恋するジャガーノート

まふゆとら

文字の大きさ
上 下
271 / 325
第十一話「キノコ奇想曲」

 第二章「ハヤトの長い午後」・⑥

しおりを挟む
       ※  ※  ※


「クソッ・・・! なんたる失態だッ!」

 自分自身のあまりの愚かさに・・・思わず、頭を抱えて立ち尽くしてしまう───

「14時30分というのは・・・時間だったのか・・・ッ‼」

 ワンダーシアター前の看板に記載された「ライズマンステージ:開演15時~」の文字に、忸怩たる思いが込み上げてくる。

 まさかこんなところで、普段から遊び慣れていないが故の過ちを犯す事になろうなど、思いも寄らなかった。

 「ハヤトの出番に間に合わない!」と、ここまで必死に走ってきた私の姿の何と滑稽な事か・・・!

「・・・今日ばかりは、テリオの目がなくて本当に良かった・・・」

 ヤツにこの醜態を見られていたら、間違いなく三日はからかわれていたに違いない。

 不幸中の幸いだ、と自らを鼓舞しながら・・・建物の中へと歩を進める。

「! もう結構人が入っているんだな・・・」

 大きくカーブした通路を抜けると、開けた薄暗い空間に出た。

 奥には横幅15メートル程のステージがあり、その前に20列分の座席が並んでいる。

 平日ながら、まばらに人影が見える事に少し嬉しい気持ちになりつつ・・・

 入園チケットの購入時に追加料金を払って取得しておいた最後列の指定席に腰掛け、ステージが始まるまでの時間を静かに待つ事にした。

 ・・・が、しかし・・・・・・

「うふふふふ~~♪」
「ワハハハハハッッ‼」
「キャーッ! キャァ──ッ‼」

 開演前とはいえ、どうにもマナーに欠ける客が多いように見受けられた。

 子どもたちはまだしも、彼らを見守るべき保護者とおぼしき者たちまで、奇声を上げたりそこら中を走り回ったりと自由奔放過ぎる振る舞いをしている。

 さすがに少し注意した方がいいか・・・と、席を立ち上がろうとして──

「───お姉さん、おひとりですか?」

 不意に、後ろから声をかけられる。

 声の調子からして、まともに取り合うのが馬鹿らしい手合いなのは間違いないなと判断し、眉間に皺を寄せつつ振り返ると・・・・・・

「おや? 君は──」

「げぇっ! こないだのぉっ‼」

 そこにいたのは、先日ハヤトと一緒にバーベキューをした時、美晴さんから「不肖の兄」だと言って紹介された青年だった。

 あだ名は「ハル」・・・だっただろうか。

 ・・・待てよ。そういえばその時にも、全く同じ文句で声をかけられたような・・・

「しっ、失礼しましたァァアッ‼」

 すると彼は以前と同じく、私が少し睨んだだけで一目散に逃げ出していく。

 ・・・ハヤト曰く、「あんなのでも僕の親友なんです」という事だったが・・・「ともだち」である私より、彼の方がハヤトの中でのランクが高いのは少し納得がいかないな。

 溜め息交じりに、逃げた背中を目で追っていると──早速別の席の女性に「お姉さん、ハンカチ落としましたよ?」などと声をかけている。・・・筋金入りだな。

「一番最初に注意すべきなのは彼かもな・・・」
 
 そこでふと、ハヤトの親友という事になっている彼も、頭にキノコを付けている事に気付いた。

 やはりアレは流行っているのか? と首を傾げたところで・・・・・・

「うへ・・・! うへへへ・・・っ!」

 突然、薄気味悪い声が鼓膜を震わせる。かろうじて笑っているのだと判る声の方へ目を向けると・・・発生源は、3つ隣の席に座る女性だと判った。

 そして、その幼顔おさながおとジャージ姿にピンと来て、驚かせないよう心掛けながら声をかける。

「山田さん、でしたか。先日はどうも──」

「ハァッ‼ ハァッ‼ たまらん・・・ッ‼」

 ・・・・・・が、どうやら彼女はお取り込み中のようだった。

