たしていたためか、虐待などは起こらずまともに育ててもらったほうだと彼は思う。
仕事で忙しい父と、本当のところで子を愛していない母の間で育った大河には、幼馴染の芳樹と小春しか気を許せるものがいなかった。
大河にとって家族に近しい間柄は、この二人だけだったのだろう。
「……」
何故か、足元に転がっていた金属バットが大河の目に止まった。黙らせなければならない。あの不快な者から吐き出される言葉を止めなければならない。あれから吐き出される言葉は耳にしたくない、もうあの声を聞きたくない、五月蠅くてかなわないあれを止めなければならない。止めろ、止めろ、止めろ、止めろ……
握りしめた金属を振り上げようとした瞬間、黒と赤で染まった視界に微かな白い光を照らしてくれたのは、幼馴染の声だった。
それからしばらくして、ようやく周囲の様子が見られるまでに落ち着きをとりもどした 二人は、体育館倉庫から微かにくぐもった声が漏れるのを聞き取った。
「芳樹」
大河の言葉に無言で頷くと、芳樹と大河は倉庫へ足を運ぶ。そこには惨たらしい姿で地面に横たわっている中年男性……小春の父がいた。
彼の左目は既にどす黒い穴となり、絶えず血がしたたり落ちている。あらわにされた下半身や肌が見える箇所は紫や赤などで歪な模様が着いている。破損された肛門からは血と排泄物が垂れ流されており、床はそれらで汚れていた。
「助けよう」
自分の身体が汚れることも厭わず駆け寄る大河に、芳樹は懸念していることを告げる。
「お前の母さんは」
芳樹の言葉に、大河は静かに首を横に振った。彼には母を探すつもりも救出する意志も、もうなかった。これから死ぬのか生かされるのかはわからないが、母親の沙汰はこのゲームの主催側に任せると、宣言するように言い放った。
二人で小春の父を担ぎ上げ、学校の外で救急車を呼び共に病院へと向かった芳樹と大河、そして小春のスマホに李流伽から画像が送信されたのは、その後だった。
近所の人たちとの挨拶もそこそこに、芳樹はドアのカギを開けて玄関で靴を脱ぐ手間も惜しいほどに、鞄を持ったままリビングへ転がり込むように辿り着いた。
「芳樹!」
彼の予想とは異なり、そこには両親の姿があった。TVにはR学園が映し出されているところを見ると、芳樹たちがどのような目に遭ってきたのかも知っているのだろう。
息子が無事に戻ってきたことにより、安堵で涙腺が決壊したのだろうか。しがみ付いてくる母親に戸惑いながらも、芳樹は肩に手を置いてそっと離すように促してやる。
周囲を見渡すと、普段からそれなりに雑然とした部屋はより一層荒れており、食器や雑誌などが無造作にそこらへんに転がっていた。
極稀に母と父が酷い喧嘩をすると、母の手からは物が投げつけられ室内を飛び交った。いつだったかそのとばっちりにより、罪もない窓ガラスが割れたこともあった。今となってはそれらは笑い話になるだろうが、今回は様子が違ったようだ。
「……親父」
びくりと身を震わせたのは、芳樹の父親である重行(しげゆき)だ。明るく豪胆な母と違い、重行はどこか陰気で卑屈な男であった。彼が高校時代にいじめに加担したのも、クラスのマドンナであった南条みなみ、大河の母親である旧姓岸本みなみの気を引きたいがために腰巾着になって、柳城悟の私物を隠したり破壊した経緯があったぐらいだ。
「多分な、柳城悟をいじめていた大河の母ちゃんも小春の父ちゃんも、ここにいる」
芳樹は指を突き付けた先は、TV画面上のR学園だった。
「山之内義人も」
芳樹の言葉に、重行は顔を青ざめさせた。主犯格である彼らはR学園に連れて行かれた可能性が高く、自主的に足を運んだということは恐らくないだろう。芳樹が父に問いただしたいことは一つだけ。
「なんで、親父はここにいる?」
芳樹はこんな状況でもなければ、父のしたことは決して許されないものではあるが、殺されるまでのことはしていないと考えていた。たとえ罪に問われてしかるべき判決が下されたのだとしても、誰が客観視してみても他の者も同様にそう思うだろう。
けれどもあの復讐ゲームの中では、常識も加減も通用しなかった。末端の関係性が薄いいじめ関係者の血縁者というだけで、何人もの生徒たちの首が飛び、贄同士の捻じれた生存競争で一方的な虐殺が行われ、数多の未来ある者たちが息絶えていった。
復讐ゲームはある種の心理学実験だったのだと言われたほうがまだ納得がいくぐらいには、全てが理不尽でコズミックホラーのような恐ろしさがあった。
「ごめんよ芳樹、私達親のせいでアンタを酷い目に遭わせて、お母さん申し訳なくて。情けない……本当に自分が情けないよ」
