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「ねえ、はる君」
「……その呼び方しないでくれるかな」
人気のない校舎裏で、晴人と謙太の元カノが何やら話し込んでいるようだった。生前の癖で物陰に隠れていた謙太だが、声が聞き取りにくいことと「そういえば俺死んだんだっけ」と自分が霊体であることを思い出してからは、二人の数メートル先までズンズンと歩いてゆく。
「えっと、そのね。あんなことになっちゃって友達もみんな私に話しかけにくいみたいで……今こうして話できるの、もう晴人君だけなんだ」
上目遣いで晴人の腕にしがみつく元カノは、自分が疎遠にされているという考えには至らず、どうやら逆境と自分に酔える精神の持ち主のようでなかなか強かな性格らしい。
「はる君は、ずっと一緒にいてくれるよね?」
どうやら謙太の元カノは、破滅的に良い顔を持ったこのイケメンを手離す気は毛頭無いようだ。
「俺、やっぱり女運ないのかな」
小さく可愛くて小動物のようだった元カノは、今ではボクサーや土佐犬のような太々しさを醸し出している。
「いや、もう一緒にいる意味がないから」
「え、どういうこと?」
「アンタが謙太から離れてくれたらそれでよかったんだけど」
「はる君」
「その呼び方やめろって言ってるだろ。……全部俺のせいだけど、アンタの事は憎いし恨んでる。ほかの女には何の感情もなかったけど。謙太が死ぬなんて……」
「でも、声かけてきたのははる君でしょ、私のことかわいいって……ヒッ!」
元カノは晴人の後ろを凝視し、カタカタと全身を震わせながら硬直している。同じように晴人が後ろを振り向くが、そこには誰もいない。霊体になった謙太以外は。
「謙太君、なんで、え、やだこないで怖い」
そういえば、以前元カノには霊感があると謙太は聞いたことがあった。オカルトの類に興味がなかった謙太は軽く聞き流していたが、あれは本物だったのだとぱあと表情を明るくする。謙太は自分と会話ができそうな人間に会うことができ、思わず駆け寄った。
「ごめんなさ、ごめんなさい! 私が悪かったです! 許して、いや、やだぁ!」
想像してみてほしい。肉体関係ありの浮気現場を目撃されてしまい、その結果自殺したとされる元カレが満面の笑みで、大手を振りながらこちらへ走り寄って来るのだ。「お前を殺す」と明確な殺意で襲われる方がなんぼかマシぐらいにはホラーな展開である。笑顔というのも意味が解らない。
「待って、何で逃げるの? 俺別に恨んでないよ、待って」
生前サッカー部であった謙太の足は速く、持久力もあった。あっという間に元カノの家までたどり着き、そこからは「あれは自殺じゃないんだ」だとか「不幸な事故だったんだ」だとか「俺の死に関しては君は悪くない」だとか、浮気された側がそこまで配慮する必要があるのか、というレベルの善意100%なアフターケアを三日三晩おこなっていたが、結果元カノは完全に精神を病んでしまい、隔離病棟に搬送されて行った。
「なあ、聞いた?」
「ああ……元カノ発狂したんだろ」
「謙太の幽霊見たんだって」
「そりゃ化けて出たくもなるだろうよ」
「怖い話になってきたな……」
噂は更に拡散され、これまで謙太と付き合いがあった「何かしらの心当たりがある」元カノもしくは想い人は皆「次は自分の番ではないか」と顔面蒼白で震えていた。
不思議なことに、そんな彼女たちの夢には決まって謙太が現れ、良心の呵責に苛まれる者も数多いたという。
「夢って便利だな。霊感がない奴にもある程度介入することができる。今なら頑張ればポルターガイストぐらい行けそうな気がする」
着々と霊障の腕を上げてゆく謙太であった。
