解語ノ悪華

おきたワールド

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本編

恵まれた人?

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「竹宮さんって美人で恵まれてるよね」
クラスメイトの女の子から何度か言われたことがある。
最初は誰の話をしているのかよく分からず、自分に向けられた言葉だと理解するのにしばし時間を有した。
昔からそうなのだ。
わたしは当事者意識が薄い人間だった。
当事者意識が薄い理由は、鼎くん曰く「君は幼い頃に父親の首吊り死体を見て、本当はずっと傷ついてるんだ」とか「母親が家に帰って来ない現実を受け入れたくないからだ」とか、「適切で健全な自我を形成する機会に恵まれなかったんだよ」他にも色々な理由を付けてくれたけれど、わたしはどれも違うと思う。

きっとただ単純に生まれつき備わった性質として他人の心のようなものが分からないのだ。
鼎くんと交際を始めたのはわたしが高校二年生の夏休み前日のことで、鼎くんは学校が違うにもかかわらず毎日時間を作って会いに来てくれた。
鼎くんは、頭が良くて物知りで色んな話をしてくれる。
「知ってるか?動物っていうのはね、これまで出会ったことがない新しい物体に遭遇すると積極的に探索を行うんだ。他にも物体の配置が変わった場合にも、その変化に応じて探索行動を起こす。この探索行動は報酬や罰がなくても生じるし、新奇性に対する嗜好性や好奇心などの内発的な動機づけに基づく行動だと言われている」

「八重花ちゃん、狂気はゴシック文学伝来のモチーフの一つでね。理性を重視する十八世紀イギリスの社会で生まれたゴシック小説は、社会の動向に逆らって人々の心の内奥に潜んでいる理性では到底捉えきれない欲望や経験を暴くことを目的としていた。社会が理性を光とするならば、ゴシックは心の不可視の部分を闇であり、それを表象する手段の一つに狂気を利用しているんだ」
わたしは鼎くんが楽しそうに話をする様子が何よりも好きだった。
付き合い初めて数ヶ月が経った頃、鼎くんの話に相槌を打ちながら、ふとわたしも何か話を聞かせたいと思いついたのだ。
次の日の昼頃、わたしは鼎くんと最寄りの古本屋を訪れた。

市民図書館の近くにある小さな店で、その佇まいは穏やかな静寂に満ちている。
店内に入ると客は一人もおらず、文庫を棚に出していた白髪の店主が、ちらりとわたしを一瞥したきりだった。
「あのね、鼎くん……」
「ん?どうしたんだよ」
新書コーナーで経済学の本を物色していた鼎くんに声をかける。
わたしの持っていた本の表紙を一瞬見やり、それから嬉しそうに破顔しながらこちらを真っ直ぐに捉えた。
鼎くんはこういうときだけ、子供みたいな顔で笑う。
この本も鼎くんが教えてくれたものだ。
鼎くんはわたしの知らない沢山のことを教えてくれる。

わたしは、鼎くんの眼差しがあまりにも暖かくて優しいから、何を言っても許されると勘違いしてしまったのだ。
「買い物が終わったら、聞いて欲しい、ことが、あって」
それからわたしは鼎くんの家で、自分が生まれた経緯、パパが居ないこと、ママがわたしの話を聞かないこと、今まで生きてきて周りから言われてきたこと、舌先がもたつきながらも出来るだけ素直に言語化を試みたのだ。
わたしが全てを話終わる頃には、涙に洗われてうさぎのように赤く充血した眼と紅色の貝殻のように腫れぼったい瞼の鼎くんがいた。
思いがけない反応にわたしは顔を傾ける。

鼎くんがいつもしてくれるみたいに、自分が知ってることを相手に伝えただけなのに、どうして泣いてるんだろう。
「八重花ちゃんに、八重花ちゃんに必要なのは、適切な教育を受けられる機会と安全で安心できる居場所と常識を施してくれる沢山の他人だよ……」
鼎くんの言葉は少し震えて聞こえた。
気のせいだったかもしれないけど。
鼎くんは、わたしが他人の感情に疎いのは、わたしの身近にちゃんとした大人が居ないからだと言う。
わたしは鼎くんが泣いている理由も言ってる内容もよく分からないけど、理解したかった。
パパくらいの年齢の男性と接したら、何か分かるかもしれない。

しかし、鼎くんの言葉を理解しようとすればするほど、わたしは鼎くんが分からなくなったのだ。
鼎くんはある時からわたしに暴力を振るうようになって、怖い目つきをするようになった。
それは結婚して恋人から夫婦になっても変わらず、鼎くんとの心の距離はずっと縮まらないままで、何年間も頑張ってみたけれど、楽しそうに話しかけてくれた鼎くんにはもう会えない気がした。
そう諦めかけた時、わたしは牛牧祥汰(うしまきしょうた)くんと出会った。
当時の祥汰くんは高校二年生で、丁度付き合い始めた時期の鼎くんと同い年だ。
祥汰くんと触れ合えば、何か分かるかもしれない。

夏雲が湧いて陽を遮り、窓から入り込む光は斑模様で室内は薄暗い。
油蝉の声がむしろ静寂を際立たせる寝室を、わたしは眼球だけで見渡した。
ベッドの隅に腰かける鼎くんはひどく憔悴して見えたが、ベッドに横たわるわたしを見下ろす目だけがぎらぎらと異様な光を放っている。
声をかけようにも、わたしの口には猿轡が嵌められていた。
「八重花ちゃん、俺ね、人を殺したんだ。八重花ちゃんがよく知ってる人だよ。ごめんね」
これまでの人生で聞いた経験のない、ぬるりと心臓に絡みつくような甘い声。
わたしは鼎くんが持つ血と脂で曇った包丁を凝視した。

強い鉄の匂いに混じって、確かに人肉を想わせる有機的な匂いがする。
「怒らないでね、本当は……八重花ちゃんが眠ってる間に八重花ちゃんを刺して一緒に死のうかなって思ったんだけど……でもそしたら、アイツだけ殺した意味ないし……」
鼎くんはわたしの頬を撫でて、おとがいへと指を滑らせた。
そのまま人差し指でわたしの顎をクイッと持ち上げる。
久しぶりに至近距離で見た鼎くんの顔立ちは、顔立ちだけならやはり祥汰くんとよく似ていた。
「八重花ちゃん、もし俺が警察に捕まっても、俺のこと諦めないでいてくれる?」

夢遊病者のような虚ろな瞳。
その眼の中に、わたしが映っていられるのはあとどれくらいのことなんだろう。
わたしの隣から居なくなってしまうなら、いっそ殺してくれて良かったのに。
どこで、まちがえたんだろう。
「八重花ちゃんって、いつも年上の男ばっかり好きになるからさぁ……枯れ専って言うの?老けてる男が好きなのかなって、なら浮気しちゃうのも仕方ないって思ってたんだ、ずっと。でもさぁ……」
ちがう、わたしは。
「俺と瓜二つな外見の男が好きなら、そんなの俺で良いだろッ!?」
ただ、あの日の貴方に会いたかったの。

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