違う、母は何も悪くない。もともと口数が少ない芳樹は言葉にまごついたが、居心地が悪そうに俯いている父のテーブルに置かれている手紙が目に入った。
「これは」
手紙には『R学園に来てください』と、生沼川重行宛の簡素な文が記されていた。重行だけが臨場を自主性に任されているというのも、実に不思議な話ではあるが。
重行の性格上、きっと手紙など無視して何食わぬ顔で日常生活を送ろうとするのだろうから。もし主催側がそこに付け込もうとするのであれば、やはり芳樹や母がその犠牲になってしまう可能性もあるだろう。
「親父」
息子の言葉に、彼の父親は諦めた様子で初めて向き直った。
きっと息子は、過去の清算と家族を守るためにここを出て行けというのだろうと重行は思った。R学園にゆけばきっと自分も殺される、今更になって罪をいくらでも償いたい気持ちはあるが、命を落とすのはやはり恐ろしかった。
「親父、腹をくくれ。てめえがやったことの尻ぬぐいぐらいしてくれよ……親父のせいだけじゃないかもしれないけど、親父もあの人をいじめた加害者の一人なんだ。俺が親父を学校に連れて行ってやるから、ここに手を乗せろ」
芳樹が指し示すテーブルの先には、まな板と包丁が乗っていた。
泣き叫ぶ母親の声、苦悶の表情を浮かべ脂汗をかいて蹲る父親の姿、すまんという蚊が鳴くような小さな声は「俺じゃねえだろ」と悪態混じりに掻き消して、芳樹は再び家を出た。
―胸に抱えた幾度も布で包まれた小さな塊は、今の彼にとって何よりも大切なものだった。列車に乗り込み「一刻も早く学校へ着いてくれ」と祈る今の芳樹は一人のようで、一人ではなかった。
校門をくぐり校庭を横切って、いつもの見慣れた異空間を駆け抜ける。階段を上り2年A組のドアをスライドさせれば、黒板には白い文字で『生沼川重行』と記されていた。
「連れてきた……どうか、これで勘弁してください」
芳樹は教壇に白い布の塊を置くと、丁寧にそれを解きほぐして中身を見せつけるかのように広げてみせた。布の中には成人男性の指が一本入っていた。すっかり爪が黒ずみ、指が痛々しい紫色になっているのは、切断する前に輪ゴムや紐を巻き付けて鬱血させていたからなのだろう。
「アンタの苦痛は俺には到底分かるものじゃないと思う……それでも、本当に。父がすまなかった」
深々と頭を下げる芳樹の脳裏には、先ほど手づから落としてやった父の指がぽんっと跳ね上がる様子が思い浮かんだ。母親には気が狂ったかと叫ばれたが、芳樹は正気だった。彼の父も抵抗せずに大人しくまな板に指を置き、カタカタと震えながらも振り下ろされた包丁を大人しく受けたのは、芳樹と同じ考えだったからなのだろう。
このまま学園に連れて行けば、父は殺される。加害者とはいえ、肉親である父を見過ごすことができなかった芳樹は、せめて父の身体の一部を学園へ連れて行こうと考えた。
重行が罪を償うために息子に自身の指を切断させたのかは、彼にしかわからない。ひょっとしたらそんな殊勝な考えなど微塵もなく、命が助かりたいがために、トカゲの尻尾切りのために指を飛ばしただけかもしれない。
それでも、いくら情けなくても父だった。芳樹にとってはそれでも家族だった。
シーンと耳障りな音に耐えきれず顔を上げると、教壇からは献進した指が消えていた。すっかり超常現象じみた現象にも慣れてしまったが、先ほどともう一つ違う点としては、黒板には赤い文字で「体育館へ急げ」と記されていたことだ。
「っ!」
瞬時に芳樹は教室を飛び出す。これは広い意味で「自分」に向けてのメッセージではないと判断した。芳樹以外の、彼の大切な何かについて黒板は知らせてくれたのだと何故かそう思えてならなかった。
「大河!」
脳が映像を処理するよりも早く、芳樹は大河を後ろから羽交い絞めするとそのまま数歩下がり、握られていた金属バットを叩き落とした。
十数秒前、体育館のステージ上で手を後ろに拘束されて蹲っていた実の母を、今まさにバットで殴りかかろうとしていた大河の姿がそこにあった。
「大河、大河……しっかりしろよ!」
せっかく助かった命を、どうしてこうも台無しにしようとする?そんな芳樹の眼差しは初めて大河の視界にも入ったようだ。彼は酷く憔悴しており、その目に光を宿してはいなかった。根気強く話しかける芳樹の言葉を耳に入れているうちに、彼も少しばかり正気を取り戻したのだろう。
「ああ、芳樹か」
にこりと笑みを浮かべる幼馴染の様子があまりにも痛々しくて、芳樹は大河の頭部を片手でそっと支える。それに引き込まれるようにして、大河は芳樹の肩あたりに顔を埋め、数分の間静かに泣いていた。
