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第8章 小さな食堂、大きな夢
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公爵家を出た私は、カイの助けを借りて王都の下町に小さな家を借り、そこを新たな生活の拠点とした。クライネルト公爵である父は、勘当こそしなかったものの、「自らの力で生きていくと決めたのなら、家からの援助はしない」と宣言した。それは私にとって、むしろ望むところだった。
幸い、私には収穫祭で稼いだまとまった資金がある。私はその資金と、カイからの「未来への投資だ」という援助を元手に、夢だった自分の店を持つための第一歩を踏み出した。
カイが見つけてきてくれたのは、大通りから少し入った路地にある、小さな空き店舗だった。長い間使われていなかったらしく、中は埃っぽくて薄暗いが、私の目には宝物の城のように輝いて見えた。
「さあ、ここからが始まりよ、カイ!」
「へいへい、オーナー。まずは掃除からだな」
私たちは二人で袖をまくり、店の改装に取り掛かった。埃を払い、床を磨き、壁には温かみのあるクリーム色のペンキを塗る。厨房には、カイが交易ルートを駆使して手に入れてくれた、最新のかまどと調理台を設置した。テーブルや椅子は、中古のものを自分たちで修理し、ペンキを塗り直して再利用する。
貴族令嬢だった私が、ペンキまみれになって汗を流す姿は、我ながら面白い光景だったが、自分たちの手で一つひとつ店を作り上げていく作業は、この上なく楽しかった。
店の名前は、二人で考えて『スパイス・パレット』に決めた。絵描きがパレットの上で様々な色を混ぜ合わせて美しい絵を描くように、様々なスパイスが混ざり合って美味しいカレーができる。そして、様々な身分の人々がこの店に集い、笑顔になってほしい。そんな願いを込めた名前だ。
開店準備を進めていると、私たちの噂を聞きつけた近所の人々が、興味深そうに店を覗きに来るようになった。
「へえ、あんたがあの、公爵家を飛び出したっていうお嬢さんかい?」
「貴族様が、こんな場所で店をやるなんてねえ」
物珍しそうに見る者もいたが、私は偏見の目に臆することはなかった。
「ええ、そうですよ。今度、ここでカレーという新しい料理の店を開くんです。よかったら、少し味見していきませんか?」
私は試作していたカレーを小皿に取り分け、彼らに振る舞った。最初は半信半疑だった人々も、一口食べるなり目を輝かせ、「うまい!」「こんな食べ物、初めてだ!」と絶賛してくれた。
私のひたむきな姿と、何よりカレーの圧倒的な美味しさに、下町の人々の態度はすぐに変わっていった。
近所の大工のおじさんは、ガタついていたドアの修理を無料で引き受けてくれた。「お嬢ちゃん、頑張ってるな!応援してるぜ!」と言って。収穫祭の時に知り合ったパン屋の夫婦は、毎日焼きたてのパンを差し入れてくれた。八百屋のおばさんは、新鮮な野菜を「おまけだよ!」とたくさん分けてくれた。
貴族社会の冷たい人間関係しか知らなかった私にとって、下町の人々の飾り気のない温かさは、心に深く染み渡った。
そしてついに、すべての準備が整った。
開店前夜、私とカイは、完成したばかりの店の前に立っていた。カイが取り付けてくれた、手作りの木製看板には、『スパイス・パレット』という文字が温かい書体で描かれている。
「……本当に、私の店ができたのね」
感慨深く呟く私に、カイは「ああ、あんたの城だ」と優しく笑った。
「ありがとう、カイ。あなたがいなければ、ここまで来られなかったわ」
「礼を言うのは早いぜ。これから、この店を満員にするのが俺たちの仕事だ」
私たちは顔を見合わせて、力強く頷いた。
そして、開店当日。
私は真新しいエプロンを締め、店のドアを大きく開け放った。朝日が、磨き上げられた床にキラキラと反射している。店の外には、開店を待ちわびていた下町の人々が、すでに行列を作ってくれていた。
