追放された悪役令嬢は、極寒の辺境で料理の腕を振るう〜醤油とみりんを開発したら、氷の辺境伯様と領民の胃袋を掴んでしまいました〜

緋村ルナ

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第14章:商会長との出会い、広がる夢

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『陽だまり亭』の評判は、いつしかベルク辺境伯領の境界を越え、近隣の町にまで届くようになっていた。そんなある日、店に一人の見慣れない客が訪れた。身なりの良い、人の良さそうな笑顔を浮かべた中年男性で、その鋭い瞳は、彼がただの旅人ではないことを示唆していた。
 彼は日替わり定食を注文すると、一口、また一口と、実に吟味するように味わい、食べ終わった後、私に話しかけてきた。
「いやはや、驚きました。噂には聞いておりましたが、これほどとは。素晴らしい腕前ですな、奥さん」
「ありがとうございます。……ですが、私はまだ独り身ですわ」
「おっと、これは失礼いたしました。私は、隣町の商業都市バートンから参りました、マルコと申します。ささやかですが、商会の会長を務めておりまして」
 マルコと名乗った男は、丁寧に名刺を差し出した。彼はこの地方でも指折りの、やり手の商人らしい。
「して、アリア殿。単刀直入に申し上げましょう。あなたが作っているという、あの魔法の調味料……『醤油』とやらを、商品化し、我々の商会で扱わせてはいただけないでしょうか?」
 彼の目は、商売人のものになっていた。真剣で、野心に満ちている。
「商品化、ですか?」
「左様! この醤油と、あの甘い蜜……みりん風調味料でしたかな? この二つがあれば、この国の食文化は根底から覆るでしょう。これは、とんでもない商機です! もちろん、あなたには売り上げに応じた、十分な利益をお約束します。共に、王国中にこの美味しさを広めませんか?」
 マルコの提案は、あまりにスケールが大きく、私は即答することができなかった。
 私の夢は、この辺境の地で、皆と美味しいものを分かち合って、ささやかに暮らしていくこと。それが、王国中に広まるほどの大きな事業になるなんて、想像もしていなかった。それに、レシピが広まれば、それを真似する者も出てくるだろう。私だけの、秘密の味ではなくなってしまう。
 悩む私を見て、マルコはにこやかに言った。
「急ぎませんとも。よくお考えください。これは、あなたにとっても、この厳しい辺境の地にとっても、またとない好機となるはずです。良いお返事をお待ちしております」
 そう言い残し、彼は去っていった。
 その夜、閉店後に訪れたレオンハルトに、私はマルコからの提案を打ち明けた。
「……どうしたらいいのか、分からなくて。私の料理が、そんな大きな話になるなんて……」
 私の迷いを、彼は静かに聞いていた。そして、ゆっくりと口を開いた。
「アリア。君はどうしたい?」
「え……?」
「他人がどう言うかではない。君自身が、どうしたいんだ? 君の料理を、この町の者だけと分かち合うのが幸せか? それとも、王国中の人々に届けたいか? どちらが、君の本当の望みだ?」
 彼のまっすぐな問いに、私は自分の心の中を見つめ直す。
 最初は、ささやかな幸せで十分だと思っていた。けれど、『陽だまり亭』で、たくさんの人が私の料理で笑顔になるのを見るたびに、もっと多くの人に、この美味しさを知ってほしい、という気持ちが芽生えていたのも事実だ。それに……。
「……この辺境の地が、豊かになるのなら……。あなたの、助けになるのなら……」
 ぽつりと漏れた私の本心に、レオンハルトはわずかに目を見開いた。そして、優しく、力強い声で言った。
「君の料理が、この厳しい辺境の地の産業になるのなら、これほど嬉しいことはない。それは、私の助けになるどころか、この地で暮らす全ての民の希望になるだろう」
 彼の言葉が、私の背中を強く押してくれた。
「君がやるというのなら、私が全力で君を守る。レシピが悪用されぬよう、王家に働きかけ、製造の独占権を認めさせよう。だから、何も心配することはない。君の信じる道を進めばいい」
 その言葉は、何よりも心強かった。
 私の夢は、もう私一人のものではない。この人のため、この地のためにも、私の料理の力を役立てたい。
 翌日、私はマルコ商会に連絡を取った。
「お話、お受けいたします。一緒に、この国の食卓に革命を起こしましょう」
 私の夢が、小さな食堂から、王国全体へと、大きく羽ばたこうとしていた。
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