 以前は、疲れて寝ている姿と、私を前にして小刻みに震えながら自己紹介をしてくれた姿しか見た記憶がなかったせいか──

 今の・・・何と言うか・・・独特な雰囲気を醸し出す彼女を見ていると、もしかして人違いだったかも知れないな、とも思えてくる。

「やはり・・・ハヤトきゅんの腹筋は・・・至高ッッ‼」

「・・・・・・なに?」

 そっと背を向けようとしたところで、気になるワードが聴こえて硬直してしまう。

 彼女が涎を垂らしながら食い入るように見つめるスマートフォンの画面には・・・我が幼馴染のあられもないシックスパックが表示されているというのか・・・っ⁉

「───アカネサン、気になります?」

「・・・ッ⁉」

 そこで、思考が激しく乱れた一瞬を突くように──すぐ背後から声をかけられる。

 ・・・易々と私の背後を取れる人間など、裏の世界にもそうはいない。渋面を隠さずに振り返ると・・・そこに居たのはやはり、真鍋さんだった。

 下の名前は確か・・・「サキ」。

 バーベキューの時には、彼女に散々手玉に取られてしまったせいで、少し苦手意識がある。

 悪人でないのは判るんだが、どうにも不得手なタイプだ。

「い、いや。その、今のは──」

 そして、どう言い訳をしたものかと考えあぐねていると・・・・・・

「いいっスよねぇ、センパイの腹筋」

「・・・んっ?」

 真鍋さんの口から飛び出したのは、あまりにも予想外な・・・同意の言葉だった。

「顔は優男なのに、体はけっこーバキバキじゃないっスか。そこがエロいんスよね」

「え、えろ・・・?」

「んで、あー見えてケンカもめちゃ強いっスし・・・でも本人はそれを鼻にかけたりせずに、ウザ絡みにもなんだかんだ付き合っちゃったりとか。基本お人好しなんスよね」

「あ、あぁ。それは私もそう思うが・・・」

「ただ、それでも怒る時にはきっちり怒るタイプなのもいいんスよね。昔、そこの山サンが誘拐された時も、単身乗り込んで犯行グループ全員ボコボコにした話は今でも伝説で・・・」

「なに? そうなのか? その話もう少し詳しく──じゃないっ!」

 思わず噂に聞くノリツッコミの真似事をしてしまったが・・・一旦呼吸を落ち着ける。

 今までに一度しか会った事がないとは言え、彼女は間違いなくこんなに饒舌な人物ではなかったはずだ。明らかに、

 そして、嫌な予感の通り・・・彼女の頭にも、山田さんの頭にも、キノコが付いていた。

 つぶさに観察すれば、帽子だと思っていたそれは、頭から直接生えているようにも見える。

「・・・これはいよいよ・・・何かがおかしいな・・・」

 杞憂で済めばいいんだが、と思いながら、腕時計型端末を操作しようとして──

『みなさ~~~んっ!こ~んに~~ちは~~~っ‼』

 突如、広々とした空間に溌溂な声が響き渡った。

 声だけで、美晴さんだと判る。そして、満面の笑みで舞台袖から登場した彼女は──やはりと言うべきか、頭から小さなキノコを生やしていた。

『えへへ~♪ 本当は開演まだなんだけど~~お姉さん、みんなとお話したくって、もう出てきちゃいました~~! いぇ~~いっ♪』

 ・・・あの子は確かに明るい性格だが、礼節をわきまえた真面目な人物だと理解している。

 そんな彼女が、今のクスリをキメたような状態で客前に出てくるなど、絶対におかしい。

「やはり、何かが起きている・・・! すぐに連絡を・・・・・・へくちっ!」

 確信を以て司令室に連絡を取ろうとした途端、意図せずくしゃみが出てしまった。

 すると突然──視界がぐるぐると回転を始め・・・意識が急激に遠のいていく。

「な、に・・・ッ⁉ これ・・・は───」

 必死に自分を保とうと足掻くが・・・もはや、時既に遅く・・・

 私の意識はあっけなく・・・深い闇の底へと・・・・・・落ちていった───
しおりを挟む

処理中です...