僕らは間違っているか。

虹彩

文字の大きさ
上 下
16 / 29

触れ出す

しおりを挟む
その日の夕方のことだった。
一日練習を終えると、朝は太陽と確実に近づきつつある秋の風の匂いを感じるが、夕方には汗と未だ消えない夏の残り香が色濃く顔をだす。私は片付けや終わりの掃除やらで今日を終える瞬間にその匂いを感じることが好きだった。たとえ家に帰れば山程の課題が残っていても、一日の達成感に溢れる。
ふと気がつくと、二年生のマネージャーである水谷楓さんが、指先を曲げて私を呼ぶ。
「七斗ちゃん、ごめんね、ベンチにあるコップのカゴ取ってきて欲しいんだけど。」
「わかりました!」
ベンチの方へと歩き出し、中を覗く。ピンク色の目立つカゴがベンチの端にあるのを確認し、いざ前に歩きだすと、手前のベンチに内さんが座っていることに気づいた。思わず目があって、やり場のなさに作り笑いをする。
「どーした?」
「コップ…取りに来ました」
ああ、と言って後ろのコップをとって渡してくれる。
「ありがとうございます。」
夏の遠征のコンビニでみたあの笑顔が蘇ってくるたび、それ以上の思い出を増やすことを避けて来た。その日も同じように足早にベンチを出ようとしていた私に、内さんは声をかけて来た。
「大山さ、あの映画みたか」
あの映画、とは今人気の俳優と女優が出ている、野球部員と吹奏楽部の青春を描いた映画だ。
みていない、とただそれだけの言葉を交わすだけなのに、言葉が浮かばず、首を振ってこわばっていた。
「え、俺なにかした?」
笑って隣に座るように椅子を二回ポンと叩く。優しい笑顔に夏の笑顔を重ねつつ、ベンチの隣に座る。
「なんか、俺にびびってね?そんな先輩だからって気を張らなくて大丈夫だから!」
「すいません」
笑って初めて素直に交わせた言葉だった。
「あの映画、すっごいいいらしいな、俺気になっててさ。」
「私も、みたいなって思ってました。漫画はもってるんですけど」
「え、話ちょっと教えてよ」
増やすことを拒んでいた思い出を、いとも簡単に作っていく内さんのペースに激しく飲まれていくことを波打つ心臓が告げた。
「何イチャイチャしてるんだよ」
その声に振り返ると、二年生大戸さんと由良さんと西尾さんがいた。ベンチとは本来二年生のスペースで一年生が座ることなどない。その異様な光景に対する周りのざわめきを感じたのは、すでにひとしきりのストーリーを説明した後だった。
「してませんよ別に!あの映画の話、してたんです!!」
「あれか!俺たちも見に行ったよ!3人で見に行って、西尾なんか泣いてたよな」
「え、泣いたんですか!そんないいんですね、見に行きたいです!!」
話の流れで、できるだけ自然に席を立ち、その場から遠ざかろうとした。
「え、修太と行けばいいだろ」
せっかくの人の努力を、と苦笑いを胸に秘めつつ、えー、と行った返事でその場を濁し、目線を内さんへと流した。
「ん?いく?」
からかっているのか、それとも真面目なのか、それすらも汲み取れないほど爽やかな顔を向けられた同様を隠しきれず、食い気味に出した返事はベンチにキレよく響いた。
「はいっ!」
一瞬止まった瞬間に誰もが息を呑み、目の前の人間の顔が見る見る赤くなる。
「ばか!もーーー、恥ずかしー。照れるだろ。」
それを言われた時初めて、自分にも羞恥心が溢れ出て、すいません、と笑ってその場を去った。
その日の夜、マネージャーの先輩から、と内さんの連絡先をもらった。メールを交換したいとのことだった。あんなに避けていた触れ合いもいとも簡単に認めて、私たちの時間はともに動き出した。
しおりを挟む

処理中です...