「さて」
諸悪の根源、全ての不幸の始まりこと晴人は見たところ平常運航だった。友人の女を寝取る趣味があるというのは男子生徒の中では周知の事実であり、彼の周りから男友達は消えた。代わりに寄って来たのは晴人を出汁に女を釣ろうとしている知り合い程度の男子や、隙あらば彼女やセフレになりたいと願っている女子たちが大半だったが、晴人はそれらに対してもあまり興味が無いように見えた。
「お前、すっかり孤立したな……自業自得だな。でも人の噂も四十九日って言うし、大学に行ったら新しい出会いもあるさ」
正しくは七十五日なのだが、彼が死んだことと掛け合わさってしまい、ブラックジョークのようになっている。
晴人は謙太の写真立てを胸に抱き全身を震わせているが、果たしてこれはリアルに謙太の四十九日が来たことによる故人を偲ぶ気持ち、なのだろうか。
タイミングが良すぎて、死者謙太渾身のブラックジョークに笑いをかみ殺しているようにも見える。
「そろそろ俺も成仏するか……晴人、お前は死んだら16年ぐらい地獄で世話になってこい。じゃあな」
16年は、謙太と晴人が出会い、そして別れるまでの期間である。思えばほんの数日違いに生まれて保育器が隣同士となった瞬間から、謙太の不幸は始まったといっても過言ではない。来世ではこんなわけのわからないサイコパスイケメンが己の目の前に現れませんようにという願いを込めて、潔く旅立とうとした。
「謙太のやつ、本当に馬鹿だなぁ……」
「あ?」
「死んじゃうなんて本当についてない、体調悪かったなら学校休めばよかったのに」
「はあ?」
写真立ての謙太を見つめながら、晴人は思い切り意地の悪い顔で嘲笑う。
前言撤回。謙太は晴人の悪霊、いや祟り神になることにした。孫の代まで祟ってやると心に誓ったが、そうなると晴人の結婚から奥様の出産、孫の出生まで見届けてやらねばならないのかと気が遠くなる思いではあったが。
晴人が大学入学後、謙太の怒りによって体得したラップ音とポルターガイストによって、近隣トラブルが発生し、晴人は引っ越しを余儀なくされた。複数回の引っ越し後、引っ越し資金が底を付きかけたのを見計らって怪異の手を止める。
次に彼が格安で住むことができたアパートは、俗にいう訳アリ物件というやつだった。
「初めまして! こんにちはー」
そこで首を吊ったというタナハシさんという30代ぐらいの男性と謙太は意気投合し、夜な夜なこの世の理不尽さについて語り明かした。
霊同士の会話何て生者に聞こえるはずがないのに、晴人は夜眠ることができないようで日に日に目の下の隈が濃くなってゆく。
謙太は彼を取り殺すつもりなど現状ないので、タナハシさんとの会話は専ら晴人が大学やバイトに行っている昼から夕方にして、その後は二人仲良く押し入れにでもいることにした。
ドゴンと押入れを拳で殴られた時は、流石に近隣住人の迷惑を考えて夢の中に注意しに行ったが。
「何で他の人と楽しそうにしてるんだよ!」
怒鳴り返された理由があまりにも予想外過ぎて、謙太はコイツはやばいという思いをさらに強める。
「タナハシさん、行かないで……」
春は出会いと別れ。訳アリアパートで仲良くなったタナハシさんからはすっかり邪気が消え、彼はあの世に行くと言い出した。彼の晴れやかな顔に謙太は泣く泣く見送ることにして、結果アパートは浄化され自称祟り神謙太と、寝取りマシーンサイコパスイケメンだけが残った。
タナハシさんが消えてから、目に見えて晴人の機嫌がいいのが、謙太の神経を苛立たせた。
「そういえば晴人の奴、女を連れてこなくなったな」
高校時代は謙太が死んだり噂が広まったりでそれどころではなかったかもしれないが、大学生となった今、授業とバイトの時間を差し引いてもいくらでも彼女位作れるだろうと謙太は思う。
