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第3話

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「いじめって本当にあるんだな………全く気付かなかった」

 バレたものは仕方がない。僕は毅然とした態度で彼らの前に歩いて行った。

 恐怖は感じなかった。

 ただ呼ばれたから、足がそちらに動いただけである。死ぬことに比べたら大抵のことは受け入れられるようになったのか、それともただ酔いが醒めないだけなのか。

 彼らに近づいてみて思ったことは何か違うなという違和感だった。

 不良というとやはり体が大きく、喧嘩が強そうな粗野な男の印象を受ける。畏怖すべき対象である。しかし、目の前にいる三人は不良というには貧相な体つきに、割と真面目そうな顔をしている。

 眼鏡をかけている者までいる。

 これはそこのいじめられっ子の小太りさんが本気を出せば抵抗できそうなものだが。

 ふと目をやると三人のいじめっ子の一人が何か話している。

 その話を聞いた一人が「なんだA組の陰キャか」と小さくつぶやいた。

 そうして何やらニヤつきながら、こちらを眺めている。

 なるほど。これがもし陽キャなら親し気に話しかけて、黙っているように賄賂でも渡すのかもしれない。しかし、陰キャである僕相手なら最悪、殴り倒せばいいと思っていそうだな。

 殴られるのは痛そうだなと考えていると、彼らの一人である少し顔の良い男が言う。

 「お前……A組の須川だろ?なんだこのデブの友達か?」

 小太りの学生はこちらを心配そうに見ている。クリクリとした可愛いげのある涙目が不安げに揺れている。彼はこんな状況でも僕を巻き込んだことを気に病んでいるのかもしれない。

 優しい小太りさんである。

 「………いや、知らないが」

 「そうか………だったら黙ってろよ?他に漏らしたらお前殺すからな?」

 そういうとそのイケメンもどきはこちらに詰め寄る。

 僕はその言葉に不快感を覚えた。

     それは自分がここ数日、考えないようにしていたことだ。死に直面しながらあまり深く考えていなかったのだ。

 そして諦めはついているのだが、納得は出来ていないのだ。

    何より絶対的攻勢と自惚れている奴の強気な発言には苛立ちを覚える。しかしその言葉がもしも「殺す」というワードでなければ僕はここまで怒りを覚えなかったかもしれない。
    死に対する気持ちの整理を曲がりなりにも組み立てている中、死から遠く、先の長い彼が僕にそれを突き付けた事に腸が煮えくり返る思いだ。

 僕は自分の眉間に皺が寄るのを感じながら、カバンから護身用のナイフを取り出した。

 「は?………なにしてんだ?お前?」

 ナイフの刀身を目にしたイケメンは今までの余裕のある笑みが消えて、急にたじろいで後ずさりする。

 「いや、殺すっていうから。だったら俺もお前を殺してやろうかと?………ん?どうした?」

 「は?お前、狂ってんのか?」

 イケメンと、その後ろにいる二人もまるで化け物でも見るような顔でこちらを瞠目して見る。

 「いやいや。自分で言ったことだろ?未来ある、前途有望な若者よ。言葉に責任を持って死ね。さて、じゃあお前からだな」

 僕はナイフをイケメンに向けると、急に予備動作もなく走りだした。

 「おいおい!!マジかよ!!」と悲鳴にも似た素っ頓狂な声を上げて彼らは蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。彼らは逃げ足が速く、すぐに屋上から姿を消した。

