祭り心情

三文士

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父と子

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「確かに親父には椎木打しぎうちになるって誓いました。けど、俺にだって通したい筋があるんです。分かってください。礼次郎れいじろうさん」

 和也かずやの言葉を最後まで聞いて、礼次郎はまた感情を失くした顔に戻ってしまった。

「カズ、香織ちゃん元気か?」

 和也の通したい筋を聞かずとも理解している礼次郎であった。だが直接の言葉にはしない。言葉にしてしまえば、和也がまた、自分を責めてしまうからだ。

「はい。もうすぐ、子どもが産まれます」

「そうか。おめでとう。本当におめでとう」

「ありがとうございます」

 あの時礼次郎が香織を守ってくれなかったら。もしかしたら今とは違う未来になっていたかもしれない。だからこそ、和也は自分たちの未来を守ってくれた礼次郎に恩を返したい。そうではなくては、椎木打ちとして依然に男としての自分が廃る。和也の胸にはその強い気持ちがあった。

 だが礼次郎は首を縦を振ってくれない。和也の想いを、礼次郎は受け止めてはくれないのだ。

「礼次郎さん。やっぱり、受けてくれないんですか。椎木打ち」

「嫌だって、言ってんだろ。何度も言わすな」

「だからって……」

「なあカズ、聞けや」

 礼次郎は立ち上がり酒の缶を地面に置いた。真剣な色がまた戻っている。しかし、その目には優しさを孕んでいる。

「俺ぁよ。確かに椎木打ちになりたかった。だがなカズ。俺がいつ、お前に椎木打ちを譲ってくれって頼んだんだ?」

「いや、それは……」

「お前があの時以来、俺に引け目を感じているのは知ってるさ。だがな、あれは俺が勝手にしたことだ。例え周りから前科者みたいな目で見られたって、俺は気にしねえ。お前と、香織ちゃんが分かってくれるならそれでいい。お前が産まれてくる子に、そう伝えてくれるだけでいい」

「礼兄ちゃん……それじゃあ、でもそれじゃああんまりじゃないか!」

 和也の目から涙が流れていた。自分ばかりが人に評価され、幸せになっていく。まるで礼次郎を踏み台にしてしまっている。そんな気持ちが和也の胸を締め付けるのだった。

「いいんだよ。それで。俺はな。それで十分なんだよ。だからカズ。気にすんな」

「なんで。なんでそんなに俺なんかの為に」

 泣いて地団駄を踏む和也の肩を抱き、礼次郎は優しく言い聞かせる。

「ガキの頃、酒乱だったウチのクソオヤジはいつだって俺やお袋を殴っていた。そん時にいつも助けてくれたのがお前の親父さんだ」

 初めて聞く話だった。礼次郎の父はずっとずっと昔に亡くなっている。豪胆な人だったと、人づてには聞いていたが酒乱という話は初耳だった。

「ウチのクソオヤジに殴られながら、いつもいつも宥めすかして俺たちを守ってくれた。そんで夜中に半ベソで腹を空かせた俺をラーメン屋に連れて行ってくれてよ」

「そんなことが……」

「そんでよ。決まって言うんだぜ。『オヤジさんを嫌いになるんじゃねえぜ。オヤジさんが悪いんじゃねえ、酒が悪いんだ』ってさ。顔を腫らしていうんだ。笑っちまうよな殴られてんのに」

 礼次郎が自分の父に対して、単なる近所の知り合い以上の感情を抱いているのは分かっていた。だがそこにこんな事情があったことを今の今まで知り得なかった。それは、礼次郎や彼の家族に対しての、和也の父親なりの配慮だったのかもしれない。

「俺がバカやってオマワリに捕まった時だって、連絡のつかない飲んだくれの代わりにお前の親父さんが身請けに来てくれた。『バカヤロー、レイ、腹減ってねえか?」』って言ってさ。最高にカッコいいだろ?お前の親父」

「知りませんでした」

「ったりめーだよ。『男はな、良いことしたって、誰かを助けたって、ペラペラ自分から言うもんじゃねえ。余計な言葉は男を下げる』ってね。お前の親父さんの受け売りだ」

「だからって……」

 だからって礼次郎の人生が和也の犠牲になっていい理由などなかった。それではあんまりに悲しすぎるのだ。

 しかし礼次郎は明るく大きな声で笑う。

「お前の親父さんは俺の為にしこたま殴られてくれた。その人の息子とその嫁を守るために今度は俺が殴られてやった。いや?俺が殴ったんだっけか?」

「半殺しだよ。兄ちゃん、図々しいぜ」

「うるせえな。まあいいだろ。なあカズ。だからそれでいいんだ。あのな。いつだったか、ウチのクソオヤジがいつにも増して酷い日があって。俺ぁまだ小学生くらいだった。で、クソオヤジが俺を殴ったら当たりどころが悪くて、俺が血を出して倒れちまったんだよ。殴った本人はどっか行っちまうし。お袋はさ、他に頼る人もいなくて。仕方なくお前の親父さんのとこへ行ったんだ」

