俺は美少女をやめたい!

マライヤ・ムー

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3章 藤枝宮子(ふじえだみやこ)

第25話 高嶺の花は手折れない

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当たり前だけれど、開校記念日で休みなのはクリスチナ女学園だけだから、駅前の人通りは祝日ほど多くはない。

俺はドキドキしながらバスを降りた。

買い物の時もそうだったけれど、私服というのはどうにも落ち着かないものなのだ。いつものえんじ色の制服を着ているときは、女子高生に変身したのだという意識がうまく体に定着しているのだが、いわゆるカワイイ服ってやつはどうにも心がムズムズする。

ベージュのレースアップサンダル、どうやってここまで実用性を排除した靴を思いつくのだろう。なんでこの21世紀に靴底を革紐で固定しないといけないの? 足首に革紐をぐるぐる巻いて、うまく結び目の位置を合わせるのに、初めて履くときは10分くらいかかったと思う。

白いシフォンスカートは制服のプリーツスカートよりも長いけれど、半透明の生地がフワフワして心許ない。ロングスカートというには短い、ふくらはぎの真ん中辺り。ミモレ丈とか言うらしい。ミモレタケって、キノコの名前みたいだ。

パステルブルーの半袖ニットは余裕のあるサイズだけれど、大きく盛り上がった胸元がそこはかとなく強調されて見える。男子校ではニットなんてホモが着るものだという謎の風潮があったので、俺は秋冬でもなかなか着ることはなかった。半袖ニットなんて暑いのか寒いのかわからないもの、一生袖を通すことはないと思っていたが、意外と着心地は悪くない。炎天下ではたまらないだろうけれど、あの会長がガンガン外を歩くタイプとは思えない。

ショウウィンドウの横の鏡面に映るのは、イヤミなほどにふんわり可愛い美少女だ。久しぶりの街中と言うこともあって、ちょっと恥ずかしくすらなってくるのだけれど、ここで自信を持たなきゃいけない。

会長のくちびるを奪う、その期限まであと3日。
今日のデートに失敗は許されない。

俺はショウウィンドウの前で、軽くポーズをとってみる。
足をクロスさせて、肩を斜めに、人差し指を頬に当てて。

よし、俺、かわいい!

「何をしてるのあなたは」

「ひゅっ」

突然後ろから呼び止められて、思わず変な声が出た。
振り返ると、シックな紺のワンピースを着た会長が、長い黒髪を初夏の風に揺らしていた。

「ご、ごきげんよう会長」

ああもう、初手から失敗した! よりによって、自分の姿を眺めてコンセントレーション高めてる最中に登場するなんて。腕時計を見れば、確かに時間ぴったりだった。

「ごきげんよう」

会長の深い声は、街の喧噪の中でもかき消されずに澄んでいる。
そして私服でイメージが変わるのは、当然だが俺だけの話ではない。

肩の膨らんだデザインのワンピースは、バラのつぼみを逆さにしたようなロング丈。ウェストマークの同色のベルトは、あくまで上品に目立たない。ともすれば野暮ったくなりがちなシンプルなデザインだが、会長はモデルのようなスラリとしたスタイルで見事に着こなしていた。

深い紺色は、その対象色へと視線を導く。
ふくよかなラインに薄く赤唇せきしんを引いてなまめく、バラのくちびるへと。
そのくちびるが開いた。

「あなた、校外でもおかしなことをしているのね」

会長はため息をつくように言った。

「まあいいわ、行きましょう」

会長が歩き始めたので、俺はあわててその隣に並んだ。
一緒に歩くと、身長の差がよくわかる。会長は俺よりも少し背が高い。

「映画まで少し時間があるから、お茶でも飲みましょう」

やっぱり、会長にはちゃんとしたデートプランがあるらしかった。

ここで言っておかねばならないことがある。自慢じゃないが、俺は女の子とデートしたことがない!