―芳樹よりも学校から家が近かった大河は、TV画面に母がいることを見つけるとすぐさま家を飛び出した。彼だけは教室にゆかず、TVで見た映像に導かれるままそのまま体育館へと向かった。
体育館ではTVの通り両手を後ろ側に拘束された母が、何かを喚き散らしながら首をいやいやとするように横に振り、口汚い言葉で罵っている。
彼女の目線の先には、プロジェクターが投影されておりそこではかつて自分とは「別に」独自に柳城悟を苛めていた主犯の男、山之内義人が映っていた。
歳を重ねても美貌が衰えることはなく、顔にでき始めた微かな皺すらも男の美を際立たせていた。スーツ姿の義人は少しばかり着衣も髪型も乱れているが、返って蠱惑的なほどの色香を放っている。数十年の時を過ぎても大河の母親、みなみの想い人の姿のままだった。
何か薬でも打たれているのだろうか、画面上の義人はしきりに柳城悟を求めていた。悍ましいことに、彼の近くに転がっている生徒たちの死体のうち、義人は華奢な男子生徒の死体を見つけては掻き抱き、ズボンを降ろして決して勃ち上がることのない性器を「悟、悟」と切なげな声を上げながらぺろぺろ舌を這わせている。
義人に凌辱されているその死体は、爆弾が仕掛けられた首輪がはじけ飛んでしまった影響で、もう首がない。それなのに義人はその断面すらも愛おしいという風に、死体の首に舌を這わせて冷たくて重く、白い身体を弄り回しては臀部の中心を弄っている。
『さとる、さとる……愛してるよ』
みなみが柳城悟をいじめた理由は、根深い嫉妬からだった。
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けれども彼女は今も昔も、そんな義人に愛されたかった。そんな愛をぶつけられたかった。身体を蹂躙され全身に傷をつけられ、使い物にならないほどに痛めつけられても、義人であればそれでよかったのだ。
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「やめて、やめて義人!そんなものを見せないで......死ね、死ね、死ね、死んじまえ悟!!お前なんか!」
嫉妬に狂った母の姿を、冷徹な目で眺めていたのは大河だった。「これ」が、大山祥吾や貴志忠臣、そして散っていった生徒たちの代わりに生かされるべき存在だったのだろうか。
元々大河の母は、自己顕示欲の塊のような人間だった。彼の父も義人の代わりとして妥協として付き合った男であり、幸いにも大河は容姿の良さや高い能力など母の期待値を満たしていたためか、虐待などは起こらずまともに育ててもらったほうだと彼は思う。
仕事で忙しい父と、本当のところで子を愛していない母の間で育った大河には、幼馴染の芳樹と小春しか気を許せるものがいなかった。
大河にとって家族に近しい間柄は、この二人だけだったのだろう。
「……」
何故か、足元に転がっていた金属バットが大河の目に止まった。黙らせなければならない。あの不快な者から吐き出される言葉を止めなければならない。あれから吐き出される言葉は耳にしたくない、もうあの声を聞きたくない、五月蠅くてかなわないあれを止めなければならない。止めろ、止めろ、止めろ、止めろ……
握りしめた金属を振り上げようとした瞬間、黒と赤で染まった視界に微かな白い光を照らしてくれたのは、幼馴染の声だった。
それからしばらくして、ようやく周囲の様子が見られるまでに落ち着きをとりもどした 二人は、体育館倉庫から微かにくぐもった声が漏れるのを聞き取った。
「芳樹」
大河の言葉に無言で頷くと、芳樹と大河は倉庫へ足を運ぶ。そこには惨たらしい姿で地面に横たわっている中年男性……小春の父がいた。
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「助けよう」
自分の身体が汚れることも厭わず駆け寄る大河に、芳樹は懸念していることを告げる。
「お前の母さんは」
芳樹の言葉に、大河は静かに首を横に振った。彼には母を探すつもりも救出する意志も、もうなかった。これから死ぬのか生かされるのかはわからないが、母親の沙汰はこのゲームの主催側に任せると、宣言するように言い放った。
二人で小春の父を担ぎ上げ、学校の外で救急車を呼び共に病院へと向かった芳樹と大河、そして小春のスマホに李流伽から画像が送信されたのは、その後だった。
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