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ロータス編(※殺人&自殺描写有り)
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拳銃で頭部を撃ち抜けば人間は死ぬ。
バンッと空気を引き裂くような鋭い銃声がして、おれの婚約者は肉塊になった。
ただの、自発的には動かない有機的な物体になったのだ。
自室は在り来りな表現をするのならば、血の海だった。
赤色の水溜まりが出来たフローリングを見て、此処が借家なことを思い出す。
婚約者の要望で購入した薄桃色のカーテンは鉄臭い斑点模様になってしまった。
最近は彼女が好む小学生のような少女趣味も少し気に入り始めたのに、なんだか悲しい気持ちになる。
寝転がった婚約者に、一度キスをしてみた。
勿論唇に、おれからしたらファーストキスだ。
婚約者の唇からはまだ生きている匂いがして、ぬるま湯のような体温がそこにある。
柘榴のような唇を舐めると口紅の味がして、これは彼女の味だと考えた。
おれは彼女の素顔を見た事がない。
小洒落た比喩などではなく、おれは彼女の化粧を落とした顔を見たことがなければ、裸体を見た事もないのだ。
そして、二度目のキスをした。
生きている彼女とは一度もしなかったキスを三度目、四度目、五度目、何度も何度も繰り返してみる。
彼女と一緒におれの息の根も止まってしまえと強く願ってみても、肺は相変わらず呼吸を続けていた。
事の発端はなんだっただろうか。
おれは婚約者の遺体を愛車の助手席に載せながら考えてみた。
記憶を遡ると、彼女の浮気が原因だったかもしれない。
学生時代の片思いが実ったら恋人同士になった、おれは彼女こそが自分の運命だと信じていた、だから婚約までした。
恋愛が祝福されて終わり、なんて物語の中だけだろう。
人生のエンドロールはまだ来ない。
生命は終わってなんてないから、おれ達はハッピーエンドの先も生きなければならない。
つまり、どんな可能性だって孕んでいたのだ。
車のエンジンをかけると、夜道が白いライトで照らされる。
おれは彼女と当初行く予定だった近くの海岸へと向かうことにした。
車を運転しながら窓から流れ過ぎる夜景を眺める。
おれはこの辺りの夜の街並みが好きだ。
海岸は厳冬の凄みをたたえた静寂さに満ちていた。
溜息を吐くと、白くなった息が目の前に広がる。
車を砂浜近くに停めてから、彼女が転倒しないように気を遣いながら助手席から降ろす。
自分の意思で歩行することを辞めた人間の肉体というのは非常に重たい。
腰辺りを抱えて遺体の下半身を引き摺りながら歩く。
だらんと垂れた白い踵によって砂浜には直線が引かれている。
まるで彼女が歩いた跡みたいだ。
尖った寒気がおれの鼻腔を突き刺した。
「大変そうですわ。手伝いましょうか?」
澄んだ声が突然聞こえてきて、おれはそちらに顔を向ける。
暗い海を背に立っていたのは、一人の少女だった。
否、正確には足元はふわふわと宙に浮いている。
透けて輪郭を暈す、水色の髪。
長く垂れて足首より先に到達するその先端は緩やかに波打つ。
顔は小さい、まるで人形の頭身だ。
目の前の少女はおれのイカれた脳みそが見せる幻覚なんだろうか、それとも幽霊だろうか。
どの道、黙ってやり過ごすのが懸命だろう。
しかし、他者からの質問に憮然として無言でいる勇気がなく、いつだっておれはニコニコして答えてしまうのだ。
気がついたらニコニコ喋っていたと言う方が正確かもしれない。
何故おれはもっと毅然とした、よく映画に出てくるような、近寄り難い感じの大芸術家のような立ち振る舞いが出来ないのだろう。
「初めまして、お嬢さん。あなたのお名前は?」
「ロータスと申しますわ。我々の名というよりは貴方達がそう呼ぶのですが」
「おれを、止めるんですか」
「まさか。それで貴方が救われるなら何よりですわ」
ロータスは空中に浮かんだまま、青いリボンが結ばれた足を組んだ。
今となってはどうでもいいことだけど、おれと婚約者は二人とも都市伝説が好きだから、話の種として知っている。
曰く、その少女は海辺に現れるという。
少女に救われるには生贄を水にしずめなければならず、生贄を差し出せば少女に認められて永遠に幸せになれると噂されている。
十年ほど前、海外ではこの都市伝説を盲信した人々によって無実の人間を水死させる事件が多発した。