「もう人の女に手を出すのはやめろよ。それとも寝取る友達すらもういないのか」
意地悪い言葉を投げかけてやるが、すぐさま虚しくなり、謙太ははあとため息をついた。
「タナハシさんもいなくなっちゃったし、俺もそろそろ成仏しようかなぁ」
去り際にポルターガイストでも起こして、部屋の中をぐちゃぐちゃにでもしてから逝こうかとぼんやり考えていると、鬼気迫る顔で晴人がアパートに帰って来た。彼はどこから持ってきたのだろう、部屋の壁という壁にお札を張りつけ、おまけに四つ角の隅には塩を盛った。
「……っな? 出られん!」
お札や盛り塩は外部の招かれざる客をガードする役割もあるが、このように適切ではない貼り方をすると、部屋の中にいる霊を閉じ込めてしまう逆結界にもなりうる。
謙太はラップ音やポルターガイストで疑似騒音騒ぎを起こし、寝取りマシーンに複数回にわたる引っ越しをさせた時のことを思い出した。
「ここに来て対策を立ててきやがったか……」
晴人の成長に思わずジンと胸を打たれた謙太だが、いくら暴れようともアパートから出ることができず、彼の魂が削られるような疲労感が次第にたまってゆく。霊体にもフィジカルという概念があるのであれば、持久力勝負として札が剥がれるか盛り塩が溶けるか、或いは謙太が溶けるかの戦いが繰り広げられていた。
「すみません、勘弁してください」
結果、霊験あらたかなその札は確かに効果があったのだろう。魂が消え失せる前に謙太は白旗を上げ、晴人の夢枕に立ち「もう悪さをしないので、どうぞお札をはがしてください」と日本昔話のような台詞と共に、屈辱的ながら頭を下げた。
「もう勝手に出て行こうとしないでね」
悪霊は出て行った方が良いに決まっているのに。夢の中の晴人はやっぱり謙太におかしなことを言いながら、次の日にはお札も塩も片づけられていた。
「……」
早いもので、今日は謙太の命日だ。あれから晴人は人が変わった様に女に手を出すこともなくなり、家と学校と時折バイト先を往復するだけの日々を送っている。人の噂も七十五日ではないが、大学では晴人の顔を称賛する者はいても、悪い噂を立てるものなどもういないというのに。
彼は最低限しか人とつるまず、誰とも付き合わずに孤独な学生生活を過ごしていた。
「ショートケーキ」
「……」
「やっぱモンブラン」
「……」
「と見せかけて……」
言葉の途中で晴人はどこかへ出かけてゆく。謙太は自分の命日なのだから、何か好物を供えろと晴人に話しかけていた。夢枕ではなく現実でのことなので、聞こえないのは承知の上だ。それはテレビに話しかける人の気持ちに少しだけ似ているかもしれない。
しばらくして晴人が帰宅し、謙太の写真立ての前にチョコレートケーキを置く。それは生前彼が大好きだったケーキだ。
「お帰り、おお偉い偉い、俺の好きな奴ちゃんと覚えてたのか」
「……」
「お前、人の物奪ってばっかりでさ。人の好きな物とか欲しがる物なんかに興味がないかと思ってたよ」
「……」
「……そういうことはさ、生前にやっとけばよかったんだよ」
馬鹿野郎。謙太は晴人の背中に自身の額を置く真似をする。霊体となった身体ではあまり身体を傾けてしまうと、するりと晴人の身体を通り抜けてしまうので、身を寄せるフリしかできないが。
「……ねえ」
晴人は写真立てに向かって話しかける。「ハイ!」とふざけた裏声で謙太は返事をしてやるが、生者に死者の声は聞こえないだろうと思い、彼は一人で返事をし、一人で勝手にウケている。
「俺のこと憎い?」
小さい頃から謙太のものばかり取って、成長したら今度は謙太の女にだけ手を出すようになって。嫌だよね、わけわかんないよね、気持ち悪いよね。
