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第2章:冷たい家族と、唯一の温もり
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パーティー会場から馬車でクライネルト公爵家に戻った私を迎えたのは、凍てつくような沈黙と、父と母の冷え切った視線だった。王太子殿下から婚約を破棄され、追放処分となった娘に対する彼らの反応は、私の予想通り、いや、予想以上に冷淡なものだった。
「我が家の恥晒しめ」
応接室に響いた父、クライネルト公爵の低い声には、失望も怒りも通り越した、無感情な響きだけがあった。母は扇で口元を隠し、私を汚物でも見るかのような目で見ている。彼らにとって重要なのは、娘の無実や心の傷ではなく、王家の不興を買い、クライネルト家の名誉に泥を塗ったという事実だけなのだ。
「王家への申し開きのため、お前は本日をもって勘当とする。クライネルト家の者ではない」
「お母様……」
「お黙りなさい。お前の母親になった覚えはありません」
ああ、やっぱり。ゲームの中の彼らも、こういう人たちだった。アリアを権力闘争の駒としか見ておらず、使えなくなればあっさりと切り捨てる。前世の記憶がなければ、この仕打ちにどれほど傷ついていただろう。でも、今の私には、この冷たい言葉も他人事のようにしか聞こえなかった。家族の愛情なんて、とうの昔に枯渇していたのだから。
私に渡されたのは、小さな革袋に入った僅かばかりの金貨と、数日分の着替えが入った粗末なトランクだけ。これまで私が使っていた豪奢なドレスも、美しい宝石も、全て取り上げられた。
「明日の朝日が昇る前に、この家から出て行け。二度とクライネルト家の敷居を跨ぐことは許さん」
父の最後の言葉を背に、私は誰にも見送られることなく、自分の部屋だった場所へと向かった。もはやそこは私の部屋ではなく、ただの空き部屋でしかない。
荷物をまとめると言っても、まとめるほどのものもない。小さなトランク一つ。これが、公爵令嬢として生きてきた私の全てだった。
(まあ、こんなものか)
自嘲気味に息を吐き、トランクを手に静かに屋敷を抜け出そうとした、その時だった。
「お嬢様……!」
背後から聞こえた、切羽詰まった声。振り返ると、そこには私の専属侍女であるエマが、涙でぐしゃぐしゃの顔で立っていた。彼女は私と同い年くらいで、亜麻色の髪をきゅっと後ろで結んだ、そばかすの可愛い少女だ。
「エマ……。あなた、どうしてここに」
「お話は全て……聞こえておりました。ひどすぎますわ、旦那様も奥様も……!」
エマは私の手からトランクをひったくるように取ると、代わりに自分の荷物が入った大きな鞄を私に押し付けた。
「お嬢様、私を、私を一緒に連れて行ってください!」
「何を言っているの、エマ。私は辺境に追放されるのよ。あなたには関係ないことだわ。それに、あなたまでいなくなったら、ご両親が悲しむでしょう?」
エマは、この屋敷の近くに住む両親ととても仲が良かったはずだ。
しかし、エマはぶんぶんと首を横に振った。
「両親には、もう話をして許しをもらいました。私の主人は、生涯アリアお嬢様ただお一人です。お嬢様がどれほど心優しく、リリア様のことなど気にもかけていらっしゃらなかったか、このエマが一番よく存じております。それなのに、こんな理不尽な仕打ち……。お嬢様お一人で、あの極寒の地へなど、行かせられません!」
その瞳には、揺るぎない忠誠と、私を案じる深い愛情が宿っていた。
この屋敷で、唯一私を「アリア」として見てくれていた存在。いつも私の体調を気遣い、私が刺繍を苦手だと言えばこっそり手伝ってくれ、堅苦しい令嬢生活に疲れてため息をつけば、甘いお菓子を用意してくれた、優しい少女。
ああ、ダメだ。この温もりだけは、手放したくない。
「……いいの? 大変よ、きっと。お給金だってたぶん払えないし、贅沢なんて絶対にできない。今日の食事にも困るような、そんな生活になるかもしれないのよ」
「構いません! お嬢様のお側で、お嬢様のお役に立てるのなら、エマはどこへだってついていきます!」
その言葉に、ずっと張り詰めていた心の糸が、ふつりと切れた。私の頬を、一筋の涙が伝う。この世界に来て、初めて流す温かい涙だった。
「……ありがとう、エマ」
私はエマの手を固く握りしめた。
「一緒に行きましょう。私たちの新しい人生へ」
「はい、お嬢様!」
