追放された悪役令嬢は、極寒の辺境で料理の腕を振るう〜醤油とみりんを開発したら、氷の辺境伯様と領民の胃袋を掴んでしまいました〜

緋村ルナ

文字の大きさ
3 / 22

第2章:冷たい家族と、唯一の温もり

しおりを挟む
 パーティー会場から馬車でクライネルト公爵家に戻った私を迎えたのは、凍てつくような沈黙と、父と母の冷え切った視線だった。王太子殿下から婚約を破棄され、追放処分となった娘に対する彼らの反応は、私の予想通り、いや、予想以上に冷淡なものだった。
「我が家の恥晒しめ」
 応接室に響いた父、クライネルト公爵の低い声には、失望も怒りも通り越した、無感情な響きだけがあった。母は扇で口元を隠し、私を汚物でも見るかのような目で見ている。彼らにとって重要なのは、娘の無実や心の傷ではなく、王家の不興を買い、クライネルト家の名誉に泥を塗ったという事実だけなのだ。
「王家への申し開きのため、お前は本日をもって勘当とする。クライネルト家の者ではない」
「お母様……」
「お黙りなさい。お前の母親になった覚えはありません」
 ああ、やっぱり。ゲームの中の彼らも、こういう人たちだった。アリアを権力闘争の駒としか見ておらず、使えなくなればあっさりと切り捨てる。前世の記憶がなければ、この仕打ちにどれほど傷ついていただろう。でも、今の私には、この冷たい言葉も他人事のようにしか聞こえなかった。家族の愛情なんて、とうの昔に枯渇していたのだから。
 私に渡されたのは、小さな革袋に入った僅かばかりの金貨と、数日分の着替えが入った粗末なトランクだけ。これまで私が使っていた豪奢なドレスも、美しい宝石も、全て取り上げられた。
「明日の朝日が昇る前に、この家から出て行け。二度とクライネルト家の敷居を跨ぐことは許さん」
 父の最後の言葉を背に、私は誰にも見送られることなく、自分の部屋だった場所へと向かった。もはやそこは私の部屋ではなく、ただの空き部屋でしかない。
 荷物をまとめると言っても、まとめるほどのものもない。小さなトランク一つ。これが、公爵令嬢として生きてきた私の全てだった。
(まあ、こんなものか)
 自嘲気味に息を吐き、トランクを手に静かに屋敷を抜け出そうとした、その時だった。
「お嬢様……!」
 背後から聞こえた、切羽詰まった声。振り返ると、そこには私の専属侍女であるエマが、涙でぐしゃぐしゃの顔で立っていた。彼女は私と同い年くらいで、亜麻色の髪をきゅっと後ろで結んだ、そばかすの可愛い少女だ。
「エマ……。あなた、どうしてここに」
「お話は全て……聞こえておりました。ひどすぎますわ、旦那様も奥様も……!」
 エマは私の手からトランクをひったくるように取ると、代わりに自分の荷物が入った大きな鞄を私に押し付けた。
「お嬢様、私を、私を一緒に連れて行ってください!」
「何を言っているの、エマ。私は辺境に追放されるのよ。あなたには関係ないことだわ。それに、あなたまでいなくなったら、ご両親が悲しむでしょう?」
 エマは、この屋敷の近くに住む両親ととても仲が良かったはずだ。
 しかし、エマはぶんぶんと首を横に振った。
「両親には、もう話をして許しをもらいました。私の主人は、生涯アリアお嬢様ただお一人です。お嬢様がどれほど心優しく、リリア様のことなど気にもかけていらっしゃらなかったか、このエマが一番よく存じております。それなのに、こんな理不尽な仕打ち……。お嬢様お一人で、あの極寒の地へなど、行かせられません!」
 その瞳には、揺るぎない忠誠と、私を案じる深い愛情が宿っていた。
 この屋敷で、唯一私を「アリア」として見てくれていた存在。いつも私の体調を気遣い、私が刺繍を苦手だと言えばこっそり手伝ってくれ、堅苦しい令嬢生活に疲れてため息をつけば、甘いお菓子を用意してくれた、優しい少女。
 ああ、ダメだ。この温もりだけは、手放したくない。
「……いいの? 大変よ、きっと。お給金だってたぶん払えないし、贅沢なんて絶対にできない。今日の食事にも困るような、そんな生活になるかもしれないのよ」
「構いません! お嬢様のお側で、お嬢様のお役に立てるのなら、エマはどこへだってついていきます!」
 その言葉に、ずっと張り詰めていた心の糸が、ふつりと切れた。私の頬を、一筋の涙が伝う。この世界に来て、初めて流す温かい涙だった。
「……ありがとう、エマ」
 私はエマの手を固く握りしめた。
「一緒に行きましょう。私たちの新しい人生へ」
「はい、お嬢様!」
 こうして、私とエマの二人だけの、過酷だけれど希望に満ちた旅が始まった。屋敷を後にし、夜の闇に紛れて王都の門を抜ける。振り返ることはなかった。私たちが目指すのは、過去ではなく、未来なのだから。極寒の辺境で始まる、美味しくて温かい、私たちの新しい生活。今はまだ見えないその光景を思い描き、私はしっかりと前を向いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……

