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はじける
はじける1
「では行こうか、ソフィア」
馬車に乗り込むとレスリーはソフィアに微笑んだ。その瞳は快晴の空のようだった。この目はこの目でもちろん美しいけれど、ソフィアは諦めたはずのあの翡翠色の目を求めてしまう。
二頭立ての馬車はゆっくりとヴィンセント邸から遠ざかって行く。朝日に送られ難点の付けどころのない出発だった。
「本当によろしかったのでございますか?」
執事に確認されたのはこれが二度目だった。ソフィアとレスリーの事実婚を受け入れると言った時と、今だ。
ヴィンセントは窓辺に立ち、ソーサー片手に紅茶を飲んでいた。こんなに味気ない紅茶はこれまで一度も飲んだことがない。それから、今朝食べたパンケーキもまるで味がしなかった。
「ソフィアが望んだことだ」
今なら悪あがきをしたかもしれないが、あの時は承諾するしかないと感じたのだ。夜を一緒に過ごし、あらためてヴィンセントがつけたネックレスが外されていたのを見て、ショックを受けていた。
「やっと結婚式にソフィア様にお贈りしたネックレスも取り戻しましたのに、残念でございます」
そもそもあれが間違いだった。ルビーのネックレスをソフィアにヴィンセントの手で填めていたならば違った結末を迎えていた可能性もある。ヴィンセントはあの日をやり直したくてルビーのネックレスを内々に探させていたのだ。
「失った時は戻らないということだな」
ヴィンセントは持っていたカップのことも忘れて、ぼんやりと馬車の遠ざかる様を見つめていた。
そこへ、ドアを叩く音がし、執事のトンプソンが「キャサリンを呼んでいたのでございます。キャサリン、入って来なさい」と、言う。キャサリンが中へと入ってくるとトンプソンがヴィンセントの手からソーサーとカップをそれとなく取り、テーブルに置いた。
「なんだ?」
何が始まるのかわからないヴィンセントは顔をしかめた。
「ヴィンセント様、実は今夜レスリー様とソフィア様はメルンに立ち寄り、そこで宿をとることになっております」
トンプソンの説明に港町メルンの風景が浮かぶ。貿易船が停留していることが多いメルンは、常に活気で溢れている。趣きは違うが首都の賑いに引けを取らない大きな町だった。
「なぜ、わざわざ私にそれを言うのだ」
レスリーとソフィアが仲睦まじくメルンを観光する姿など想像もしたくなかった。それなのに、トンプソンは「ヴィンセント様にはメルンに向かっていただきたいのです」と言い渡した。
「実はメルンにお二人が滞在することをある人物に漏らしておきました。すると、見張られているとも知らずその人物はデフォー家で働いているグレゴリー・エアーズなるお人にソフィア様の情報を漏らしに行ったのでございます」
鮮明に浮かぶソフィアとその元従者の抱擁をヴィンセントは今直ぐ消してしまいたくて、頭を左右に振った。
「なるほど。で、その内通者は誰なのだ」
とにかく、デフォー家の雇われ者はいいとして、内通者をはっきりさせようとヴィンセントがトンプソンに問うが、キャサリンが先に答えた。
「ガルシアさんです、家政婦長の」
白髪交じりの少しばかり不機嫌なガルシアを思い浮かべていた。感じがいい人物ではないが、長いことバトラー家に仕えるベテランの女だった。仕事ぶりも特段悪くなかったと記憶していた。
「ガルシアか。しかし、なぜだ。ソフィアの行き先も勝手にルードリアへ変えたのはガルシアなのか」
トンプソンは落ち着いた声音で「おそらく」と答えた。
私が聞いたところによると、と話し始めたキャサリンの方へとヴィンセントは顔を向ける。
「ガルシアさんは息子さんに家を建ててやり、かなり贅沢な暮らしをさせていたようです。特にソフィア様をルードリアに住まわせたあたりから羽振りが良くなったということです」
金が目当てだったのかとつぶやいたヴィンセントに対し、トンプソンがそれを否定した。
「それよりも私を失脚させたかったようです。キャサリンが聞いてきた話では自分より立場が上である私に相当反感を抱いておったようです」
これにはヴィンセントは驚きもしたし、呆れもした。
「立場が上とはなんだ。当たり前ではないか。執事は家の要だぞ」
鼻を鳴らして肩をすくめたキャサリンが「出世欲が強かったんですよ。プライドが高くて分をわきまえない人っていますもの」と言い捨てた。
「ソフィア様方の生活費を横取りし、その金を使って他の使用人たちを言いように操っていたようで、皆、後ろめたさを感じながら言うことを聞いていたと証言しております」
ヴィンセントはこめかみを押して考え込むと口を開く。
「証言をする者は何人おるのか。ガルシアを交えて話をせねば」
トンプソンは軽く首を縦に振った。
「ガルシアには見張りをつけておりますので急がなくても問題ありません。しかし、ソフィア様のもとへグレゴリー・エアーズが迫っております」
ヴィンセントはここで胸を刺すような痛みを覚えながら力なく答える。
「ソフィアにはレスリーがいるのだから問題な──」
「ヴィンセント様! ソフィア様はあなた様を待っているのです。なぜおわかりにならないのですか」
キャサリンの悲鳴のような叫びにヴィンセントは眉間に皺を寄せた。