     イケメンから真っ先に逃げ切り、最後はメガネの男が叫びながら屋上のドアを勢いよく閉めた。それを見届けて、僕はため息と共に自分を落ち着かせる。

 僕は二日酔いから、急に走ったことでぜぇぜぇと息を切らして、気持ちが悪くなった。

 またはタバコの弊害かもしれないが一日二日でどうにかなるものでもなし。これは単に僕の日ごろの運動不足が祟ったのかもしれない。

 そうして、小太りさんのところに戻ると彼はこちらを見ていた。先ほどの彼らと同じような顔であった。

 「えっと………大丈夫?」

 怖がっている彼に僕は出来る限り優しく問いかける。

 「………う、うん」

 「そう。………あ。でももう授業始まっちゃったな」

 「………そ、そうだね」

 僕の普通の対応に彼は気を許したのか、ため息を漏らして、こちらに笑いかけてきた。

 僕も彼に笑いかけて、ナイフをカバンに戻した。

 愁眉(しゅうび)を開いたのだろう。彼は屋上の真ん中で大の字に寝転がった。

 その際に、彼の学生服が捲り上がり、青く痣になっている腹が見えて、少し同情した。

  

 

 

 「す……すごい。あの不良を追い返した」

 彼があまりに気持ちよさそうに寝転がるので、僕も真似して同じように寝転がった。

 そうして、気持ちが良くなり、タバコに火を付けたタイミングで彼女の声が聞こえた。

 頭上から猫目が僕を見ていた。

 「すごくないよ………ナイフで脅しただけだ。それより君は授業でなくていいの?」

 「………別にいいの。授業は出なくても」

 「そう。僕は出たほうがいいと思うけど。なぁ?」

 僕が話しかけると、彼は一瞬びくっと体を震わせて、こちらに振り向く。

 「………そうだね。出たほうがいいよ。五限目の社会の滝田先生は厳しいから」

 彼が彼女の次の授業科目を把握しているということは、どうやら彼らは同じクラスのようだ。

 「だったらなおさら行かない。あんたたちもどうせ行かないんでしょ?」

 「それは………行けないよ。また殴られるし」

 彼は怯えた様子で顔を伏せるので、「ナイフ貸してあげようか?」と聞けば、「い、いらない。ありがとう」と言った。

 僕らは授業が終了するまで、屋上で空を眺めた。

 誰も何も言わない。

 誰もが、誰もいないかのように無関心に川の字になって寝転がって空を眺めて過ごした。

 僕はそれが気持ちよくて、一瞬、寝そうになったが、風が吹けば、彼女の髪の匂いか厳密にはシャンプーの匂いかもしれないがそれが漂ってきて、目が冴えた。

 彼女は気持ちよさそうに寝ていて、隣の小太りさんも眠りこけていた。二人共そうとう気を張っていたのだろう。

 授業終了のチャイムが校内に鳴り響いたタイミングで僕は体を起こすと、タバコに火を付けた。

 そして一吸いし、空を眺めていると、また颯爽と猫目の女に煙草を取られた。

 そして、彼女が吸おうと口を近づけたので、それを奪い返し、踏み潰した。

 彼女は恨めしそうにこちらを見ていたが、無視してそろそろ帰ろうかと屋上のドアに向かう。

    良い場所を知った。また来ようと心に決めた。

 そうして屋上のドアノブに手をかけたちょうどそのとき声が聞こえてきた。

 「ねぇ!………あんた名前は?」

     それは猫目の少女の声だった。少し距離があるからか、今までの冷めた声音ではなく、芯のある真っ直ぐな声に聞こえた。

 「ん?須川。須川 雄介。君は?」

 「私は緑。藤原 緑。」

 それを聞いて、ドアを開けて屋上を出た。
     ドラマやアニメで見たことがあるやり取りに自然と口角は上がった。後から小太りさんも走ってきて、僕に追いつくと、笑って自己紹介した。

 「ぼく……神崎 翔。よろしく須川くん」

 そういってミルクパンみたいに膨らんだ白い手を僕に出してきたので、僕は微笑んで握り返した。

 カッコいい名前だなとふと思ったが、彼が恥ずかしそうに自己紹介していたので、僕はそれを口に出さなかった。

 帰り際、彼の「また明日」という声が追いかけてきた。それを聞いた時、何故か心が痛んだ。

 

 

 
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