小学校の頃に杏子と夏祭りに行ったことがあるけれど、その経験値が今日に生きるとも思われない。経験値ゼロの状態で、今日のデートを成功させなければいけないのだ。

昨日の夜、じっくり今日のデートのための会議をやった。

姉とふたりでは、転校初日のような危険な方向に走るおそれがあったので、アドバイザーとして杏子と、おまけの城ヶ崎を追加。

姉が言うには、デートに誘ったのは会長なのだから、プランは会長に任せる他はない。考えるべくは、どこに行くのかではなく何をするかなのだと。どうキスにもっていくか。

どんなふうに、と話が出たところで、城ヶ崎と目が合ってしまい、お互い妙に恥ずかしかったという話はとりあえず置いておこう。そんな俺たちをジトっとした目で見てくる杏子の話も置いておこう。

「いい、ハルカ。どういう流れであっても、キスはデートの最後の最後。大切なのはチャンスを狙い続けることじゃないの、ゴールに向けてふたりの関係を高めていくことなのよ」

姉は人差し指を立てて言った。

「男の子でも女の子でも、一番魅力的なのは何かを心から楽しんでいるときよ。そしてふたりが同じことを同じ気持ちで感じているとき、その心は一番近づくの。だから宮子ちゃんが笑ったときはあなたも笑いなさい。そうしてお互いに気持ちを高めていく。けれども、いくら楽しくてもハメを外してはダメ。一度幻滅されたら、もう一緒に心が動かなくなるからね」

姉はノリノリだ。妹が欲しいってのは昔から言ってたけれど、こういう話をしたかったんだろうな。

「必要なのはデートを無邪気に楽しむ子供のような心と、相手を不快にさせない立ち振る舞いをするために、きっちり自分を見張る教師のような心よ。この相反したふたつの心構えがデートを成功に導くの。つまり、無神経なところを見せてマイナス点が付かないように心を研ぎ澄ませながら、それでもしっかりとデートを楽しむこと。わかった?」

「なるほど、少子化が進むわけだ」

ソファの隅でネクロノミコンが言った。

「子孫を残すためにどれだけ手間をかけたら気が済むんだ君たちは。遺伝子をA地点からB地点まで移動させるだけの話だろう」

「なまなましいこと言ってんじゃねえよ!」

――とまあ、こんなふうに会議は進み、今日の方針と着ていく服が決まったわけだ。大事なのはデート思いっきり楽しむこと。その先に会長のくちびるがある! そしてお行儀に関しては、すでに地の底まで評価が落ちているので、そこそこがんばること。

「ここが、たぶん映画館から一番近いはずよ」

カフェですよCafe!

敷居の低いチェーン店っぽいところだけれど、高校生活始まって、カフェになんか一度も行ったことがない。友達とダベるならコンビニの前でいいし、暑かったり寒かったりすれば、その場にいる誰かの家に行けばいい。

男子校特有の乙女のような敏感さで軟弱なモノを避ける性質が、俺をこういうお洒落なものから遠ざけていたのだ。

チェーン店のカフェなんか、ぜんぜんお洒落じゃないって?

コンビニの駐車場でガリ○リ君かじって蚊に食われつつ、自転車をカラ漕ぎして3時間ダベってから、同じことを言ってみろってんだ。

平日の昼間だからだろう、カフェは結構空いていた。会長はホットコーヒーのSサイズ、俺も同じものを頼んだ。

「会長、紅茶がお好きなのかと思ってましたけれど」

「お茶はこういうところより、漣や里奈が淹れたものの方が美味しいでしょう」

そう言ってひとくち飲むと、苦かったらしく小さなカップにミルクを入れた。それでもまだ苦いらしく、一緒に持ってきたグラスの水を飲んだ。

「ハルカ、ミルクをもうひとつ貰ってきてちょうだい」

この人、ナチュラルに他人を使うよな――。
けれども、こういう人間的なところを見たのはこれが初めてかもしれない。苦いのがダメなのか。俺が持ってきた追加のミルクを足すと、ようやく味に満足したらしい。

