俺は美少女をやめたい!

マライヤ・ムー

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1章 有村遥(ありむらはるか)

第2話 水もしたたるいいオンナ

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「どうすんのよそれ・・
「どうしよう」

どうどうと流れる川の音を背にして、俺はなすすべもなく自分のおっぱいを揉みながら杏子きょうこと向かい合っていた。

「……ねえ、でかい胸を延々とむのやめてもらえる?」
「いや、何か解決策が絞り出せないかと思って」

口の端をぴくぴくさせて指摘する杏子に、俺はおっぱいを揉みながら答えた。

「ほら、杏子にできないことは俺がやらなきゃだから」

「できなくて悪かったわね!
 おっぱいからアイディアが絞り出てくるわけないでしょ!」

「ごめん、俺、女の子の体のことよくわからなくて」(もみゅこんもみゅこん)
「だからその指を止めろって言ってんの!」

杏子はブレザーを脱いで、投げるようにそれを俺によこした。

「とりあえずあんたん家行きましょ。そのままだと風邪ひくわ。今はそれ羽織はおってなさいよ」
「……杏子ってたまにめちゃくちゃ男らしいよな」
「変な言い方しないで、そんなんで町中歩けないでしょ」

確かに。ノーブラ&透けワイシャツに包まれた2つのふくらみは、もはや抜き身の凶器に近い代物だ。こんな姿で町を歩けば人々の注目を集めるどころの騒ぎではない。今夜のおかずが一品増えて、お父さんも大満足。
なんとかしなければ。

しかし杏子から借りたえんじ色の可憐なサヤは、
この凶器を収めるにはあまりにも小さかった。

「あのさ、これ前のボタン留まらないんだけど」
「うるっっっっさいわね! カバンでも抱いてなさいよ!」

叩きつけるように投げられたスクールバッグを、俺は危うく受け止めた。

「杏子、もしかしてなんか怒ってる?」
「怒ってない! ほら、早く行くわよ」

杏子はむすっとした顔でそういうと、大股でずんずん歩き出した。

「ちょっと待って、あ」

立ち上がろうとしたところで、俺は自分が靴をはいていないことに気が付いた。
制服のズボンからのぞいた足は、前よりもふたまわりほど小さくなっている。
靴は川の中で脱げて、流されてしまったらしい。
靴下も脱げてしまっている。

「あの、靴ないんだけど」
「……はだしでも歩けるでしょ。早く来なさいよ」

杏子はこちらを振り返って言った。
俺はとがった石を踏まないように、気を付けながら歩き始めた。長いズボンから顔をのぞかせた白い足先が、丸い石をえらびながらちょこちょこと進んでいく。

小さな俺の足の指が、きゅっと石をつかんでは、大きな胸の下に隠れる。また次の足がでる。可愛い。俺の足かわいい。
そのうちに杏子のところまでたどりついた。

「お待たせ」
「なに下向いてヘラヘラしてんの気持ち悪い」
「いや、男の足と女の足って、違うんだなーと思って……」
「あんた、危機感ってものがないの? 女の子になっちゃったんだよ?」

杏子は眉根まゆねにしわを寄せて言った。

「………………」

俺はまた自分の体を触ってみる。
白い手にほっそりした長い指とか、目下に突き出ている大きな胸とか、小さな足だとか。それらを確かめるたびに、それぞれの魅力的な印象に心がかれてしまって、この身に起こった奇妙な災難を頭でとらえきれずにいる。
要するに体のエロさに負けて、その先の考えに至らないというか……。

「女の子になってるなあ……」

思考の袋小路ふくろこうじに立ち尽くした俺は、途方に暮れて自分のおっぱいをふにゅこんふにゅこんと揉みしだく。
杏子は眉間みけんを押さえてため息をついた。

側に立ってみて初めてわかったのだが、今の俺の身長は杏子ほんの少し高いくらいになっている。普段の自分と比べるとずいぶん目線が低い。
ちょっと背比べをしてみようと杏子に一歩近づいたとき、また強い風が吹いた。

「さっぶ!」

俺が思わず口に出すと、杏子は背を向けてその場にしゃがみ込んだ。
顔をこっちに向けて、お尻の下に当てた両手をぱたぱたと動かしている。

「……なにしてるの?」
「ほら、おぶってってあげる。やっぱりはだしは危ないでしょ」

こいつ、ほんとに男らしいな。

「杏子、女の子にモテるでしょ? 女子校だし」
「うっさいわね。早く乗らないとほってくわよ」

俺はゆっくりしゃがみながら、杏子の白いうなじに近づいた。
ポニーテールに入りそびれた、柔らかそうな後れ毛が、風を受けて小さく揺れる。
それを間近に見ていると、この男らしい幼なじみに対して改めて『女の子』を感じてしまって、照れくさくなってしまった。

