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第五章 夜のエレベーター⑥
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「三階の、何号室?」
由梨が尋ねた。
「……304」
少年が、少しだけ間をおいて答える。
「引っ越してきたばっかり?」
「一ヶ月くらい。母さんと、妹と……父さんは……」
そこで言葉を切った。言いたくないことがある――その空気が、はっきりと伝わってきた。
「ごめん、根掘り葉掘りしたくないけど」
凛が、慎重に言葉を選ぶ。
「『前にいた街に帰りたい』とか、『前の学校に行きたい』とか……思ってる?」
少年の目が、一瞬だけ鋭くなった。図星だったのだろう。その反応が、すべてを物語っていた。
「……前の方がマシだったから」
かすれた声だった。
「団地、慣れない。部屋の壁も、廊下の匂いも、全部違う。学校も、友達もいない……前のところの方が、まだ『知ってる嫌なこと』で済んだ」
『知らない嫌なこと』の方が、よっぽど怖い。その感覚は、凛にもわからなくはなかった。
「母さん、頑張ってるのは分かるけどさ……『ここでやり直そうね』とか言われても、急には無理」
少年は、コンクリートの床に踵を打ちつけた。その動作には、行き場のないいら立ちがにじんでいる。
「だったら、いっそ一人でどっか行って、勝手に生きた方がマシかなって……でも、怖いから、屋上で止まってる」
その正直さに、凛は思わず笑ってしまった。
「正直で、いいと思う」
「笑うなよ……」
「笑ってないよ。『怖いから止まってる』って言えるの、偉いなって思っただけ」
少年が、きょとんとした顔をする。
「怖いのに『怖くない』って言う方が、よっぽどダサくね?」
「あー……なんか刺さる」
由梨が、胸を押さえた。
「それ、昔の凛に聞かせてやりたいわ」
「昔の由梨にも聞かせたい」
二人で顔を見合わせて笑うと、少年は少しだけ、警戒心を解いたように見えた。その表情が、ほんの少しだけ柔らかくなる。
「名前、聞いていい?」
「……健斗」
「健斗くん。私は瀬川凛。ここの管理人見習い。こっちは、相棒の藤堂由梨」
「どーもぉ」
由梨が、ちょこんと頭を下げた。
「でね、健斗くん」
凛は、慎重に続けた。
「ひとつ、お願いしてもいい?」
「なに?」
「屋上で一晩過ごすのは、やめてほしい。ここ、鍵がついてるのに開いちゃってる時点で、大問題だから」
「……知ってる」
健斗は、苦笑した。
「本当は、私たちの仕事でもあるんだ。『危ないこと』を、『ちょっと面倒くさいけど安全なこと』に変えるの」
由梨が、屋上のフェンス越しに夜景を見ながら言った。
「もし、『どっか行きたい』っていう気持ちが本気なら、なおさら、『管理人見習いの面倒くさい指導』を一回受けておくべき」
「どんな指導……?」
「まずは、親と一回ちゃんと話す。そのうえで、『どうしたいか』を決める」
「それが一番面倒くさいんだよ……」
健斗は、顔をしかめた。
「母さん、絶対泣くし……『あんたまで私を責めるの?』とか言うし」
その言葉に、凛と由梨は一瞬だけ顔を見合わせた。
(……ああ)
それは、うっすらと心当たりのあるパターンだ。
由梨が尋ねた。
「……304」
少年が、少しだけ間をおいて答える。
「引っ越してきたばっかり?」
「一ヶ月くらい。母さんと、妹と……父さんは……」
そこで言葉を切った。言いたくないことがある――その空気が、はっきりと伝わってきた。
「ごめん、根掘り葉掘りしたくないけど」
凛が、慎重に言葉を選ぶ。
「『前にいた街に帰りたい』とか、『前の学校に行きたい』とか……思ってる?」
少年の目が、一瞬だけ鋭くなった。図星だったのだろう。その反応が、すべてを物語っていた。
「……前の方がマシだったから」
かすれた声だった。
「団地、慣れない。部屋の壁も、廊下の匂いも、全部違う。学校も、友達もいない……前のところの方が、まだ『知ってる嫌なこと』で済んだ」
『知らない嫌なこと』の方が、よっぽど怖い。その感覚は、凛にもわからなくはなかった。
「母さん、頑張ってるのは分かるけどさ……『ここでやり直そうね』とか言われても、急には無理」
少年は、コンクリートの床に踵を打ちつけた。その動作には、行き場のないいら立ちがにじんでいる。
「だったら、いっそ一人でどっか行って、勝手に生きた方がマシかなって……でも、怖いから、屋上で止まってる」
その正直さに、凛は思わず笑ってしまった。
「正直で、いいと思う」
「笑うなよ……」
「笑ってないよ。『怖いから止まってる』って言えるの、偉いなって思っただけ」
少年が、きょとんとした顔をする。
「怖いのに『怖くない』って言う方が、よっぽどダサくね?」
「あー……なんか刺さる」
由梨が、胸を押さえた。
「それ、昔の凛に聞かせてやりたいわ」
「昔の由梨にも聞かせたい」
二人で顔を見合わせて笑うと、少年は少しだけ、警戒心を解いたように見えた。その表情が、ほんの少しだけ柔らかくなる。
「名前、聞いていい?」
「……健斗」
「健斗くん。私は瀬川凛。ここの管理人見習い。こっちは、相棒の藤堂由梨」
「どーもぉ」
由梨が、ちょこんと頭を下げた。
「でね、健斗くん」
凛は、慎重に続けた。
「ひとつ、お願いしてもいい?」
「なに?」
「屋上で一晩過ごすのは、やめてほしい。ここ、鍵がついてるのに開いちゃってる時点で、大問題だから」
「……知ってる」
健斗は、苦笑した。
「本当は、私たちの仕事でもあるんだ。『危ないこと』を、『ちょっと面倒くさいけど安全なこと』に変えるの」
由梨が、屋上のフェンス越しに夜景を見ながら言った。
「もし、『どっか行きたい』っていう気持ちが本気なら、なおさら、『管理人見習いの面倒くさい指導』を一回受けておくべき」
「どんな指導……?」
「まずは、親と一回ちゃんと話す。そのうえで、『どうしたいか』を決める」
「それが一番面倒くさいんだよ……」
健斗は、顔をしかめた。
「母さん、絶対泣くし……『あんたまで私を責めるの?』とか言うし」
その言葉に、凛と由梨は一瞬だけ顔を見合わせた。
(……ああ)
それは、うっすらと心当たりのあるパターンだ。
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