タマ マコト
ファンタジー
王宮の祝賀会で、無魔力と蔑まれてきた伯爵令嬢エリーナは、王太子アレクシオンから突然「婚約破棄」を宣告される。侍女上がりの聖女セレスが“新たな妃”として選ばれ、貴族たちの嘲笑がエリーナを包む。絶望に胸が沈んだ瞬間、彼女の奥底で眠っていた“竜との契約”が目を覚まし、空から白銀竜アークヴァンが降臨。彼はエリーナの涙に激怒し、王宮を半壊させるほどの力で彼女を守る。王国は震え、エリーナは自分が竜の真の主であるという運命に巻き込まれていく。

婚約破棄された「灰色の令嬢」ですが、魔法大公陛下が私を見つめて離しません

reva
恋愛
「君じゃ見栄えが悪い」――地味な私を軽蔑する婚約者セドリックは私を見るたびに「疲れる」とため息をつく。そしてついに、華やかな令嬢を求めて婚約破棄を告げた。 どん底に突き落とされた私だけど、唯一の心の支えだった魔法研究だけは諦めなかった。 そんな私の論文が、なんと魔法大公エリオット様の目に留まり、お城で研究員として働くことに。 彼は私を「天才」と褒め、真摯な眼差しで、いつしか私に求婚。私の魔法研究を真剣に見て、優しく微笑んでくれる彼に、私は初めて愛を知る。

【完結】政略婚約された令嬢ですが、記録と魔法で頑張って、現世と違って人生好転させます

なみゆき
ファンタジー
典子、アラフィフ独身女性。 結婚も恋愛も経験せず、気づけば父の介護と職場の理不尽に追われる日々。 兄姉からは、都合よく扱われ、父からは暴言を浴びせられ、職場では責任を押しつけられる。 人生のほとんどを“搾取される側”として生きてきた。 過労で倒れた彼女が目を覚ますと、そこは異世界。 7歳の伯爵令嬢セレナとして転生していた。 前世の記憶を持つ彼女は、今度こそ“誰かの犠牲”ではなく、“誰かの支え”として生きることを決意する。 魔法と貴族社会が息づくこの世界で、セレナは前世の知識を活かし、友人達と交流を深める。 そこに割り込む怪しい聖女ー語彙力もなく、ワンパターンの行動なのに攻略対象ぽい人たちは次々と籠絡されていく。 これはシナリオなのかバグなのか? その原因を突き止めるため、全ての証拠を記録し始めた。 【☆応援やブクマありがとうございます☆大変励みになりますm(_ _)m】