俺は顔を背けながら、細い首を抱くように腕を回して、背中にしがみついた。
濡れた胸を押しつけるように密着すると、制汗剤のシトラス系の香りに混じって、ふわりと甘い髪の香りがする。

「……う」

杏子が何かに気づいたようなうめき声を上げた。

「どうしたの?」
「なんでもないっ」

杏子は俺のふとももに手を回して、危なげなく立ち上がった。
はだしの足が浮いた。

「よっ、と」

濡れたお尻がぐっと引き上げられて、俺の顔は杏子の耳の横にきた。

「ちゃんとつかまっててよ」
「うん」

返事をすると、杏子は歩き始めた。
俺の肩に、ポニーテールがぱさぱさと当たる。
杏子の耳は、俺の口のすぐ側。

「……ハルカ、耳に息吹きかけるのやめてくれる?」

見ると、耳たぶが赤くなっていた。

「感じるの?」
「落とすわよ」

俺は気恥ずかしさと、ちょっとした安らぎなんかを感じながら、杏子の背で揺られていた。

「杏子ごめんな、おっぱい大きくて」
「さっきから喧嘩売ってるの?」

国道を曲がって古い住宅地を抜けると、小さな商店街がある。そこを抜けてしばらく歩くと家なのだが、まあ目立つこと目立つこと。夕方なので、人通りもそこそこあった。

「……なあ杏子、町の人みんなこっち見てるんだけど」
「言わないで、気付かないようにしてるんだから!」

男の学生服を着た裸足はだしの美少女が、ずぶぬれで女子高生におんぶされている。
そりゃみんな見るよなあ……とは思うんだが、ほんとうに容赦ようしゃなく観察される。

おいおっさん、顔と尻を交互に見るのはやめろ。
睨みつけるとおっさんは視線をそらして、ボクさっきからずっと向こう見てるんですけど、みたいな顔をしている。
ボク散髪屋の看板のぐるぐる回るアレを上から下まで観察してたんですけど、的な。
いやいや、ぐるぐる回るアレをそんなに熱心に見てたのかよ。トンボかお前は。
上着だけでも借りててホントによかった。

けれど裾の短いデザインの上着は、濡れた布がぴったり張り付いたおしりまでは守ってくれない。駄菓子屋の前にいる中学生の集団が、ニヤニヤしながらおっさんと同じ動きで俺の体に視線を這わす。
オッサンと違うのは、にらみつけてもニヤニヤ笑いをやめないってことだ。

「みんな見て見ぬふりとか、してくれないものなんだな。自分と関わりない女の子が、恥ずかしい思いしようが何しようが、関係ないもんなあ。集団だと特に……」

「ちょっと、ご近所さんに人間の闇を見いだすのやめてよ!
 あたしも毎日ここ通るんだから!」

「あら、杏子ちゃん。どうしたのその子」

八百屋の横を通り過ぎるとき、店の中から声をかけられた。
杏子ん家のおとなりのおばさんだ。

「この子はね、うん、この子ねー、あー、同級生的な?」

杏子は視線をあっちこっちにやりながら、おたおたと答えた。
的なってなんだよ。

「あらそうなの。どうしたのびしょびしょだけど」

「き、昨日いっぱい雨降ったから、その、時間差で! 時間差がすごくって……!」

ダメだ。この子に任せてちゃダメだ。

「初めまして! 杏子さんと同じクラスなんです私。男子と制服交換して、演劇の練習してたんです」

我ながらうまい言い訳を思いついたものだ。

「あらそうなの。でもおかしいわね、杏子ちゃん女子校でしょ」

しまったああああああああああああああ!!

「そ、そうなんだけど、えーと、あの、ほ、ほら、男子校と合同でやってて」

俺がとっさに答えると、杏子もそれに乗っかった。

「そうそう、昔よく遊びに来てたハルカ君って子覚えてる? あの子今男子校で、久しぶりにいっしょになんかやろうってなって」

「ああ遥ちゃんね。覚えてるわよ、よく家の前で遊んでたじゃない」

「そうそう、演劇いいねってなって。で、練習中に私、池にはまっちゃったんです。恥ずかしい」

よし、持ち直した!