「……」
正直なところ「そうだね」としか謙太は答えることができない。「何故」だとか「どうして」という疑問が出てこないのは、もう彼の心が晴人に期待をしていないところまで来ているからだ。
「憎んでくれたら、嫌っててくれたら嬉しいな」
せっかくどこにでも行けそうなほどに軽くなりかけた心を、晴人は深海にでも沈めるかのように叩き落す。どす黒い感情は生前のそれよりも強くなり、それは霊障という形で晴人を苦しめた。謙太自身で力を制御できるようになるまで晴人の体調は悪化し、数日の間起き上がることも難しい状態だった。
大学を卒業後、晴人はモデルという職に就いた。思い出の訳アリなアパートも取り壊され、今は豪華でセキュリティの厳しいマンションに住んでいる。
「またですか!」
「一度お払いに行きましょうよ!」
セキュリティの厳しいマンションのはずだが、相変わらず謎の騒音や地震のような振動が時折発生する。その原因は時折湧き上がるどす黒い力を制御しきれずに、半ば自棄のように怪異を発生させてしまう祟り神謙太のせいだ。
「大したことじゃないから。部屋がにぎやかになって良いよ」
晴人のマネージャーや関係者がただ事ではないと慌てふためいているが、晴人にとっては日常的であり、どうやら猫の悪戯程度の微笑ましい光景とでも認識しているようだ。
「ふざけんなよ」
誠心誠意込めて嫌がらせをしてやっているというのに、平然としている晴人に謙太は苛立ちを隠せず、負の感情は霊障としてこのような形で出てしまう。
何度か成仏しようかと思うたびに、まるでそのタイミングを見計らったかのように傷口に塩を塗るような酷い言葉を謙太の写真立てに投げかけるので、その度に軽くなった心がどす黒く濁り、このままでは一生あの世に行けないのではないかと危惧していた。
「もう霊媒師でも何でも呼んでくれ、本物なら尚更ありがたい」
「……その呼び方しないでくれるかな」
人気のない校舎裏で、晴人と謙太の元カノが何やら話し込んでいるようだった。生前の癖で物陰に隠れていた謙太だが、声が聞き取りにくいことと「そういえば俺死んだんだっけ」と自分が霊体であることを思い出してからは、二人の数メートル先までズンズンと歩いてゆく。
「えっと、そのね。あんなことになっちゃって友達もみんな私に話しかけにくいみたいで……今こうして話できるの、もう晴人君だけなんだ」
上目遣いで晴人の腕にしがみつく元カノは、自分が疎遠にされているという考えには至らず、どうやら逆境と自分に酔える精神の持ち主のようでなかなか強かな性格らしい。
「はる君は、ずっと一緒にいてくれるよね?」
どうやら謙太の元カノは、破滅的に良い顔を持ったこのイケメンを手離す気は毛頭無いようだ。
「俺、やっぱり女運ないのかな」
小さく可愛くて小動物のようだった元カノは、今ではボクサーや土佐犬のような太々しさを醸し出している。
「いや、もう一緒にいる意味がないから」
「え、どういうこと?」
「アンタが謙太から離れてくれたらそれでよかったんだけど」
「はる君」
「その呼び方やめろって言ってるだろ。……全部俺のせいだけど、アンタの事は憎いし恨んでる。ほかの女には何の感情もなかったけど。謙太が死ぬなんて……」
「でも、声かけてきたのははる君でしょ、私のことかわいいって……ヒッ!」
元カノは晴人の後ろを凝視し、カタカタと全身を震わせながら硬直している。同じように晴人が後ろを振り向くが、そこには誰もいない。霊体になった謙太以外は。
「謙太君、なんで、え、やだこないで怖い」
そういえば、以前元カノには霊感があると謙太は聞いたことがあった。オカルトの類に興味がなかった謙太は軽く聞き流していたが、あれは本物だったのだとぱあと表情を明るくする。謙太は自分と会話ができそうな人間に会うことができ、思わず駆け寄った。
