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新生活
新生活1
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控え室にて純白のドレスを脱ぎ、普段使いのドレスへと着替えたソフィアは、どうしたらいいのか分からずとにかく椅子に腰かけて待っていた。
静寂が包む控室と、壁を隔てた向こう側とでは世界が異なるようだ。誰かの話し声や鳥たちの歌声が届く。こんな時いつも以上に孤独を感じて寂しくなる。傍らに置かれた鈴蘭のブーケだけが孤独を癒してくれた。
今着ているドレスはバトラー家が用意してくれた物なので、普段使いといっても実家で着ていたものよりずっと手触りが良かった。無意識に生地を撫でてしまい、少し恥ずかしく思って止めるのだが、またいつの間にか手が生地を楽しんでしまう。
待っているとドアをノックされたので「どうぞ」と答えると、痩せた初老の男性が小箱を手に控室へと入ってきた。この人は名乗らなくてもわかる。執事だ。貴族たちの家には必ず執事が居り、ある種独特な雰囲気を持っている。多くの権限を与えられている誇りや、常に張り巡らせた神経からくる洞察力というのだろうか。
「侯爵令嬢ソフィア・シューマン様、わたくしヴィンセント・バトラー様付執事のトンプソンと申します。以後お見知りおきを」
掛けていた椅子から立ち上がったソフィアはうなずいて自分も挨拶をする。
「辺境の地より参りましたもので、右も左もわかりません。色々とご指導いただきたく存じます」
トンプソンは表情を変えることはなかった。部屋へとやって来た時からほほ笑んでいるような、そうでもないような曖昧な表情をしていたし、それを一切崩さないものだから何を考えているのかはかり知ることはできないのだ。
「ソフィア様は首都シュリアは初めてでございますか?」
「いえ、参加せねばならないパーティーがございまして、何度か来ております」
ソフィアにとってそれらは記憶から消し去ってしまいたいような出来事だった。父に連れられてやってきた素晴らしい街に心を躍らせていたら、パーティー会場で大恥をかく羽目になったのだ。どの令嬢たちよりも貧相なドレスや装飾品、それに加え父の悪評からくる白い目、散々だった。
「なるほど。こちらで買い物などのご予定は?」
「ございませんわ」
ソフィアはほぼ無一文に近い状態で実家から送り出されているのをこの執事は知らないらしい。手持ちの金《シリカ》ではこの街の宿屋に一泊することも難しかった。侯爵令嬢なのに全財産がこれだけだと誰が想像しようか。隠しても仕方がないので聞かれれば答える覚悟では居たが、誰も聞くこともないので今のところ恥をかくこともなかった。
執事の片眉が問うように上がったが、関係が浅いソフィアにはそれがどういう意味か理解できなかった。
「では、今後住まわれる家へとご案内してよろしいということでしょうか」
ソフィアは黙って頷いた。実は長旅から休憩なしで挑んだ結婚式だったので、心身ともにへとへとだった。
執事は歩み寄ってソフィアの前までやってくると、持っていた小箱を恭しく開けて見せた。そこにはルビーの首飾りが入っていて、ソフィアの目は釘付けになっていた。見たこともない大粒のルビーをダイヤモンドが取り囲み、息を飲む美しさだった。
「結婚時新郎から新婦へ贈られる伝統的な首飾りでございます。なお、ヴィンセント様はご多忙により直接首におかけすることが出来ませんので……よろしければわたくしがソフィア様にお付けいたします」
ハッとしたソフィアが後ずさりながら手を振った。
「いえいえ、このような高価なものはいただけません! あまりに高価すぎて落ち着きませんもの」
深紅のルビーはソフィアだって一度は首に掛けてみたいと思わなくはないが、あまりに似合わな過ぎて滑稽に見えることは間違いなしだった。なんせ今晩の宿代にも困る有様なのに、このような立派なものを身に付けたら浮くに決まっていた。
「そうは申されましても、これは結婚時におけるお約束事でございます。ソフィア様の爵位を思えば当然の物。我がヴィンセント様が金を出し惜しんだと思わせないようしっかり選んだお品でございます」
受け取ってもらわないと困るという圧を感じて、ソフィアの視線は執事トンプソンの浅黒い顔と深紅のルビーを行き来していた。
(困ったわ。ここで固辞したらヴィンセント様の面子が潰れるし、とはいえ受け取るにはあまりに高価すぎるし……)
トンプソンはソフィアの心の内を読んだかのように「贈り物を突き返されるのは一番の屈辱でございます。差し上げるものですから、受け取っていただいて、後は煮るなり焼くなりして頂いて結構なのですよ」と、やや意地悪い事を言う。
ソフィアは渋々手を出した、かすかに震えていることにトンプソンが気がついたかはわからない。高価すぎてソフィアには怖かった。トンプソンは何も言わずにソフィアが受け取った箱を見下ろしていたので、迷いつつも箱の蓋を閉じた。
