上 下
5 / 24
第1章

4 ワドロフスキーの塔の住人

しおりを挟む
 隣国との境界線にワドロフスキーの塔という古い塔が存在する。敵を監視する為の塔だったと民は記憶している。その塔がなぜワドロフスキーの塔と呼ばれるようになったのか。
 それはもう誰も分からない。
 だけど、ワドロフスキーの塔には老人がひとり、住んでいる。それは民は知らなかった。
 歳はいくつなのか、何をしてきた者なのか、魔術師なのかそうでないのか。一体何者なのかはエレンと王家にしか知らないことだった。
 
 王家に伝わる事だった。
 昔、ワドロスキーという若者は塔の管理を任されていた。その塔から隣国の監視をしていたのだった。
 ワドロフスキーは剣術は愚か、武術や馬術などはさっぱりダメな男だった。ただ、戦略を考えることは人一倍優れていたのだ。
 そこで先々代の王はワドロフスキーに隣国を監視させた。その為の塔なのだ。
 その塔の中で隣国との戦争の為の戦術の会議をしていた。時には王も塔にやってきてはワドロフスキーの話を聞いた。
 若いのにその戦術は確かなもので、負け戦などなかった。先々代王はワドロフスキーの戦術に惚れ込んで、爵位を与えたくらいだった。

 そして時は流れ、隣国との戦争が休戦になった。それでもワドロフスキーはこの塔に留まった。いつ、また再戦するか分からないと言って離れることはなかった。
 ワドロフスキーは魔力もなかったが、森の近くだった為、魔術に守られる形となり、永らく生きることになった。
 先代王もそれは理解していた。魔力によって、ワドロフスキーの命が永らえることにより、人間ひととは違うものになっていくことを知っていた。
 だか、それでもワドロフスキーの戦略の力が必要だったのだ。

 休戦から20年経った頃。先々代王は亡くなった。先々代王の葬儀にもワドロフスキーは出席しなかった。約束を守る為。先代王との約束がワドロフスキーがここにいる目的だった。


「ワドロフスキー」
 森を出てきたエレンが塔の最上階の窓に声をかける。
 エレンは珍しく箒で飛んできていた。そもそも森をあまり出ない。
 だがこうしてワドロフスキーに会いに来る。
「はい、これ」
 エレンは籠にワイン、パンとチーズ、そして少しの野菜が入ったものを渡す。
「いつもすまないねぇ」
「ワドロフスキー。いつまでも先々代王の約束を守ってなくてもいいんじゃない?」
 プカプカと箒で浮かんでるエレンはワドロフスキーに言った。
「それでもワシにはこれしかないのだよ。弱かったワシを信じて、戦略チームの隊長にしてくださり、爵位まで与えて下さった。農民の出のワシをじゃ」
 それ程、ワドロフスキーは先々代王に感謝をしているということだった。
「だけどその爵位も役に立たないよね。ここにいたんじゃ立派な屋敷に住んでるわけもないし、領地を与えられたわけじゃないし」
「それでもよいのじゃ。ワシは先々代王のその心意気、男気が好きじゃったのだから」
「でもその先々代王はもういないんだよ」
「……いいや。先々代はワシの中にいるのじゃよ」
 籠を部屋の中のテーブルに置いた。かつてはそのテーブルにはこのあたりの地図を広げ、戦略会議をしていただろうに。今はその面影すらない。

「確かに先々代王は凄いよ。全ての民のことを考えていたんだから」
 先々代王が亡くなる一月ひとつき前、エレンに会いにお付きの者と一緒に森へやってきた。そして、ワドロフスキーのことを話した。



