ブラック男の終点

ブラックウォーター

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控訴

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01

 横浜地方裁判所、第305号法廷。
 場面は一番最初、藤野に懲役15年の実刑判決が下された直後に戻る。
 手錠をかけられた藤野が、警察官によって法廷から連れ出される。
(気をつけて帰れよ。檻の中にな)
 江田島はにっこりとほほえんでやる。
 藤野が一瞬眉間にしわを寄せるが、深呼吸して抑える。
(馬鹿なやつだ)
 頭の悪いこの被告人は、控訴で無罪になれるとまだ本気で思っている。
 証人喚問の時のように法廷で暴言を吐かないのは、控訴で不利にならないようにと猿知恵を廻しているのだ。

 それなりに大きく報道された事件であったため、傍聴人も多く、退出には時間を要した。
 裁判官も弁護人も、やっと終わったかという表情で法廷を後にする。
 もちろん検察官である江田島も。
(後は、高裁の仕事。俺の仕事はここで終わりだ)
 無責任かも知れないが、藤野という始末に負えないボールを手放せて、せいせいした気分だった。
 自分の非を認められない藤野は、必ず控訴するだろう。
 “警察官や検察官に不当な人権侵害を受けた”“憲法で保障された裁判を受ける権利を侵害された”“弁護士に裏切られた”
 そんな拙く中身のない理屈が通用すると、本気で信じて。
 藤野という男にかかわっているのは、はっきり言ってストレス以外の何者でもない。
(嫌な気分だ)
 そう思わずにはいられない。
 今は被告人だが、裁判が確定して受刑者となれば看守を患わせるだろう。
 刑期を終えてしゃばにでれば、また周りに迷惑をかけ続けるだろう。
 再犯で逮捕されれば、また弁護人や警察や検察、裁判所にいらぬ手間をかけさせるのだろう。
 害悪としかいいようがない。

 横浜地方検察庁公判部。
「即日控訴か」
「はい。まだ無罪を主張できると本気で思ってるみたいですね。弁護士も、なにを言っても無駄だとさじ投げてるみたいで」
 藤野が即日控訴したという知らせを、江田島は事務官から受け取っていた。
 最高裁まで争うのは、被告人としての権利。
 それを考えても、これから先裁判が確定するまで藤野が罪人ではなく、係争中の身であり続けるのが理不尽に思えた。
 弁護人にしても、無罪の可能性など100%ないとわかっていて、争わなければならない。
(返す返すも、やつの殺意を立証できなかったのが痛恨の極みだ)
 せんないとは思いつつも、江田島はやるせないものを感じていた。
 藤野の身柄が送検されてきた当初は、殺人で起訴できると読んでいた。
 もともとの暴力性、前科があること、執行猶予が取り消しになるようなことを平然とやっていた経緯から、殺意の立証は可能と予測していた。
 だが、調べが進むにつれ、部下を殴ったときに殺意(もしくは未必の故意)があったという決定的な証拠が見つからないことが明らかになった。
 やむなく、傷害致死で起訴せざるを得なかった。
「嫌な気分ですね。やつが、常日頃から被害者に“殺してやる”と言っているようなバカであれば、無期懲役を食らわせてやれたのに」
「ま、仕方なかろうさ。疑わしきは被告人の利益に。そして、やつの殺意を立証できる物証も証人もあがらなかった」
 自分の気持ちを代弁してくれた事務官に、江田島は建前で応じる。
 ここは、コカインの使用や他の傷害や脅迫、強要なども合わせて15年の実刑判決を取れただけでも良しとすべきなのだ。

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