恋するジャガーノート

まふゆとら

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第二話「英雄の資格」

 第二話・プロローグ

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◆プロローグ


 カチ、コチ、カチ、コチ──

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 時計の針は、8時30分を指していた。

 潮の香りを乗せた風が、カーテンをいたずらにたなびかせる。
 「職場」の裏に自宅があるおかげで、僕の部屋からは、海が見える。

 ・・・なので、数年前の台風では結構な被害を受けた。

 窓ガラスが割れて雨風やら土砂やら流木やらが部屋を跡形もなく蹂躙し、僕の部屋だけリフォームの必要に迫られたのだ。

 おかげで、中学校の頃から変えてなかったカーテンを新調したり、錆び切って真っ黒になっていた窓枠をステンレスに変えたりと思い切れたけど、色んな思い出が詰まった部屋がなくなっちゃったのは、やっぱりちょっと寂しかったなぁ・・・。

 カチ、コチ、カチ、コチ──

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 新調したおかげでまだ真っ白なカーテンの向こうから、快晴の青い空を切って朝日が差し込んでくる。

 う~ん! まるで心が洗われるかのような素敵な一日の訪れだ!

 カチ、コチ、カチ、コチ──

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 ・・・・・・何か妙案を思いつけないものかと昔日の自室に思いを馳せてみたり、思い切り現実逃避してみたりしたけど、一向に状況は変わらない。

 世間一般では爽やかなはずの朝・・・なぜか僕の部屋だけが、お通夜のように静まり返っていた。

『ねぇねぇハヤト、なんかしゃべんないの?』

 頭の中に、急かすような声が響く。

 ・・・わかってほしい。喋ろうとは思ってるんだ。

 でも、何て話しかけたらいいか分からず、喉元まで声が出かかっては奥まで引っ込むのを繰り返してるだけなんだ。

 カチリ、と音がした。時計の針は、8時31分を指している。

 ・・・あぁ・・・そろそろ仕事行かないと・・・でもこのまま「彼女」をここに置き去りにするわけにもいかないし・・・僕は一体どうしたら・・・。

 あーでもないこーでもないと迷いながら、目線をちらりと正面に向ける。

 すると、恐る恐ると言った様子でこちらを伺っていた「彼女」と視線が合い、刹那、目を逸らされてしまった。

「・・・・・・もしかして・・・僕・・・嫌われてる?」

 先程からくるくると顔の周りを飛び交って、手持ち無沙汰に僕の頬を引っ張ったりして遊んでいるシルフィに問いかけてみた。

 瞼の裏に涙の気配を感じながら。小声で。

『あはは! まさかぁ~! クロの心の中に行って、話してきたんでしょ?』

 シルフィは、僕の髪をあちこち弄り回しながら答えた。

「う、うん・・・いまだに信じられないけど・・・」

『だったら大丈夫だって~。 ・・・というか、つい一昨日まで押せ押せだったのに、どーしたのハヤト?  オトコらしく隣で寝ちゃうあの度胸はどこにいったのさ~?』

 ・・・何が楽しいのか、彼女はずっとニコニコしている。こっちは胃が潰れそうなのに。

 何なら今の小声だって聞こえてたらどうしようかと気が気でないのに、この自称・妖精ときたら、僕とは違って最初はなからテレパシーだからそんな心配する必要がないのだ。ずるい。

『ほらほら~いつもならもう出勤してる時間でしょ~? そんなのんびりしてて大丈夫~?』

「・・・・・・いやぁ・・・だって・・・あの時とはその・・・色々と違うというか・・・」


 改めて僕は・・・対面に座る「彼女」を視界の淵に捉える。





 一見すると艷やかな紫紺のロングストレート──だが、よく見れば、水平に切り揃えられた前髪の真ん中だけが束になって伸び、後ろ髪を結っている不思議な髪型をしている。

 伏し目がちな瞼の奥からは、橙の瞳が覗く。

 ともすれば凛々しく見える顔立ちは、きょろきょろと揺れる視線のおかげで臆病な性格を隠そうともしない。

 格好は・・・レオタード・・・といえばいいのか、身体にぴっちりと密着したノースリーブの服に、色を合わせたアームウォーマーとストッキングという、何とも眼福・・・じゃなく! 真正面から見つめるのが少し・・・躊躇ためらわれる姿。

