EAT,MAN

三文士

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紳士は将来の夢を見る

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「お待たせしましました。どうぞ」

「ありがとう」

「こんなに美味いジンアンドビターズは初めて飲んだよ」

 そう言うと彼女は大げさに吹き出してみせる。

「もう、嘘ばっかり。自分でも大した味じゃないのくらい飲まなくても解るんですから」

「そんな事はないさ。本当に美味いよ」

 私たちはごく普通のカップルがそうするように、じゃれ合って時間を過ごした。本当にこのまま過ごしていけるかもしれない。殺人鬼の私がその過去のすべてを捨て、新しい人生歩んでいけるかもしれない。人並みに生きていけるかもしれない。

 そんな淡い考えをしていたせいだろうか。それは突然、私の心に侵入してきた。洗い物をしながら鼻歌を歌う百合ユリの横顔を眺めていたら突如として抑えがたい衝動に駆られた。

 彼女を食べたい。今すぐにでも。

 今この絶頂に愛している時に。あの、か弱くて細い、名前の通り百合の花弁のごとく真っ白な首に、この爪を立てて真っ赤な色を加えたい。彼女から出た噴水を身体中に浴びた後に、その肉を思う存分貪りたい。

 凶悪な感情が全身を支配しかけたが私はグッとこらえ平常心を取り戻そうとした。しかし我慢すればする程に、初めて心から愛したマキがどれほどに甘美な味わいだったかを鮮明に思い出してしまう。

 マキと百合が重なって見えた。マキの、あの柔らかで新鮮な肉を口に含んだ時の幸福感。

 味でない味。香りでない香り。

 すべてが曖昧でそれでいて悦びに満ち溢れていたあの瞬間。もう一度味わいたい。もう一度あの体験をしたい。

 欲望が身体中を這いずり回る。

 頭の中で声が聞こえた。



 分かっているんだろう?

 普通の暮らしなんて無理なんだ

 お前は特別なんだ

 芸術的な愛の表現者なんだよ



 その声は紛れもなく私の声だった。ねっとりとした、陰湿で不気味な声。



 世間がお前をなんて呼んでるか知っているか?

 世間がお前をどう思っているのか知っているか?




