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次はまたいつ会える?

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 堕ちる所まで堕ちて、陽の当たらない裏社会に身を沈めてからもう随分月日が経つ。
陽の当たらないは比喩でなく、交渉や始末なんかはトップがやる仕事じゃねぇと大抵アジトのビル内にいるんだから本当に直接太陽を浴びない。

だから表に出る反社の頭としての写真はほぼゼロに等しい。たまたま撮られたらしい時は珍しくオレが出ないとまとまんねぇやつで、それでもビルから車へドアからドア。周りを幹部が固めてたやつの隙間から撮られたものだ。
そん時もオレは背の高いヤツらの中にいたから陽の光なんて感じなかった。

 オレは飾りだと思ってる、やけに大きく重い椅子に座って後ろに控える部下の話を流し聞く。
 聞いてなくても話も仕事も進むもんだ。オレは言われるがままに動いとけば良い。自分は死んでなお蠢めくゾンビみたいだ。

「ボス、聞いてます?」
「ん」
「そんで先月決算のヤクは市場が増えたんで増益。土地代で喚いてるヘドロがいたんでそれはまとめて処理しています」

クスリ、地上げ代、死体etc
まともに生きてて聞くことはないだろう単語を日々聞くようになった。かさついた手で出された書類をめくって業績という罪状を見る。
動く心はとうに無くなっていた。最後のページに地元のヤツがカタギでどう過ごしているかの最新スナップまとめが載っていて、それだけが少しの灯を灯させる。みんな良いじゃん。あぁお天道様の下ってそんなに楽しいものだったか?

「なァ」
「っはい!何でしょうボス!」

オレが口を開いた瞬間、怠い様子で書類を報告していた部下が身を乗り出すように正した。

「明日オレの時間どんくらい空けれる?」
「完全にフリーってことっスか?」

問い返された問に頷きだけ返す。

「明日は無理っすよ、会合で1日拘束されてます」
「空けろよ」

今日初めて部下と目を合わせた。無理だと言う割に嬉しそうな顔をする変なヤツ。

「うっス、1時間。いえ2時間空けます」

2時間。これがオレに許されるいつもの制限だ。

──── ──── ────

 そいつはオレが地元のやつと完全に縁切って反社に染まってから出逢った。
送迎されるスモーク車に知らねぇ下っ端の運転手と乗っていた時、ふと降りたくなってドアを開けさせた。
直ぐ戻るとソイツを車で待たせて街を歩いた。
なんも持ってなかったし、年中サンダルだから寒い時期の街中では目立ってしまって結局人目を避けて路地に入った。

 晴れているのに陽が入らない路地。
ふと、オレはそこから動けなくなってしまって、
壁に身を預けてみるとズルズルと地面に吸い寄せらた。さみぃナとぼんやり考えていたらドサリ、と何かが落ちる音がした。首だけそちらに向ける。音の正体は買い物袋だった。長ネギが飛びてているのがいかにもだと思った。

「だ、大丈夫ですか?」
「あ?」

買い物袋の持ち主と目が合う。そいつは大きい目を更に広げてこちらを少し震えながら見ていた。そりゃ如何にも怪しいやつが死んだような目つきで座り込んでたら怖ぇよな。
ふつうの、いや普通にしては線が細いだろうか、でも対して特徴のない一般人の女がこちらへそろそろと寄ってきた。

「どこか体調悪くなりましたか?救急車とかご家族の方呼びます?」

話すイントネーションに違和感があって多分東京で育ったやつじゃない。

「なんもすんな、ほっとけ」
「こんな所でそんな格好じゃ冷えますよ」
「うるさい」

強い言葉で返すのに、その分女が意固地になって寄ってくる。

「あ、私あったかいお茶買ってたのであげます。もっと夜になったら冷え込むから、ここから動いてくださいね」

女がしゃがんでオレに目線を合わせると、手に無理矢理ホットのペットボトルを握らせてきた。
やけに手のひらにじんじんくる暖かさに動かされてそのキャップを開けようとしたが、思っていた以上に身体が冷えていたらしく指が上手く動かない。
見かねた女が遂にオレの横に座ってペットボトルのキャップを代わりに開けて差し出した。

「私も、毎日毎日頑張って過ごしていて逃げたくなることがあるんです。でも放り出して逃げ出すことなんて出来ないから、やっぱり頑張って日々を過ごすの。ね、だからお互いにこの後も頑張りましょう?」
「じゃあ逃げればいいじゃんオレと逃げよ?」

女の細い手首に縋り、言った。逃げたいって思う心が同じだったから、道連れにしようと思った。気まぐれでも駆け落ちなら女と一緒がいい。

「‥‥夕飯の支度までに帰れるなら、遅れると旦那に怒られてしまうの」

悲しそうに柔らかく笑った女の返答は、気が抜ける随分短い提案だった。
時間にすると2時間程の。
それから時折、オレはこいつと2時間だけ何もかも捨てて過ごすことがある。

──── ──── ────

 昨日、無理矢理部下に空けさせた時間を使ってバイクで待ち合わせ場所に駆けた。

黒いワンピースをシンプルに着て、そいつは既に待っていた。

「いつもさ、急に誘うのによく来てくれるよな」
「毎日やることは山ほどあるけど専業主婦の時間の組み立ては自由だから、子どもも、いないしね」
「へ~、なぁ今日どうする?」
「海へ行きません?もうシーズンは過ぎたから穴場でしょう?私、海がないところが出身だから行ってみたくて、東京って海あるんですよね」
「東京の海なんて汚ねぇよ、行くなら神奈川」
「神奈川県?すぐ行けるの?」
「ん」