 両腕両膝には、なぜか甲冑のようなものが付いている。

 正座して向き合って、ちょうど目線が合うくらいだから・・・身長は170センチはあるだろうか。

 女性にしてはかなり高い方だと思うが・・・何より目を引くのは──そのはち切れんばかりのおっ───じゃなくっ! じゃなくっっ‼ 頭から後ろ向きに生えた二つの角だ。

 引っかき傷のような赤いラインが3つ入ったネイビーのそれは、「彼女」と「あの子」が、同一の存在であるというあり得ない事実を、僕に主張してくる。

『・・・ハヤト、目がえっちじゃない?』

「そっ! そんな事ないよっ⁉」

「ひぅっ‼」

「あっ! ご、ごめん!」

 思わず図星・・・ではなく事実無根の指摘をされて大声を出してしまい、向かいの「彼女」が小さな悲鳴を上げる。

 咄嗟に謝ると、目をぎゅっと瞑ったままフルフルと頭を振られる。

 「謝らないで下さい」という意思表示に見えるが、何だか濡れた子犬が水滴を払うために身体を震わせるような動きにも見えて、意図せぬところでクロの片鱗を感じてしまった。

「・・・本当に、クロ・・・なんだよね?」

『だからさっき・・・とゆーか一昨日から言ってるじゃない。そもそも、ハヤトも目の前で変わるトコ見たでしょ?』

 そうなのだ。一昨日の晩、僕は信じられない体験をした。

 数日前に拾った不思議な動物・クロが、突如巨大な怪獣となって謎の組織に退治されかけて、僕は僕で死にかけたところをこのシルフィに助けてもらい、クロを元に戻すためにシルフィの力を借りて大奮闘! ・・・という大冒険があったのだ。

 今思い返してみても信じ難い。

 しかも最後には、そのクロが無事に帰ってきたと思ったら、いま目の前にいる「彼女」へと姿を変えるというおまけ付きだ。

 いや、おまけにしてはインパクトが大きすぎたけど。

 そして・・・今朝起きると、昨日丸一日眠っていた「彼女」が、僕の枕元で正座していた。というのが現在いままでのハイライトだ。

 身支度を整えようと部屋を出ようとしたら裾をつままれ引き留められ、一言も発さないまま涙目になる「彼女」を何とかなだめて職場に行く準備だけはして・・・この膠着状態。

 かれこれ10分くらいはこうしているだろうか。ちなみに「彼女」は朝起きて見た時から1ミリも動いていない。

 父さんが昨日今日と、出先からの突然の出張で帰って来なかったのだけは不幸中の幸いという他ない。

 昨日の朝一の電話で「横須賀大変だったみたいだが無事か⁉ そうか! お前も職場も無事なら大丈夫だな!」の一言で済ませてしまったのはともかくとして。

『助けた動物が人間になるなんてよくある話じゃないかな~? 鶴の恩返しならぬ、「怪獣の恩返し」? なんてね~♪ あはは~♪』

「あはは~じゃないよ! と、とにかく・・・」

 シルフィは助けてくれそうにない。こうなったら、勇気を出して踏み出すしかない。

 ああ・・・どうして僕は朝から突然こんな決断を迫られているんだ・・・?

「えぇっと・・・君は・・・クロ・・・なんだよね?」

 問いかけると、こくん、と頷いてくれる。

 が、何とか「彼女」の視線を捕まえようとするも、なかなかこちらを向いてくれない。

「ねぇやっぱり嫌われてないかな・・・?」

『ハヤトってほんと美人相手にはメンタルおとーふだよね~』

「なっ! そんなこっ・・・!」


「あ、あのっ・・・!」


 そこで、聴いた事のない声が鼓膜を震わせ、思わず僕は「彼女」の方を向く。

「き、嫌いじゃ、ない・・・です・・・ハヤト、さんは・・・私を、助けてくれましたし・・・ひ、ひとりじゃない、って・・・言って・・・くれました・・・から・・・嫌い、じゃ・・・ないです・・・」

 身体の大きさに見合わぬ可愛らしい声が、たどたどしくも言葉を紡いでくれる。

 チラチラと橙の瞳でこちらを伺いながら、必死に「嫌いじゃない」と伝えようとしてくれてる。


 ・・・・・・・・・って、ちょっと待って?


