ミネルヴァとフクロウ、助けられた俺

久遠真己

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続きのないオープニング――屋上からの落下

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 突然、晴来はるきは高校の屋上から突き落とされた。

 放課後、日も暮れ出す午後五時すぎ。晴来は一人だった。呼び出されたからだ。

 相手は、イタリアからの留学生ミネルヴァ。学年主席の彼女から「お話があるので、放課後、屋上に来てください」と声を掛けられたとき、晴来は驚いた。

 次に、本当に自分なのか確認した。晴来の親友には学年次席の男がいるから、そっちと間違えたのかと思ったからだ。間違いではなかった。

 呼び出されたのは、晴来だった。

 だけど、今、晴来は屋上から落下している。
 意味が分からない。突き落としたのはミネルヴァじゃなかったことだけが救いだった。

 屋上に化け物が現れ、晴来をフェンスの外に放り投げたのだ。


 ああ、死んだ。俺、死ぬんだ。だったら、ミネルヴァの話が聞きたかった。


 地面に衝突するまで、あと数秒。夕暮れが美しいのが、目に痛かった。鮮やかすぎて、目を瞑った。

「『ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ』という言葉をご存知ではありませんか?」

 廊下で話しかけられた時と同じトーンだった。

 目を開ける。
 眼前で、銀色のショートヘアが、オレンジ色の夕陽に透けている。


 ――きれいだ


 そう思った瞬間、ぼすんとの上に着地する。

「まあですね。ヘーゲル曰わく、『哲学はもともと、いつも来方が遅すぎる』といいますし、それに比べてしまえば私の行動は早かったと言えるでしょう。何しろ『現実がその形成過程を完了して、おのれを仕上げたあとで初めて、哲学は時間のなかに現れる』よりはマシですよね?」

 巨大なフクロウの背中で、ミネルヴァは難しいことを言い出した。
 そう、巨大な、フクロウの上で。
 パニックになりすぎた晴来が叫ぶ。

「えっ、もうちょっと分かりやすく説明して!」
「とりあえず、屋上に戻りますか」

 慌てる晴来とは対照的に、彼女はなんてことないように言った。フクロウを一撫ですると、方向が変わる。
 浮遊感が身体を登っていって、外を見る余裕もなく、屋上に舞い戻る。

「つまりですね、」
 フクロウから降りると、彼女が片手を天に向けた。柔らかい光が降り注ぐ。カーテンのようにミネルヴァを覆った。

「晴来さんを助けるのは間に合ったので、少々の遅刻は許してください、ってことなんです」

 光が止む。

 立っていた彼女の姿は、植物の冠と薄いワンピースを纏ったものへと変わっていた。晴来に知識があれば、冠は月桂樹の冠だと分かっただろう。

 ワンピースに見えたのは、古代ギリシアでの衣服キトンの上に、一枚布を使ったワンピース型の上着ヒマティオンを羽織っているから。

 そしてその衣服が光沢に満ちながら薄いのは、絹だからだ。普通なら麻で作られるそれが絹製なのは、身に付けるものの高貴さを現している。

「戦いは、ベローナやマールスのほうが得意なんですけどね」
 異形の怪物を前にして、少しばかり自嘲ぎみに微笑む。

 いつの間にか、その小さな手には彼女の背丈を超える槍が握られていた。

「危ないだろ、逃げよう!」
「逃げられませんよ、これが私の使命ですから」

 柔和な表情しか浮かべたことがないのだろう。陶器のように、美しい笑顔を作ると、晴来を背に庇う。

「大丈夫です。この程度の雑魚なら、秒で終わります」
 唖然とする晴来に、彼女は嘘を付かなかった。

 槍が一振りされただけで、ひたすら大きくて醜悪な怪物は消滅する。ミネルヴァは、衣一つ乱さなかった。

 踵丈の布地を捲ることなく、同級生はゆったりと晴来のほうを向く。

「改めてまして、晴来さん」
「は、はじめまして」
 巨大フクロウに乗ったまま、晴来は頭を下げる。

「私は千の仕事の女神、ミネルヴァ」
 何を言い出したのか、分からなかった。

「大層な二つ名を付けられたものですが、それも仕方ないでしょう。詩や音楽、医学、商業、製織、工芸、魔術、挙げ句には戦いまで。あまりに多くの信奉を集めたゆえ、私は多くのものを司るようになったのです」

 やれやれと、頭を振る彼女は、ただの同級生でないのだ。
 羽毛の感触だけが、晴来に現実を教える。

「ですが、あえていうならば」
 魅力的な唇を釣り上げ、悪戯に。
「私は知恵の女神ミネルヴァ、あなたをパートナーにしに来ました」

 忘れかけていたときめきが返ってきた。そうだ、晴来はミネルヴァに話があるから来てほしいと言われたのだった。

「パートナー……って?!」
 ミネルヴァは今までで一番の、輝かんばかりの笑顔を浮かべた。

「はい、私と契約してあの怪物を倒しましょう」

 ポンと音がして、晴来はコンクリートの地面に落とされる。

 晴来の肩に、ミネルヴァのフクロウが止まった。あの巨大フクロウが小さくなったのだ。猛禽類の鋭い爪が、遠慮なしに食い込んむ。

 フクロウの虹彩がギロリと睨みつけてくる。

「彼の名前は、フクロウ。その子がいなかったら、晴来さん死んでたんですよ?」

 フクロウが声高らかに鳴く「ムリ」と口を動かそうものならば、くちばしで喉を掻き切られそうだ。

「……詳しい話から、聞かせて……?」

 命の恩人、もとい元凶のミネルヴァとフクロウに、晴来はそう言うしかなかったのだった。
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