俺は美少女をやめたい!

マライヤ・ムー

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3章 藤枝宮子(ふじえだみやこ)

第28話 恋のマニフェスト

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城ヶ崎が階段から落ちて骨を折ったらしい。
それで今は入院してるそうだ。

たしか、俺の転校初日も階段から落ちてたよな。そのときは俺が抱きしめて助けてあげたけど――ああ見えて、結構ドン臭い奴なんだろうか。

お見舞いには行ってあげたいが、とにかく今はそれどころではない。

あと2日なのだ。今日と明日!
どうにか会長とキスしないと、俺は男に戻れなくなる。
そして、杏子は男になってしまう。

ああ、俺はなんてことをしてしまったんだろう。
あのとき、ぶちゅっとやっちまえば良かった。

なんでキスしようとした会長を、俺は押しのけてしまったんだろう。今考えてみても、ピンとくる理由がない。何故かダメな気がして、体が動いてしまったのだ。

「馬鹿だ大馬鹿だ。私はもう知らん、君を見捨てた」

ネクロノミコンは鞄の中でネチネチとそんなことを言い続けていた。見捨てたのなら黙ってりゃいいものを、昨日の夜からこんな具合だ。

「いったい何を考えているのやら。これだから人間は度し難い。一度捉えた獲物を手放すなんて、食虫植物でもやらないことだぞ。つまり君はハエトリ草以下だ。全脊椎動物に謝罪しながら虫でも食べていたまえ。そうしてタンパク質をたっぷり摂れば、植物以下の脳ミソも少しは改善されるだろう。もっともその下品な乳に栄養を取られなければの話だが。それにしても、せっかくの向こうからのお誘いを突っぱねるとは」

伊達に1300年生きているだけはある。その悪口雑言は滔々たる歴史を背負って尽きることを知らない。俺がため息をつくと、一緒に歩いていた杏子が足を止めた。

「ちょっと待って。お誘いを突っぱねたってどういうこと?」

「………」

俺は気まずさに後ろ頭を掻いた。

「実はその、向こうからキスされそうになったんだけど、こう、ついって……」

指先を突き出す仕草をしてみせると、杏子は信じられないという顔で柳眉を逆立てた。

「なにやってんのよ! なにやってんのよ! なにやってんのよバカ!」

「痛い! 痛い! 痛いって! 胸を叩くな胸を!」

「わかってんでしょうね、あんた男に戻れなくなるのよ!?」

杏子が手のひらでパシンパシンとブレザーの胸を叩いてくる。胸叩かれると痛いのわかってるだろうに。いや、わかってるんだろうか。

「大丈夫、心配するなって。いざとなれば、隙をついてチュッとやればいいんだ。ただ、出来れば同意の上でってのが、やっぱりあるだろ?」

「その同意の上を突っぱねたんでしょ、もう。頼むわよ……」

杏子が口を噤んだ。廊下の角から出てきた影に気付いたからだ。

「……ごきげんよう、会長」

直前まで彼女の話をしていただけに、俺も杏子も固まってしまう。

「ごきげんよう」

会長は優雅に髪を払って、わずかに微笑んだ。いつもの会長だ。昨日のことなんてなかったみたいに、そのまま俺たちを横切って行ってしまった。

「………大丈夫なんでしょうね」

「おう任せとけ。明日中だ、明日中になんとかする。昨日は向こうからキスしようとしたんだから、こっちからくちびるを奪いに行ったところで、傷ついたりはしないはずだし………」

「じゃあ、なんで今行かなかったのよ」

「だって、ほら昨日の今日だしさ、そもそも隙が無いじゃん会長って。でも大丈夫、明日になったらもう、無理矢理にでもやるから!」

「無理矢理とかヤるとか大声で言わないでよもう……」

そう言いつつ、杏子は「自分が男になる」ということは言わなかった。口に出すのが恐ろしいのか、それとも自分が白ネコを助けようとしてこうなったことを気にして言わないのか――杏子の性格を考えるに、後者だと思う。

いざとなれば、押し倒してでもキスをしなければならない。もちろん、最後の手段だから最後まで粘って明日にする。でも昨日あんなことがあったから、今日はとりあえず休戦――なんて矛盾した思いが頭の中でぐるぐる回った。

「とにかく、そうだ! 城ヶ崎がいろいろ調べてくれてるから、その報告を聞いてからだ。放課後になったらお見舞いに行こう」

放課後、電車とバスを乗り継いで病院に行くと、城ヶ崎はベッドに横になって、ギプスで足を吊っていた。

「階段から落ちたって聞いたけど、お前骨折したのか?」

「いや、そうじゃない。ただの捻挫だ。でもお爺さまが大騒ぎしちゃって。足がむくむといけないからって、こんなことに……」

城ヶ崎は柔らかそうな頬がほんのり桜色に染まる。それにしても薄いブルーの入院着がやたらと似合うなコイツは。病弱な薄倖の美少女って感じだ。男だけど。

「爺ちゃんが過保護なのか、大変だな」

「でもお爺さまが僕のことを想ってして下さった処置なのだから、僕はそれを全身で受け止めなければいけないんだ」

組み合わせた指をもじもじさせながら、城ヶ崎は桜色の頬をますます赤くして、照れくさそうに俯いた。

「そうか、キモいな。ところで頼んでた調べ物のことだけど」

「そのことなんだが……」

城ヶ崎は組み合わせた指をほどいて、白い人差し指をおとがいに当てる。

「会長は公明正大なクリスチナ女学園の女王だ。調べれば調べるほどに、恥ずべき傷など何ひとつない無謬の存在だと確信したよ。彼女は裁きの天秤に乗る者ではなく、それを司る美しき女神なんだ」