「しゃっ⁉ 喋れたのっっ⁉ ・・・あと今の小声聴こえてたのっっ⁉」

 再び、こくん、と「彼女」──クロが頷く。

 あぁそうか犬の聴力は人間の数倍あるんだっけなんてどうでもいい事を思い出しつつ、姿が人間になったばかりでなく、言葉まで人間のものを・・・しかも日本語を喋れるようになっている事実に頭が追いつかなくなってしまう。

『あっ! そうそう言い忘れてたけど、「その姿」にする時に最低限のコミュニケーションはとれるようにしておいたから~』

 必死に頭を働かせようとした瞬間、顔のすぐ隣から種明かしが聴こえた。

 それが納得できるかどうかは別として。

「・・・・・・い、一体どういう事・・・?」

『う~ん・・・妖精さんの魔法ってやつ?』

「それで片付けられる問題っ⁉」

 昨日から・・・いや正確には一昨日から、色々質問してもこの調子だ。

 「妖精だから」「妖精の魔法だから」で一昨日の全ての出来事に都合をつけようとするのだ。

 けど僕は「ペンダントの妖精って「ことで」」と言われたのを忘れてない。とにかくどこまでも正体不明な「自称・妖精」である。

『まぁまぁ~。そう怪しまないでよ。 パソコンがどんなプログラムで動いてるかをパソコン使った事ない人に説明してもわかってもらえないでしょ? それと一緒で、ハヤトの常識にないシステムで動いてる力だから、理解できないだろうなってだけ。ハヤトは電化製品ニガテだし』

「それとこれとは話が別なんじゃ・・・・・・電化製品ニガテなのは否定しないケド・・・」

 シルフィのずるいのはこういうところだ。とにかく僕をまるめこむのが上手い。

 「ずっと見てた」というだけあって、僕の弱点から何まで全て知りつくしているのだ。抵抗するだけ無駄なんだ。昨日散々味わったのでもう嫌だ。

『でも突然頭を良くしたわけじゃなくて、相手の言ってる事を「言語」じゃなく「ニュアンス」で伝わるようにして、クロから発信する時はその逆をするようにしてるだけ。だから文字を読むのはできないよ~』

「・・・つまり、クロは元からこっちの言ってる事を完全に理解できる知能があった・・・って事なの・・・?」

『まぁそうなるよね~。 私もこの子がどこの誰かは知らないけど、いくら元の姿がわんちゃんに似てても、地球の動物図鑑に載ってるような生き物じゃないのは間違いないしね』

「・・・・・・」

 人間の女性としてみれば大きめの身体を縮こませ、正座したままのクロを見つめる。

 ──そうだ。

 目まぐるしすぎて失念していたけど・・・僕が庭で吹っ飛ばされる前、クロは今の姿になる前に、確かに僕に向かって──「ハヤト」と名前を呼ぼうとしていたんだ。

「・・・・・・はぅ」

 またちらりと目が合うと、視線を逸らされる。だが、よく見れば頬が赤い。

 もしかして、「恥ずかしがってる」・・・って事なんだろうか。

 臆病な性格なのは知っていたけど、そんなに人間らしい──とでも言えばいいのか、とても「動物」の反応とは思えない。

 女の子になったり日本語を喋ったりしたのはシルフィの力だとしても──目の前の「彼女」の正体は、どこから来たのかわからない──僕と出会うまでの記憶を失っている──怪獣。

「・・・・・・」


 クロ・・・・・・君は一体・・・何者なんだ・・・・・・?




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