 和也は言葉もなく固唾を飲んでいた。礼次郎の言葉に抑揚はなく、ただ事実を吐き出しいるような喋り方だ。

「それでな。親父さんはワケも聞かず、血塗れの俺を病院まで担いで行ってくれた。俺は、薄らとした意識の中で、『父ちゃん、父ちゃん』てうわ言みたいに言ってたんだと。後から聞いた話だけどな。俺が憶えてるのは大きな背中の中で『この人が俺の父ちゃんだったらどんなにいいだろう』ってそれだけさ」

「親父は……立派な人だったとは思いますが、それと俺らとは」

「関係ある。あるんだよカズ。血塗れの俺を負ぶって行ってくれた日。その日にお前が産まれてる」

「え?」

 母から、父は和也の出産に立ち会えなかったと聞いた事はある。だが和也は次男だし、別段おかしいことでもない。それくらいに思っていた。しかし、そんな理由があるとは知らなかった。

「ウチのクソオヤジと俺のせいで、お前の親父さんがどれだけ自分の人生を犠牲にしてきたか。俺はよく知ってる。親父さんはな。いつだって俺を不憫に思って可愛がってくれた。俺の人生には本来ないはずの、父親との時間をくれた。だから俺は恩を返したかった」

「礼兄ちゃん」

「あの祭りの事件の時。俺が警察に引っ張られて事情聴取してる最中に怒鳴り声が聞こえてよ。見たら親父さんが警察に乗り込んで来てんだ。『俺の息子なんだよ!あいつは!立派に祭りの警備やってんだ!ヤクザを殴ったくれえでガタガタ言うんじゃねえ!』ってオマワリの胸ぐら掴んでてさ。みんな慌ててたけどなあ。傑作だった。でもそれよりな」

 礼次郎の目には薄らとした涙が浮かぶ。

「『俺の息子』って。生まれてからこんなに嬉しい言葉はなかったね。俺の独りよがりじゃなかったんだんだ。親父さんも、俺のことを息子だと思ってくれてたんだって。嬉しかったなあ。だからなカズ」

 礼次郎は和也の前に立ち真っ直ぐな瞳で見つめる。

「あんまり俺の人生を哀れまんでくれ。俺は幸せだぜ。お前の親父さんおかげでな。あの時親父さんに恩返しが少しでもできたと思ってる。だからカズ、そんな風に思わんでくれ」

 独りよがりは自分だった。独善なのは自分だった。礼次郎の曇りのない笑顔を見て、和也は初めてそのことに気が付いたのだった。

「分かったよ」

「ありがとよ。それとなカズ」

「はい?」

「礼次郎さんはやめろよ。兄弟なんだから。他人行儀すんな」

「あ」

 そのとき和也は、不服そうな礼次郎の顔を見て悟ったことがあった。いつからか、和也の方から勝手に礼次郎に距離をとっていたのだ。自分でも気付かないほど自然に。後ろめたさから礼次郎さんと呼び始めた。礼次郎はそれを敏感に感じ取って不機嫌になっていたのだ。

「分かりました」

「敬語も」

「わかったよ。礼兄ちゃん」

「それでいい」

 相手の気持ちを勝手に推し量ることの愚かさ。今の礼次郎の笑顔を見て、自ずとそれが理解できた。

「あ、でもあれだな。お前が椎木打ちになってから俺に敬語やめたら、なんか俺が格下になったからだと若手が勘違いするかもなあ」

「実際、俺が椎木打ちになったら兄ちゃん格下じゃんか」

「お前、やっぱそういう腹だったなこのヤロー」

「兄ちゃんこそ。『お前がやれ』とか言っててやっぱり不満あるんじゃん」

 長年築いてきたものがある。だからこそ、一旦春がくれば雪解けは早い。男たちの関係は、そういうものであった。

「さーて戻るか。若い奴らが心配するからな」

「もうとっくに帰ってると思うけど」

「ふざけんな!祭りだぞ祭り!今日朝まで飲まなきゃいつ飲むんだ!?」

「いつも二日酔いくらい飲んでるじゃん」

「黙れ家庭持ち。お前に俺の寂しさは分かるまい」

 春が来れば、夏はすぐそこだ。夏は祭りの季節であり、彼らにとっては人生の彩りを精一杯周囲に見せびらかす時なのだ。

「寂しくねえだろ。兄ちゃん。俺も香織も。兄ちゃんの家族なんだから」

「お、おうだな」

 自分は幸せだと。みんながみんな、幸福に満ち溢れる。それが祭りなのだ。景気よく、威勢よく、着飾って笑う。

「若手呼び出すか。付き合わせようぜ」

「止めなよ。だから嫌われるんだよ」

「え?俺嫌われてんの?」

 彼らは町に根を張り、思い思いの家族を増やし、大切なものを伝えていく。

「おい、冗談だよな?カズ?」

「さてねー」

「おい待て!」

 人が人を想う心。人が人を敬う心。町を通し、人を通し、祭りを通して見える心。義理堅く情に厚い。時に不器用で時に独りよがりである。だが、それらは確かに温もりのあるものである。

 それが、彼らの祭り心情なのである。

 男たちの声が夜の町に消えていく。来年もまた、祭りの季節がやってくる。

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