追放された令嬢、辺境の小国で自由に生きる

腐ったバナナ
ファンタジー
宮廷で「役立たず」と烙印を押され、突如として追放された令嬢リディア。 辺境の小国の荒れた城跡で、誰の干渉もない自由な生活を始める。 孤独で不安な日々から始まったが、村人や兵士たちとの触れ合いを通して信頼を築き、少しずつ自分の居場所を見つけていく。 やがて宮廷ではリディア不在の混乱が広がり、かつての元婚約者や取り巻き令嬢たちが焦る中、リディアは静かに、しかし確実に自身の価値と幸せを取り戻していく――。

トカゲ令嬢とバカにされて聖女候補から外され辺境に追放されましたが、トカゲではなく龍でした。

克全
恋愛
「アルファポリス」「カクヨム」「小説家になろう」に同時投稿しています。 「アルファポリス」「カクヨム」「小説家になろう」に同時投稿しています。  リバコーン公爵家の長女ソフィアは、全貴族令嬢10人の1人の聖獣持ちに選ばれたが、その聖獣がこれまで誰も持ったことのない小さく弱々しいトカゲでしかなかった。それに比べて側室から生まれた妹は有名な聖獣スフィンクスが従魔となった。他にもグリフォンやペガサス、ワイバーンなどの実力も名声もある従魔を従える聖女がいた。リバコーン公爵家の名誉を重んじる父親は、ソフィアを正室の領地に追いやり第13王子との婚約も辞退しようとしたのだが……  王立聖女学園、そこは爵位を無視した弱肉強食の競争社会。だがどれだけ努力しようとも神の気紛れで全てが決められてしまう。まず従魔が得られるかどうかで貴族令嬢に残れるかどうかが決まってしまう。

王宮から逃げた私、隣国で最強魔導士に一途に愛される

タマ マコト
ファンタジー
王宮で“弱い魔力しかない”と蔑まれ、冤罪まで着せられた令嬢リリアは、 息をするだけで傷つくような窒息した日々に耐えきれず、 夜明け前にすべてを捨てて王宮から逃げ出す。 行くあてもないまま国境の森へたどり着いた彼女は、 魔力暴走に巻き込まれ命を落としかけるが、 銀色の魔力を操る隣国最強の魔導士ゼフィールに救われる。 追われる身になったリリアと、 過去を詮索せずただ“生きていい”と言ってくれるゼフィール。 こうして、彼女の人生を変える出会いと、 自由へ向かう物語が静かに動き始める。

追放された落ちこぼれ令嬢ですが、氷血公爵様と辺境でスローライフを始めたら、天性の才能で領地がとんでもないことになっちゃいました!!

六角
恋愛
「君は公爵夫人に相応しくない」――王太子から突然婚約破棄を告げられた令嬢リナ。濡れ衣を着せられ、悪女の烙印を押された彼女が追放された先は、"氷血公爵"と恐れられるアレクシスが治める極寒の辺境領地だった。 家族にも見捨てられ、絶望の淵に立たされたリナだったが、彼女には秘密があった。それは、前世の知識と、誰にも真似できない天性の《領地経営》の才能! 「ここなら、自由に生きられるかもしれない」 活気のない領地に、リナは次々と革命を起こしていく。寂れた市場は活気あふれる商業区へ、痩せた土地は黄金色の麦畑へ。彼女の魔法のような手腕に、最初は冷ややかだった領民たちも、そして氷のように冷たいはずのアレクシスも、次第に心を溶かされていく。 「リナ、君は私の領地だけの女神ではない。……私だけの、女神だ」

悪役令嬢、休職致します

碧井 汐桜香
ファンタジー
そのキツい目つきと高飛車な言動から悪役令嬢として中傷されるサーシャ・ツンドール公爵令嬢。王太子殿下の婚約者候補として、他の婚約者候補の妨害をするように父に言われて、実行しているのも一因だろう。 しかし、ある日突然身体が動かなくなり、母のいる領地で療養することに。 作中、主人公が精神を病む描写があります。ご注意ください。 作品内に登場する医療行為や病気、治療などは創作です。作者は医療従事者ではありません。実際の症状や治療に関する判断は、必ず医師など専門家にご相談ください。

処理中です...