     ◇◇◇◇


『私はもう時期、死ぬだろう』
 目の前に現れた王は言った。
『え』
『そこで魔女エレンよ。そなたに頼みがある』
 こんな魔女になんの頼みだろうと不思議に思うと、指をさした。
『ここから南へ。塔が建っておる』
『はい』
『そこには私の古い友人がひとりで住んでおる。この森の魔力で多分、私より永らえるだろう。友人は、この国を守る為。私との約束を守る為に、隣国を監視続けるだろう』
 とても慈しむように話す王にとっては、とても大切な友人なのだろう。
『私の代わりに友人を見守ってくれぬか』
 王の申し出は友人ワドロフスキーの様子を見て欲しいとのことだった。
『余程大切なご友人なのですね』
『大切な友人だ。かの者は農民の出だが、素晴らしい戦術使いなのだ。私は彼の話を聞くのが好きだった』
 王は懐かしむように笑う。
『彼はきっと、私の葬儀には来ないだろうから、あなたから彼に伝えて下さい。《あなたに会えて良かった。楽しい人生だった》と』
 そして王は立ち上がり『あっ』と言った。
『報酬を忘れるところだった』
 お付きの者がエレンの前に置いたのは、王家に伝わる魔法の本だった。
『これ……っ!』
 その本は王になる者が受け継ぐ物のひとつ。その存在はエレンも知っていた。まさか、それを報酬として持ってくるとは思わなかった。
『これは頂けません。こちらは王家に伝わるものでしょう。私が持っていてはいけないものです』
 そう告げると王は茶目っ気のある目で笑った。
『なに。これはそれのレプリカだ。レプリカといっても中身は本物と同じことが書いてある。それをそなたの今後の役に立てればと』
『ありがとうございます、王』
 レプリカならば、本物のようには力はないだろう。
 よくよく考えれば分かることだった。本物には強力な魔力が施されている筈なのだから。
『大切にいたします。そしてワドロフスキーのことも……、王のお言葉も伝えます』
 エレンは王に深々と頭を下げた。
『ありがとう。ワドロフスキーの、友としてお願いするよ』
 それはエレンにワドロフスキーの友になってくれと、そういうことだと受け取った。


 ワドロフスキーの友だった王から、エレンへ。
 ワドロフスキーの友になってくれと。



     ◇◇◇◇◇




「懐かしいのう……」
 先々代王が亡くなったと聞いてすぐに、エレンはワドロフスキーの元へと向かった。
 ワドロフスキーは覚悟を決めていたのか「そうか」と言っていた。
 そしてエレンが先々代王の言葉を伝え、そのままエレンはワドロフスキーの友となった。

「あの日、予感があったのじゃよ」
 先々代王が亡くなると予感があったという。そして案の定、そのしらせが塔にまで届いた。
「先々代王は……、ジェラトーニ王の最期はどのようだったのだろうか。苦しんではいなかっただろうか」
 遠い遠い記憶の彼方へ、思いをせる友人、ワドロフスキー。
 ワドロフスキーの思いはきっと、今もジェラトーニ王の元にあるのだろう。
 ジェラトーニ王を超えることは誰にも出来ないだろう。


「ワドロフスキー。そろそろジェラトーニ王の命日だ。一緒に墓参りへ行ってみるか」
 エレンはそう誘う。
「ありがとうよ、エレン」
 そう言ったまま、ワドロフスキーは笑った。



     ◇◇◇◇◇



 その報せを聞いたのはそれから数日経ってからだった。
 ワドロフスキーが漸く天寿を全うした。
 森がエレンへ報せたのだ。 
 急いで塔まで行き、いつもの最上階の窓を覗いた。
 ベッドの上で静かに眠るワドロフスキーは穏やかな笑顔をしていた。
「ワドロフスキー。漸くジェラトーニ王のところへ逝けるな」
 ワドロフスキーは先々代王の年齢を遥かに越え、300歳近くまで生きた。途中で歳を数えるのをやめたくらいなので実際はどのくらいなのかは分からない。
 エレンはひとりの友人を失った。だが、悲しくはなかった。その友人が大切な主である友人の元へと逝けたのだから。


 それからすぐに王家の者がワドロフスキーの遺体を運び出した。そして王家の墓の敷地内、先々代王のすぐ傍に墓を建てた。
「良かったな、ワドロフスキー」
 友人の傍で安らかに眠りなと告げて、エレンは森へ帰って行った。
しおりを挟む

処理中です...