「大切に致しますとお伝えください」
かしこまりましたと答えるトンプソンの反応だけでは、受け取ったことが本当に正しかったのかわからなかった。でも、もう受け取ってしまったのだから考えないように努めることにしたのだった。
静寂が包む控室と、壁を隔てた向こう側とでは世界が異なるようだ。誰かの話し声や鳥たちの歌声が届く。こんな時いつも以上に孤独を感じて寂しくなる。傍らに置かれた鈴蘭のブーケだけが孤独を癒してくれた。
今着ているドレスはバトラー家が用意してくれた物なので、普段使いといっても実家で着ていたものよりずっと手触りが良かった。無意識に生地を撫でてしまい、少し恥ずかしく思って止めるのだが、またいつの間にか手が生地を楽しんでしまう。
待っているとドアをノックされたので「どうぞ」と答えると、痩せた初老の男性が小箱を手に控室へと入ってきた。この人は名乗らなくてもわかる。執事だ。貴族たちの家には必ず執事が居り、ある種独特な雰囲気を持っている。多くの権限を与えられている誇りや、常に張り巡らせた神経からくる洞察力というのだろうか。
「侯爵令嬢ソフィア・シューマン様、わたくしヴィンセント・バトラー様付執事のトンプソンと申します。以後お見知りおきを」
掛けていた椅子から立ち上がったソフィアはうなずいて自分も挨拶をする。
「辺境の地より参りましたもので、右も左もわかりません。色々とご指導いただきたく存じます」
トンプソンは表情を変えることはなかった。部屋へとやって来た時からほほ笑んでいるような、そうでもないような曖昧な表情をしていたし、それを一切崩さないものだから何を考えているのかはかり知ることはできないのだ。
「ソフィア様は首都シュリアは初めてでございますか?」
「いえ、参加せねばならないパーティーがございまして、何度か来ております」
ソフィアにとってそれらは記憶から消し去ってしまいたいような出来事だった。父に連れられてやってきた素晴らしい街に心を躍らせていたら、パーティー会場で大恥をかく羽目になったのだ。どの令嬢たちよりも貧相なドレスや装飾品、それに加え父の悪評からくる白い目、散々だった。
「なるほど。こちらで買い物などのご予定は?」
「ございませんわ」
ソフィアはほぼ無一文に近い状態で実家から送り出されているのをこの執事は知らないらしい。手持ちの金《シリカ》ではこの街の宿屋に一泊することも難しかった。侯爵令嬢なのに全財産がこれだけだと誰が想像しようか。隠しても仕方がないので聞かれれば答える覚悟では居たが、誰も聞くこともないので今のところ恥をかくこともなかった。
執事の片眉が問うように上がったが、関係が浅いソフィアにはそれがどういう意味か理解できなかった。
「では、今後住まわれる家へとご案内してよろしいということでしょうか」
ソフィアは黙って頷いた。実は長旅から休憩なしで挑んだ結婚式だったので、心身ともにへとへとだった。
執事は歩み寄ってソフィアの前までやってくると、持っていた小箱を恭しく開けて見せた。そこにはルビーの首飾りが入っていて、ソフィアの目は釘付けになっていた。見たこともない大粒のルビーをダイヤモンドが取り囲み、息を飲む美しさだった。
「結婚時新郎から新婦へ贈られる伝統的な首飾りでございます。なお、ヴィンセント様はご多忙により直接首におかけすることが出来ませんので……よろしければわたくしがソフィア様にお付けいたします」
ハッとしたソフィアが後ずさりながら手を振った。
「いえいえ、このような高価なものはいただけません! あまりに高価すぎて落ち着きませんもの」
深紅のルビーはソフィアだって一度は首に掛けてみたいと思わなくはないが、あまりに似合わな過ぎて滑稽に見えることは間違いなしだった。なんせ今晩の宿代にも困る有様なのに、このような立派なものを身に付けたら浮くに決まっていた。
「そうは申されましても、これは結婚時におけるお約束事でございます。ソフィア様の爵位を思えば当然の物。我がヴィンセント様が金を出し惜しんだと思わせないようしっかり選んだお品でございます」
受け取ってもらわないと困るという圧を感じて、ソフィアの視線は執事トンプソンの浅黒い顔と深紅のルビーを行き来していた。
(困ったわ。ここで固辞したらヴィンセント様の面子が潰れるし、とはいえ受け取るにはあまりに高価すぎるし……)
トンプソンはソフィアの心の内を読んだかのように「贈り物を突き返されるのは一番の屈辱でございます。差し上げるものですから、受け取っていただいて、後は煮るなり焼くなりして頂いて結構なのですよ」と、やや意地悪い事を言う。
ソフィアは渋々手を出した、かすかに震えていることにトンプソンが気がついたかはわからない。高価すぎてソフィアには怖かった。トンプソンは何も言わずにソフィアが受け取った箱を見下ろしていたので、迷いつつも箱の蓋を閉じた。
「大切に致しますとお伝えください」
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