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聖職者が不貞を犯し、苦悩する姿からある事をキッカケに一信徒としてキリスト教を信じるお話。
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時代は1970年代、場所はジョージア州ブリスタウンそしてギリシャのとある島
ジョセフ神父とキャサリンは、恋に落ちた。神父という聖職者にとってはあってはならないことである。
キャサリンは毎週日曜になると礼拝をしにセントポール寺院にやってくる。敬虔なクリスチャンである。神父は、神の使いとして、所謂FATHERとして、信徒は神の子としてサンクチュアリーという場所で儀式を執り行う。「天にまします我らが神よ・・・・・・アーメン」そして神父の説教が始まり若者たちで結成されたゴスペルバンド(ゴスペルとはGOD SPELL または、GOOD SPELLを掛けたものか)が和やかなハーモニーにのって歌いだす。人みな、神の御許においては平等であることを思い知らせ、一種の陶酔感にも似た何かに浸らせてくれる。
壇上の中央部には処刑されたイエスと十字架が燦然と輝いている。左手には、レオナルド・ダヴィンチ作の『最後の晩餐』の絵画が、右手には、キリストが復活後の姿が描かれている。
天の声がした。そう神の声だ。「隣人を愛しなさい」と。
この隣人とは自宅の家の近隣に住む人だけでなく、仏教的解釈で言えば、『袖摺り合うも他生の縁』と語られるように、縁のある一切の衆生のことである。つまり縁ある衆生に愛を、とキリストは言い、仏様は、慈悲心を持って人に接するようにということだ。仏は弟子に言われたもうた。『縁なき衆生は度し難し。爪上の砂の如し』と。
さて、ジョセフ神父はキャサリンとある日、一線を越えてしまった。赤ワインを二人で飲み交わすうちに神父がキャサリンの手を取り、肩に触れ思わず唇を奪った。
「神父様、それはいけないことです。私たちの立場では、ゆるされないことです』とキャサリンは言った。敬虔なクリスチャンであるキャサリンが神父と交わることは許されない。言葉の上ではそう言ったものの、キャサリンは心の中では、ジョセフ様、私を抱いてー、私と交わって!という言葉がキャサリンの心の中で叫び続けていた。しばらく深いしじまに似た沈黙があった。そして神父は彼女を抱き寄せ、むさぼり愛した。
“I´m coming.I’m coming.“ときゃサリンは繰り返した。
神父は「わたしもだよ」と言って、彼女の中に射精した。心地よい感覚だった。
翌朝、神父は、後悔した。自己嫌悪に陥って自分を罵倒した。「この馬鹿野郎が、何てことしたんだ。ふざけるな。お前は神職に就く身じゃないのか。このバスターめ。お前なんか死んでしまえ。ジョセフは思わず台所に行き大きなナイフを取り出した。そして自分の喉を切り裂いてしまおうと思い首にそのナイフを当てた。そのとき大天使ミカエルが天天上界からこのジョセフ神父の異変に気づいた。「ジョセフ、やめるんだ。そのナイフを手からはずせ」
ジョセフ神父は我に戻り自分がカソリックの神父であることを思い出した。カソリックの信者はどんなことが遇っても自らの命を殺してはならぬということを。
ジョセフは考えた。
そうだ、この教会から抜け出そう、どこか遠くの国へ行こう。そうだ。ギリシャはどうだ。
ジョセフ神父は、風邪をこじらせたと偽りを述べ、朝のお勤めをサボった。ちょうど金曜日になる。キリスト教では、日曜日が安息日だが、ユダヤ教では、金曜日が安息日になる。そのことはアメリカに住む居住者にはごく当たり前のことである。だが皆さんはどうであろう。イスラム教、ユダヤ教、キリスト教は歴史的に見ても宗教的に見ても兄弟姉妹の関係にある。そのbrothers and sisters が現代、いや何千年もの間確執を続け、その果てには戦争までも繰り返している。人が人を殺しているのである。仏教的にみれば不殺生戒であって、人を殺してはいけない。その極致である戦争などもってのほかである。他宗教でも「汝ひとを殺すなかれ」とあるではないか!こんな悲劇があるだろうか?今でもエルサレムにはユダヤ教徒、キリスト教徒が多く住む。お互いを無視しひそめいている。レバノンではパレスチナに関して、イスラム教徒とキリスト教徒が絶えずいがみ合っている。その果てはテロや戦争といったものが起こっている。なんと悲しいことか?アラーもキリストも嘆かわしく思っていることであろう。「汝の敵を愛せよ」とはイエスキリストの言葉であるが、預言者といわれているジーザスクライストやムハンマドは天国に帰り二人で酒を酌み交わしながらこの地球に住む人々を救おうと念じていることだろう。