頭を打ったのだろうか。いろいろと気持ち悪さが増している気がする。

「しかしひとつだけ、奇妙な事実を発見した。生徒会選挙についてだ」

「不正でもあったのか?」

「まさか! 不正など会長の人格からは最もかけ離れた……」

「それはいいから」

城ヶ崎はコホンと咳払いをした。

「君は転校したばかりだから知らないと思うが、クリスチナ女学園の生徒会選挙はちょっと変わってるんだ。まず立候補という制度がない。本選挙の前に候補者選挙というのがあって、それでの中から候補が選ばれる」

「じゃあ、生徒会長をやりたくない奴でも引きずり出されるのか。ずいぶん乱暴だな」

「優れた生徒には、他の生徒の規範がとなる義務があるという考え方だ。候補者選挙は各クラス会で実施されて、全票のうち10パーセント以上の得票があった生徒が候補者となる。前回の選挙では宮子さまと里奈さま、それとあと2人が選ばれた。ちなみに宮子さまは得票率12パーセント、里奈さまは17パーセントだ」

「里奈さまの方が多かったの!?」

得票率は、一般生徒に知らされないものらしい。杏子は丸い目をいっそう丸くしている。もちろん俺も驚いた。副会長の里奈さまは会長の良き補佐役といった感じで、自分が前に出ていくタイプには見えない。まさか会長以上の人気があったとは。

「確かに、今思い出してみればそういうフシがあった。ちなみに今でも里奈さまのファンクラブはあるからね。もっとも今の会長のような人気は前代未聞だから、それほど目立つわけではないけれど。その上、もうひとりの候補の方が得票率は高かったんだ」

クリスチナ女学園における、ただひとりの頂点という感じの会長が、まさかの学園3番人気だったとは。

確かに会長は非現実的なくらいの美人で、その所作、立ち振る舞いは一般人の俺から見ても、それが見本だと確信できるほどに洗練されている。

しかしながら性格はそうとうキツいし、近寄り難いオーラを全身から発散している。里奈さまのようなフレンドリーで面倒見の良いタイプの方が潜在的なファンは多いのかもしれない。

「候補者選挙で指名された生徒は2週間後の集会で選挙演説をする。それから本選挙だ。前年のデータは、候補者選挙と本選挙のそれぞれの票率はそんなに変わらなかった。選挙演説の内容が反映されるとはいえ、動くのは基本的に候補者選挙で支持率10パーセント以下の泡沫候補を指名した生徒の浮動票だからね」

「その結果、ふたりを抜いて会長がトップに躍り出たってわけか」

「結果はそれどころじゃなかったんだ。杏子さん、僕は君が誰に投票したのかを知っている。宮子さまだろう?」

「え? そうだけど……どうしてそんなことわかるの? 選挙は無記名投票だから、名前が残るはずないのに……」

「僕も宮子さまに入れた。そういうことなんだよ」

城ヶ崎は、杏子から俺に視線を移して言った。



「本選挙での、会長の支持率は100パーセントだったんだ」



全有権者が支持……どんな独裁国家だよ。

「というか、この仕組みの選挙でそんなのあり得ないだろ。候補者を決める時点で票が割れてるのに。それとも支持する人を変えたいと思うほど、魅力的な公約があったとか?」

「そんなことはない。会長の演説は広い体育館に美しい声が朗々と響き渡り、天上の音楽もかくあらんという趣に満ちていたが、内容はごく普通のものだった。学内美化の徹底とか、靴音を立てない運動とか」

あの会長らしい公約だけれど、まったく魅力のカケラもない。それが他の候補の支持者、全生徒の88パーセントの心を動かすとは到底思えない。

「つまり、候補者選挙から本選挙までの2週間に何かがあったわけだ」

今まで黙っていたネクロノミコンが、口――いや、ページを開いた。

「漣、杏子、君たちは候補者選挙で誰に投票した?」

「僕は候補者選挙の時から宮子さまだ」

「あたしは……里奈さま」

これは意外だった。この前生徒会室に行ったときは、そんな素振りはまったく見せなかったのに。というか、会長への態度が無茶苦茶すぎて、それ以外に覚えていない。

「でも、本選挙は会長に入れたんだろ?」

「うん……なんか演説してる姿を見たら、その方がいい気がしたの……なんとなく」

杏子が自分で自分の心に問うようにおずおずとそう言うと、ネクロノミコンは触手で杏子を指した。

「人が人に惚れるのに、2週間あれば長すぎるくらいだ。しかし集団のすべての人間が、となるとまともな事態とは言えまい」

「……何が言いたいんだよ」

「わからないのか? この問題はわれわれの領域にあるということだ。妙な匂いが鼻につくと思ったら、そういうことか」

ネクロノミコンは、触手で鞄をぱしっと叩いた。



「藤枝宮子は、なんらかの祝福を受けている……ハルカ、君が女になったようにだ」



杏子が、漣が、そしておそらく俺も、驚愕の事実に目を見開いた。

「この俺のように……だと……!?」

俺は思わず、自分の柔らかな胸を掴んだ。
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