「イートマン」

「え?」

 突然、その言葉が口をついて出てしまった。百合は私の独り言に驚いたようだ。

「ああ、いや。あの、ほら知っているかい?世間を騒がせている連続殺人鬼のこと」

 私は興味があった。彼女が私をどう思っているのかを。私の真実の姿を知って、果たして彼女は受け入れてくれるのかを。

「ああ。あの若い女性ばかり狙った犯人よね。たしか……名前が」

「イートマン」

 私は力なく呟いた。もう理性が飛んでしまいそうだ。

「そうそう。それよね。たしかそんな名前だったわ。それがどうしたんです?」

 百合はそこでカウンターの中を掃除し始めた。マメでよく気がつく子だ。

「いやなに。キミぐらいの歳の子ばかり狙われてるじゃないか」

「そうなんですか?」

「そうだよ。それについてキミはどう思う?」

 私はとにかく恐れていた。

 百合が、彼女の唇から私という殺人鬼を侮蔑ぶべつする言葉を聞きたくなかった。

「どうって、怖いなぁ、としか」

「どんなヤツだと思う?」

「そうねえ……」

 心臓の鼓動が早くなる。早すぎて、そのまま破裂してしまいそうなくらい。彼女はしばらく考え、そしてゆっくり微笑んだ。

「よく解らないけど、人間てどんな事をするにも必ず理油があると思います」

「理由?」

「そう、理由です。だからきっとその人も理由があってしてるんです」

 私は思い出していた。あの時、私を可哀想だと抱きしめてくれたマキを。

「解らないけど、きっとその人も人間だから。何かとても繊細な理由があると思うんです」

 私の為に泣いてくれたマキを。

「だから怖いけど、可哀想だなとも思いますね」

 そう言って彼女は、また後ろに向き直って掃除を始めた。

「優しいんだな、キミは」

 そう言うのがやっとだった。もはや私の理性は限界で、彼女を愛しすぎていた。気がつくと、私はいつだったかこの場所であの女を仕留めた金槌を手に持っていた。

 一撃だ。一撃で楽にしてやらないと。

 ちょうど後ろを向いているじゃないか。きっと彼女も私にこうされるのを待っているんじゃないか。そうに違いない。

 早く、一つにならなければ。

 早く、仕留めなければ。

 私は音も立てず、彼女に近づいていった。もう後は腕を振り下ろすだけというところまできた。その時だった。

 カウンターの後ろは一面ガラス張で鏡のようになっている。そこには一人の美しい女性と、私と同じスーツを着て恐ろしい表情をした悪魔が、ヨダレを垂らしながら金槌を振りかぶっていた。口は耳まで裂け、目は吊りあがり、どす黒くて長い舌をチロチロと出していた。

 だがそれが悪魔ではなく自分の顔だと気がついた時、私の中で何かが死んだ。私はヨロヨロと席に戻り、手から金槌を離して地面に転がした。

 何が芸術だ。何が愛の表現者だ。何がイートマンだ。

 結局ただの殺人鬼じゃないか。ただのバケモノじゃないか。

 醜い顔で、肉欲に従うバケモノだ。

 こんな私でも、愛してくれる女性に今何をしようとしていたのか。あの歪みきった顔はなんだ。私は初めて自分が恐ろしいと思った。それでも情けない事に、彼女への欲求は収まっていなかった。

 諦められない悪魔が、また囁く。



 おいおい、今更それはないだろ

 ここまでお膳立てして止められないよな

 あの女を喰ったらさぞ美味いんだろうな

 そうだ普通に喰ったら楽しみがない

 肉醤にくしょうにしたら長く楽しめるぞ



 肉醤。それは思いつかなかった。素晴らしい案だ。それなら百合の魂を瓶詰めにして長く愛せる。まずは準備を整えなければ。

 と言った具合に、深く怯えていたのも束の間、私はまた元の私にすっかり戻っていた。百合を調味料にすることばかり考えていた。

 その時だった。

「ねえ。ちょっとお聞きしても良いですか」

「なんだい?」

 ユリが後ろを向きながら質問をしてきた。

「どうして嘘をついてるんです?」

「え?」

 いつもの彼女と違う、低いトーンの声だった。

「今日は店が休みだから、だなんて。ここ、ずっと営業してないでしょ」

 背中に冷たいものが走った。

「なんで、そんな」

「だって、ここ。ぜんぜん掃除した形跡がない」

 しまった。しばらく百合の事にかまけていて掃除がおろそかになっていた。だがそれがどうしたというのだ。

「いやあ、スタッフが掃除が苦手なんだろう。確かそうだったよ」

 ひとまず取り繕っておく事にした。もしかしたら彼女は掃除にうるさいのかもしれない。

「う、そ」

「え?」

 また一オクターブ低くなる。

「言ったでしょ。学生の時、BARでバイトしてたんですよ?どれくらいここが使われていないかくらいすぐ分かるんですよ」

「いや、それは」

 また何か言い訳をしようと思っていた。ひとまずここを乗り切って、もう彼女を送っていこうと思っていた。早く家に帰って肉醤について調べたいと、そう思っていた。

 だがその願いはあっけなく、打ち砕かれる。

 なぜなら、私が次の言葉を言おうとした瞬間。突然私の喉にナイフが生えて言葉を奪っていったからだ。

 痛みも衝撃もない、刹那のことだった。

「ワタシね、嘘って大嫌い」

 そう言うと百合は私の喉に刺さったナイフを引き抜いた。

 事切れる意識の中で私が最後に目にしたもの。それは、私から吹き出す血を浴びて微笑む一匹の悪魔。先ほど鏡の中で見た悪魔。百合の服を着た、恐ろしく醜い悪魔の顔だった。

「ホントはアナタのことも大っ嫌い」

 そしてそれが私がこの世で聞いた最期の言葉だった。

ツヅク
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