それに比べると日本は有り難い国だ。彼の聖徳太子が十七条憲法で、「和を持って尊しとなす」と言われたように、現在でもその精神が生き続けているからだ。
話を元に戻そう。
ジョセフ神父は、キャサリンと交わったことをひどく後悔し、その寺院を離れた。そしてギリシャ正教のあるとある島で一人苦行をした。洞窟の中で、十字架に向かって、祈り続けるのである。
「神よ、私を許し給え。これからは神が私を許しはしない限り、私は祈り続けます。神よ、どうか私を許したまえ・・・・・・。アーメン」
そして三年の月日がたった日、たまたま、ローマ法王のみ言葉が新聞記事に載っていた。
この新聞は、ある日本人旅行客がごみとして、洞穴の前に捨てていった英字新聞である。世界をまたに掛け「空飛ぶ法王」として有名な、ヨハネパウロ二世の言葉である。
「神は汝を許したもう。汝の苦しみを、神はすべてお見通しだからである。幸いなるかな、心苦しむ人よ。神・イエスが磔にされたときに、汝はすでに許されているのである・・・・・・。アーメン」と新聞に掲載されていた。
ジョセフは、涙が止まらなかった。そして、歓喜に包まれ思わず口から次の言葉が漏れてきた。
「神を祝福します。神は私をお許しになられた。God blessed me」
神父は、意を決してそのギリシャの島を後にし、故郷ジョージア州のブリスタウンに戻った。そして彼女キャサリンに会うべく彼女の家を訪ねた。彼女は不在で、セントポール寺院に礼拝に行っていた。躊躇の色を隠せないジョセフだが、勇気を奮って教会へと赴いた。
礼拝堂には、キャシーことキャサリン・ウィグナーが最前列で祈りを捧げていた。感極まったジョセフは、その場で膝をつくと手を組んで祈った。
「神よ、私はあなた様に感謝します。アーメン」と、心の中で呟き、そしてゆっくりと立ち上がった。そしてキャシーの下へ駆け寄り肩を優しくたたき、彼女を振り向かわせた。キャシーは、涙いっぱいになり、彼ジョセフに抱きついた。二人して号泣した。
「やっと会えたのね、嬉しいわ。本当に嬉しいわ・・・・・・」キャシーは号泣しながらそう言った。
「そうだよ、やっと会えたんだ。神が私たちを許してくれたんだ。僕たちは神に愛されているんだ。神の愛は途方もなく・・・途方もなく深遠で限りがないんだ。神よ、ありがとう。神よ、私たちに幸あれ」
二人は礼拝堂を出るとキャシーの自宅へと向かった。歓喜に包まれていたジョセフ。しかし、キャサリンは、歓喜に包まれていながらも、一抹の不安を抱いていた。何故だろうか?キャサリンには、一人の息子がいたのだ。二歳になったばかりの可愛い息子が。そしてキャサリンはジョセフに息子を引き合わせた。
驚きを隠せないジョセフ。
「なんということだ。このジョンは私たちの子供なのか?僕とキャシーの・・・・・・。おお、神よ。われわれを許したまえ。我らが罪を許し給えーーー」
ジョセフは我に帰った。
「本当にこの子はぼくたちの子なのか・・・。いや、そうとしか考えられない。神よ、・・・・・・。もういい。神よ、・・・・・・。キャシー、結婚しないか。三人で暮らそう。僕と君とジョンの三人で・・・」
「ジョセフ、ジョセフ。私は何と言ったらいいのかしら。ありがとう、って言うべきなのね。偉大なる神よ。感謝します。感謝します。本当にこころからかんしゃします・・・・・・」
ジョセフは思わず胸の前で十字を切った。そしてキャサリンとジョンを抱き寄せ、三人で泣いた。二歳児でしかないジョンは事の成り行きは分からない。少し戸惑いながら、そしてなぜか嬉しく感じるジョンだった。
そのとき三人の頭上に大天使ミカエルが微笑みかけた。神、GODに伝えるべく、ミカエルはその場を立ち去り、神の住みたもう楽園へと帰っていった。大天使ミカエルが、神の御許に赴く必要などない。神は、自らの神通力ですべてのことをお見通しなのだ。それでも大天使ミカエルは、自分の言葉で精確にそして詳しく神へこのことを伝えたかった。