「ごめんなさ、ごめんなさい! 私が悪かったです! 許して、いや、やだぁ!」
想像してみてほしい。肉体関係ありの浮気現場を目撃されてしまい、その結果自殺したとされる元カレが満面の笑みで、大手を振りながらこちらへ走り寄って来るのだ。「お前を殺す」と明確な殺意で襲われる方がなんぼかマシぐらいにはホラーな展開である。笑顔というのも意味が解らない。
「待って、何で逃げるの? 俺別に恨んでないよ、待って」
生前サッカー部であった謙太の足は速く、持久力もあった。あっという間に元カノの家までたどり着き、そこからは「あれは自殺じゃないんだ」だとか「不幸な事故だったんだ」だとか「俺の死に関しては君は悪くない」だとか、浮気された側がそこまで配慮する必要があるのか、というレベルの善意100%なアフターケアを三日三晩おこなっていたが、結果元カノは完全に精神を病んでしまい、隔離病棟に搬送されて行った。
「なあ、聞いた?」
「ああ……元カノ発狂したんだろ」
「謙太の幽霊見たんだって」
「そりゃ化けて出たくもなるだろうよ」
「怖い話になってきたな……」
噂は更に拡散され、これまで謙太と付き合いがあった「何かしらの心当たりがある」元カノもしくは想い人は皆「次は自分の番ではないか」と顔面蒼白で震えていた。
不思議なことに、そんな彼女たちの夢には決まって謙太が現れ、良心の呵責に苛まれる者も数多いたという。
「夢って便利だな。霊感がない奴にもある程度介入することができる。今なら頑張ればポルターガイストぐらい行けそうな気がする」
着々と霊障の腕を上げてゆく謙太であった。
「さて」
諸悪の根源、全ての不幸の始まりこと晴人は見たところ平常運航だった。友人の女を寝取る趣味があるというのは男子生徒の中では周知の事実であり、彼の周りから男友達は消えた。代わりに寄って来たのは晴人を出汁に女を釣ろうとしている知り合い程度の男子や、隙あらば彼女やセフレになりたいと願っている女子たちが大半だったが、晴人はそれらに対してもあまり興味が無いように見えた。
「お前、すっかり孤立したな……自業自得だな。でも人の噂も四十九日って言うし、大学に行ったら新しい出会いもあるさ」
正しくは七十五日なのだが、彼が死んだことと掛け合わさってしまい、ブラックジョークのようになっている。
晴人は謙太の写真立てを胸に抱き全身を震わせているが、果たしてこれはリアルに謙太の四十九日が来たことによる故人を偲ぶ気持ち、なのだろうか。
タイミングが良すぎて、死者謙太渾身のブラックジョークに笑いをかみ殺しているようにも見える。
「そろそろ俺も成仏するか……晴人、お前は死んだら16年ぐらい地獄で世話になってこい。じゃあな」
16年は、謙太と晴人が出会い、そして別れるまでの期間である。思えばほんの数日違いに生まれて保育器が隣同士となった瞬間から、謙太の不幸は始まったといっても過言ではない。来世ではこんなわけのわからないサイコパスイケメンが己の目の前に現れませんようにという願いを込めて、潔く旅立とうとした。
「謙太のやつ、本当に馬鹿だなぁ……」
「あ?」
「死んじゃうなんて本当についてない、体調悪かったなら学校休めばよかったのに」
「はあ?」
写真立ての謙太を見つめながら、晴人は思い切り意地の悪い顔で嘲笑う。
前言撤回。謙太は晴人の悪霊、いや祟り神になることにした。孫の代まで祟ってやると心に誓ったが、そうなると晴人の結婚から奥様の出産、孫の出生まで見届けてやらねばならないのかと気が遠くなる思いではあったが。