東京に出てきて神奈川県まで行かせてもらったことがないのかと思いつつ、後ろのバイクを指さした。バイクも乗るのが初めてだと、そいつは嬉しそうにオレの腰を抱きしめながら海に向かって走り出すバイクの後ろで叫んでいた。

「寂れてんな」
「ほんと誰もいないね」

着いた浜辺は曇天だし、シーズンオフなだけあって人影がなかった。

バイクから降りて石段を下って砂浜を歩く。波が打ち寄せる渚の手前まで行くと後ろから手首を掴まれた。

「すぐフラっとするんだから!波が結構高いから濡れちゃうよ?」

濡れた跡のない砂なら波は来ないだろうと判断すると、予想外に波が伸びてサンダルのつま先を掠める。

「困る?」
「え?」
「オレがこのまま手ぇ引っ張って波打ち際を超えて海に足入れたらさ、困んの?」
「今ビショビショになったら帰るまでに乾かないと思うよ」

そうやってオレを穏やかに窘めてくれる。初めてあった時もおまえはそうだった。悲しそうに、でもとびきり優しく年下のオレを叱る。

「そうだよな、オレはサンダルだけどお前は違うし。革靴が濡れてたらバレるよな」
「‥‥‥そんなこと言わないでよ」

オレの手首を掴む彼女の手をやんわりと外してやって、砂浜を走り少しはしゃいでみせる。

「このまま海入っちまいたいなぁ、どこまで足をついて波を掻き分けられるんだろ」

オレの残した足跡を辿るようにゆっくりと追いついてきた彼女は

「今日の海ってすごく冷たいと思うよ」

とまたオレの手を掴んで海から遠ざける。掴まれた手をそっと解き、指を絡め合わせた。
バイク前まで戻って自販機で暖かい飲み物を買って、海の見える斜面へ並んで座る。見える波も心も凪げいていた。

「今日の夕飯なにつくんの?」
「今日は、小鯵の南蛮漬けがメイン」
「美味しそうじゃん。他は?」
「普通にご飯と味噌汁と自家製の漬物、肉料理もないと不機嫌になる健啖家だからちょっとしたやつ作ろうかな」
「あぁあのババアにめちゃくちゃ文句言われた味噌汁」
「ふふ、うん。お継母さんにね」
「‥‥‥旦那と別れねぇの?」
「別れられないの。別れてその後どうにか出来る手立てなんてないから。仕事辞めさせられて専業主婦だもの、離婚したら無職よ?近くに頼れる友達もいないし。今からパートでもして資金集められたら良いんだけど、僕の給料じゃ不満って言ってるのかって沢山怒られちゃった」
「そっか」

 オレの肩にコテンと頭を乗せてきたのを好きにさせてポツポツと話す。
適当に買った缶コーヒーはブラックでもう残りが少なくなっていた。それに白いパッケージの缶コーヒーが並んで置かれる。
 
「よくその苦いの飲めるね、甘党じゃなかった?」
「これ?味あんま分かんねぇ」

不思議そうにオレの顔を覗き込む彼女の目から視線を逸らせず、そのまま海風に遊ぶ髪ごと掻き抱くように頭を押さえてキスをした。
上から降らせて、角度を変えて、幾度と。
制止しようとオレの名前を呼ぶ為に開かれた唇へ舌まで滑り込ませて息も奪う。
震える薄い身体を閉じ込めて、酸欠でくらくらしてきたらようやく唇を離した。

「どう?これ苦いの?」
「‥‥‥」

彼女は無言で、もう少しで決壊しそうな涙の溜まる瞳を向けていた。

「キスって不貞になんねぇの、知ってた?」
「‥‥‥知らない、どっちも知らなかった。ブラックコーヒーの苦さも、法律のガバガバさも。貴方がチャカ持ってもここにいるくらいだもんね」

腕の中に閉じ込めた彼女の指先がオレの上衣のポケットに差し込まれていた。中には小型銃のデリンジャーが入っている。

「コラ、悪戯すんなよ」
「うん」

素直に手を引いてくれた彼女はもう柔らかい笑顔だった。

穏やかな空間を引き裂いてリリリリリッと音が響く。彼女が設定したスマホアラームだ。

「送る」
「ううん、駅見えたから平気。貴方も迎えきてるみたいだし」

近くに黒塗りの車が止まっていた。

──── ──── ────

 毎回のことながら頼んでねぇのに部下が迎えに来た。車の皮張りのシートに身を預けて、窓に頬杖をつく。
バイクは誰かが回収するらしい、こっから直でオレは会合。街頭の明かりがどんどん後ろへ流れていった。

「……ボスがあの女気に入ってるなら俺が攫って来ましょうか?」
「ぜってぇ辞めろ馬鹿。攫って来たら、殺す」

 黒く反射する窓を見ると空虚な己が映る。
俺もあいつも別々の場所があるから、待ち合わせして逃げることができんだろ。

お互いのしがらみを知っている。もっと時間があれば、いける所までいってしまう。少しだけだから味わえるこの幸せを大量に浴びたら致死量で死ぬ。
浴びる資格も、アイツを冷たい暗闇に堕としてしまう権利も、オレにはないんだから。


陽の光の似合う優しい彼女へ
次はまたいつ会える?2時間だけのエスケープ。



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