神はうなづくのみであった。
ジョセフ神父とキャサリンは、恋に落ちた。神父という聖職者にとってはあってはならないことである。
キャサリンは毎週日曜になると礼拝をしにセントポール寺院にやってくる。敬虔なクリスチャンである。神父は、神の使いとして、所謂FATHERとして、信徒は神の子としてサンクチュアリーという場所で儀式を執り行う。「天にまします我らが神よ・・・・・・アーメン」そして神父の説教が始まり若者たちで結成されたゴスペルバンド(ゴスペルとはGOD SPELL または、GOOD SPELLを掛けたものか)が和やかなハーモニーにのって歌いだす。人みな、神の御許においては平等であることを思い知らせ、一種の陶酔感にも似た何かに浸らせてくれる。
壇上の中央部には処刑されたイエスと十字架が燦然と輝いている。左手には、レオナルド・ダヴィンチ作の『最後の晩餐』の絵画が、右手には、キリストが復活後の姿が描かれている。
天の声がした。そう神の声だ。「隣人を愛しなさい」と。
この隣人とは自宅の家の近隣に住む人だけでなく、仏教的解釈で言えば、『袖摺り合うも他生の縁』と語られるように、縁のある一切の衆生のことである。つまり縁ある衆生に愛を、とキリストは言い、仏様は、慈悲心を持って人に接するようにということだ。仏は弟子に言われたもうた。『縁なき衆生は度し難し。爪上の砂の如し』と。
さて、ジョセフ神父はキャサリンとある日、一線を越えてしまった。赤ワインを二人で飲み交わすうちに神父がキャサリンの手を取り、肩に触れ思わず唇を奪った。
「神父様、それはいけないことです。私たちの立場では、ゆるされないことです』とキャサリンは言った。敬虔なクリスチャンであるキャサリンが神父と交わることは許されない。言葉の上ではそう言ったものの、キャサリンは心の中では、ジョセフ様、私を抱いてー、私と交わって!という言葉がキャサリンの心の中で叫び続けていた。しばらく深いしじまに似た沈黙があった。そして神父は彼女を抱き寄せ、むさぼり愛した。
“I´m coming.I’m coming.“ときゃサリンは繰り返した。
神父は「わたしもだよ」と言って、彼女の中に射精した。心地よい感覚だった。
翌朝、神父は、後悔した。自己嫌悪に陥って自分を罵倒した。「この馬鹿野郎が、何てことしたんだ。ふざけるな。お前は神職に就く身じゃないのか。このバスターめ。お前なんか死んでしまえ。ジョセフは思わず台所に行き大きなナイフを取り出した。そして自分の喉を切り裂いてしまおうと思い首にそのナイフを当てた。そのとき大天使ミカエルが天天上界からこのジョセフ神父の異変に気づいた。「ジョセフ、やめるんだ。そのナイフを手からはずせ」
ジョセフ神父は我に戻り自分がカソリックの神父であることを思い出した。カソリックの信者はどんなことが遇っても自らの命を殺してはならぬということを。
ジョセフは考えた。
そうだ、この教会から抜け出そう、どこか遠くの国へ行こう。そうだ。ギリシャはどうだ。
ジョセフ神父は、風邪をこじらせたと偽りを述べ、朝のお勤めをサボった。ちょうど金曜日になる。キリスト教では、日曜日が安息日だが、ユダヤ教では、金曜日が安息日になる。そのことはアメリカに住む居住者にはごく当たり前のことである。だが皆さんはどうであろう。イスラム教、ユダヤ教、キリスト教は歴史的に見ても宗教的に見ても兄弟姉妹の関係にある。そのbrothers and sisters が現代、いや何千年もの間確執を続け、その果てには戦争までも繰り返している。人が人を殺しているのである。仏教的にみれば不殺生戒であって、人を殺してはいけない。その極致である戦争などもってのほかである。他宗教でも「汝ひとを殺すなかれ」とあるではないか!こんな悲劇があるだろうか?今でもエルサレムにはユダヤ教徒、キリスト教徒が多く住む。お互いを無視しひそめいている。レバノンではパレスチナに関して、イスラム教徒とキリスト教徒が絶えずいがみ合っている。その果てはテロや戦争といったものが起こっている。なんと悲しいことか?アラーもキリストも嘆かわしく思っていることであろう。「汝の敵を愛せよ」とはイエスキリストの言葉であるが、預言者といわれているジーザスクライストやムハンマドは天国に帰り二人で酒を酌み交わしながらこの地球に住む人々を救おうと念じていることだろう。