晴人が大学入学後、謙太の怒りによって体得したラップ音とポルターガイストによって、近隣トラブルが発生し、晴人は引っ越しを余儀なくされた。複数回の引っ越し後、引っ越し資金が底を付きかけたのを見計らって怪異の手を止める。
次に彼が格安で住むことができたアパートは、俗にいう訳アリ物件というやつだった。
「初めまして! こんにちはー」
そこで首を吊ったというタナハシさんという30代ぐらいの男性と謙太は意気投合し、夜な夜なこの世の理不尽さについて語り明かした。
霊同士の会話何て生者に聞こえるはずがないのに、晴人は夜眠ることができないようで日に日に目の下の隈が濃くなってゆく。
謙太は彼を取り殺すつもりなど現状ないので、タナハシさんとの会話は専ら晴人が大学やバイトに行っている昼から夕方にして、その後は二人仲良く押し入れにでもいることにした。
ドゴンと押入れを拳で殴られた時は、流石に近隣住人の迷惑を考えて夢の中に注意しに行ったが。
「何で他の人と楽しそうにしてるんだよ!」
怒鳴り返された理由があまりにも予想外過ぎて、謙太はコイツはやばいという思いをさらに強める。
「タナハシさん、行かないで……」
春は出会いと別れ。訳アリアパートで仲良くなったタナハシさんからはすっかり邪気が消え、彼はあの世に行くと言い出した。彼の晴れやかな顔に謙太は泣く泣く見送ることにして、結果アパートは浄化され自称祟り神謙太と、寝取りマシーンサイコパスイケメンだけが残った。
タナハシさんが消えてから、目に見えて晴人の機嫌がいいのが、謙太の神経を苛立たせた。
「そういえば晴人の奴、女を連れてこなくなったな」
高校時代は謙太が死んだり噂が広まったりでそれどころではなかったかもしれないが、大学生となった今、授業とバイトの時間を差し引いてもいくらでも彼女位作れるだろうと謙太は思う。
「もう人の女に手を出すのはやめろよ。それとも寝取る友達すらもういないのか」
意地悪い言葉を投げかけてやるが、すぐさま虚しくなり、謙太ははあとため息をついた。
「タナハシさんもいなくなっちゃったし、俺もそろそろ成仏しようかなぁ」
去り際にポルターガイストでも起こして、部屋の中をぐちゃぐちゃにでもしてから逝こうかとぼんやり考えていると、鬼気迫る顔で晴人がアパートに帰って来た。彼はどこから持ってきたのだろう、部屋の壁という壁にお札を張りつけ、おまけに四つ角の隅には塩を盛った。
「……っな? 出られん!」
お札や盛り塩は外部の招かれざる客をガードする役割もあるが、このように適切ではない貼り方をすると、部屋の中にいる霊を閉じ込めてしまう逆結界にもなりうる。
謙太はラップ音やポルターガイストで疑似騒音騒ぎを起こし、寝取りマシーンに複数回にわたる引っ越しをさせた時のことを思い出した。
「ここに来て対策を立ててきやがったか……」
晴人の成長に思わずジンと胸を打たれた謙太だが、いくら暴れようともアパートから出ることができず、彼の魂が削られるような疲労感が次第にたまってゆく。霊体にもフィジカルという概念があるのであれば、持久力勝負として札が剥がれるか盛り塩が溶けるか、或いは謙太が溶けるかの戦いが繰り広げられていた。
「すみません、勘弁してください」
結果、霊験あらたかなその札は確かに効果があったのだろう。魂が消え失せる前に謙太は白旗を上げ、晴人の夢枕に立ち「もう悪さをしないので、どうぞお札をはがしてください」と日本昔話のような台詞と共に、屈辱的ながら頭を下げた。
「もう勝手に出て行こうとしないでね」
悪霊は出て行った方が良いに決まっているのに。夢の中の晴人はやっぱり謙太におかしなことを言いながら、次の日にはお札も塩も片づけられていた。
「……」