おばさんも納得したようにうんうん頷いている。

「そうなの~。でも、制服返してもらえば良かったんじゃないの? 遥ちゃんかわいそうだけど、女の子を濡れネズミにするくらいならねえ」

――納得していない!

「それはあの、遥がこれ、着て帰っちゃって」

杏子さん?

「遥ちゃん、この子の制服着て帰っちゃったの!?」
「着て帰っちゃったんです! 気に入っちゃったみたいで!」

やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!

「あら、そうなの~」

いつの間にか八百屋のおじさんが出てきていて、はー、とか、ほー、とか言って頷いている。

「あの遥ちゃんがねえ……」

死にたい。もうこの商店街で買い物できない。

「でも、あんまりな格好よねえ……そうだ」

おばさんは肩に掛けていた派手なストールを取って、俺の腰の周りに巻いてくれた。

「これでよし。さっきから変な目で見てたのいたでしょ」
「ありがとうおばさん」

杏子が、ぺこりと頭を下げた。俺も杏子にしがみついたまま、お礼を言った。

「いいのよいいのよ。ほら、その子風邪ひいちゃうから、早く行ったげなさい」

八百屋のおじさんも、手を振って見送ってくれた。

「よかったわね、お尻隠れて」

「失ったものが大き過ぎるんですが。俺、女子の制服着て帰った変態にされちゃったんですが」

「大丈夫よ」
「なんにも大丈夫じゃねえよ」

あのおばさんの脳内には、確実にスカートいてスキップしてる男子高校生のイメージが刻み込まれていることだろう。

しかもあの人、良い人そうだけどその分、口も軽そうだし。

「ほら、元気だしてー」

杏子は俺を背中でゆっさゆっさと揺すぶった。
今更だけど、ほんとに体力あるよなこの子は――。

家に辿たどり着いた頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
うちの家に両親は住んでいない。
姉と2人暮らしだ。
その姉も、おそらく未だ仕事中。
家にはいつものように誰もいなかった。

「杏子。足汚れちゃってるからさ、先に中に入って雑巾とバケツに水入れて持ってきてくれる? どっちも洗面所の下の物入れに入ってるから。場所覚えてるよな」

「うん」

俺が玄関で待っていると、杏子はすぐにバケツと雑巾ぞうきんを持ってきてくれた。

「お風呂、沸かしてきてあげる」

杏子はまた洗面所の方に戻って行く。
俺は上がりかまちに雑巾を敷くとその上に腰掛けて、もう1枚の雑巾を絞って足の裏を拭った。

「……………」

昔は杏子がうちに遊びに来て、じゃんけんで負けた方がお風呂洗い、とかやってたな。
幼稚園のときは一緒にお風呂に入ったりもしたっけ。
杏子が家にいるというのが、なんだか懐かしくて、新鮮だ。

そんな相反あいはんする感情が不思議と両立するのは、それだけ俺たちが成長したということなんだと思う。小4くらいの時に変に意識し始めてからお互い没交渉ぼつこうしょうになって、中学3年間でちょっとずつ縁を取り戻したという感じで、じゃあこの先はどうなるんだろうといろいろ考えて、そんなのわかるはずないという所に行き着いて安心する。

なんで安心するんだろう。
そんなことを考えている内に、また杏子が戻ってきた。
杏子は隣に座ると、両手で俺のほっぺたをにょーんとひっぱった。

「あにふうんあよ」
「いや、ほんとに女の子になっちゃったんだなーと思って」

明るい電灯の下で、しげしげと俺の顔をながめながら杏子は言った。

「……これからどうするつもりなの」

そんなのわかんねーよ。
何が原因でこうなったのかもわからないし、いつまでこの姿のままなのかもわからない。
案外、明日の朝起きたら元に戻っていたりするものなのかもしれない。
とりあえず、風呂に入ってから考えよう。

そうだよ、風呂だよ。お風呂だよ。
この体を……いや、肢体カラダを……洗って上げないとなァ?

すみからすみまで、あますことなく――。

「ぐふふ、えへっ」
「どうしたの、すごい邪悪な顔になってるけど」
「いや、ちょっとクリミア問題について考えてて」

「ハルカがウクライナにどんな野望を抱いてるのかは知らないけれど、早くお風呂入らないと風邪引くわよ」

「ハハハ! 人を欧州連合みたいにEUいうんじゃあないよキミィ! HAHAHA!」

俺は意気揚々いきようようと風呂場に乗り込んだ。
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