それに比べると日本は有り難い国だ。彼の聖徳太子が十七条憲法で、「和を持って尊しとなす」と言われたように、現在でもその精神が生き続けているからだ。
話を元に戻そう。
ジョセフ神父は、キャサリンと交わったことをひどく後悔し、その寺院を離れた。そしてギリシャ正教のあるとある島で一人苦行をした。洞窟の中で、十字架に向かって、祈り続けるのである。
「神よ、私を許し給え。これからは神が私を許しはしない限り、私は祈り続けます。神よ、どうか私を許したまえ・・・・・・。アーメン」
そして三年の月日がたった日、たまたま、ローマ法王のみ言葉が新聞記事に載っていた。
この新聞は、ある日本人旅行客がごみとして、洞穴の前に捨てていった英字新聞である。世界をまたに掛け「空飛ぶ法王」として有名な、ヨハネパウロ二世の言葉である。
「神は汝を許したもう。汝の苦しみを、神はすべてお見通しだからである。幸いなるかな、心苦しむ人よ。神・イエスが磔にされたときに、汝はすでに許されているのである・・・・・・。アーメン」と新聞に掲載されていた。
ジョセフは、涙が止まらなかった。そして、歓喜に包まれ思わず口から次の言葉が漏れてきた。
「神を祝福します。神は私をお許しになられた。God blessed me」
神父は、意を決してそのギリシャの島を後にし、故郷ジョージア州のブリスタウンに戻った。そして彼女キャサリンに会うべく彼女の家を訪ねた。彼女は不在で、セントポール寺院に礼拝に行っていた。躊躇の色を隠せないジョセフだが、勇気を奮って教会へと赴いた。
礼拝堂には、キャシーことキャサリン・ウィグナーが最前列で祈りを捧げていた。感極まったジョセフは、その場で膝をつくと手を組んで祈った。
「神よ、私はあなた様に感謝します。アーメン」と、心の中で呟き、そしてゆっくりと立ち上がった。そしてキャシーの下へ駆け寄り肩を優しくたたき、彼女を振り向かわせた。キャシーは、涙いっぱいになり、彼ジョセフに抱きついた。二人して号泣した。
「やっと会えたのね、嬉しいわ。本当に嬉しいわ・・・・・・」キャシーは号泣しながらそう言った。
「そうだよ、やっと会えたんだ。神が私たちを許してくれたんだ。僕たちは神に愛されているんだ。神の愛は途方もなく・・・途方もなく深遠で限りがないんだ。神よ、ありがとう。神よ、私たちに幸あれ」
二人は礼拝堂を出るとキャシーの自宅へと向かった。歓喜に包まれていたジョセフ。しかし、キャサリンは、歓喜に包まれていながらも、一抹の不安を抱いていた。何故だろうか?キャサリンには、一人の息子がいたのだ。二歳になったばかりの可愛い息子が。そしてキャサリンはジョセフに息子を引き合わせた。
驚きを隠せないジョセフ。
「なんということだ。このジョンは私たちの子供なのか?僕とキャシーの・・・・・・。おお、神よ。われわれを許したまえ。我らが罪を許し給えーーー」
ジョセフは我に帰った。
「本当にこの子はぼくたちの子なのか・・・。いや、そうとしか考えられない。神よ、・・・・・・。もういい。神よ、・・・・・・。キャシー、結婚しないか。三人で暮らそう。僕と君とジョンの三人で・・・」
「ジョセフ、ジョセフ。私は何と言ったらいいのかしら。ありがとう、って言うべきなのね。偉大なる神よ。感謝します。感謝します。本当にこころからかんしゃします・・・・・・」
ジョセフは思わず胸の前で十字を切った。そしてキャサリンとジョンを抱き寄せ、三人で泣いた。二歳児でしかないジョンは事の成り行きは分からない。少し戸惑いながら、そしてなぜか嬉しく感じるジョンだった。
そのとき三人の頭上に大天使ミカエルが微笑みかけた。神、GODに伝えるべく、ミカエルはその場を立ち去り、神の住みたもう楽園へと帰っていった。大天使ミカエルが、神の御許に赴く必要などない。神は、自らの神通力ですべてのことをお見通しなのだ。それでも大天使ミカエルは、自分の言葉で精確にそして詳しく神へこのことを伝えたかった。
神はうなづくのみであった。
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