早いもので、今日は謙太の命日だ。あれから晴人は人が変わった様に女に手を出すこともなくなり、家と学校と時折バイト先を往復するだけの日々を送っている。人の噂も七十五日ではないが、大学では晴人の顔を称賛する者はいても、悪い噂を立てるものなどもういないというのに。
彼は最低限しか人とつるまず、誰とも付き合わずに孤独な学生生活を過ごしていた。
「ショートケーキ」
「……」
「やっぱモンブラン」
「……」
「と見せかけて……」
言葉の途中で晴人はどこかへ出かけてゆく。謙太は自分の命日なのだから、何か好物を供えろと晴人に話しかけていた。夢枕ではなく現実でのことなので、聞こえないのは承知の上だ。それはテレビに話しかける人の気持ちに少しだけ似ているかもしれない。
しばらくして晴人が帰宅し、謙太の写真立ての前にチョコレートケーキを置く。それは生前彼が大好きだったケーキだ。
「お帰り、おお偉い偉い、俺の好きな奴ちゃんと覚えてたのか」
「……」
「お前、人の物奪ってばっかりでさ。人の好きな物とか欲しがる物なんかに興味がないかと思ってたよ」
「……」
「……そういうことはさ、生前にやっとけばよかったんだよ」
馬鹿野郎。謙太は晴人の背中に自身の額を置く真似をする。霊体となった身体ではあまり身体を傾けてしまうと、するりと晴人の身体を通り抜けてしまうので、身を寄せるフリしかできないが。
「……ねえ」
晴人は写真立てに向かって話しかける。「ハイ!」とふざけた裏声で謙太は返事をしてやるが、生者に死者の声は聞こえないだろうと思い、彼は一人で返事をし、一人で勝手にウケている。
「俺のこと憎い?」
小さい頃から謙太のものばかり取って、成長したら今度は謙太の女にだけ手を出すようになって。嫌だよね、わけわかんないよね、気持ち悪いよね。
「……」
正直なところ「そうだね」としか謙太は答えることができない。「何故」だとか「どうして」という疑問が出てこないのは、もう彼の心が晴人に期待をしていないところまで来ているからだ。
「憎んでくれたら、嫌っててくれたら嬉しいな」
せっかくどこにでも行けそうなほどに軽くなりかけた心を、晴人は深海にでも沈めるかのように叩き落す。どす黒い感情は生前のそれよりも強くなり、それは霊障という形で晴人を苦しめた。謙太自身で力を制御できるようになるまで晴人の体調は悪化し、数日の間起き上がることも難しい状態だった。
大学を卒業後、晴人はモデルという職に就いた。思い出の訳アリなアパートも取り壊され、今は豪華でセキュリティの厳しいマンションに住んでいる。
「またですか!」
「一度お払いに行きましょうよ!」
セキュリティの厳しいマンションのはずだが、相変わらず謎の騒音や地震のような振動が時折発生する。その原因は時折湧き上がるどす黒い力を制御しきれずに、半ば自棄のように怪異を発生させてしまう祟り神謙太のせいだ。
「大したことじゃないから。部屋がにぎやかになって良いよ」
晴人のマネージャーや関係者がただ事ではないと慌てふためいているが、晴人にとっては日常的であり、どうやら猫の悪戯程度の微笑ましい光景とでも認識しているようだ。
「ふざけんなよ」
誠心誠意込めて嫌がらせをしてやっているというのに、平然としている晴人に謙太は苛立ちを隠せず、負の感情は霊障としてこのような形で出てしまう。
何度か成仏しようかと思うたびに、まるでそのタイミングを見計らったかのように傷口に塩を塗るような酷い言葉を謙太の写真立てに投げかけるので、その度に軽くなった心がどす黒く濁り、このままでは一生あの世に行けないのではないかと危惧していた。
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