ZEKUR 〜この世界の正体〜

九原 将臣

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序章

1. 心の素粒子

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「『この世界の正体』、随分と遠大な題目の論文だ」

老人がファイリングされた用紙をめくりながら、目の前の男と話していた。

「それは論文と呼べるものではありません。私の推論をまとめた仮説です」

そう答えたのは中年のガッシリした体格の男だった。40代後半に見える。なかなかの面構えをした東洋人だ。
対象的に老人の方は痩せこけており、その顔にはびっしりとシワが刻まれていた。
だが目だけが鋭く、何か異質な精気のようなものを放っている。どこか病的な雰囲気の漂う老人だ。
どちらも白衣を着ている。2人は応接用のソファーにテーブルを挟んで坐っていた。
その部屋の奥に窓を背にした形で業務用のデスクが置かれている。
病院の院長室か、あるいは研究所の所長室といった雰囲気だ。

「推論か。だがいつも堅実的な神崎君の説にしては随分と飛躍した発想だ」

「私自身もそう思っていまよ」

「ほう。ならなぜこれを所内ネットの論文ページにアップしたのかね? 君の名前の論文なら皆が読むだろう。自分の評価を下げかねないとは思わなかったのかね?」

「その説は私が半生をかけて探求してきた疑問の答えだから。とでも言っておきましょうか。読んだ者にどう思われようが、どこか公の場にそれを残しておきたかったのです」

「半生をかけた探求か。聞きたいものだな。優秀な科学者であるキミがそこまでこの推論こだわる理由を」

神崎はうつむきながら会話を止めた。答えるのを躊躇っている様に見える。そして意を決したように、神崎の口が開く。

「フリオ教授、仏教に【色即是空】という考え方があるのをご存じですか?」

「シキソクゼクウ? さて? 私は宗教にはあまり興味が無いのでな」

「私は日本でこの教えを説いている寺で生まれましてね。16歳のときにその実家を離れました。科学者を志したからですが、その道を選んだ理由がこの【色即是空】の答えを探求したかったからなのです」

「ほう。キミが科学者になった理由か。どういうものなのだ? その教えとやらは?」

「色や形を持って現れているものは実体としてそこに在るわけではない…ざっぱくに言えばそういうことですが― このような話、フリオ教授には抵抗があるのでは?」

「いや、そんなことは気にしなくていい。続けたまえ」

「はい。私は常にこんな疑問を抱いていました。我々が普段何の疑問も持たずに感じているこの現実世界は、果たしてどこまで普遍的なものなのか? と―」

「今度は随分と哲学的だな」

「確かにそうも聞こえるでしょうが、実際の私は哲学も宗教も殆ど意識していません。あくまでも科学の中にその答えを求めていたのです」

「で、その答えがこの推論というわけか?」

「はい。科学的に考えるなら、世界の根本をなす物は元素や素粒子と呼ばれるもので構成されています。そして我々人間はその様々な種類の素粒子の集まりや動きを五感で認識しているわけです」

「まぁ、そういう見方も出来る」

「その五感ですがね、目、耳、皮膚、鼻、舌の感覚機能は人間であれば皆がほほ同じ性能でしょうから、人は誰もがこの世界を似たようなものに感じているはずです。しかし人間以外の生物ではどうでしょう? 感覚機能が人とは違っている分、彼らの認識している世界観は我々とは違うはずです」

「うむ」

「だとすれば人間の認識している世界だけが、この世の真の姿とは言いきれません」

「確かに理屈はそうだが― どうにも感覚的に納得し難い話だな」

「私もです。色即是空を考えるとき、いつもこのような理屈と感覚の矛盾に悩みます」

「シキソクゼクウか― 色や形を持って現れているものは実体が存在しない。つまり色や形は生物ごとの感覚機能によって認識が異なるのだから、それは実際の姿とは言いきれない。そういうことか?」

「はい。では生物の認識に捉われないこの世の真の姿とは一体どのような代物なのか? その私なりの答えが、今教授が手にしている推論です」

「この推論の中でキミは【この世の全ては素粒子のみで構成されている】と定義しているな?」

「えぇ。物体なら当然そうです。ですがそれだけがこの世の全てではない」

「精神か?」

「そうです。先程から話している生物の認識の基となっているもの。精神とは一体どのようなものなのか? 私は長年それを研究してきましたが、この研究所でやっと解き明かすことが出来きました」

「むぅぅぅ」

今度はフリオの方がしばらく考え込んだ。

「神崎君、確かに我々は生物の精神活動が【サイコミュ】という素粒子であることを発見した。そしてキミはその研究の中で、サイコミュと現実世界の姿とを関係付けた」

「はい」

「そしてこの推論にはその続きも書かれているな。サイコミュを含めた全ての素粒子にはある種の波長のようなものがあり、我々が認識しているのは自分のサイコミュと同位相にある素粒子だけである。つまりこの世には自分のサイコミュとは波長の異なる別の認識世界が存在している―と」

