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守るべきもの
しおりを挟む冷たい。
裸足の足に感じる底知れない冷たさ。
全身に伝わって、震えが止まらない。
隣で白い息を吐く男の子。彼の手をぎゅっと握りしめて、僕は泣いていた。
「大丈夫」
彼は、僕の涙を自分の袖でそっと拭って、明るい声で言う。
「絶対帰ってくるからね」
彼の手がゆっくりとほどかれていく。立ち上がって歩き出す、その先には、黒い影たち。
「行かないで」
僕は声を限りに叫んだ。
彼は一瞬振り返り、笑顔でこちらに手を振って。
黒い影の中へと、吸い込まれていく。
「リカ、リカ」
おじいちゃんの声が僕を呼んでいる。目を開けるとそこは、いつもの僕のベッドの中で、ブランケットは床に投げ出されて、身体が冷え切っていた。腕をさすりながら時計を見ると、いつも起きる時間をとっくに過ぎている。
部屋のドアを開けるとおじいちゃんが立っていた。
「おはよう、おじいちゃん。ごめん、寝坊しちゃった」
「大丈夫かい? うなされていたようだが」
言われて、僕は小首を傾げた。夢を見ていたような気がするけれど、内容を思い出せない。ただ、喉がからからに渇いている。
「うん、大丈夫。今、朝ごはん作るね」
朝の仕事を終えて、キイ君の小屋を訪ねると、扉にお馴染みの貼り紙がある。
『二、三日留守にします』
「なーんだ、またか」
僕はがっかりしてため息をついた。
「今回は二、三日で済むかなあ」
独り言を吐き出して、僕は扉の前にしゃがみ込んでしまう。
昨日『黙ってここで待ってる』なんて言ったものの、ひとりで待つのはやっぱり寂しい。
キイ君と再会する前は、寂しいと思ったことなんてなかった。
「……仕方ないよね。待つって言っちゃったもの」
くすりと笑って、僕は立ち上がった。
からりとした日差しが降り始めていた。
四日、五日、キイ君は帰ってこなかった。魔伝盤にも連絡は来ない。お仕事が立て込んでいるのかな。僕はなるべく気にしないようにしていたけれど、夜はあまり眠れなかった。
駄目だな。キイ君がお仕事のたびにこんな風になっていては身が持たない。
キイ君が出掛けて六日目の夜中、どうしても眠れなくて、僕は外に出た。生温い空気が肌にまといつく。空を見上げれば、木々の葉の間から、今にもこぼれ落ちてきそうな星々が見えた。
星明かりを頼りに、僕はキイ君の小屋へと向かう。
扉の貼り紙はそのままだった。まだ帰ってきていないのかな。僕はもしかしたらという気持ちで、扉をノックした。返事も物音もしなかったけれど、僕は扉を開けて中へ入った。今日はどうしてもキイ君の帰りを待っていたかった。
テーブルと椅子、奥にはベッド。床に乱雑に置かれた分厚い本や筆記用具。何に使うのかよくわからない魔道具たち。それらを整理して壁際に並べ、僕はキイ君のベッドに腰掛けた。ほんのり、お日様とキイ君の髪の匂いがする。
僕はベッドに横になって、その匂いをいっぱいに吸い込んだ。そしてそのままとろとろと眠ってしまった。
そこはまるで、氷でできた部屋みたいに冷たかった。
「さあ、こっちに来るんだ」
黒い影が、僕の腕を掴んだ。強い力で引っ張られる。僕の身体は恐怖ですくんで動けない。
「やめろ! 手を離せ!」
男の子はそう叫んで、黒い影から僕を引き剥がす。
「この子に触るな! 俺だけ行けばいいだろ!」
彼の手は熱くて、まるで僕に体温を分けてくれてるみたいだった。僕はその手が大好きで、二人の時にはいつも手を繋いでとせがんだものだった。
その手を握りしめて、僕は泣いていた。
男の子は、僕の涙を袖で拭って、僕の手をゆっくりとほどいた。
「嫌だ、行かないで」
僕は泣き声を上げた。
「大丈夫、絶対帰ってくるからね」
黒い影に吸い込まれていく、小さな背中。
「行かないで、キイ君!」
「目、覚めた?」
上から聞き慣れた声が降ってきて、僕は目を開けた。
ベッドの端に腰掛けたキイ君が、僕を優しく見下ろしている。
「キイ君……」
「びっくりしたよ。帰ってきたらいるんだもん」
今のは、夢?
僕はキイ君の手に自分の手を重ねた。熱い手。僕の大好きな、キイ君の手。
今は僕より大きな手になった。そうだ、あれは昔実際にあった出来事……!
「キイ君、僕、思い出したよ。あの時、キイ君は僕を守ってくれた……」
「……!」
キイ君は一瞬、息を呑んだ。
「思い……出した?」
「なんで忘れていたのかな。なんで忘れて生きていられたのかな……」
「エンディヤさんに頼んで、記憶を消したんだ」
キイ君は絞り出すように言った。
「覚えていても、リカちゃんがつらくなるだけだと思ったから」
「ごめんね、キイ君……、ひとりにしてごめんね……」
あの夏の日、いつものように2人で遊んでいたら、いつしか黒ずくめの人影が僕たちを囲んでいた。彼らは名乗った。
「我々は魔術師協会」
「君たちを迎えにきた」
「君たちには魔術師の素質がある。ぜひ我々の元へ来てほしい。その力を王国のために使ってみないか」
キイ君は僕を庇って、自分一人だけ連れて行かれた……。そして、魔法の修行をさせられて、戦場へ送り込まれた。
「リカちゃん、いいんだ、いいんだよ」
キイ君は僕の頭を優しく撫でた。
「俺はあの時きみを守れて、よかったって思ってる。ほら、俺、こうして帰ってきただろ? だから、何も気にしなくていいんだ」
「キイ君……」
「リカちゃんは待ってくれてた。今もそうだ。俺はもうひとりじゃない。リカちゃんのことは、リカちゃんのいるこの世界は、これからだってずっと守る」
キイ君は僕の上体を起こして、そっとキスをしてくれた。唇が離れるとすぐに、僕の手を取り、ささやくように言った。
「俺と結婚してください」
「キイ君……」
僕は驚いて、キイ君を見つめた。真剣なまなざしがゆっくりと緩んで、僕の大好きな微笑みに変わる。僕は震える声で答えた。
「はい……!」
キイ君が好きだ。
僕が今ここにこうして幸せで居られるのは、キイ君があの時守ってくれたからなんだ。
ありがとう、キイ君。
今度は、僕がキイ君を守るからね。
【つづく?】
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