「なぜ私を待つ。ソフィアはレスリーと事実婚をするとハッキリと私に告げたのだぞ。私の贈ったネックレスも外してあった」
馬車に乗り込むとレスリーはソフィアに微笑んだ。その瞳は快晴の空のようだった。この目はこの目でもちろん美しいけれど、ソフィアは諦めたはずのあの翡翠色の目を求めてしまう。
二頭立ての馬車はゆっくりとヴィンセント邸から遠ざかって行く。朝日に送られ難点の付けどころのない出発だった。
「本当によろしかったのでございますか?」
執事に確認されたのはこれが二度目だった。ソフィアとレスリーの事実婚を受け入れると言った時と、今だ。
ヴィンセントは窓辺に立ち、ソーサー片手に紅茶を飲んでいた。こんなに味気ない紅茶はこれまで一度も飲んだことがない。それから、今朝食べたパンケーキもまるで味がしなかった。
「ソフィアが望んだことだ」
今なら悪あがきをしたかもしれないが、あの時は承諾するしかないと感じたのだ。夜を一緒に過ごし、あらためてヴィンセントがつけたネックレスが外されていたのを見て、ショックを受けていた。
「やっと結婚式にソフィア様にお贈りしたネックレスも取り戻しましたのに、残念でございます」
そもそもあれが間違いだった。ルビーのネックレスをソフィアにヴィンセントの手で填めていたならば違った結末を迎えていた可能性もある。ヴィンセントはあの日をやり直したくてルビーのネックレスを内々に探させていたのだ。
「失った時は戻らないということだな」
ヴィンセントは持っていたカップのことも忘れて、ぼんやりと馬車の遠ざかる様を見つめていた。
そこへ、ドアを叩く音がし、執事のトンプソンが「キャサリンを呼んでいたのでございます。キャサリン、入って来なさい」と、言う。キャサリンが中へと入ってくるとトンプソンがヴィンセントの手からソーサーとカップをそれとなく取り、テーブルに置いた。
「なんだ?」
何が始まるのかわからないヴィンセントは顔をしかめた。
「ヴィンセント様、実は今夜レスリー様とソフィア様はメルンに立ち寄り、そこで宿をとることになっております」
トンプソンの説明に港町メルンの風景が浮かぶ。貿易船が停留していることが多いメルンは、常に活気で溢れている。趣きは違うが首都の賑いに引けを取らない大きな町だった。
「なぜ、わざわざ私にそれを言うのだ」
レスリーとソフィアが仲睦まじくメルンを観光する姿など想像もしたくなかった。それなのに、トンプソンは「ヴィンセント様にはメルンに向かっていただきたいのです」と言い渡した。
「実はメルンにお二人が滞在することをある人物に漏らしておきました。すると、見張られているとも知らずその人物はデフォー家で働いているグレゴリー・エアーズなるお人にソフィア様の情報を漏らしに行ったのでございます」
鮮明に浮かぶソフィアとその元従者の抱擁をヴィンセントは今直ぐ消してしまいたくて、頭を左右に振った。
「なるほど。で、その内通者は誰なのだ」
とにかく、デフォー家の雇われ者はいいとして、内通者をはっきりさせようとヴィンセントがトンプソンに問うが、キャサリンが先に答えた。
「ガルシアさんです、家政婦長の」
白髪交じりの少しばかり不機嫌なガルシアを思い浮かべていた。感じがいい人物ではないが、長いことバトラー家に仕えるベテランの女だった。仕事ぶりも特段悪くなかったと記憶していた。
「ガルシアか。しかし、なぜだ。ソフィアの行き先も勝手にルードリアへ変えたのはガルシアなのか」
トンプソンは落ち着いた声音で「おそらく」と答えた。
私が聞いたところによると、と話し始めたキャサリンの方へとヴィンセントは顔を向ける。
「ガルシアさんは息子さんに家を建ててやり、かなり贅沢な暮らしをさせていたようです。特にソフィア様をルードリアに住まわせたあたりから羽振りが良くなったということです」
金が目当てだったのかとつぶやいたヴィンセントに対し、トンプソンがそれを否定した。
「それよりも私を失脚させたかったようです。キャサリンが聞いてきた話では自分より立場が上である私に相当反感を抱いておったようです」
これにはヴィンセントは驚きもしたし、呆れもした。
「立場が上とはなんだ。当たり前ではないか。執事は家の要だぞ」
鼻を鳴らして肩をすくめたキャサリンが「出世欲が強かったんですよ。プライドが高くて分をわきまえない人っていますもの」と言い捨てた。
「ソフィア様方の生活費を横取りし、その金を使って他の使用人たちを言いように操っていたようで、皆、後ろめたさを感じながら言うことを聞いていたと証言しております」
ヴィンセントはこめかみを押して考え込むと口を開く。
「証言をする者は何人おるのか。ガルシアを交えて話をせねば」
トンプソンは軽く首を縦に振った。
「ガルシアには見張りをつけておりますので急がなくても問題ありません。しかし、ソフィア様のもとへグレゴリー・エアーズが迫っております」
ヴィンセントはここで胸を刺すような痛みを覚えながら力なく答える。
「ソフィアにはレスリーがいるのだから問題な──」
「ヴィンセント様! ソフィア様はあなた様を待っているのです。なぜおわかりにならないのですか」
キャサリンの悲鳴のような叫びにヴィンセントは眉間に皺を寄せた。
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