インターネットではこの少女に会ったという発言を最後に音信不通になったSNSアカウントが複数存在することが拍車をかけ、その存在はオカルトマニアから狂信的に祭り上げられている。
「貴方も苦しいのですか?宜しければ、我々が話を聞いて差し上げますわ」
ロータスは天使のような美しい笑顔をおれに向けた。
「なら、一つ聞いて良いですか」
「まあ、なんでしょうか。我々に答えられることなら誠心誠意答えましょう」
「……あなたはいつの時代も人間達が好んで語る愛というものがなんであるか知っていますか?」
おれの言葉に、ロータスがきょとんとした顔をする。
唐突に返事が怖くなり、顔を背けると海の向こうで波が揺れていた。
雲は去ったのか、空には煌々と輝く満月。
黒い水面は、何処までが空で何処までが海なのか分からない境界線を作っている。
「そうですね……なんて言えばいいでしょうか。しかし、その答えはすぐに貴方自身が見つけるのではないでしょうか?」
おれはロータスの顔を見た。
ロータスはまるで全ての原罪を抱擁し、救済を与える聖母のように慈愛に満ちた笑みを浮かべている。
いつの間にか、波打つ海水の前にたどり着いていたようだ。
おれは彼女を離さないように強く抱きしめたまま、少しずつ波に足を踏み入れていく。
真冬の海は当然、身に染みる。
暗い海水が一昨日新調したばかりのスニーカーを汚した。
凍てつく海水が身体に染みて本能が反射的に歩みを止めそうになるが、理性を使って無理矢理肉体を動かす。
ゆっくりと一歩ずつ、確実に足を進めた。
「溺れることは怖いでしょう」
頭上から聞こえたロータスの声に顔をあげる。
海水はもう肩まで浸かっていた。
そろそろ、深い場所まで来ただろう。
再び大きく足を進めると、視界が消えた。
黒くて冷たい海水に肉体が投げ出されたのだ。
死んだ彼女の重さに引っ張られて、おれはどんどんと海底に向けて沈んでいく。
息が苦しくなり意識が遠のいていく、それでも彼女の遺体だけは離さないように必死に抱きしめた。
そして、ふと、理解したのだ。
おれは愛というものが、一体何なのか。
人間が愛に溺れることを恐れる理由。
だって、愛情とは自殺だから。
▼ E N D
バンッと空気を引き裂くような鋭い銃声がして、おれの婚約者は肉塊になった。
ただの、自発的には動かない有機的な物体になったのだ。
自室は在り来りな表現をするのならば、血の海だった。
赤色の水溜まりが出来たフローリングを見て、此処が借家なことを思い出す。
婚約者の要望で購入した薄桃色のカーテンは鉄臭い斑点模様になってしまった。
最近は彼女が好む小学生のような少女趣味も少し気に入り始めたのに、なんだか悲しい気持ちになる。
寝転がった婚約者に、一度キスをしてみた。
勿論唇に、おれからしたらファーストキスだ。
婚約者の唇からはまだ生きている匂いがして、ぬるま湯のような体温がそこにある。
柘榴のような唇を舐めると口紅の味がして、これは彼女の味だと考えた。
おれは彼女の素顔を見た事がない。
小洒落た比喩などではなく、おれは彼女の化粧を落とした顔を見たことがなければ、裸体を見た事もないのだ。
そして、二度目のキスをした。
生きている彼女とは一度もしなかったキスを三度目、四度目、五度目、何度も何度も繰り返してみる。
彼女と一緒におれの息の根も止まってしまえと強く願ってみても、肺は相変わらず呼吸を続けていた。
事の発端はなんだっただろうか。
おれは婚約者の遺体を愛車の助手席に載せながら考えてみた。
記憶を遡ると、彼女の浮気が原因だったかもしれない。
学生時代の片思いが実ったら恋人同士になった、おれは彼女こそが自分の運命だと信じていた、だから婚約までした。
恋愛が祝福されて終わり、なんて物語の中だけだろう。
人生のエンドロールはまだ来ない。
生命は終わってなんてないから、おれ達はハッピーエンドの先も生きなければならない。
つまり、どんな可能性だって孕んでいたのだ。
車のエンジンをかけると、夜道が白いライトで照らされる。
おれは彼女と当初行く予定だった近くの海岸へと向かうことにした。
車を運転しながら窓から流れ過ぎる夜景を眺める。
おれはこの辺りの夜の街並みが好きだ。
海岸は厳冬の凄みをたたえた静寂さに満ちていた。
溜息を吐くと、白くなった息が目の前に広がる。