「ちょっと失礼」

会長はスマホを取り出した。スマホ持ってるのか、なんだか意外だ。

「里奈に映画の予約をしてもらったのよ。ええと、どれだったかしら……」

テーブルにおいたスマホを、指でつつきながら首を傾げている。淑やかな動作のように見えるけれど、いちいち爪の色が変わるほど強く画面を押している。明らかにこの人はモバイルオンチだ。

背筋を伸ばして美しい眉根を寄せ、こうかしらああかしら――見かねた俺は、首を伸ばして画面をのぞき込んだ。

「メール届いてるんじゃないですか」

「メールって、この電話で見られるの?」

マジかよ。
見たところ、俺が持ってるやつと同じOSらしい。

「最初の画面に、メールってアイコンがあるでしょう」

「最初の画面? これは買ったときのままよ?」

会長は普段の大人びた表情からは想像できないような、きょとんとした顔で俺を見た。びっくりするほど話が伝わらない。

「……あの、会長は普段どう使ってらっしゃるんですか?」

「この横のボタンを押すと電話ができるわ」

「オオゥ」

会長の親御さんは、何を思って彼女にスマートフォンを与えたのだろう。かんたんケータイとかで良かったのではないか。

「あの、よろしければ私がやりましょうか?」

「ええ、こっちに来て座ってちょうだい」

俺は会長のいるソファー席に座った。

「メールは開いても大丈夫ですか?」

「ええ、わたくしも開いたことがないもの」

メール画面を開くと思った通り、キャリアからの未読のお知らせばかり並んでいる。その一番上に「ご予約が完了しました」とあった。

「これですよ」

タップしながら会長の方をみると、端正な顔の高い鼻先がすぐそばにあった。非常識なくらいに長い睫毛が瞬いて、画面をのぞき込んでいる。

近い近い近い近い――!

細い肩が触れた。黒髪の隙間に、白い耳たぶが見える。

肩が触れ合っただけで、こんなにドキドキして大丈夫なのか俺。何時間かあとに、俺たちはキスしていなきゃいけないのに――。

「あなた、詳しいのね」

「……里奈さまだって、これくらできるでしょう」

俺は照れを誤魔化すようにそっぽを向いて言った。

冷静になれハルカ、相手は同じ人間だ。赤ちゃんの頃はオムツ履いてたんだ。たぶんおねしょもしたことあるし、たまごボーロとか食べてたんだ。俺は必死で、感情の波に流されていく冷静さを手繰り寄せる。会長はそんな俺を横から眺めながら言った。

「デート中に、他の女の子の名前を出してはいけないのよ」

「先に里奈さまの名前を出したのは会長ですっ」

「そうだったかしら」

俺の焦りなど知らぬげに、会長はコーヒーをひと口飲んだ。それから再び俺の方に肩を寄せる。コーヒーと一緒にバラのような冷たい香りが鼻孔をくすぐった。

昔、おばあちゃんが育てていたバラのアーチを思い出す。

バラの香りを冷たいと思うのは、庭で見た雨上がりのバラを思い出すからか。それとも目の前の会長の冷たいほどに張り詰めた美しさのせいだろうか。

彼女の冷徹なくちびるのせいだろうか。

――いけないいけない、会長の美しさに溺れてちゃダメだ。

俺が、彼女を惚れさせなきゃいけないのだ。それにはまず、姉のアドバイス通りこの場をうんと楽しんで、可愛いところを見せてやらなくては。俺は映画の予約メールをスクロールさせた。




  劇場版完璧少女ミミコちゃん ~ヒポポタマス伯爵の逆襲~

  指定席 H16 H17
                               』



「これ……会長が選んだんですか?」

「いいえ、適当に選んでおいてと里奈に頼んだのよ」


適当に選びすぎだろ里奈さま――。
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