【完結】あやかし団地 管理人見習い日誌

双月ねむる

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第四章 消えた喫茶店⑨

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 そして——最初のお客さんがやってきた。
 杖をついたおばあさん。
 チラシを片手に、「懐かしくて来ちゃった」と笑う。

「昔ねぇ、さくらカフェでよくおしゃべりしたのよ。あの頃はねぇ……」

 団地の昔話が始まる。
 その声は、弾んでいた。

 次にやってきたのは、子どもを二人連れた若いお母さん。

「カフェって聞いたら、つい……。子ども連れOKって書いてあったから」
「もちろんようこそ」

 元ママさんが、慣れた手つきで子ども用の小さなコップを出す。
 その仕草は、昔のまま——自然で、優しかった。

 それから、仕事帰りの中年男性。
 銭湯帰りのおじさん。
 高校生くらいの女の子——。
 思っていた以上に、次々と人が入ってきた。

「いらっしゃいませー!」

 凛と由梨は、急きょウェイトレス役を任され、てんやわんやだった。

「ホットケーキ二枚とアイスコーヒー一つでーす!」
「ナポリタン追加入りまーす!」

 凛は、トレーを持ちながら、自分が笑っているのに気づいた。
 緊張しているはずなのに。
 失敗するかもしれないのに。
 それでも——楽しい。

「紙芝居おじさんの席、一個確保してくださーい!」
「おじさん自分で確保してるー!」

 由梨の声が飛ぶ。
 奥のほうでは、紙芝居おじさんが子どもたちを集めて即席の読み聞かせを始めていた。
 さっきまで「今日は客として行く」と言っていたのに、結局仕事しているのがあの人らしい。

 エレベーターの狐は、「本日一階集会所ご利用のお客様、どうぞ」とさりげなく乗客を誘導し——。
 ポスティング妖怪はメニュー表を各テーブルに配り——。
 靴鳴らしは床を無駄にリズミカルに鳴らしてBGMを増やしていた。

「……あやかし混ざりすぎじゃない?」
 由梨が苦笑する。
「うっすらバレてると思う」

「でも、楽しそうだから、いいか」
 凛も、思わず笑ってしまう。

 忙しさの中、ふと視界の隅に見えた顔があった。
 田中という名前の高齢の男性——三階の、風鈴の部屋の住人だ。

 訪問看護師に付き添われながら、ゆっくりと集会所に入ってくる。
 その足取りは、おぼつかない。

「あ」
 凛は、思わず駆け寄った。
「来てくださったんですね」

「うん……風鈴がね、『行け』ってうるさくてねぇ」

 冗談めかして笑う。
 その目には、以前よりも生気があった。

 テーブルに案内すると、元ママさんが「いらっしゃい」と出迎えた。
 辺りにただようコーヒーの香りを、男性は目を閉じて深く吸い込む。

「……本格的なコーヒーはひさしぶりだ。昔は、うちのがよく淹れてくれたもんだが」

 ぽつりとこぼれる言葉。
 それを聞いて、元ママさんも微笑んだ。

「そういえば、昔、よく来てくださいましたよね」
「え?」
「奥さんと一緒に。風鈴が鳴る時間帯に、よく」

 男性は、驚いた顔でママさんを見た。

 そして——。
 そこから始まる、小さな会話。
 ずっと同じ団地に住んでいる者同士の、「昔の匂い」を確かめ合う時間。

 凛は、その様子を少し離れた場所から見守った。

 あ、こういうの、いいな——。

 誰かの寂しさが、誰かの寂しさと触れあって、少しだけ薄くなる。

 自分はそこに、直接入り込んではいない。
 でも、その場を用意する手伝いはできた。
 それで——十分だと思えた。


 カフェの時間は、あっという間だった。
 日が傾き、ジャズの音も小さくなり、最後のお客さんが帰っていく。
 その背中を見送りながら、凛は深く息を吐いた。

 疲れた——。

 けれど、心地よい疲れだった。
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