こうして、私とエマの二人だけの、過酷だけれど希望に満ちた旅が始まった。屋敷を後にし、夜の闇に紛れて王都の門を抜ける。振り返ることはなかった。私たちが目指すのは、過去ではなく、未来なのだから。極寒の辺境で始まる、美味しくて温かい、私たちの新しい生活。今はまだ見えないその光景を思い描き、私はしっかりと前を向いた。
「我が家の恥晒しめ」
応接室に響いた父、クライネルト公爵の低い声には、失望も怒りも通り越した、無感情な響きだけがあった。母は扇で口元を隠し、私を汚物でも見るかのような目で見ている。彼らにとって重要なのは、娘の無実や心の傷ではなく、王家の不興を買い、クライネルト家の名誉に泥を塗ったという事実だけなのだ。
「王家への申し開きのため、お前は本日をもって勘当とする。クライネルト家の者ではない」
「お母様……」
「お黙りなさい。お前の母親になった覚えはありません」
ああ、やっぱり。ゲームの中の彼らも、こういう人たちだった。アリアを権力闘争の駒としか見ておらず、使えなくなればあっさりと切り捨てる。前世の記憶がなければ、この仕打ちにどれほど傷ついていただろう。でも、今の私には、この冷たい言葉も他人事のようにしか聞こえなかった。家族の愛情なんて、とうの昔に枯渇していたのだから。
私に渡されたのは、小さな革袋に入った僅かばかりの金貨と、数日分の着替えが入った粗末なトランクだけ。これまで私が使っていた豪奢なドレスも、美しい宝石も、全て取り上げられた。
「明日の朝日が昇る前に、この家から出て行け。二度とクライネルト家の敷居を跨ぐことは許さん」
父の最後の言葉を背に、私は誰にも見送られることなく、自分の部屋だった場所へと向かった。もはやそこは私の部屋ではなく、ただの空き部屋でしかない。
荷物をまとめると言っても、まとめるほどのものもない。小さなトランク一つ。これが、公爵令嬢として生きてきた私の全てだった。
(まあ、こんなものか)
自嘲気味に息を吐き、トランクを手に静かに屋敷を抜け出そうとした、その時だった。
「お嬢様……!」
背後から聞こえた、切羽詰まった声。振り返ると、そこには私の専属侍女であるエマが、涙でぐしゃぐしゃの顔で立っていた。彼女は私と同い年くらいで、亜麻色の髪をきゅっと後ろで結んだ、そばかすの可愛い少女だ。
「エマ……。あなた、どうしてここに」
「お話は全て……聞こえておりました。ひどすぎますわ、旦那様も奥様も……!」
エマは私の手からトランクをひったくるように取ると、代わりに自分の荷物が入った大きな鞄を私に押し付けた。
「お嬢様、私を、私を一緒に連れて行ってください!」
「何を言っているの、エマ。私は辺境に追放されるのよ。あなたには関係ないことだわ。それに、あなたまでいなくなったら、ご両親が悲しむでしょう?」
エマは、この屋敷の近くに住む両親ととても仲が良かったはずだ。
しかし、エマはぶんぶんと首を横に振った。
「両親には、もう話をして許しをもらいました。私の主人は、生涯アリアお嬢様ただお一人です。お嬢様がどれほど心優しく、リリア様のことなど気にもかけていらっしゃらなかったか、このエマが一番よく存じております。それなのに、こんな理不尽な仕打ち……。お嬢様お一人で、あの極寒の地へなど、行かせられません!」
その瞳には、揺るぎない忠誠と、私を案じる深い愛情が宿っていた。
この屋敷で、唯一私を「アリア」として見てくれていた存在。いつも私の体調を気遣い、私が刺繍を苦手だと言えばこっそり手伝ってくれ、堅苦しい令嬢生活に疲れてため息をつけば、甘いお菓子を用意してくれた、優しい少女。
ああ、ダメだ。この温もりだけは、手放したくない。
「……いいの? 大変よ、きっと。お給金だってたぶん払えないし、贅沢なんて絶対にできない。今日の食事にも困るような、そんな生活になるかもしれないのよ」
「構いません! お嬢様のお側で、お嬢様のお役に立てるのなら、エマはどこへだってついていきます!」
その言葉に、ずっと張り詰めていた心の糸が、ふつりと切れた。私の頬を、一筋の涙が伝う。この世界に来て、初めて流す温かい涙だった。
「……ありがとう、エマ」
私はエマの手を固く握りしめた。
「一緒に行きましょう。私たちの新しい人生へ」
「はい、お嬢様!」
こうして、私とエマの二人だけの、過酷だけれど希望に満ちた旅が始まった。屋敷を後にし、夜の闇に紛れて王都の門を抜ける。振り返ることはなかった。私たちが目指すのは、過去ではなく、未来なのだから。極寒の辺境で始まる、美味しくて温かい、私たちの新しい生活。今はまだ見えないその光景を思い描き、私はしっかりと前を向いた。
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