「あぁ、その件ですか?」

神崎は何やらバチの悪そうな表情で頭をかいた。

「いくら私の勝手な推論とはいえ、正直その部分は飛躍し過ぎだとは思っていますよ。ですが・・・」

「続けたまえ」

「えぇ。この世にはサイコミュの波長の差による別の認識世界がある。そうとでも考えなければ説明出来ない事件が私の周囲で起きましてね」

「事件? この研究所内でかね?」

「はい。信じてもらえなくても結構なんですが― 私の前から人が消えたのです」

「なにっ?」

「私の監視員だった男ですが、正確に言えば、ある日を境に私以外の人間からその男の記憶だけが消えてしまったのです。そして記録や持ち物など物的なものまで、その監視員がこの世に存在していた痕跡が消えていた。跡形も無く―」

「・・・」

フリオは神崎と目線を合わせたまま言葉を発しなかった。

「わかっています。単に私個人の妄想のようなもの。精神的な異常。そう考える方がよほど現実的です。しかし私は・・・」

「安心したまえ。キミがおかしくなったとは思っていない」

「ありがとうございます。ですがこんな現実離れした話を信じてもらえるのですか? 自分で言うのも何ですが、私が逆の立場なら、こんな話しをしている人間の精神を疑います」

「むぅぅ、なんと説明すれば良いか? その前にもう一つだけ聞きたいのだが?」

「何でしょう?」

「ここの研究は合衆国の中でも第一級の秘匿扱いだ。その機密の重要度から全研究員に監視を付けざるを得ない。だが研究員にしてみれば、監視員達は疎ましい存在だろう。実際キミは今回消えたという監視員のことをどう思っていた?」

少々うつむき加減で神崎が答えた。

「正直、居なくなってしまえば、とまで考えていました」

「やはりな―」

「教授、それが何か?」

「神崎君、もうキミ自身も気づいているのだろう? そろそろ腹の探り合いはやめないかね?」

神崎の顔がこわばる。フリオが話を続けた。

「我々はバハマ諸島の海底神殿で採取された鉱石から、精神の正体とも言うべき素粒子の存在を突きとめた。そしてその素粒子をサイコ・μ(ミュー)粒子、通称で【サイコミュ】と名付け、私もキミも、日夜その研究に明け暮れている」

「そうですが、それが何か?」

「その研究では殆どの者が人間の脳をベースにした実験を行っているが、キミだけは採取された鉱石の方を調べているな」

「えぇ―」

「そして、そのキミだけが先程の不可思議な体験をした。神崎君、キミはこう考えているのではないかね? あの鉱石には人間のサイコミュを変調させることで、手にした者の想いを実現する力があると。だからキミが消えてほしいと思っていた男が実際に消えた―」

「・・・」

しばらくの間の後、神崎は頭をかきむしって困ったような顔をした。だが今度は口元に笑みを浮かべている。

「いや、参りました。どうもフリオ教授には見透かされていたようだ」

「先程キミは、私に質問をしていたな。私がなぜ現実離れした自分の話を信じてくれるのかと」

「はい」

「それは私の真の研究テーマの方が、より現実離れしたものだからだ」

「真の研究テーマ? どういうことです?」

「キミは聞いたことがあるか? 世界各地に点在する伝説、青い光を放つ不思議な石のことを」

「いえ、ありませんが?」

「その石を手にした者は、どんな願い事も叶えられると言う。死んだ人間を甦らせる事すら可能だ」

「まさか―」

「信じ難いだろう? 科学者なら特にな」

「教授は信じているのですか? その石の存在を」

「信じると言うより、確信している」

「何か根拠でも?」

「キミと同じだよ。私自身がその石の存在を認めざるを得ない様な体験をしたからだ」

「体験! 本当ですか?」

「あぁ、30年前、中国のとある寺院でな」

「どんな体験です?」

「その寺の僧が青い石を使って実際に死者を蘇生させたのだよ。私の目の前でな」

「蘇生? 私の体験とは逆ですね。教授は私が研究していた鉱石がそれと同じ物だと考えているんですか? あれは確かに人が手にすると発光しますが青くはない」

「いや、同じとは考えていない。だがあの鉱石がサイコミュに干渉してキミの願いを叶えたのが事実なら、私の求める研究テーマと何か関係しているのは確かだ」

「あの・・・ もしや教授の本当の研究テーマと言うのは―」

「そうだ。その青い石を自らの手で創り出すこと。どうかね? 無理だと思うか?」

「数ヶ月前の自分ならそう思っていたでしょうね。ですが今の私は無理とか言う以前に、その伝説の青い石にかなりの興味を感じています」

「そうか。30年前、寺院の連中はその石のことを【ルーパ】と読んでいたがな」

「ルーパ・・・ですか?」

フリオと神埼―
2人の研究者はこの会話の1年後、その【ルーパ】を生み出すことに成功する。
だがそれは、人類史上最大規模の爆発を誘発した。
死者190万人以上。
それは後に【レーク・エクスプローション】と呼ばれた。
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