私は満面の笑みを浮かべ、お客様たちを迎える。
「本日開店です!美味しいカレーをご用意して、皆様のお越しをお待ちしております!」
私の人生の第二章が、スパイスの芳しい香りとともに、今、幕を開けた。
幸い、私には収穫祭で稼いだまとまった資金がある。私はその資金と、カイからの「未来への投資だ」という援助を元手に、夢だった自分の店を持つための第一歩を踏み出した。
カイが見つけてきてくれたのは、大通りから少し入った路地にある、小さな空き店舗だった。長い間使われていなかったらしく、中は埃っぽくて薄暗いが、私の目には宝物の城のように輝いて見えた。
「さあ、ここからが始まりよ、カイ!」
「へいへい、オーナー。まずは掃除からだな」
私たちは二人で袖をまくり、店の改装に取り掛かった。埃を払い、床を磨き、壁には温かみのあるクリーム色のペンキを塗る。厨房には、カイが交易ルートを駆使して手に入れてくれた、最新のかまどと調理台を設置した。テーブルや椅子は、中古のものを自分たちで修理し、ペンキを塗り直して再利用する。
貴族令嬢だった私が、ペンキまみれになって汗を流す姿は、我ながら面白い光景だったが、自分たちの手で一つひとつ店を作り上げていく作業は、この上なく楽しかった。
店の名前は、二人で考えて『スパイス・パレット』に決めた。絵描きがパレットの上で様々な色を混ぜ合わせて美しい絵を描くように、様々なスパイスが混ざり合って美味しいカレーができる。そして、様々な身分の人々がこの店に集い、笑顔になってほしい。そんな願いを込めた名前だ。
開店準備を進めていると、私たちの噂を聞きつけた近所の人々が、興味深そうに店を覗きに来るようになった。
「へえ、あんたがあの、公爵家を飛び出したっていうお嬢さんかい?」
「貴族様が、こんな場所で店をやるなんてねえ」
物珍しそうに見る者もいたが、私は偏見の目に臆することはなかった。
「ええ、そうですよ。今度、ここでカレーという新しい料理の店を開くんです。よかったら、少し味見していきませんか?」
私は試作していたカレーを小皿に取り分け、彼らに振る舞った。最初は半信半疑だった人々も、一口食べるなり目を輝かせ、「うまい!」「こんな食べ物、初めてだ!」と絶賛してくれた。
私のひたむきな姿と、何よりカレーの圧倒的な美味しさに、下町の人々の態度はすぐに変わっていった。
近所の大工のおじさんは、ガタついていたドアの修理を無料で引き受けてくれた。「お嬢ちゃん、頑張ってるな!応援してるぜ!」と言って。収穫祭の時に知り合ったパン屋の夫婦は、毎日焼きたてのパンを差し入れてくれた。八百屋のおばさんは、新鮮な野菜を「おまけだよ!」とたくさん分けてくれた。
貴族社会の冷たい人間関係しか知らなかった私にとって、下町の人々の飾り気のない温かさは、心に深く染み渡った。
そしてついに、すべての準備が整った。
開店前夜、私とカイは、完成したばかりの店の前に立っていた。カイが取り付けてくれた、手作りの木製看板には、『スパイス・パレット』という文字が温かい書体で描かれている。
「……本当に、私の店ができたのね」
感慨深く呟く私に、カイは「ああ、あんたの城だ」と優しく笑った。
「ありがとう、カイ。あなたがいなければ、ここまで来られなかったわ」
「礼を言うのは早いぜ。これから、この店を満員にするのが俺たちの仕事だ」
私たちは顔を見合わせて、力強く頷いた。
そして、開店当日。
私は真新しいエプロンを締め、店のドアを大きく開け放った。朝日が、磨き上げられた床にキラキラと反射している。店の外には、開店を待ちわびていた下町の人々が、すでに行列を作ってくれていた。
私は満面の笑みを浮かべ、お客様たちを迎える。
「本日開店です!美味しいカレーをご用意して、皆様のお越しをお待ちしております!」
私の人生の第二章が、スパイスの芳しい香りとともに、今、幕を開けた。
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