車を砂浜近くに停めてから、彼女が転倒しないように気を遣いながら助手席から降ろす。
自分の意思で歩行することを辞めた人間の肉体というのは非常に重たい。
腰辺りを抱えて遺体の下半身を引き摺りながら歩く。
だらんと垂れた白い踵によって砂浜には直線が引かれている。
まるで彼女が歩いた跡みたいだ。
尖った寒気がおれの鼻腔を突き刺した。
「大変そうですわ。手伝いましょうか?」
澄んだ声が突然聞こえてきて、おれはそちらに顔を向ける。
暗い海を背に立っていたのは、一人の少女だった。
否、正確には足元はふわふわと宙に浮いている。
透けて輪郭を暈す、水色の髪。
長く垂れて足首より先に到達するその先端は緩やかに波打つ。
顔は小さい、まるで人形の頭身だ。
目の前の少女はおれのイカれた脳みそが見せる幻覚なんだろうか、それとも幽霊だろうか。
どの道、黙ってやり過ごすのが懸命だろう。
しかし、他者からの質問に憮然として無言でいる勇気がなく、いつだっておれはニコニコして答えてしまうのだ。
気がついたらニコニコ喋っていたと言う方が正確かもしれない。
何故おれはもっと毅然とした、よく映画に出てくるような、近寄り難い感じの大芸術家のような立ち振る舞いが出来ないのだろう。
「初めまして、お嬢さん。あなたのお名前は?」
「ロータスと申しますわ。我々の名というよりは貴方達がそう呼ぶのですが」
「おれを、止めるんですか」
「まさか。それで貴方が救われるなら何よりですわ」
ロータスは空中に浮かんだまま、青いリボンが結ばれた足を組んだ。
今となってはどうでもいいことだけど、おれと婚約者は二人とも都市伝説が好きだから、話の種として知っている。
曰く、その少女は海辺に現れるという。
少女に救われるには生贄を水にしずめなければならず、生贄を差し出せば少女に認められて永遠に幸せになれると噂されている。
十年ほど前、海外ではこの都市伝説を盲信した人々によって無実の人間を水死させる事件が多発した。
インターネットではこの少女に会ったという発言を最後に音信不通になったSNSアカウントが複数存在することが拍車をかけ、その存在はオカルトマニアから狂信的に祭り上げられている。
「貴方も苦しいのですか?宜しければ、我々が話を聞いて差し上げますわ」
ロータスは天使のような美しい笑顔をおれに向けた。
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「まあ、なんでしょうか。我々に答えられることなら誠心誠意答えましょう」
「……あなたはいつの時代も人間達が好んで語る愛というものがなんであるか知っていますか?」
おれの言葉に、ロータスがきょとんとした顔をする。
唐突に返事が怖くなり、顔を背けると海の向こうで波が揺れていた。
雲は去ったのか、空には煌々と輝く満月。
黒い水面は、何処までが空で何処までが海なのか分からない境界線を作っている。
「そうですね……なんて言えばいいでしょうか。しかし、その答えはすぐに貴方自身が見つけるのではないでしょうか?」
おれはロータスの顔を見た。
ロータスはまるで全ての原罪を抱擁し、救済を与える聖母のように慈愛に満ちた笑みを浮かべている。
いつの間にか、波打つ海水の前にたどり着いていたようだ。
おれは彼女を離さないように強く抱きしめたまま、少しずつ波に足を踏み入れていく。
真冬の海は当然、身に染みる。
暗い海水が一昨日新調したばかりのスニーカーを汚した。
凍てつく海水が身体に染みて本能が反射的に歩みを止めそうになるが、理性を使って無理矢理肉体を動かす。
ゆっくりと一歩ずつ、確実に足を進めた。
「溺れることは怖いでしょう」
頭上から聞こえたロータスの声に顔をあげる。
海水はもう肩まで浸かっていた。
そろそろ、深い場所まで来ただろう。
再び大きく足を進めると、視界が消えた。
黒くて冷たい海水に肉体が投げ出されたのだ。
死んだ彼女の重さに引っ張られて、おれはどんどんと海底に向けて沈んでいく。
息が苦しくなり意識が遠のいていく、それでも彼女の遺体だけは離さないように必死に抱きしめた。
そして、ふと、理解したのだ。
おれは愛というものが、一体何なのか。
人間が愛に溺れることを恐れる理由。
だって、愛情とは自殺だから。
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